第469話 絶滅カウントダウン
士郎たちの目の前に現れたのは、間違いなく
だが、その姿はどうにも半透明で、以前『幽世』の出雲大社で見かけた時とはあまりにも様子が違う。
何より驚いたのは、その大国主命の半分透けた身体の中に、まるで取り込まれたかのように存在する二人のオメガ――くるみと
「ひ……
『喰ってはおらぬ。わしは人を喰らう趣味はない』
割れ鐘のようなオオクニヌシの呆れた声が響く。
『何をいっておるのじゃおぬし。二人は、オオクニヌシがこちらの世に顕現するにあたり、依り代としたものであるぞ』
ウズメがやれやれといった表情で、士郎を諭すように見下ろした。
そうか――
二人は――オメガはもともと『巫女』のようなものだとウズメさまは以前教えてくれた。だからオオクニヌシがこちらの『
その時ようやく、先だって広美が「オメガさんを二人貸してください……できればくるみさんとかざりさんを――」と言った意味を理解する。広美は最初から、オオクニヌシを『現世』に顕現させるつもりで、その依り代としてのオメガを欲したのだ。
なぜこの二人なのかは分からなかったが、わざわざご指名があったということは、何らかの意図がそこにはあったのだろう。
だが、二人は大丈夫なのか――!?
今のところ一言も発していないが、まさかこれっきり、神さまの中に取り込まれてしまうのではないだろうな――
だって“人身御供”って、要するに生贄ってことじゃないのか!?
しかもなぜ……オオクニヌシは半透明なのだ!?
普通依り代……シャーマンというのは、そう――例えば卑弥呼がそうであったように、その人物に憑依し、その人物の口を借りて神の言葉を発する……とか、そんな感じじゃなかったっけ……
こんな、涼しげな夏和菓子の餡みたいになるなんて……聞いたことがない――
「ご安心ください中尉――」
いつの間にか傍にいた広美が声を上げる。
「あ! ひ、広美ちゃん――」
「――彼女たちは、ヌシさまがこちらの世界に顕現するにあたり、どうしても必要ないわば触媒としての役割を果たしているのです」
「で、でも……それにしては二人の様子が……」
口を挟んできたのは
そんな一同を見回した広美は、あぁそうか――と一人納得したような顔をする。
「……なるほど、皆さんヌシさまがおぼろげながら見えているんですね?」
「あぁ……おぼろげって言うか、透明度30から50パーセントくらいって感じだ。二人はその中に取り込まれているようにさっきから見えてる」
士郎がすかさず補足すると、他のオメガたちもふんふんと頷いた。
「――やはり……そうでしたか。これはですね、あちらの世界に行ったことのある皆さんだから、そんな風に見えているんです」
「え……それはどういう――」
「以前、皆さんは次元移動をしたからこそウズメさまたち神さまが見えるようになったのだ、というお話をしたかと思います」
確かにそうだ。『現世』『幽世』問わず、
あれ以来、ウズメさまたちがあまりにも当たり前のように見えるので、最近は特にそれを意識したことはなかったが――
「それで、ヌシさまに関してはちょっと他の神とは扱いが異なるのです。なにせ――」
広美――タタライススキヒメは、実の父であるオオクニヌシが、自分やウズメさまとは異なるハンデを負っていることを少しだけ悲しむような素振りを見せた。
「――なにせ、ヌシさまは『幽世』に移封された身……本来であれば今さら、この『現世』に顕現することなど出来ないのです」
――!
なるほど……確かにそれはそうだ。人間の世界だって一緒だ。普通の一般人なら、旅行だって勝手に行けるし、わざわざ相手先の責任者に問い合わせる必要もない。ただ行きたくなって、物理的にそこに行く手段があれば、観光だろうが何だろうが気がねなく出来る。
だが、これが国家元首ともなると話が変わってくる。たとえばアメリカの大統領が、ある日突然日本のどこかの町の商店街で買い物がしたくなったからといって、ひょいとそこに行くのは無理だ。数々の段取りを踏んで、外交日程を組み、受け入れ側の日本も態勢を整えて、大騒ぎしてようやく来日が叶う。
ましてや、一度争いのあった者同士のいわば“手打ち”“けじめ”として、一方が別の地に封印されることになったのだ。おいそれと顔を出せるはずがない――
「……まぁだからこそ、今回は『現世』の統治者たる陛下から、正式にヌシさまのご来訪を要請されたのです。ただし、ヌシさまはもともと強大な神力を持つお方……そのままこちらに顕現されたら何が起こるかわかりません。ですから、今回は半分こっちに来ていただいた、という感じなのです」
「は……半分……!? だから透明度50パーセントってこと? おもしろーい」
楪が、このとてつもない話をただのお笑いに変えようとしていた。士郎は慌てて軌道修正を図る。
「――って、ことは……今のこの状態、俺たちじゃなくて、普通の人が見たら、まるでくるみと文が
「まぁ、そうですね……そして今、ヌシさまが直接お話になっている言葉は、彼女たちの口から“言霊”となって告げられている、といったシチュエーションになっていることでしょう」
そうなんだ――
「……えっと、ちょっと待って……それじゃあ元々神さまは、依り代に憑依した状態でこの世界に現れるのがデフォルトってこと?」
「そうですよ」
「じゃ、じゃあ広美ちゃんは? 広美ちゃんは普通の人間として、最初から俺たちの前に現れたじゃない!?」
そう――咲田広美――タタライススキヒメは、あの大仙陵古墳で初めて逢った時から、広美ちゃんなのだ。小っちゃくて、キョドっていて、普通の地味な公務員……
「――えっと……実を言うと私も依り代に頼って顕現しています」
「へ……!? じゃあ……」
「はい。この身体は、とある娘の身体を借り受けているだけです」
今さらかよっ――!?
彼女の実体は、じゃあまったく別の――
ちんちくりんの、小っちゃくて可愛らしい、地味ッ子じゃないのか!? じゃあ、今目の前にいるこの子は、もともとどこかの誰か……
「……まぁ、私の話は今は横に置いておきましょう。そんなことより――」
あっさりスルーされた!?
というか、神さまって、実は目の前に見えているものがどこまで本当なのか、まったく定かではない、ということなのか……
確かにウズメさまだって、もともと自分はある種の意識体で、見た目はその人の理想の姿に映っているだけだとか何とか言っていたしな……
広美が続ける。
「――そんなことより、大事なことがあります」
「大事な……こと……?」
「はい。今回のヌシさまの顕現は、依り代となったくるみさんと
えと……どういうことだ――!?
なぞかけのような広美の言葉に、オメガたちも困惑の色を見せる。
「――つまり、このあとヌシさまがこの世界でご活躍される際の行動指針は、依り代たるくるみさんとかざりさんがどうされたいのか――という思いに寄り添われる……ということなのです」
「くるみと……文の……」
「二人の意思が反映されるってこと!?」
未来が、再確認するように訊き返す。これは、とても大事なことなのだ。だって……
「まぁそういうことです。だからお二人を選んだのです。今、人類は滅亡の危機に立たされています。いわば絶滅カウントダウン中なんです。このままでは――」
「え――滅亡の危機!?」
広美が構わず話し続けようとするのを、士郎は慌てて制した。それはそうだ。滅亡――って……人類滅亡ってこと!? 絶滅カウントダウン中――!?
なぜそれを絵空事や誇大表現と思わず、士郎が深刻に受け止めたのかは言うまでもない。
彼は時空の狭間に陥っていた時、確かに人類滅亡後の世界線をその目で見ているからだ。そしてそれは、
「あ……あの……この世界はもうすぐ――」
涸れたような声でようやく言葉を発したのはやはり未来だ。だが、他のオメガたちはいまいちピンと来ていないようだ。広美が応じようとすると、それまで黙っていたウズメが取って代わる。
『――今回の人類文明は、もうじき終わる。さきほどこやつらにも同じことを説明したのだが、そなたたちにもあらためて伝えておこう……』
そう言って、ウズメは先ほどくるみと文に説明した内容を繰り返した。
「――そんな……」
一同は、絶句するしかない。そして広美に向き直った。
「広美ちゃん、その……ありがとう……俺たち人間を……見捨てないでくれて……」
「いえ……といっても、これからこの困難を乗り越えられるかどうかは、皆さん次第なんです。私はあくまで最後のチャンスを与えて欲しいと言ったまでで――」
「でも! 少なくともまだ、希望は残ってるんだろう!? それに今はヌシさまもいる。そのヌシさまの行動規範が二人に依存しているといっても……くるみと文だって、人間が滅びるなんて望んでないはずだ。だから――」
「いえ――それは分かりません。お二人がどういう結末を望まれているにせよ、大事なのはそこに至るまでの過程です。それを誤れば……やはり人は滅びるしかないと言っておきましょう……」
その時、それまで黙って聞いていた楪が口を開いた。
「あのー……今さらなんだけど、ちょっといいかな?」
「はい……」
広美が、楪のほうへ視線を向ける。
「――確かに今、日本は戦争してるけどさ、それってたかだかアジアの一角で起きている出来事でしょ!? それがなんで、地球規模で人類が滅亡することになるの?」
――!!
確かに……言われてみればその通りだ。そりゃあ、確かに今は日本国存亡の危機である。だけど、それはあくまでこの広い地球上の、とある一角で起きている局地紛争に過ぎない。別に日本と中国は、世界に向けて大戦争をしているわけではないのだ。
仮にこの戦争に片が付くとしても、最悪どちらかの国とか民族がこの地球上からいなくなるだけで、その他の大多数を占める人類には関係がない。まぁ、本当に関係がないかといえば、少なからず影響を被る国とか人々も出るだろうが、それにしたってこの戦争に関係のない大半の世界は、その営みを今後も淡々と続けていくことができるのではないか――!?
広美が口を開いた。
「――神の遺伝子……と呼ばれているものをご存知ですか……?」
「神の……遺伝子――!?」
士郎は、どこかでそれを聞いたことがあるような気がした。
「一般的には『YAP遺伝子』と呼ばれているもので――」
「あッ!! そうだ!!!」
思い出した!
士郎はそれについて、かつて叶に詳しい説明を聞いたことがあった。そう――それは確か、ハルビンの攻防戦で灼眼の子供たちが現れた際、それに襲われた叶と、当時彼に同行していた新見が散々な思いをして戦場で子供たちの遺伝子検査を行い、抽出した遺伝子だ。
あの時は、この『YAP遺伝子』を結合させた副作用か何かで、子供たちが形象崩壊に陥ったのではないか――と叶が説明していたことを思い出す。
「――えぇ、知ってます。『YAP遺伝子』とは、日本人の半数と、あとは世界の数か所の住人にだけ現存する、非常に古い遺伝子なんですよね!?」
「……その通りです。さすが中尉ですね……博識でいらっしゃる」
「いえ、叶少佐の受け売りですよ……あー、分かった分かった。みんなにもちゃんと説明するから――」
何のことやらさっぱり、という顔をしているオメガたちに、士郎はかいつまんで説明する。
「――ふぅん……じゃあその『YAP遺伝子』っていうのは、要するにジャンクDNAなんだね?」
楪がようやく納得したような顔で相槌を打った。
「あぁ、でも大事なのはそこじゃない。この遺伝子が、日本人とユダヤ人、それからシリア人のごく一部と、あとはアフリカ大陸の沖合の小さな島々に住む人々にしか受け継がれていないってことだ。そしてそれは、これらの人々がみな同じルーツ……つまり、ご先祖様が同じであることを示す、科学的に明白な証拠なんだ」
「例の……日ユ同祖論って奴か……」
久遠が珍しく話についてきている。広美がコクリと頷いて、話を続けた。
「――そしてこの『YAP遺伝子』の最も特徴的な部分は、それが“Y染色体”という、通常ではあり得ない場所に存在するということなのです。ですが、それこそがこの遺伝子の持つ意義でして――」
「えと、すみません……遺伝子がY染色体にあったらおかしいのですか?」
亜紀乃が戸惑ったように訊き返す。分子生物学というのは、とにかくややこしいのだ。
「亜紀乃さん、この遺伝子は、変異体なのです。要は突然変異。通常、性染色体であるY染色体には、こういった突然変異遺伝子は定着しません」
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