第444話 突破口
日本にはかつて『
「で……ここには何と書かれているのです?」
叶は、アイシャの腹部から剥落した石板をジッと見つめる。
すると、広美は少しだけ逡巡した。
「――それが……もともと私が承知していた文字と異なるというか……」
「……? ということはつまり、その点が異なるからこの石板は例のご神体ではないと!?」
「はい……大社のご神体は私もよく承知しています。以前はこんな文字、書かれていなかった……」
叶は得心したように頷いた。
「――なるほど……さっきから広美ちゃんがなんだかハッキリしなかったのは、それが原因なんだね」
そう言うと、叶はその石板をおもむろにいじり始めた。それは手帳を広げたほどのサイズで、中央部分が真っ二つに割れている。まるで鋭利なナイフでスパッと両断したような、綺麗な割れ方だ。神代文字はちょうどその切断面で左右に真っ二つに割れていた。
それをカチャリと組み合わせると、相変わらず文字の部分がより強く青く光を帯びる。それはまるで、そのように組み合わせるのが正解であるかのように……はッ――!?
組み合わせ……!?
叶は、試しにその切断部分を並行にずらしていく。石板に刻まれた神代文字は、もともと「〇」とか「□」という形が基本形らしく、つまりは左右対称だ。たまにその「〇」と「□」が左右半々みたいな文字もあるが、だから右側のパーツと左側のパーツをどのように組み合わせても、どれも文字として成立しているように見える。
おまけに、文字自体まるでマス目に沿って記されたかのように等間隔で並んでいた。だから並行にズラすと、やはりそれらの文字はどの位置でもカチリと見事に嵌まった。一文字ズラしても、二文字ズラしても、やはりその文字はそれっぽく見えるのだ。ただし、それは神代文字を知らないからそう思っただけかもしれない。だが――
「――ウソ……でしょ……」
広美が思わず呟く。その途端、広美はテーブルの石板に飛びついた。そのまま叶の手から石板を奪うようにひったくると、自分でも同じように石板をあれこれスライドさせて文字の組み合わせを確認していく。
「――なんてこと……」
「ど、どうしたんだい?」
広美はキッと皆を睨み上げた。
「――これは……出雲大社のご神体の一部で間違いありません」
「えっ?」
「見ての通り、この二つに割れた石板は、並行にスライドさせても文字の意味が通ることが分かったのです。何文字かズラすことで、私がもともと知っていたご神体の一節になりました」
そんな――
そんなことがあるのか……!?
叶は呆然とその石板を見下ろす。既知の文字、たとえば平仮名やカタカナ、あるいはアルファベットなどでは、そんなギミックは絶対に成立しないだろう。それらの文字は基本、左右非対称だからだ。
だが、確かにこの神代文字はそう言われれば文字の左右――いってみれば漢字の「
それが並行に何文字かズレるだけで、文章そのものが意味を持つ別の文章になるというのか――
「……で……そこにはなんて書かれているんだい!?」
叶は、勢い込んで問い質す。もちろん、隣にいる四ノ宮も、先ほどからの話の展開に面食らっているところだ。目を丸くして、事の推移を見守っている。
「――まず、このように左右を組み合わせると……もともと出雲のご神体に刻まれていた文字の一節が浮かび上がってきます」
そう言って、広美は並行にスライドさせてくっつけた石板を皆に見せた。もちろん、広美に解説してもらわないとその文字列の意味は分からない。
「くむがよわ ておにや ちよにささりど……」
……相変わらず意味不明である。だが、どことなく聞いたことがあるような気がしないでもない。
「……ご、ごめん、意味は――」
「立ち上がれ シオンの民よ 神に……ここに書かれているのはここまでです。確かにこの一節は、出雲のご神体に刻まれていた文章に間違いありません」
「シオンの民だと!?」
四ノ宮が横から口を出す。だってそれって……
「――それって、ヘブライ語ではありませんか!?」
唐突に割って入ったのはエヴァンス上等兵曹だ。彼はこの石板を持ち帰った当事者として、引き続き作戦室にいることを許されている。広美がエヴァンスを見つめ返した。
「あなたは……」
「アメリカ海軍義勇兵、マット・エヴァンス上等兵曹であります――」
「そうではなくて、なぜヘブライ語だと……」
「はッ! 自分はユダヤ人であります。幼少より、ヘブライ語には親しんでおります」
「……そうでしたか……」
その時、やはり同席していた連合艦隊司令長官の小沢が口を挟んだ。
「――横から口を挟んで申し訳ないのだが……」
「あ、はい……」
「先ほどあなたが言われた“くむがよわ……”というのは、もしかして“君が代は……”ではないのかね?」
その一節を聞いた何人かの帝国海軍士官が、弾かれたようにビシッと直立不動になった。だが、その目は強張ってこちらを窺っている。まさか――
「……はい……その通りです……よく気が付かれましたね」
「そ、それは本当なのか!?」
四ノ宮が小沢と広美を交互に見比べる。小沢自身、自分で話を振っておきながら、信じられないという顔をしていた。だが広美は冷静だ。
「はい……もともと出雲のご神体に刻まれていた文章とは、次の通りです。“くむがよわ ておにや ちよにささりど いわおとなりあた こかのむうしゆまいて”――」
「それは……」
“君が代は 千代に八千代に さざれ石の
君が代――つまりは、日本の国歌ではないか――!?
すると、それを聞いていたエヴァンスが、紅潮した顔で正確なヘブライ語を口走った。
「クムガ・ヨワ テオニ ヤ・チヨニ サッ・サリード イワ・オト・ナリァタ コカノ・ムーシュ・マッテ――」
「立ち上がれ シオンの民よ 神に選ばれし者 喜べ人類を救う民として 神の預言が成就す 全地で語り 鳴り響け――」
エヴァンスに引き続き、広美がその意味を訳す。
「そんな――」
四ノ宮が、辛うじてかすれたような声を上げた。まさか君が代が、ヘブライ語だったとは――
確かに以前から、日本語とヘブライ語の近似性はあちこちで指摘されてきた。さらには最近、遺伝子分析の精度向上によって、日本人のおよそ半数と、スファラディム系ユダヤ人の遺伝子型が限りなく近いということが判明し、両民族のルーツが同じだったのではないかとという話も、公然と語られるようになってきた。
だからまぁ、そう言われれば……という程度には、日ユ同祖論も広く社会に受け入れらるようになった時代ではあるのだが……それにしたってひとつの国の国歌が、別の国家、民族の言葉で記されていたとなると、これは日本人のアイデンティティに相当のインパクトを与える話だ。
だが、確かにヘブライ語に訳せば、いまひとつ意味の通らなかった君が代の歌詞も、スッキリと腹に落ちるではないか――それにしたって……
「ひ、広美ちゃんはこのことを知っていたのかい!?」
叶が引き
「――まぁ……はい……たいていの神代文字は、現代のヘブライ語と呼ばれる言語で読み直せば意味が通ります。というか――皆さん誤解しているようですが、ヘブライ語とはそもそも日本人が使っていた言語がローカル化したものです。皆さんの認識は、主従がまるで逆なのです」
その場にいた誰もがもう、お腹いっぱいだった。
『君が代』の歌詞がヘブライ語で出来ているとか、そもそもそのヘブライ語は日本人が使っていた言語がローカル化したものだとか……もはや理解の許容量を遥かにオーバーしている。
そんな空気を察したのだろうか――広美がゴホンと咳払いした。
「ま、まぁそれはさておき……この欠片が出雲のご神体の一部であることはこれで分かりました。私が驚いたのは、そのご神体に刻まれていた文字が、組み合わせを変えることによって別の意味を持つ文字列に変化していたことです」
「――そ、そうだった。それで、最初広美ちゃんが間違っていると思った文字列にはなんて書いてあったんだい?」
思わず議論の本質を見失うところだった。今大事なのはそっちの方だ。
「ややこしくなるのでこの際オリジナルの発音は省略しますが、最初に読み取れた文章は次の通りです――遠き世の父母より世に生まれ変わり……ここまでです」
――――!
その一節を聞いた誰もが、やはりこのご神体は次元転移の触媒の役割を果たしているのだと確信した。『遠き世』とは、こことは違う別の世界――すなわち
「……やはり……この石板が転移に際し、大きな影響を及ぼしていたとみていいのだろうね……」
叶がぽつりと呟く。今はその生命反応がほぼ消失し、ただ脳の一部の電気活動だけが認められるオメガたちのことを想っているのだろう。
そんな叶に、広美がなにげなく訊く。
「――それで、他のオメガさんたちが持っていた石板は、いつ見せてくださるのです?」
「へ――!?」
「……ですから、他の皆さんも転移の際、ご神体の欠片をそれぞれ被ったのでしょう!? この石板に現れた文字列には、続きがあるはずですから、ぜひそちらも拝見したいです」
思わず、四ノ宮と叶がお互いに見つめ合う。
「――い、いや……オメガたちには……そんな欠片はなかったというか……」
「あぁ、あの辟邪のように、身体に癒合していたわけでもないし、傍に落ちていたわけでもないぞ。そんなものは――」
「そんなわけないでしょう!? だって、彼女たちの肉体は無事に転移して還ってきたんですよね!?」
「それはそうだが――」
「だったら、必ず欠片を持っているはずです。だって、同じ条件のはずじゃないですか」
「そんなこと言ったって、ないものはないんだ。今までどれだけ彼女たちを精密検査したと――」
「じゃあ、転移の際にどこかに落っことしてきたのでは!?」
「そんな馬鹿な――」
と言いかけて、叶は固まってしまった。その目は、何かを探るように宙を仰ぐ。
「――おい……元尚……?」
「……広美ちゃん……ご神体は、転移の触媒になるんだったね……」
「えぇ、ですから肉体が戻ってきているということは、必ずどこかにご神体を持っているはずなのです……でなければ、そもそもお聞きしたような大混乱の中で、転移が出来るわけありません。ウズメさまの機転によって、辛うじて皆さんは次元の狭間に迷い込まずに済んだのです――」
「それだ――!!」
唐突に、叶が叫んだ。
その目は、大きく見開かれ、血走っていた。執念の瞳が、爛々と輝いていた。
「――彼女たちは、欠片を落っことしてきたんだ! だから彼女たちの意識は、その落っことしてきた時空にある――!!」
「ど……どういうことだ元尚!? 分かるように説明してくれ」
四ノ宮が、困惑して叶を見つめ返す。
「――いいかい東子ちゃん、オメガたちは、夢を見ていただろう?」
「あぁ……いろいろと、お花畑な夢が多かったな――」
「その夢、実際に彼女たちが今いる別の時空の出来事なんじゃないか!?」
「え……!?」
「オメガたちは、あの次元転移の瞬間、それぞれご神体の欠片を身体に浴びながら転移したんだ! だがその欠片は転移中に何らかの原因で別の時空に零れ落ち、ついでに彼女たちの意識もその時空に引きずられた――あるいは逆かもしれない。彼女たちが望む時空に行きたくなって、その意思の力が意識だけその時空に飛ばした――」
「……つまり――!?」
「ご神体の欠片を探し出して持ってくれば、オメガたちの意識を呼び戻せるかもしれない!!」
――――!!!!
それが本当だとしたら、探すべきは……
「では、あの子たちの見ていた“夢”の場所に……」
「あぁ! その欠片が落ちているかもしれない!」
あぁ……なんてことだ……もはや手の施しようのなかったオメガたちの意識回復が、そんなことでなされるのだとしたら――だが、待てよ……
四ノ宮は急にある問題に気が付いた。
「……だが、ちょっと待て元尚……仮にオメガたちが持っていたと思われるご神体の欠片を探すとしても……それはこことは異なる時空にあるんじゃないのか? だって――」
「そのご心配にはおよびません。ご神体は、時空を超越した存在です。仮に別の世界にそのご神体があったとしても、必ず重なった世界からもその痕跡が見えるし、この欠片がありますから、それをこちらの世界で実体化させることも可能です」
広美が、アイシャの欠片を手にしながら断言した。要するに、ご神体同士引きあう――ということなのか!? いずれにせよ、そうであれば幸いだ。つまり、この世界は多重世界で、そこに見えないけれど間違いなく隣り合わせで存在しており、大きな力さえあればその時空の壁を飛び越えてこちらに引き寄せることも出来るわけだ。
オメガたちを取り戻す――
ついに叶たちは、その突破口を見つけたのだ。
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