第465話 ヒロインの条件
くるみと
いや、厳密に言うと宮殿建物自体には入れてもらったのだ。だが、ここから先は遠慮して欲しいと広美に言われ、とある扉の前で待つことしばし――
そこは、宮殿の中でも『表御座所』と呼ばれる区画だ。「日」の字の上の方の、小さな「ロ」部分。ここは宮殿の中でも最もプライベート、というか関係者以外立入禁止というか、要するに会社でいうところの“
「――ねぇくるみちゃん。広美ちゃん大丈夫かなぁ?」
待ちくたびれている
「そんなの考えたって仕方ないですよ。とにかく私たちは、ここで中国兵が侵入してこないよう、しっかり見張りをするだけです」
咲田広美が出雲のご神体を抱えてこの奥に飛び込んでいったのが今から十数分前。宮殿には既に中国兵が乱入していて、おまけに『豊明殿』の辺りで異様な叫び声が聞こえたという衛兵の話を聞いてしまうと、そのたかが十数分という時間が、二人にはとてつもなく長い時間に思えてしまうのだ。
こうしている間にも、士郎をはじめとする他のオメガたちは、もしかすると激しい戦闘を繰り広げているかもしれない。誰かが傷ついているかもしれない――
「――司令部の言う通り、陛下にお出ましいただいて早く『赤城』にご移譲なさったほうがいいんじゃないかな……」
「それはそうなんですけど……」
そもそもオメガチームが宮殿に突入したのは、迫りくる群衆――しかも彼らは中国軍の卑劣な策略によって『
奴らにアドバンテージを取られると、日本国はにっちもさっちもいかなくなるのだ。
だが、後から追いついてきた広美が、持参したご神体を陛下にお届けするのだと言って今に至る。合流のどさくさで、その理由をうっかり聞きそびれたことを、くるみは今さらながら後悔していた。
広美ちゃん……何か策があってやってることなのよね――!?
その時だった。キィと小さな音がして、目の前の扉が開く。
「――お待たせしました……」
「「広美ちゃん!」」
ようやく出てきた広美は、なんだかさっきまでの広美とは別人に見えた。それは……そうだ、以前『
広美はもともとオオクニヌシさまとコノハナサクヤビメさまとの間に生まれた神の子――タタライススキヒメという存在だ。普段は宮内庁に務める公務員だが、それは世を忍ぶ仮の姿。本当は、こう見えてもれっきとした神さまなのだ。
今の咲田広美はその出自に相応しい――何というか、神々しさを湛えている。
「……な……何があったのです?」
くるみが恐る恐る訊く。すると広美はふと笑みを浮かべ、その歳に似合わない童顔を二人に向けた。
「えと……お二人にひとつお願いしたいことが……」
とても神さまとは思えない、その自然体――というかある意味“小者感”が、逆に彼女の魅力でもある。二人のオメガは、はいはいという顔で広美を見つめ返した。
「――ではこちらへ……」
そう言うと、広美はスタスタと元来た廊下を戻ろうとする。そっちは先ほど入ってきた車寄の方だ。
「え――? 陛下はお出ましにならないの?」
二人はてっきり陛下の露払いを託されると思っていたのだ。現在の危機的状況を奏上し、御座所を移っていただく先導役を、広美が務めるものと……
あれ? そういえば、じゃあ何でわざわざ彼女は出雲のご神体を持ち込んだのだろう――!?
ふと気が付くと、広美は相変わらずご神体が入っているであろう布袋を、その胸にしっかりと抱えていた。
「急いでください。時間がありません!」
「え? え――!?」
構わず宮殿を出ようとする広美を、くるみと
***
「ここです」
そう言って広美がようやく立ち止まったのは、宮殿を出てぐるりと時計と反対周りに進んだところにある、何やら神社のような建物だった。
「……ここは……?」
「俗に『宮中三殿』と呼ばれるところです。主な建物としては『
「へ……へぇー……」
「えと……ここはいったい……」
くるみが、困惑したように広美に問いかける。だってそこは、明らかに“神社”だったからだ。ただし、その威容はもちろん普通の神社とは比べ物にならない。
その一角は周囲を塀で囲まれていて、入口を入ると半分から奥の方に三つの社殿が並列に建っていた。もちろん手前の空間にも何やら建物が建っているし、奥の方にもまた別の社殿が複数建っている。コンパクトながらも、圧倒される規模感だ。
広美はふと振り返ると、二人に微笑みかけた。
「――ここは、ある意味私が本来所属している“朝廷”のある場所と言っていいかもしれません」
「――朝廷!?」
あぁ……そうだった。
この国には、内閣総理大臣が総攬する通常の日本国政府とは別に、日本国数千年の伝統を守り伝え神祇を司る“朝廷”という存在が、密かに続いていたのだった。
広美ちゃんは、本来その朝廷で皇統の祭祀を執り行う『
今までその言葉だけ聞いていたから、いまひとつ実感が湧かなかったのだが、こうやって実際に皇居の一角に神社が建っていて、ここがその“朝廷”なのだと言われると、やはり本当なんだ――と納得してしまう。
「……こ、この中に入るの?」
「はい、どうぞ遠慮なく……」
ここですかさず、広美がこの場所について二人に簡単な説明を行う。それによると――やっぱりここは、とんでもないところだった。
宮中三殿――
それは、日本国にありながら日本国政府の統治を受けない、まさに神聖不可侵の場所である。
その
先ほど広美が言った通り、その中心にあるのは三つの連結された建造物だ。形状はまさしく神社のそれと同じ。これが『宮中三殿』という名称の由縁でもある。
中心に建つのは『
続いてその左側に建つ『皇霊殿』。ここには、歴代天皇および皇族の霊が祀られている。したがって『皇廟』と呼ばれていた時代もあったのだとか。まぁ、徳川幕府でいうところの芝増上寺とか、そんな位置付けだ。
そして右側に建つ『神殿』。こちらは、いわゆる“天神地祗”――すなわち八百万の神々を祀る場所だ。当然、天照大御神に連なる「
本当はこの三殿以外にも、『
ともあれ、この『宮中三殿』が想像を絶するのは、そこを取り仕切るのが国家行政機関であるところの宮内庁ではないということだ。
本来皇室には『侍従職』という、いわば執事のような位置付けの宮内庁職員が付いていて、天皇家の家政全般を取り仕切っているのだが、ここ『宮中三殿』を司っているのは実はこの宮内庁侍従職ではない。
『掌典職』と呼ばれる者たちだ――
彼らは宮内庁とは別組織の、天皇家が直轄するいわば私的使用人たちだ。一種の「内廷組織」と言っていい。
もちろん彼らとて、もともとは国家の人間、宮内庁の外局職員――公務員だった。その身分が変わったのは太平洋戦争終了後、1947年に日本国憲法が施行されてからだ。
だが、責任者の『掌典長』以下、『掌典次長』『掌典』『内掌典』『掌典補』等々――その職位名称は、明治の皇室令で定められた官職名と今もまったく変わらない。
で、その『掌典職』の彼らが何をやっているのかというと、ここ『宮中三殿』で日ごと行われる数々の祭祀、神祇一切――天皇陛下が主宰されるそれら儀式の補佐なのだ。
もともと天皇陛下というのは、神道における最高位神官であらせられる。
キリスト教でいうところの、ローマ教皇のような存在だ。だから、大半の日本人はほとんど意識していないが、実は陛下のご公務の半分以上は、神官としての拝礼、祭祀、神祇なのだ。
その多くは、ここ『宮中三殿』で行われる。そしてその祭礼の補佐をするのがまさにこの『掌典職』というわけだ。
ちなみにここでいう『掌典』とは男性の神職のようなもの、『内掌典』は巫女だと思っておけばいい。つまり、『
もっとも、彼女はこう見えても神さまなので、人間のそれとはまったく位階が異なる高貴な位置づけにあることだけは忘れてはならない。彼女のその奥ゆかしい……というかキョドり気味のキャラクターからはなかなかイメージしづらいが――
実はこれでも、彼女は陛下の名代を務めることができるほどの存在だ。ちなみに、掌典職の中ではこの名代のことを正しくは『勅使』と呼ぶのだ、というマニアックな情報まで、広美ちゃんはご丁寧に教えてくれた。
というわけで、一通りこの『宮中三殿』および『掌典職』――つまり、広美ちゃんの言うところの“朝廷”――について簡単なレクチャーを受けたくるみと
そんな凄いところに、私たちみたいなのが入っていいの――!?
「――いいんですよ!? というか、今回はぜひお二人にお願いしたいのです」
広美は真剣な表情で二人に返事をする。だが――
「で……でも……そんな由緒正しいところに私たちみたいなのがノコノコ顔を出すのは、何か違うかなって……こういう時はむしろ、士郎さんとか……あと、もともと巫女さんだった久遠ちゃんとか、あと
「ふぅ……」
くるみの腰が引けているのを見て、広美が嘆息した。
「――くるみさん、あと文さんも……あなた方は、自分は相応しくないと仰いますが――」
「うん、だって私、ヒロインキャラじゃないし」
「まったくです……このシチュエーションは、まさしく今まで秘密のヴェールに包まれていた何かが、いよいよ白日の下に晒されるって感じです。それに立ち会うのが私たちなんて――」
「――おこがましい……ってことですか?」
「そう――それ!」
くるみも文も、まさに広美のその指摘に大いに頷いた。
「――呆れますね……なぜあなた方は、そんなに自分を卑下するんですか? ヒロインじゃないって……いったいどんな小説を読んだらそうなるのです!?」
「だって……」
「いいですか!? 何を勘違いされているのか存じませんが、あなた方オメガさんたちはどなたであれ、既にこの国の歴史において十分メインヒロインなんです」
みんな可愛いし……と小さく聞こえたのは気のせいだろうか。
「……だって……じゃあこれから何が始まるんですか? なんか見るからに神さま的な何かのような気がするんですけど……」
「だからこそお二人にお願いしたんです。ここに来るまでに、
そうなんだ!? てっきり二手に分かれた時は、たまたまこの組み合わせになっただけかと思っていたのだが――
「えと、くるみさん。あなたはそもそもウズメさまの神威によってその肉体を再生させました。その際、石動中尉とオドの共有をされている……あなたのその身体は、既に神性を帯びているのです」
「え……」
「そして文さん。あなたも『
「た……確かに……」
そうなのだ。
普通の物語なら、二人のそれぞれの経験値は、それだけで十分ヒロインが務まるほどの深掘りエピソードと言えるかもしれない。
ところでくるみは、今の広美の発言の一部を決して聞き逃さなかった。
「あ……あの……ところで、オドの共有って……?」
「ひゃっ!?」
くるみのツッコミに、広美が急にキョドり出す。しかもその顔には、あからさまに「しまった」と書いてあった。
「ひゃ――じゃありません。士郎さんとオドを共有って、いったい何のことですか!?」
それは、士郎が敢えてくるみには黙っていた事実だ。
オド――それは端的に言えば「人の生命力」そのもののことだ。覚えているだろうか!? 士郎は、瀕死のくるみをウズメさまに助けてもらう時、その代償として自らのオドをくるみと共有したのだ。それはすなわち、士郎自身の寿命を縮めたことを意味する。
「えと……」
広美はしどろもどろでくるみを見つめた。
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