第462話 追跡
前方には、逃げるように立ち去っていく中国兵の一団。
そして後方からは、ただならぬ多脚戦車の推進音。
さらに、この辺り一帯には『
オメガたちがその恐るべき殺戮本能から脱したとはいえ、この状況はやはり、どう考えても大変な状況だった。
どうする――!?
「――ひとまず中国兵を追うんだ! 俺は状況確認後、ただちに後を追いかける。
「「「了解ッ!」」」
言うが早いか、3人がパァ――ンと地面を蹴って跳躍した。目の前のお堀をなんなく飛び越え、宮殿前広場を突っ切っていく。そして――
士郎が敢えてここに残ったのは、こんなところまで多脚戦車が乗り込んできたからだ。なぜなら、本来ならば皇居敷地内は“下馬”――すなわち、皇室に連なる方とそれを守護する警衛以外、乗り物の類には乗ってはいけない不文律があるからだ。
それを皇軍兵士が知らないわけはない。ということはつまり――
そんなルールさえ破らなければならないほどの、緊急事態で駆け付けたに違いないのである。
案の定、士郎の位置からも見通せる大手門をパァンと飛び越えた
まぁさすがに皇居内ということで、あれでも相当速度は落としているように見えた。だが、随伴していたもう一輌が門の手前で急停止してそれ以上入ってこないところを見ると、やはりそれらのことをすべて承知であの戦車はなお皇居内へ突っ込んできたのだと確信する。
隣の久遠が額に手をかざして戦車をジッと見つめる。「――あれっ?」
「どうした?」
「あのゴライアス、チューチュー号じゃないか!?」
「マジか?」
チューチュー号というのは、士郎の士官学校時代のかわいい後輩、
士郎は、完全被覆鉄帽の風防を顔の半分だけ降ろし、モニターの解像度を上げてゴライアスの外観をつぶさに観察する。
何だアレは――
確かにあの戦車は、131号車だった。見分け方は簡単だ。美玲の戦車には、彼女が今までに撃破した敵戦車の数が、キルマークとしてある部分にペイントされている。その数はすさまじいもので、131号車以外にあんな数を記している戦車は、国防軍には存在しない。
だが、今士郎が驚いたのはそこではない。彼女の131号は、とてつもない戦闘痕をその外殻に刻んでいたのだ。
いったいどこをほっつき歩いてきたんだ――!?
ほどなく、131号は士郎を見つけたのか、一気にこちらへ近付いてくる。玉砂利のお陰で土煙こそ立てていないが、それはまるで猛牛か猪が突進してくるかのような迫力だった。いや、ゴライアスは本当のところ
ほどなく士郎の目の前に辿り着く。
ガシャガシャガシャン! シュウ――プシュッ、プシュウゥゥゥ――
131号車は、脚部サスペンションの圧搾空気を派手に抜きながら、その長い8本の脚を折り畳む。まぁ大型トラックが急制動を掛けたような雰囲気と思ってくれればいい。
ガチャリと中央装甲殻の上部ハッチが開く。
「ひ……広美ちゃん!?」
キューポラから顔を出したのは、咲田広美だった。てっきり美玲がいつものノリで飛び出してくるかと待ち構えていたのだが。
「――ど……どうしたんですか広美ちゃんッ?」
「あわわわわ……あ、あ、あのっ――」
なんだか広美ちゃんはヨレヨレである。例によって、その目は完全に蚊取り線香状態のグルグル巻きだ。すると、彼女を押しのけるように美玲が横から顔を覗かせた。
「――中尉っ!」
「お――おぉ! 美玲! どうしたんだ」
「はッ! 彼女がどうしても中尉のところに連れていけというものですから、東京湾からここまで直行してまいりましたっ!」
「東京湾って……じゃあ戦闘地域を抜けてきたのか!?」
「はッ! 途中敵の荷電粒子砲戦車を二、三輌やっつけてきました!」
なるほど――それでこんなに車体が煤けているのか。もともと敵の小銃弾程度では傷一つつかないはずのゴライアスの装甲が、あちこち煤けているうえに凹んだり歪んだり削られているのは、ガチンコの戦闘をしてきたからだったのだ。
そりゃあ、慣れない広美ちゃんは戦車の中で目を回したことだろう。士郎だって、戦闘中の多脚戦車に乗ったら何回かゲロる自信はある。
「――それで……広美ちゃんは何でそこまでして……」
「は……はい、実は――」
ようやく目の焦点の合った広美が、口元を袖で拭きながら何かを持ち上げてみせる。あんた、やっぱり吐いたのか……
彼女が抱えていたのは、一抱えもある布製の袋だった。中には何か、重そうなものが入っているようだ。
「――それは?」
「出雲の……ご神体です」
――!
それは、オメガたちが向こうの世界からここ『
今はほぼすべての欠片が揃い、足りない部分は広美が持っていた神器のレプリカ『
「……そ、そんなもの、どうして……?」
「もちろん、陛下にお届けするためです」
広美が、いかにも当然というドヤ顔で多脚戦車のハッチから士郎たちを見下ろした。だが、なぜそれが当然なのか士郎たちにはさっぱりだ。
すると、くるみが冷静にツッコミを入れる。
「――お届けするのはやぶさかではないのですが、現在宮殿には中国兵が侵入を図っているところで――」
「えっ!?」
広美が急に眉間にしわを寄せる。そして突然慌てだす。
「どどどど……どうしましょうっ!?」
「取り急ぎ今、
「そ……そうですか! でででではいっ……急いでおおお追いかけましょうッ!」
完全に慌てふためいている広美に、久遠が釘を刺す。
「もちろんだが、ここから先は徒歩になるぞ!? 大丈夫か?」
「は……はいッ!」
それを聞いた美玲が、ハッチの内側に何やら声を掛ける。すると、車体がさらに沈み込んで、装甲殻がピタリと地面の位置まで降りてきた。広美を降車させるためだ。
ぎゅうぅうんと車体が下降したことで、広美が顔を引きつらせながらもなんとかハッチから這い出て降車に成功する。
「――で、私たち一応、タクシーの役目は果たせたのか!?」
「タクシー?」
士郎が怪訝な顔をすると、広美は慌てて美玲に頭を下げる。
「ははははいッ……ありがとうございましたっ!!」
なおも不思議そうな顔をする士郎を横目に、美玲は満足したように頷いた。
「ならいい。またいつでも呼んでくれ。どんなところにだって、いつでも駆け付けてやるからな!」
「とととと、とんでもありませんっ!」
広美は先ほどの戦闘を思い出したのか、口元をウッと抑えながら慌てて返事をする。遠慮しているというより、もうコリゴリだという雰囲気だった。
「――では少尉ッ! 私たちは、再度戦闘区域に戻ります」
「お、おぉ……結構厳しいのか?」
「まぁ……お察しの通りです」
そうか――と士郎が頷くと、美玲はサッと敬礼して上部ハッチの中に沈んでいった。それからギュウンと再度立ち上がる131号車の後部を、士郎は自然に目で追う。
その表面装甲は、間近で見ると結構ズタズタだった。相当激しい戦闘を潜り抜けてきたのは一目瞭然だ。今この瞬間も、皇居の外側では日中両軍がガチンコで激突しているのだ。一刻も早く、この戦いに決着をつけなければならない――
ガシャンガシャンガシャンガシャン――多脚戦車が離れていくと、士郎は再度広美を見下ろし、次いですぐ傍にしゃがみ込んだ。
「――じゃ、どうぞ」
その様子に、オメガたちは少しだけほっぺたを膨らませるが、すぐに仕方ないと肩をすくめる。4人の中で一番体格がいいのは、士郎なのだ。
「え?」
広美がきょとんとした顔で士郎を見つめる。
「先を急ぎますんで、早く」
士郎が、まるでおんぶをする格好ですぐ横にしゃがみ込んでいることに、広美はようやく気付いた。
「――え……えぇ!?」
「えぇじゃありません。おんぶじゃないと、ついてこれませんよ?」
広美は、まったく理解していなかったのだ。オメガチームは、人外の速さで移動することを――
「きゃあァァァァ――――」
広美の凄まじい悲鳴を聞きながら、士郎たちは宮殿を目指す。
***
「――飛沫感染!?」
茅場は驚愕の表情で
空母赤城艦内の小部屋。『
情報本部の茅場少佐は、既に10数時間連続で黄を追及していて、半ば意識も朦朧としかかっていたのだが、今の一言で途端に目を覚ます。
「……あ、あぁ……あの寄生虫は、宿主の中で成熟し切ってしまうと今度は卵を植え付けるんだ。その卵が宿主の血管を伝って全身に転移し、やがて血液のみならず、唾液や腸液、リンパ液など宿主のあらゆる体液にそれが浸潤する。何せそうやって子孫を残さないと、奴らの種は途絶えてしまうからな」
コイツは何を言っている――!?
茅場は、思わず
「貴様ッ! なぜそれをもっと早く言わない!? じゃあ奴らに接触した我が軍の兵士たちは、潜在的な保菌者になっている可能性があるというのか!?」
「いてててて……か、カンベンしてくださいよ……なぜ言わないって……あ、貴方が訊かなかったから、そこまで気が回らなかったんですよ……」
黄は、まるで悪びれる様子もなく茅場から目を離した。不貞腐れるように話を続ける。
「……そ、それに……感染といってもあくまで飛沫感染ですからね……ほら、エイズみたいなもんですよ。性接触だったり、お互い怪我をしていて血液が交じり合ったりすれば確かに一発アウトですが、ちょっと唾が飛んだり汗に触れたぐらいじゃそうそう感染しません」
「――それは間違いないのか?」
「は、はい。そもそも感染力が強すぎると、軍用の生物兵器には適しません。扱うこちらの方の罹患するリスクが高すぎますからね。あれはあくまで幼体を直接宿主、つまり兵士に注射するなりして、一回限りの使い捨てにするという発想で運用しています」
そのこと自体、茅場の感覚からしたらとんでもないのであるが、もともと兵士の人権など最初からないような連中だ。確かに矛盾はないように思われた。だが、茅場はやはり少し引っかかるのだ。
「……待てよ……貴様、住民に『
「は、はぁ……」
「その時、咬みつくか何かして――と言ってなかったか!?」
「で……ですから、あの『神虫』――つまりガキどもから飛沫感染させたんですよ。咬みつくということは、直接皮膚を傷つけて、対象の血液に唾液を介して卵を送り込むのと一緒ですからね」
「むぅ……」
「そ、それに……」
「なんだ?」
「み、皆さん方日本軍はホラ、いつも黒い防護服みたいなのをアンダーウエアみたいにして着ているじゃないですか」
「あぁ、防爆スーツのことか」
「あ、そういう名前なんですね……そう、そのスーツを着ていれば、殆ど感染はしないはずです。アレって、一度見たことがありますが、殆ど宇宙服並みの気密性があるじゃないですか」
「……まぁ、確かにそうだ。だが、通気性は悪くないぞ?」
「それって一方通行でしょ? 外気は遮断するけど発汗や放熱なんかの内側からの排出は通すみたいな……」
「――まぁ……我が国の素材技術の結晶だからな」
「なら大丈夫です。恐らく日本兵の皆さんへの感染率は0.1パーセントもありませんよ」
「……なら……いいんだが……」
ともあれ、慎重居士である茅場が聴取したこの情報は、もちろん直ちに司令部に報告され、そして全軍に共有されていった。殆ど脅威はないが、念のため注意せよ――というニュアンスだ。
***
だが、同時に“普通にしていれば殆ど脅威はない”というエクスキューズが目に入ると、右から左にその通知文を既読フォルダに放り込んだ。眼球操作で、まさに
ほどなく、未来たちは皇居宮殿の『南車寄』に辿り着いた。
先ほど中国兵の一団が走り去った後を大急ぎで追いかけたところ、ここに来たというわけだ。
「――みくちゃん、アイツらもう中に入ってるんじゃ……」
「私たちも入りましょう」
「い……いいのでしょうか……」
亜紀乃が少しだけ戸惑うが、未来は冷静に頷いた。本来なら宮殿の中に勝手に入るなど恐れ多くて出来ないが、この建物を守るべき近衛憲兵隊の姿は見えない。先ほどの騒ぎで、大半が東御苑の方に向かわざるを得なかったのだろうと思われた。
私たちが、行くしかない――
キィィ……
楪を先頭に、オメガたちは目の前の階段を上って『波の間』へ入っていく。『南車寄』から宮殿の中へ最初に足を踏み入れる場所だ。
すると、その足許には大量の血痕が広がっていた――
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