第461話 分岐点
突然、
「――未来ッ! お前は大丈夫だよなっ!? おいッ」
士郎は、先ほどからオメガたちを説得して回っていたのである。
大群衆に雪崩れ込まれた皇居。もともと彼らは、皇居周辺一帯の市街地から、戦禍を逃れて逃げ込んできた一般市民だ。
いや――それは自らの意思だったのか、あるいは『
その大混乱の中に飛び込んだのがオメガチームだ。
しかし、群衆には『甲型弾』が行き届いていなかった。オメガの殺戮本能から逃れるための“イスルギワクチン”を彼らに注入するための、必須アイテム。
だから、今オメガたちはこの数万人の群衆に対し、湧き上がる殺意を止められないのだ。
彼女たちの本質は、人類を絶滅に導く“
間違った文明の発達をしてしまった『
だから彼女たちの本能は、この民間人たちを殺せ――と強く囁いている。ここは皇居だから……とか、同じ日本人だから……といった理屈は一切通じない。もはやその衝動は、どうしようもなくオメガたちの行動を支配しようとしていた。それこそが、本来的なオメガの
そんな彼女たちの無遠慮な殺意に対し必死で立ち向かったのが、もともと皇居を守護していた近衛連隊、そして近衛憲兵隊の兵士たちだ。
彼らは制御の効かなくなった群衆に翻弄されながら、それでもオメガたちの前に立ち塞がり、そして身体を張って市民たちを守ろうとしていた。
そんな姿を見た士郎が、必死になるのも当たり前だ。
市民を守るのが兵士の責務なのだ。その兵士が、市民を手にかけてどうする――!?
今ここで群衆を殺戮してしまったら、我々国防軍が必死で守ろうとしていたこの国は崩壊してしまう。たとえそれが、寄生虫に冒された人々であったとしても、我々はそれを排除するのではなく、その手を取り、寄り添ってそこから救い出してやるのが本当の、あるべき姿なのではないか――
そしてなにより、今ここでオメガが市民を殺戮してしまったら、彼女たちが
士郎は知っていたのだ。人を殺めることの苦しみを……それがどれほど自分を苦しめることになるのかを――
だから士郎は、オメガたちに必死で呼びかけていた。
その殺意に負けちゃいけない――
何が正しいのか、自分の頭で考えるんだ――
「――未来ッ! 頼むッ!! 正気に戻ってくれッ!!」
未来は、目の前のそんな士郎の必死の祈りを、どこか別世界のフィクションのような、まるで映画のワンシーンか何かを見ているかのような、そんな現実感のない気分で呆然と見つめていた。
違う――
私は正気だ……私はいつだって、どんな時だって……正気だった……
その瞬間、ふいに未来の脳裏に、何かのビジョンがフラッシュバックしてくる。
あぁそうだ……あの時も、士郎くんは私を止めようとしてくれたんだっけ――
突然、目の前で必死に訴えかける士郎の顔に、何かのイメージが重ね合わさっていく。
これは……鎧……? 兜……?
いつの間にか士郎くんが、鎧武者になってる――!?
***
その瞬間、確かに未来の目には、甲冑姿の士郎が映っていた。そう――その姿は随分煌びやかで、兜の額の部分には、大きな大きな金色の装飾が付いている。いわゆる『
両肩には、これも大きな板状の防具が当てられている。『大袖』だ。そして胴回りは、何段にも重ねられた横に細い板が、
それは、いわゆる戦国時代の実用性一点張りの鎧ではなく、もっと五月人形みたいに煌びやかで華やかな鎧武者だった。そうか――
これは鎌倉時代の鎧だ!
60年以上に及ぶ山中での隠遁生活で蓄えた知識の引き出しから、
これは……私の記憶――!?
すると、そのビジョンの中で私と向かい合い、覗き込んでいた士郎くんが、おもむろに刀を取り出したではないか――!
刀……というか、それは『太刀』と呼ばれるものだ。その刀身は反り返っており、短めで、そして幅広だ。
その時の士郎くんは、きっと泣いていたんだと思う。目を真っ赤に腫らしながら、とても悲しそうな表情で私を見つめていた。
(――すまぬ……もはやこうするしかないのだ……)
夢の中の士郎くんはそう言うと、私の喉元にその鋭い切先を突きつけた。そしてその時の私は、なぜかそれに一切抗うことなく、従容とそれを受け入れていたのだ。
(……分かってる……自分ではもう、どうしようもないもの……)
自分の声だ――
ビジョンの中の私は、なぜだか士郎くんに殺されようとしている。だが、私はそれを完全に受け入れていた。いや、むしろ早くこの苦しみを終わらせてほしいとさえ考えていたのが分かる。ゆっくりと、瞼を閉じる……
ドクンッ――
心臓が、跳ね上がる。突然、その時の感覚が
あぁそうか……私はこのとき苦しんでいたんだ。数千、数万の人間を
――――!!!
それって、今の状況とまったく一緒じゃない!?
これってもしかして……前世の記憶――!?
未来は、思わず周囲を見回した。もちろんビジョンの中でだ。
そこは、どこかの海岸線だった。いや――島……なのか……!? 沖合には、半分沈みかかったような、多くの木造軍船が浮かんでいた。和船じゃない。それは異国の……
空はどんよりと曇っていた。黒雲が、今にも全天を覆いそうな気配だった。
首を回すとそこには、見渡す限り無数の遺体が散乱していた。血生臭さと焦げ臭さが鼻を衝く。嗅ぎ慣れた、戦場特有の臭いだ。
遺体は、士郎くんのように大鎧を着ている者もいれば、どこか異国の鎧を身に着けた者もいる。さらには、ただ単に着物姿――しかも随分粗雑だ――の男女、そして子供たち……
そのどれもが、むごい殺され方をしているのが分かる。これって……全部わたしがやったのだろうか――!?
(――もう……十分であるぞ……そなたは十分戦った……そろそろ鉾を収める時じゃ……)
(……はい……もはや自分の血に抗えませぬ……せめて
ドクンッ――!
あぁ……その瞬間、未来はすべてを理解してしまった。
これは、いつかの前世での、自分の最期の瞬間だ。多分、私はその時も“オメガ”だったのだ。そして外敵を討ち滅ぼし、あげく制御が効かない状態になって、ついには味方まで悉く討ち滅ぼそうとして……
(――オメガはかつて、我が国の国難に際し何度も現れました。あの元寇の時もそうです……)
突然、咲田広美の言葉が蘇る。
(――では教えてやろう。前世のオマエたちは、どうやら殺し合っていたようだぞ……)
アイシャの言葉がそれに折り重なっていく。
そういうことか――
それは、『
その時未来は、咄嗟にそれに対し“私と士郎くんがいがみ合うわけない……きっと私たちはロミオとジュリエットみたいな悲恋を繰り広げていたんだわ”と切り返したのだ。だが、事実はこういうことだったのだ。
士郎くんは、暴走する私を止めるために、泣く泣く私を手にかけたのだ。そして私は、喜んでそれを受け入れた――
そう――きっと私は前世で、自分の衝動に抗いきれず、その命を断つことを選んだのだろう。
人間を無差別に殺戮してしまうことを拒否しようとしたのに、自分ではそれをどうしても止められなかった。そして、そのとてつもない十字架を、よりにもよって士郎くんに課してしまったのだ――
私は、自分の運命に逆らえなかった。自分の弱さに負けたのだ。だから今回こそは――!
その瞬間、ヴンッ――と空気が膨張した。
***
「――未来ッ! 何とか言ってくれッ!! 未来が衝動を抑えてくれたら、きっとあの時みたいに、他のオメガたちも未来に倣うはずなんだッ!!」
意識が現実世界に戻っていた。
目の前で、相変わらず士郎くんが必死で私に呼びかけている。
すべてを理解した未来は、士郎をあらためて見つめ返した。そのあからさまな変化に、士郎が気付かないわけがない。
「――み、未来っ!?」
「……大丈夫……士郎くん。もうあなたにあんな思いはさせない」
「え……!?」
戸惑う士郎が、思わず未来を見つめ返す。だが、見る間にその表情は明るくなっていった。未来のその瞳の青白光が、次第に淡く、小さくなっていったからだ。
「――未来……!」
あれほどの前世の悲劇を知ってしまった未来は、それまで抗いがたいと思っていた衝動を見事に抑えていく。
当たり前だ。もし自分が士郎くんの立場だったら、愛する人を自分で刺し殺すなんて、出来るわけがない。でも前世の私は、それを士郎くんに強要してしまったのだ。
それがどれほど残酷な仕打ちなのか……それを考えたら、こんな衝動、いくらだって抑えてやる――!!
そう――私は、私の運命を……自分で変えてみせるのだ!!!
***
その時の未来を、士郎は一生忘れないだろう。
彼女はどこまでも気高く、決然とした高貴な気配を全身から漂わせていた。美しい銀色の長髪が、風にそよいでほのかな香りを士郎の鼻腔に運んでくる。
その頬はどこまでも透明感に満ちていて、整った桜色の唇はきりりと結ばれていた。そしてその瞳は――今や穏やかな、美しい薄青色を湛えている。
先ほどまでの、猛烈な殺気に包まれた強烈な青白光は、いつのまにか掻き消えていた。
未来が、その恐るべき衝動を自分の意思だけで抑え込んだのは明白だった。
その空気は、一瞬にしてオメガ全体に行き渡る。
それはまさに、初めて士郎たちを大陸で助けてくれた時の、オメガチームの精神感応、共鳴反応そのものであった。
士郎は思わず周囲を見回す。そこには、冷静さを取り戻したオメガたちが、そこかしこに立っていた。
「――くるみッ! 久遠! キノっ! ゆずッ!!」
そんな士郎を、
「……かざり……お前は――」
「私は最初から大丈夫……でも、他の子たちはそれぞれ自分で乗り越えなきゃいけないから、私はどっちみち手を出せなかったよ……」
くるみが、困惑した顔で士郎を見つめてきた。
「……士郎さん、わたし……士郎さんとの
それを聞いた
「――そ、それを言うなら、私だって同じだ。士郎との
「えっ!? そんなの私だって――」
「実は私も……」
急にわちゃわちゃし始めた。いつの間にかアライドモードに戻っていたオメガたちが、士郎との
だが……そうか――この子たちは今回、自分が一度見た世界線に至る分岐点を、恐らく間違えなかったのだ。この先いくつこのような分岐点が現れるか分からないが、少なくとも今回は、正しい選択をしたということなのだろう――
いっぽう、それが恐らく
「――ち、ちょっと……ねぇあなたたち――」
「あーっ!!」
未来がへそを曲げようとした瞬間、士郎が素っ頓狂な声を上げた。
「――ど、どうしたの士郎きゅんっ!?」
いつの間にか士郎の腕に絡みついていた楪が、キョトンとした顔で士郎を見上げる。
「あ……あれ……」
士郎の視線の先を、皆がなぞっていく。
そこには、オメガたちの殺気が消えたせいなのか、放心状態で座り込む数千、数万の群衆の姿が広がっていた。そして、そんな風に豹変した群衆を、驚きの目で見つめる近衛兵たち――
まぁ、あれだけビリビリとヒリついたオメガたちの殺気に晒されていたのだ。さもありなん。
だが、士郎が見ていたのは、さらにその先だったのだ。そこにいたのは――
「あッ! あの人たち!!」
「恐らく中国兵なのです……」
群衆の端に見えたのは、十名前後の男たちだった。今まで人波に紛れて見逃していたのだろうか!?
だが、彼らは確かに中国軍の軍服を身に纏い、銃すら携えていた。足早にその場を立ち去ろうとしている。
「いつの間に紛れ込んでいたんだ!?」
「そんなことより早く捕まえなきゃ! あの先はたしか――」
「皇居宮殿だ! アイツら、陛下の元へ行こうとしてるんじゃないかッ!?」
それはまさに、士郎たちオメガチーム本来の任務だった。一刻も早く宮殿に駆け付け、陛下をお守りしなければならない。もし可能なら、そのまま陛下を洋上の赤城にまでお連れするのだ。
その時だった。
後方から、聞き慣れたノイズが迫ってくる。
ガシャンガシャンガシャンガシャン――!!
これは、多脚戦車の推進音だ――
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