第467話 古の盟約

 人間が……滅びを迎える――!?


 確かに今、ウズメさまはそう仰った。ど……どういうことだ――くるみは混乱する。

 いや、そうあからさまに言われてしまうと、私たち人間はそれを否定できない。戦乱はずっと続いているし、その結果たくさんの人が死んだ。大地は放射能で穢れ、神の領域とされた生命工学の分野さえ弄んでいる。もはや人間社会が堕ちるところまで堕ちているのは、誰の目にも明らかなのだ。

 このままでは人間は滅びてしまうぞ――と苦言を呈されたら、反論のしようがない。


 だが、先ほどのウズメさまの言い方は、それとは少しニュアンスが違うように聞こえたのだ。それはまるで、人間の絶滅は何か別の力によって強制されるとでもいうような……


「あ、あの……盟約……って……?」


 かざりが神々に訊ねる。そうだ――この方たちは、そんなことも言っていたな……とくるみは思い出す。


『――なに、天津神あまつかみ国津神くにつかみの間でいにしえに結んだ約定やくじょうのことよ』


 古の約定……盟約――!?

 それはいったい……


「クムガ・ヨワ テオニ ヤ・チヨニ サッ・サリード イシュノ イワ・オト・ナリァタ コカノ・ムーシュ・マッテ――確かにこれにはこう刻まれています。これこそが盟約の証……」


 広美が――いや、タタライススキヒメがウズメさまににじり寄る。その手に持っているのは例の出雲の石板――ご神体だ。

 くるみと文がそれにピンとこなかったのは仕方がない。何せ、赤城の作戦室で繰り広げられたあの神代じんだい文字の解読作業の時、二人はまだ昏睡状態でこの世界に戻ってきていなかったのだから。


「……えっと、私たちには何のことやら……」

「そうです。ここまで来たらちゃんと教えてください!」


 文とくるみは口々に神さまたちに訴えかける。


『――ふむ……やむを得ん。ではかいつまんで説明するとしよう』


 そう言ってウズメさまが教えてくれたのは、あの時広美と叶たちが交わした内容とほぼ同じである。すなわち――


 広美が先ほど口走った――そして出雲のご神体にもともと神代文字で刻まれていた言葉こそ、日本の国歌『君が代』であること。それは発話した時ユダヤの民が使うヘブライ語と同じであること。もっと言えば、そもそもヘブライ語というのは古代日本語の訛った言語であること。


「――うそ……」

『ウソではない。というか、わらわたちが嘘をついてどうするのじゃ』


 そうは言っても、くるみたちにとっては到底信じがたい話なのだ。


「――で……では、その本来の意味って……」

「――立ち上がれ シオンの民よ 神に選ばれし者 喜べ人類を救う民として 神の預言が成就す 全地で語り 鳴り響け――」


 傍にいた広美が、ウズメに代わって口上する。


「……立ち上がれ……シオンの民……」

『そうじゃ。そしてこれは、大国主オオクニヌシが『幽世かくりよ』に入封される際、天照大御神アマテラスオオミカミと交わした約束でもある』


 ウズメは、何かを懐かしむような顔で中空を見つめた。


「約束……!?」

『うむ。お互いの統治する世界に何かあった際、求めるならば与えようとな』

「求めるならば――!? では、誰かが求めたのですか?」


 その途端、広美がクワとくるみの方を見据える。

 え――そうか……くるみは、我ながら当たり前のことを聞いてしまったと若干後悔する。多分広美はそのためにこそ、このご神体を持って決死の覚悟で戦場を駆け抜け、そして宮殿に飛び込んだのだ――

 馬鹿だと思われただろうか……広美ちゃんに睨まれた。だが、ウズメは意外にも感心したような顔でくるみを見つめる。


『そう、それよ。今回はまぁ、元々『幽世』にあったこの盟約状を、なぜか『現世うつしよ』のスメラミコトが巡り巡って手にし、を勅使に託してこの『賢所かしこどころ』に参じたのじゃ。ここは、あちらの世とこちらを繋ぐ窓のようなものじゃからの。オオクニヌシも返事をせぬわけには参らんて――かかっ!』

「――そうです。私がこれを陛下にお見せした時、陛下がご決断なされたのです。今こそ幽世のヌシさまは盟約を果たすべきと――」

「へ……へぇ……」


 んー……よく分からないが、この君が代の歌詞には、ヘブライ語にすると“何かあったらよろしく頼むぜ”的なことが書かれているということなのか。日本語とか、日本語訳とかだと、あまりそんなニュアンスが伝わってこないのだが……


『なんじゃ、釈然とせぬようじゃな』

「えっと……だって……」

『あぁ、そうか――ほれタタラよ。例ののからくりを教えてやれ』

「え――あぁ、そうですね。私も、くるみさんにはキチンと納得していただきたいですから」


 二重読みのからくり!?


「ゴホン……くるみさん、この石板は、いろいろな読み方ができるのです。直訳すれば、先ほど言ったような意味でほぼ間違いありません。ですが、古代日本語――つまりヘブライ語には、常に二重の意味がある……」

「二重の……」

「そうです。たとえばこの“サッ・サリード”――日本語では通常“喜べ人類を救う民として”と約していますが、この部分は正確には“サッサ”と“サリード”という二つの単語が連なっています。だから声に出して発話するとサッサ・サリード――すなわち“サッサリード”となるわけですが、この二つの単語の本来の意味は“サッサ”が“喜ぶ”、“サリード”は“残る民”という意味と同時に“生き残る”あるいは“生き延びる”という裏の意味も持ちます……」

「つ……つまり!?」

「――“私たちは生き延びることを喜ぶ”すなわち“生き残りたい”という願望のニュアンスを言葉の裏に含んでいるということです」


 ――――!


「さらに言えば、続く言葉“イシュノ”――これは、日本語の歌詞だと『――さざれ石の』の“石の”という部分に当たりますが、これはヘブライ語でいうところの“エノシュ”という単語が誤って……というより天津神の子らが適切な語を当て嵌められなくて、わざと“エノシュ”を“イシュノ”――転じて“石の”という音を当て嵌めたと理解されています。これは俗にアナグラムと呼ばれる手法です」

「……それでその……本来使われていたはずの単語である“エノシュ”とは――」

「“人間”あるいは“人類”を指す言葉です」


 ――――!!


「……すなわち“人類を生き延びさせ給え”という裏の意味が、この文字列には隠れているのです。神はどちらかというと、オモテに出ている文字面ではなく、裏の意味を読み取ることを重視します」

「それって、日本人の“本音と建前”的な!?」


 かざりがなにげなく口を挟むと、ウズメさまは目を丸くして彼女を見つめ返した。


『おぬし、よく分かっておるではないか!? 日本人特有のこのメンタリティは、こうした二重読みの慣習から派生したものじゃ』

「昔は御所が京の都にありましたから、今でも京都の方は本音と建前をよく使うというか……言葉の裏の意図を理解できない方は馬鹿にされます……」


 広美がハァと嘆息する。どうやら昔、嫌な思いをしたことがあるようだ。ともあれ――


「――お……驚きました……それで、結局このご神体に書かれている文章の、本当の意味って……」

「あ――あと一箇所だけ、二重読みの説明をします。最後の“ムーシュ・マッテ”ですが、これは“ムシュマッド”あるいは“ムスマデ”と読むこともできます。もともとの日本語訳だと“神の威光が鳴り響く”といったニュアンスなのですが、これをムシュマッドあるいはムスマデと読み代えると、途端に“破滅”とか“滅び/破壊”という意味になります」

「……つ、つまり……?」

「それを踏まえてあらためてこの文章を読み直すとこうなります」


“立ち上がれシオンの民よ   神の威光を全地に轟かせ 


「――それが、かつて天津神あまつかみ国津神くにつかみが交わした盟約の本当の内容です。これをどちらかがどちらかに渡すことで、盟約は発動します……」


 驚くべき話だった――

 まずなにより、『現世うつしよ』と『幽世かくりよ』の間で盟約が存在していたこと。それは、前者を治める『天津神』と後者を司る『国津神』が、遥か数千年の昔に取り交わしたものであること。

 次。どうやらその盟約の発動は、どちらかが相手に盟約状を読み上げることで成立すること。そしてその約定書は本来、『幽世』の出雲大社に納められていたこと――


「――えっと、じゃあ本当は、これって『幽世』から『現世』への一方的な援軍要請だったの?」

『そうじゃ。オオクニヌシは、もともと無理を聞いてくれて『幽世』に移ったのじゃ。その代価として天津神は“その代わり何か困ったことがあればいつでも駆け付けるぞ”という約束をしたわけじゃ。じゃから、千年経っても万年経っても朽ちることのないこのヒヒイロカネの依り代に、その約定を刻んだ……じゃが、その約定書は今、なぜかこちらの『現世』のほうへあっての――』

「えっと……そのご神体の欠片を投げ込んだのは、他でもないウズメさまだと伺っていますが……」


 くるみが鋭い指摘を入れる。


『そ……それは緊急避難処置じゃ。おぬしらが次元の狭間に嵌まりそうじゃったから、咄嗟に道標として投げ込んだまでじゃわい』


 むしろ感謝して欲しいくらいじゃ――とぶつくさ言うウズメさまである。まぁ、今になって考えると、それさえもウズメさまの深謀遠慮だったのかもしれない、と考えるのはか……

 だって、この約定書を持っている方は、表裏一体であるもうひとつの世界パラレルワールドに、いつでも助けを求めることができるのだから――


 でも、その『幽世』世界だって、中国軍に侵略され、既に日本という国家はほぼ消滅していたのである。国難という意味では、幽世日本の方が余程危機的状況に陥っていたはずだ。

 それなのに、せっかくの盟約を発動しなかったということは……これは、よほどのことがなければ抜かない、あるいは抜けない“伝家の宝刀”的な位置付けなのだろうか――!?


「――いえ、もともと私たちは、人間の栄枯盛衰についてのです」


 唐突に広美が言い訳めいた発言をする。くるみの思考を読み取った!?


「えと……」

「私はまだ1千年ちょっとしかこの人間世界を見ておりませんが、ウズメさまは既に数万年以上見守っておられます。ウズメさまからお話されたほうが……」


 くるみと文は、ゴクリと唾を呑み込んだ。気が付くと、自分たちは既に神の世界の話に首を突っ込んでいる――!?


『――ふむ……まぁ要はあれじゃ。この度の人類文明は、寿、ということじゃ。それは結局、人間どもが自ら選んだ運命であるし、したがって滅びの道を食い止めることは基本的には出来ぬ。わらわたちが出来るのは、やはり今回も駄目じゃったかと嘆くことだけじゃ』

「そ……そんな……てか、――ってどういうことですか!?」

『そのままの通りじゃ。人間というのは愚かな生き物での……何度文明をやり直しても、毎回同族同士争って潰し合う。その時に、種の自殺装置として機能してきたのがそちたちではないか……オメガと呼ばれる者たちよ』


 ――――!!!


 そうだ……私たちオメガは、人間種を滅びの道へと導く存在だった。

 くるみと文は、自らの呪われた運命に愕然とする。私たちが今この時代に存在するというこの事実こそが、人間の滅亡の兆候そのものではないか――


『じゃから今回、ここにおるタタラがわざわざその滅びの道を食い止めて欲しいと懇願してきたのには正直面食らったわけというわけじゃ』

「え……」


 広美は、少しだけその頬を赤らめる。照れているのではない。それは、彼女の内に秘めた信念が、僅かにその顔に漏れ出ていると見るべきなのだろう。


「――くるみさん、かざりさん……人間とは、実に愚かな生き物です。それはもはやあらためて言うまでもないでしょう。ですが、それでもまだ私は、その人間を滅ぼすことに抵抗があるのです。何せ……私はウズメさまと違って、まだこの目で人間種の絶滅を経験したことがないのです」


 確かに……広美ちゃん、いや――タタライススキヒメはまだ1千百何十歳……とか言っていたような気がする。だとすれば、奈良時代とか平安時代とか、せいぜいそんな頃に産まれ出でた神さまなのだ。幸い、人類はそれより遥か昔から現在に至るまで、この地球上に数千年に亘って文明を築いている。


『――そもそもこの盟約もな……前回の滅びがあまりにも苛烈を極めたものじゃったから、少しわらわたちも躊躇した結果結ぶことにしたものじゃ。本当に、人間どもを運命のままに滅ぼしてよいものかと――』

「苛烈を……極めた……!?」

『そうじゃ。前回は、全世界で熱核戦争が勃発し、人類は文字通り絶滅寸前となった。恐らく個体の数もせいぜい1万にも満たぬレベルにまで激減したのじゃ。それを哀れに思うて、次はいざという時、少しばかり手を貸してやらんでもない――と思ったのじゃ。ま、神の気まぐれよ……』


 そ……それで、私たちにどうしろと――!?


「――くるみさん、かざりさん……人間は、本当にこのまま滅びてしまってもいいのでしょうか!? 果たして、人間たちがその本能を、自らの手で封印する道は残されていないのでしょうか……」


 広美は真剣な眼差しで二人を見据えた。人間の……本能――!?


「……えと……」

「なぜ人は、同族同士で争うのでしょう……今も日本人と中国人が争いを続けている。人が人の尊厳を傷つけ、その生命を弄んでいる……これを止める手段は、本当にないのでしょうか……」

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