第466話 レゾリューション

 広美とくるみ、そしてかざりの三人は、『宮中三殿』のその中心建物『賢所かしこどころ』の中にいた。それは、通常ならあり得ないことだ。


 そもそもここは皇祖神『天照大御神アマテラスオオミカミ』を祀る場所であり、三種の神器のひとつ『八咫鏡やたのかがみ』を奉安している神聖不可侵の聖域だからだ。


 だから、もともと皇統の『かんなぎ』を務める咲田広美はともかく、くるみやかざりがここに立ち入る――いや、立ち入りを許されるということは、よほどのことなのだ。ここは一般人が気軽に出入りできる、その辺の神社とはわけが違う。


「――ほ……本当に、陛下が御許しになられたのですか?」


 くるみが恐縮しながら広美に話しかける。


 三人は今、本殿の床に並んで正座している。真ん中は広美、その左右にくるみと文という位置関係だ。くるみは、横に座る広美の横顔を盗み見る。その出で立ちは、出雲大社でヌシさまに舞を奉納した、あの時と同じだ。


 白小袖にまち有りのばかま。上半身には薄く透けて見える千早ちはやを上品に羽織り、長く後ろに垂らした黒髪は、白色の檀紙を用いた丈長たけながによって首の後ろで一本に纏められている。いわゆる巫女装束――


 ただし、その出で立ちのラスボス感は半端ない。頭頂部の黄金の天冠には、キラキラとチャームのような装飾がいくつも揺れていた。お正月によく見るアルバイト巫女さんとは、だいぶ出来が違う。


 だが、実のところそんな広美ちゃんとほぼ同じ衣装を、今くるみとかざりは着用しているのだ。


 しかも、それに着替えたのは三殿の奥に建つ別社殿――『りょう殿でん』と呼ばれる建物だ。

 ここはもともと両陛下が祭祀のために装束をお召しになる専用の場所だ。そんなところに立ち入って、自分が着替えをするなんて――しかも、その着替えには『内掌典』の巫女さんたちが何人もついて……それはまるで、ファッションショーの時のフィッターさんみたいだった。


 そんな感じで、二人はあれよあれよという間にバッチリ巫女さん姿に変身していたのである。ずっと巫女衣装に憧れていたゆずりはが聞いたら卒倒しそうな話だ。ただし――


 少しだけ、二人の装束は広美のそれと異なっていた。


 その清らかで気品に満ちた巫女装束の上に、いかめしい甲冑をさらに着せられていたのである。ただしそれもまた、金糸銀糸に彩られた、見るもあでやかな造形だ。


「――えぇ、もちろんです。お二人が戦巫せんなぎ――みなさんが言うところのオメガだと陛下に申しあげましたところ、神宣と古式にのっとり遇するよう仰せつかりましたから」


 くるみはそれを聞いて、複雑な表情を見せる。先ほど広美になんとなく誤魔化された件を、どうしても蒸し返したくなったのだ。

 それをキチンと理解しておかなければならない――くるみの本能がそう囁いていた。でなければ、私はこのあと自分の役割――実際のところ、何をするかも聞いていないが――を果たせそうにない。


「――あのっ!」

「……は、はいっ!?」


 広美が逃げ腰になっているのが分かる。すぐ隣で話しかけているのに、なぜこちらを見ない!?


「先ほどの話の続きですけど――」

「わわわわ……そろそろ時間が――」

「誤魔化さないでくださいっ! オドの話ですっ!」

「……は……はぃ……」


 小柄な広美が、ますます小さくなる。でも相変わらず、視線は背けたままだ。

 仕方なく、くるみは一方的に話を続ける。


「私たちがまるで神さまのような扱いを受けて、今ここにこうして座っていること自体については――もはや何も言いません……」

「……はい……」

「問題は、私たちがそんな風になったそのきっかけです。士郎さんは、私にご自分のオド……とかいうものを分け与えてくださったのですよね!?」

「……そうですね……」


 まさにそのことが、広美がうっかり口を滑らせた部分だ。


「そのせいで――いや、そのお陰で、私は今こうして生きている。ここまでは分かります……でも、そしたらなぜか、私はいつの間にか神さま扱いされるようになっていた……ここが引っかかるんです! かざりちゃんはどう!?」

「え……私!?」


 急に話を振られて、文は少し戸惑う。

 彼女の場合は少しくるみの経緯いきさつとは違う。なぜなら、文は自分自身の意思で『現世うつしよ』と『幽世かくりよ』にそれぞれ存在した自らの肉体を乗り換えてきたからだ。


 それが神の御業と変わらない行為だ――と言われても「そうなんですか」と答えるしかない。だって、文の意識は常に覚醒していたからだ。自分がそう望んだことで、彼女はその都度都度、自分が今いるべき場所にいたに過ぎない。

 そう――私は、そうなっていただけなのだ……


 文は、困ったような顔でくるみを見つめ返すしかない。その時だった。


「――我……在りて有るもの……」


 唐突に、広美が口走った。


「え? 今なんて……」


 不意を突かれたくるみが慌てて訊き返す。


「――くるみさんは、石動いするぎ中尉と未来みくさんがこの世界に帰還した時のこと……覚えていますか?」


 広美がようやく振り返った。どうやらくるみと向き合う覚悟を決めたようだ。


「……あ……はい。私もその時、同席していましたから……あっ――」

「そうです。あの時、中尉と未来さんが詠唱していた、あの神の御言葉です」

「た、確か……エヘイェ……何だっけ――」

「エヘイェ・アシェル・エヘイェ――ヘブライ語です。それは、この『賢所かしこどころ』に奉安されている『八咫鏡やたのかがみ』にも刻まれているという、神の言葉……」

「――意味は……さっきあなたが言いましたね……」

「そうです。エヘイェ・アシェル・エヘイェ――“我在りて有るもの”……人間存在の意味を表した、真理の言葉です」

「真理の……言葉……」


 それは長い間“神”を示す言葉だと解釈されてきた。そして何人もの賢者がその言葉の本質に挑み、『八咫鏡』の本当の神威を引き出そうと試みて――そして失敗してきたものだ。


 それを石動士郎と神代未来は見事に自分のものとし、神器のを解放した。そして次元の狭間で彷徨っていた自分たちの意識を、ついに元いた世界に収束させることに成功したのである。


「――結局のところ、神の御業の本質――根っこ――はすべて同じなのです。あの時石動中尉たちが無事帰還したのは、自らが“そうあれかし”と願ったからです。自分の意思で、自分の存在そのものを定義した――それがあの帰還劇の本質です」

「……そ、それとさっきの私の質問がどう――」

「ですから、本質は同じなんです。あの時は、神であるウズメさまの神威をもって……くるみさん、瀕死だったあなたの肉体を再構築した。その時石動中尉のオドをいただいたわけですが、それは紛れもなく中尉自身の意思でした」


 くるみは、ゴクリと唾を呑み込む。私が今こうしてここにいる意味とは――


「――つまり、中尉はあなたに“そうあれかし”と望んだのです。そして、中尉自身のくるみさんに対する認識を元に、あなたを再構築するためのいわば材料を供出してもらった。なぜならオドは、あの時中尉のものでなければならなかったからです」

「え……」

「あの時、実は未来さんも自らのオドの提供を申し出てくれました。あなたを助けるために」

「みくちゃんも!?」

「そうです。なぜならオドを差し出すというのは、寿だからです」

「――っ!?」


 くるみが、その真実を知ったのはこれが初めてだった。私を助けるために……誰かの寿命を犠牲にしなければならなかった――!?

 そして士郎さんはそれを厭わなかった……私のために――!?


「だから、不老不死という永遠の寿命を持つ未来さんが、自分のオドを提供すると申し出たのです。それなら誰も不利益を蒙りませんから……」

「じゃ、じゃあなぜ!? 士郎さんは――」

「あなたが……望んだからですよ……」


 ――!!!


 くるみは二度目の衝撃を受ける。私が……!? 士郎さんの命を望んだ……!?


「――オドの交換は、お互いが望まなければ成立しません。確かにウズメさまはオドを操る御力をお持ちですが、そのオド自体の交換は、当事者同士の意思によってしか成し得ない。“そうあれかし”と望んで相手と一体となることをお互いが意識しなければ、成功しないのです。お互いが、お互いの存在を認識し、受け入れること……」

「お互いを……受け入れること……」

「そうです――そしてくるみさんはあの時、そのパートナーとして石動中尉を強く望み、中尉もそれを受け入れ、そして奇蹟が起こった――それはまさに神の真理でした。お互いがお互いの存在を強く認識したことで、くるみさんは再びそこに存在することを許されたのです。つまり、今ここにいるくるみさんは、その神の真理そのものを体現した存在……というわけです」

「――だから今、くるみちゃんは神さま扱いなんだね」


 横で黙って聞いていた文が言葉を挟む。

 実際、その通りだった。神の奇蹟を体現した存在を、神と同等に扱うことに何のためらいがあろうか――


「……そういう文さんだって神さま扱いですからね、お忘れなく」

「あ、はい……」


 広美はジト目で文に念を押す。だが、文は至って楽観的だった。くるみみたいに、四の五の言っているわけでもない。性格の違いかしら……と広美は密かに思う。


『――納得できたかえ娘っこよ――!?』


 突然頭の中に響いてきたのは――


「う……ウズメさまッ!?」

「わ――神さまだ!」


 いつの間にか三人の目の前には、何の前兆もなくアメノウズメノミコトがいきなり顕現していた。相変わらずその姿形は人間の煩悩を凝縮したような有様だ。


 その肢体はあくまでなまめかしく、つやりとした肌は絹のように白くてきめ細かい。細い首筋から鎖骨にかかる曲線は、むしゃぶりつきたくなるような造形だ。

 そこから続く柔らかな胸の膨らみ、その先端に咲く薄茶色のつぼみ。引き締まった腹部はやがて豊かな腰と臀部に至り、さらにそこから続くスラリと伸びた脚は細すぎず太過ぎず、僅かに汗ばんだ肌の赤みはつい触れてみたくなるほどの誘引力を放っている。

 いや――少なくともくるみにはそう見えたのだ。


 私……こんな身体になりたかってこと――!?


 くるみは頬を紅潮させると、辛うじてウズメさまのその圧倒的魅力から視線を逸らす。そう――俗に『淫神』と呼ばれるウズメのその姿形は、見る者の理想のままに実体化するのだ。隣のかざりには、また違った姿に見えているのだろう。


『――娘っこどもよ……久方ぶりじゃのう』

「ウズメさま……お待ち申しておりました」


 広美が平静な顔で神さまを迎え入れる。まるで予定通りだとでも言うように。

 そんな二人――いや、この場合どちらも神さまだから「二柱」と言うべきか――を両側から呆然と見つめるくるみと文。


『うむ……して、この者の懸念は払えたのかの?』

「は……はぁ……たぶん……」


 広美は自信がないのか、煮え切らない態度だ。ウズメさまは少しだけ呆れたような顔を見せると、今度はくるみの方をギンと見据える。


『くるみよ――』

「は……はいっ!」

『済んだことをごちゃごちゃといつまでも根に持つでない。過ぎたるは及ばざるが如しじゃ――かかっ!』


 相変わらずウズメさまは適当である。え!? そんな軽いノリでいいの!? 釈然としないくるみは、ウズメをキッと見上げる。


『これ、そのような怖い目をするでない。よいではないか!? あの男は、そちに生きて欲しいと望んだ。その結果、そちは元通りの身体になった。その際、ちょこーっと自分の寿命をそちに分け与えてやったまでじゃ。自らの願いを叶えるために、少しばかり自分がなにがしかを負担する――何も不自然なことではないぞよ!? 買い物と一緒じゃ』

「――そ……それはそうですが……でも私は、士郎さんの命を削ってまでも、生きていていいのでしょうか!? 私の命にそれだけの価値があると!?」

『そんなことは知らん。じゃが、あやつがそれを望んだのじゃ。そちは胸を張っておればよい。その豊満な胸のようにの! かっかっかっ!』

「……」

『――それにの……なぜわらわが今、ここに顕現したのか。少しはそっちの話も気にして欲しいわい』

「え……あ、た……確かに……」


 くるみは、文と目を見合わせる。そう言えば、なんでいきなりウズメさまが現れたんだろう!? 確かにこの神さまは、あっちの世界とこっちの世界をしょっちゅう行き来していると仰っていたけど……

 それに、私たちってなんでこんな格好でここにいるんだろう。広美ちゃんも、今回はぜひお二人にこそ来てほしかった的な言い方をしていたけど……


『ゴホン……今回わらわがこちらの世界に参ったのは、他でもない。この世界の統治者たるから、神の真理を世に顕すべく、助力を頼まれたからじゃ』

「神の……」

「……真理……」


 それは、つい先ほど広美の口から出た言葉だ。つまり、くるみがその身をもって体現したという――


 そして、それを皇統の末裔から託された――!?

 って……それって天皇陛下のこと……!?


『ま――実際のところ、このままでは人間はまもなく滅びを迎える予定じゃからな。わらわはそれもまた一興と申したのじゃが、そこにおるタタラが何千年も前の盟約を持ち出してきおって、最後のチャンスをやれとか何とか――』


 何千年も前の、盟約――!?


「――そ……それは……だってこの者たちは、もしかしたら人の宿業しゅくごうを乗り越えるやもしれぬのです――」

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