第471話 星の記憶
東アジアの片隅で起きている局地戦争――
それは、シンプルに言ってしまえば日本人と中国人の争いだ。もちろん時空を超越して、複雑に絡まり合った様相を呈してはいるが、その対立構造は極めて単純なものだ。
それが今や、人類の存亡そのものを賭けた戦いとなっているのはなぜか――!?
極東での局地戦争に関わらないその他大多数の地球上の人類にとってみれば、それは取るに足らない、対岸の火事以外の何物でもない些末なできごとだ。
当事者にとってみれば国家存亡、民族危急の大事件であったとしても、無関係の第三者にとってはどうでもいいことなのだ。そしてそれは、何度も世界大戦を経験した人類の、ある種の生き残りの知恵でもあった。
他地域の紛争には一切関わらない――
この不文律によって、戦禍が世界中に及ぶことをあらかじめ防ぐようにしたのである。これがこの時代の“新世界秩序”――
だから、東半球の多くに覇を唱え、超大国として君臨していた日本という国家が、今や滅亡の危機に立たされているからといって、他の地域の大国が応援に駆け付けてくれることは基本的に――ない。
先ほど
なぜこの争いが、地球人類そのものの存亡に関わるの――!?
それに対して出した広美の回答は、今ようやく核心を突こうとしていた。
「――これは偶然ではありませんよ。意図的に組み込まれたものです」
「意図的に……!? 誰が――!?」
『思いやり遺伝子』とも称される『YAP遺伝子』。
国民の半数がこのYAP遺伝子を持つとされる日本人は、6万5千年前にたまたまこの突然変異を獲得した男のY染色体を寸分たがわず引き継いでいる存在だ。
その遺伝子の突然変異が、偶然ではなく意図的なものだった――!?
「――誰が……という問いに答える前に、この変異がいったいどこから来たのか、それを理解するのが先決です」
広美は、
「……どこから……?」
「……人間は、本質的には極めて攻撃的な生物です。それは皆さんご承知ですね?」
「ま、まぁ……こうやってしょっちゅう戦争しているしな……」
久遠が申し訳なさそうに顔を背ける。
そう――人類の歴史は、まさに戦いの歴史だ。人間は常に争い、他者を征服し、自分のコミュニティを拡大し、利益を最大化させることに全力を注いできた。その攻撃性は、同族に対しても極めて苛烈で、今や人間という動物の天敵は、同じ「人間」といっても過言ではないくらいだ。実際、人間が他の個体に殺される割合は、同じ人間からというのがズバ抜けて高い。クマに襲われたりトラやライオンなど肉食獣に襲われたりするよりも、同族の人間に襲撃されて殺されるというケースの方が圧倒的に多いのだ。
同じ種族同士でここまで殺し合いをする生物は、この地球上広しといえど人間しかいない。
「――ですが、同じ人類の中でも、
「……ネアン……デルタール……レンシス……」
士郎は呻くように口走った。広美は安心したように頷く。
「そうです。それは今から僅か4万年前まで、同じこの地球上に生きていたもうひとつの人類――ホモ・ネアンデルターレンシスです」
「えっと……てことは、私たちとそのネアンデルターレンシスは、同時に生きていたこともあるってこと!?」
楪が指を折りながら視線を宙に泳がす。
「えぇ、もちろんです。特にネアンデルターレンシスが絶滅する直近の数千年は、ごく近い範囲で現生人類とモザイク模様のように生活圏を共有していました。当然交流もあったでしょうし、したがって交雑も進んだことでしょう。現に私たちホモ・サピエンスの遺伝子からは、ネアンデルターレンシス由来と思われるDNAが多数見つかっています。肌の色が白いという遺伝的特徴が彼らのものであることは比較的有名ですね」
「すごい! 仲良しだったの?」
楪が無邪気に問いかける。だが――
「……いいえ、残念ながら、ネアンデルターレンシスの絶滅原因は恐らく私たち現生人類にあります」
「え……」
「私たちホモ・サピエンスが、ネアンデルターレンシスを駆逐したのです。それは、個体数に勝る我々が彼らの生活圏を脅かし、食糧を根こそぎ奪うなどして生存を難しくしたのか、あるいはもっと直接的に彼らを攻撃し、その命を奪ったのか……詳細は分かりませんが、彼らを絶滅に追いやったことだけは科学的な事実なのです」
「……そんな……」
「それは、裏を返せば、彼らネアンデルターレンシスは、
「……て……ことはもしかしてYAP遺伝子って……」
「えぇ、その通りですよ未来さん。『思いやり遺伝子』とも呼ばれるYAP遺伝子は、彼らネアンデルターレンシス由来のDNAなのです。そのルーツが6万5千年前の東アフリカに棲んでいた、たった一人の男にある、というエビデンスも、時系列的に、あるいは地理的に十分辻褄の合う話です」
確かにその時代なら、まだ現生人類とネアンデルターレンシスは共存していたはずだ。しかも彼らの棲息圏は、東アフリカから現在の中東を北上して地中海沿岸に広がっていたことが、考古学的にも証明されている。つまり――
まだ現生人類とネアンデルターレンシスが決定的に仲たがいする以前、両者のとあるオスとメスが出逢い、お互いの愛を育み、結ばれたのだ。その結果、突然変異としてYAP遺伝子がその子供のオスのY染色体に発現した。ネアンデルターレンシス特有の、優しくて思いやりのある気質を、その子が見事に引き継いだのだ――
「――ではそろそろ、最初の質問にお答えしましょう。誰が――意図的にそうしたのか、という質問でしたね? 未来さん……」
「……はい……これは偶然ではない、と仰ったのは広美さんです」
広美は、あらためて一同を見回した。
もちろん、その場に顕現している
「――それはズバリ、神と呼ばれる存在です」
「神さま!」
「広美ちゃんみたいな!?」
「やっぱり!」
口々にオメガがリアクションするのを見て、士郎もやはりそうかと納得する。自然の成り行きでそんなことが起こるとは、やはりどう考えてもいろいろと都合が良すぎるのだ。
「厳密に言うと、ここで言う“神”とは、宗教の世界に登場するような、
「――シリウス人……」
「えぇ、その通りです。まぁかく言う私も、それからヌシさまも、みなシリウスの末裔ではあるのですけれど……」
「えっ!? 広美ちゃんって、宇宙人だったの?」
楪が驚いたのを見て、士郎はハッとなった。そう言えば、以前叶とこの「シリウス人が人類進化に介入していた」という話をしていた時、同席していたのは未来だけだったか――
あの、高千穂峡の洞窟前で、未来がとんでもない殺戮騒ぎを引き起こした直後に駆け付けた叶が、淡々と語ってくれた人類進化の真実――
他のオメガたちにしてみれば、すべてが初めての話のはずだ。
「広美ちゃん、俺……実はシリウス人の話は薄々知ってました」
「――あ、私も……」
士郎と未来が相次いで名乗り出たのを見て、楪や久遠たちが当惑した表情を見せる。
「――叶少佐ですね……やはりあの方の洞察力は凄まじい……」
「ですが、少佐の話はあくまで科学的知見に基づいた推論でした。ぜひ、この場で正解を教えていただきたい!」
士郎は身を乗り出して広美に迫る。我々はいったいどこから来て、どこに行くのか――
その答えをどうしても知りたいのだ。
「――分かりました……」
それから広美は、他のオメガたちのために、最初から筋道立てて人類とシリウス人の関係を解き明かしてくれた。それは、以前叶が語った話とほぼ同じだ。
曰く、遥か古代の地球にシリウス人が渡ってきたこと。そこにいた原住生物のうち、将来地球の覇権を握るだろうと思われる生物の候補が二種類いたこと。それがまさに現在の
シリウス人は、その二種類の人類の生存競争を見守っていたが、結果的により好戦的なホモ・サピエンスの方が勝利したため、ネアンデルターレンシスの優秀なDNAが失われることを惜しみ、その中のいくつかのDNAを強制的にホモ・サピエンスに組み込むことにしたこと――など。
「……あの……そもそもなぜシリウス人は地球に渡ってきたのですか?」
広美の説明の途中で、亜紀乃が素朴な疑問を口にする。確かにそれは、今の話の本筋ではないが、でも気になるところでもある。士郎は、話が脱線しないかやきもきするが、広美は平然とそれに応える。
「――もともとヌシさまは、地球人的な言い方をすると、シリウス地球派遣軍の先遣隊長でした」
――!!
やはり……これも、叶の推察通りだ。
「――ですが、少々ヌシさまの地球開発手法に本星から物言いがついたのです。それで何度か行き違いがあり、とうとう最終的には派遣軍総司令官であるアマテラスさまが直々に地球までご降臨された……」
その辺りの経緯はまさに、日本神話『古事記』の記述通りだ。士郎は思わず口を挟む。
「それで結局、ヌシさまは異なる次元の方を治めることになり、アマテラスさまはこちらの世界を直轄されることになったわけですね!?」
「えぇ、その通りです中尉。ヌシさまは、考え方こそ違えど、やはり優秀な方でしたから、それまでのお働きに対してそれ相応に遇する必要があるとアマテラスさまもお考えになったのです」
「それまでの……お働き……?」
「はい――具体的には、地球という星の住人が将来、シリウスの民を心より迎え入れる心持ちになるよう、教育啓蒙していくという大事業です」
――――!!!!
「そ……それって……」
オメガたちが、あまりのことに言葉を失っていた。もちろん、士郎だって同じだった。
シリウスの民を……迎える――!?
「私たちの本星は近い将来――といっても当時、数万年後と推定されていましたが――物理的に滅びることが分かっていたのです」
「え……滅びる……!?」
「そうです。シリウスから630光年ほど離れた場所にある恒星が、星の寿命を終わらせようとしていたからです」
「それってまさか――ベテルギウス……」
それは、まさにシリウスと、もうひとつ「プロキオン」という恒星を加えた三つの星で、通称『冬の大三角』を形成する、あまりにも有名な星のことだ。
このベテルギウスが大膨張を始めているのが観測され出したのは、2024年の米中戦争勃発前後である。最終的にこの星が超新星爆発を起こし、消滅する運命にあることは、地球でもよく知られた話だ。
「……よくご存じですね……そうです、そのベテルギウスです。もしこの星が超新星爆発を起こせば、確実にガンマ線バーストが発生し、我がシリウス星系に甚大な被害を及ぼすことは避けられません。それを数万年前に予測した我々は、生物のいる惑星として最も近いこの地球に避難することを計画したのです」
「えと――それで結局ベテルギウスはどうなったのですか!?」
「私もずっと地球に居るので詳しくはないのですが、地球時間でいえばおそらく今から数年以内に超新星爆発を引き起こすでしょう。これは確定事項です」
「そ……んな……」
士郎は二の句が継げない。じゃあシリウスはもう……
「あ、でもご安心ください。ベテルギウスのガンマ線バーストがシリウスの本星に到達するのはさらに630年後、そしてここ地球でその様子が実際に観測できるのは、640年後です」
そうか――
地球とベテルギウスの距離は約640光年だ。それはつまり、光の速さで640年かかるということだ。だから、星が大爆発を起こし、その寿命を終えた現象が実際に観測できるのは、どんなに早くても今から640年先の人類ということになる。
それまでの数百年間、人は冬の夜空を見上げて、そこに冬の大三角が変わらず輝いている様子を見続けるのだ。実際は、もうそこには星がないにもかかわらず――
それはいってみれば、星の記憶――
そう考えると、いま夜空を見上げた時に輝いている無数の星たちの、いったい何割が……実際は過去の輝きを放っているのだろうか――
「――亜紀乃さん、話を戻してもよろしいですか?」
広美が穏やかに声を掛ける。
「あ……はい……すみませんなのです……」
亜紀乃は、なんだか聞いてはいけないことを聞いてしまったような顔をしていた。今の話は、あまりにも重い。だが、広美は案外平気そうな顔をしていた。そうか……この神さまは、シリウスではなく、この地球で生まれたんだっけ……
だから彼女は、本星のことよりも、この地球に愛着があるのかもしれない。だから俺たち人間の絶滅の方を危惧してくれているんだ――
なんだか士郎は、少しだけ心が温かくなる。広美ちゃんは、俺たちの味方だ……
「――シリウス人が、ネアンデルターレンシスのDNAを、ホモ・サピエンスに組み込んだという話でしたね……」
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