第445話 欠片探し

 次元転移でこちらの世界に帰還して以来、オメガたちはずっと意識不明状態だ。

 それは単なる昏睡ではない。生命反応はほぼ消えていて、呼吸や心臓の鼓動を司る自律神経すらその機能を停止している。脳幹の機能が停止しているからだ。これは、普通に考えれば生物としての“死”だ。だから今の彼女たちは、たくさんのチューブに繋がれている。

 だが幸いなことに、大脳の一部にだけは僅かな反応が見られる。つまり――オメガたちは決して死んでいるわけじゃない。ただ――“夢”を見続けているのだ。


 だが、この世界ではどうやっても目を覚まさない。

 人間の脳を睡眠状態から覚醒させるために必要な『オレキシン』という神経伝達物質を何度か投与してみたけれど、彼女たちは一向に目覚める気配がないのだ。

 もちろん、全身の神経組織の検査もくまなく行われていた。それ以外の、ありとあらゆる病理検査や治療も試みられていた。だが、一向にその症状は改善しない。


 お手上げだった――


 これ以上、医学的には手の施しようがないというのが正直なところだった。だが、その突破口は唐突に叶たちの前にもたらされたのだ。


 “夢の中で彼女たちがいる場所に、ご神体の欠片が存在する可能性がある――”


 だから叶たちは、彼女たちの夢のデータを再度引っ張り出した。


「――これがくるみちゃん、こっちがキノちゃん、そしてこれが久遠ちゃんで、ゆずちゃんは……これ」


 叶が、4人分の夢のデータをモニター上に並べる。ある程度デフォルメされた映像イメージと、補足的に追記された文字データ。そこには、彼女たちが見ているとされる“夢”のディティールが可能な限り詳細に再現されていた。


 くるみは士郎と結婚していて子供を出産、亜紀乃は士郎の妹になった。久遠は台湾で士郎と結ばれ、ゆずりははかつて士郎の初恋の相手で、しばらく士郎の親代わりの店で暮らしていたことになっている。

 どれも時系列はバラバラで、お互いの夢が連動しているようにも思えない。だからこれらの夢のひとつひとつは、すべてオメガたちがそれぞれの立場で望んだ世界なのではないか――と考えられた。

 しかもその世界は、いくつもの世界線に分岐しているこの多次元世界において、必ずどこかの時空に実在していると思われるのだ。彼女たちの意識は、そこにある――


かざり未来みく、そして石動いするぎのデータは!?」


 四ノ宮が困惑したように訊き返す。


「――残念ながらその3人はまだデータが取れていないんだ。まぁ、かざりちゃんはもうすぐ抽出できるだろう。問題は残る二人だ」

「ノーデータ、というのは本当なのか!?」

「あぁ、確かに“夢”を見ていると思われる脳の電気活動と眼球運動は認められるんだが、肝心のデータがまったく読み取れないんだ」


 この時代、脳の電気活動と神経伝達物質の移動を詳細に突き合わせることで、その人の脳の中に現れるイメージを具体的に抽出できる技術が確立されている。オメガたちがまだ実験小隊だった頃、戦闘実験の後はよく本人たちの脳活動のログを取り出して詳細を分析したものだ。

 だから反応が検知されている以上、絶対に夢のイメージも再構成できるはずなのだが……今のところはそれに成功していない。


 ともあれ、今は出来ることからやるしかない。四ノ宮はただちに探索隊を組織した。


「第605偵察分隊を国内の探索に当てろ。くるみとキノ、そして楪の分だ。久遠の台湾は――」

「あの子に行かせたらどうだい? ホラ、例の……」

「あぁ――もともと台湾人だしな……よかろう。直ちに本人たちを前線から呼び戻せ」


  ***


 樋口たちほどの精鋭偵察隊員がわざわざご神体の欠片探索に駆り出されたのは、ひとえにまだ日本国内が戦闘状態にあるからだ。いつ何時、中国軍からの攻撃を受けないとも限らない。そんな状況下で、確実に目標を発見、回収し、さらには無事に司令部まで持ち帰らなければならないというのは、それなりに難易度の高いミッションなのだ。


「――近くにショッピングモールがあって、そこから幹線道路を飛ばして数分の距離にある病院……といえば、やっぱりこの辺だよなぁ……」


 彼らがやってきたのは、都心から西へ数十キロの距離にある東京郊外。むかし神奈川県と呼ばれた行政区との境にあって、果たしてここは東京か、神奈川かと冗談半分でからかわれていた地域だ。

 ここには戦前から、日本でも有数のショッピングモールがあり、そのすぐ傍を横浜から東京八王子へ向かう巨大な幹線道路が走っている。高速道路も交差しているし、電車の路線も複数乗り入れている。いわば東京西部の大動脈、交通の要衝だ。

 当然、幹線道路を利用すればすぐに大きな病院に辿り着く。くるみの夢の中に出てきたロケーションと、何から何まで合致していた。


「――見えてきました。あの病院じゃないですか?」


 衛生兵の水橋二曹が機動戦闘車の進行方向を指差す。見ると、その病院は相当大規模で、この地域一帯の基幹病院であろうと思われた。ただし、現在はいわゆる経過観察レベルの通院患者の来院が停止されていて、その代わりに軍の車輛がひっきりなしに出入りしている。都心での戦闘で怪我を負った兵士たちを、最優先で治療しているのだ。

 見ると、正面玄関には憲兵隊が立っていた。そこで来院の趣旨を告げると、立番の憲兵が軽く敬礼して一同を敷地内へ招き入れる。


 先任軍曹の河村一曹が先頭に立って、院内をまっすぐ産婦人科へ向けて進んでいった。くるみの“夢”の中では、彼女は石動と結婚していて、出産したところだったからだ。


 彼女の夢の内容を聞いた水橋は、なんだか胸がいっぱいになっていた。現実世界では――いや、あそこは厳密に言うとこちらの世界ではなく『並行世界パラレルワールド』だったのだが――彼女は子宮破裂の重傷を負ってしまったからだ。水瀬川くるみ一曹に子宮摘出を強く提案したのは、その時現場で手当てに当たった、他ならぬ水橋本人だったからである。

 もっと言えば、彼女はあのあと敵辟邪との激しい戦闘によって全身大火傷の重傷を負ったと記憶している。その後どうなったかはあいにく承知していないが、そんな彼女の見ていた“夢”が、想いを寄せる人との平凡な結婚と出産だったなんて……

 それが単なる“夢”ではなく、現実だったら良かったのに――と、つい思ってしまうのは、やはり判官びいきなのだろうか。


 気が付くと、一行は目的の産婦人科病棟に足を踏み入れていた。ここだけは他の病棟と違い、民間人が溢れていて、なんだか平時のよくある病院の風景とさして変わらない。


「ちょっと失礼します!」


 唐突に鋭い声を浴びせられ、隊員たちが後ろを振り向く。すると、真っ赤な顔をした妊婦が移動ベッドに乗せられて、複数の看護師に連れて行かれるところだった。

 水橋たちは慌てて横に飛び退いた。その真ん中を、猛然とベッドが通り過ぎていく。


「――ここだけは、いつもと変わりませんよ」


 見ると、すぐ傍に白衣の女性が立っていた。医師……いや、助産師か――


「あ、あの――」


 分隊長の樋口が話しかけようとすると、女性はシッと口に手を当てた。


「軍が妊娠出産に関して特別の計らいをしてくださっていることには大変感謝しています。ですが、お静かに……あまりざわつくと、おなかの赤ちゃんがビックリする方もいますので」


 見ると、廊下の待合ベンチには、結構な数の妊婦がじっと座っていた。みな、何事かと水橋たちをチラチラ見ている。

 今は戦時下で非常時ではあるが、ここ産婦人科だけは通常の診察診療行為を継続していいことになっている。何せ子供は国の宝だ。その宝をないがしろにし始めた時、国家は緩慢な死に向かって歩み始める。


「……す、すみません……実は我々、ある重大な任務を負っておりまして――」


 それから樋口たちは、その白衣の女性に事の次第をかいつまんで説明した。その人物が、どうやらチーフと呼ばれる、この病棟の責任者のようだったからだ。


「――なるほど。ということは、そのくるみさんという女性は、実際にはここで出産したわけじゃないけど、その痕跡の石みたいなものがあるはずだと……」


 樋口たちは、その助産師チーフがあらためてこちらの要望を口に出して整理したのを聞いて、半ば絶望的な感情に陥った。自分で言うのも何だが、なんという荒唐無稽な話だ。十中八九「言っている意味がわからない」と追い返されるのは目に見えていた。それでなくともこの産婦人科は24時間忙しいというのに。だが――


「――えぇ、心当たりがありますよ」


 助産師は、思いがけない言葉を発する。


「え――?」

「ですから、その石に心当たりがあると言ったのです」

「ほ、本当ですかッ!?」


 いったいどういうことだ!?

 すると、その助産師は「こちらへどうぞ」と一同を促した。ほどなく『出産準備室』と表示された部屋へ入っていく。その部屋の奥には、小さな神棚のようなものが控えめに設置してあった。


「これは――」

「この産婦人科病棟に、いつの頃からか祀ってある神棚です。実は、安産のご利益があるということで、妊婦さんはみな、ここでお参りをしていくんです」


 ――!?

 助産師は、躊躇うことなくその神棚の小さな扉を開ける。その中には――


 黒光りする小さな物体が置いてあった。いや――それは間違いなく例の石板だった。漆黒の表面には、何やら青白く光る模様のようなものが刻まれている。


「こ……これだッ! どうして……」


 どうして、こんなものがここにあるのだ!? 樋口たちは、キツネにつままれたような面持ちで助産師を見つめ返す。


「これが、お目当ての石に間違いありませんか?」

「はい! ですが――」

「私たちも、なぜこんなものがここにあるのか、いつからここにあったのか、どうしても思い出せないのです。私自身、勤続10年でここでは割と古株なんですが、以前からあったような……昔はなかったような……その辺が曖昧なんです」


 つまりは、これがここに存在する経緯いきさつは、誰も承知していないということか――


 だが、この石の外形は間違いなく、作戦本部からの指示にあった通りだった。場合によっては預かっていたもうひとつの欠片を使って探せ、と言われていたのだが、それを持ち出すまでもなかったようだ。この石は、まるでそこにあるのが当たり前のように、あるべくしてそこにあるように、静かにそこに佇んでいたのだ。


「――と、とにかく……これは一旦お預かりします。よろしいですね!?」


 樋口が助産師に告げると、彼女はこくりと頷いた。


「――あの……」

「はい?」

「……もしよければ……用が済んだらそれをお返しいただけませんか? 妊婦さんたちには、結構評判だったんです」

「えぇ、国の宝のために……お約束しますよ!」


  ***


 その後、樋口たち第605偵察分隊は、順調にご神体の欠片を発見・回収していった。

 亜紀乃の夢の場合は“軍の新婚用官舎”という明確なヒントがあったし、ゆずりはの場合は、例の渋谷のアラビアンダイニング『カリフ』にあることに間違いはないと思われた。

 そして推測通り、その二か所からいずれも漆黒の石板を回収することに成功したのである。ただ、亜紀乃の官舎を探す際は、少しだけ例のご神体の欠片を探索に利用した。具体的に何号室に彼らが起居していたのか、亜紀乃の“夢”の中には何も示唆されていなかったからだ。

 だが、欠片を使った探索は案外簡単だった。それを掲げて官舎を一回りしている時、その石板に刻まれた文字が非常に強く光り輝いた場所があったからである。その部屋は空き部屋で、しかも新婚早々戦死してしまった兵士の家族がかつて住んでいたことが分かった。

 そうやって、消えていった家族が、この国には無数に存在している。戦争とは、それら物言わぬ遺族たちの犠牲の上に成り立っているのだ。


 ともあれ、残るは久遠の欠片だけだった。


  ***


 台湾南部にある『高雄洲護國神社』――

 本殿にわざわざ上げてもらったその若い小柄な女性は、想定外の事態に頭が真っ白になっていた。


 ないじゃねーか……


 てっきり、それはこの神社のご神体として祀られているものだと思っていた。だが、これがそうだといって見せられたのは、まったく似ても似つかぬ刀剣だ。


「――これでいいですかね!?」


 後ろから声を掛ける台湾人宮司を、チェン美玲メイリンは振り返ってキッと睨み返す。


「いや、コレじゃない! もっとないのか!? こう……石みたいな奴だ」

「そうは言われましても……ここではそれをご神体として以前よりお祀りしておりまして……」


 だいたい、ご神体をこうやって部外者に見せること自体、異例の便宜なのだ。それもこれも、彼女が日本国防軍の将校だというから無理を聞いたに過ぎない。宮司は内心穏やかではなかった。


「だが、それでは困るのだ。これは皇国の興廃に関わる一大事なのだ」


 美玲も苛立っていた。よりにもよって、あの蒼流とかいうオメガの夢は、ここ台湾の神社で石動中尉と親密になるというとんでもないものだった。なんでこの私が、そんなお花畑脳の夢の痕跡を探さねばならないのだ。

 まぁ、そのケシカラン夢はあくまで“夢”だから、現実のことではないというのは頭では理解しているのだが、それにしたって胸糞悪い。そもそも私だったら、そんなロマンチックなシチュエーションでキスだけで終わるわけないのに――


 私だったら――

 美玲はおもむろに本殿の外に出る。それからキョロキョロと辺りを見回すと、チラリと遠目に輝く海が見えた。まさか……

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