第443話 神代文字

『――もう少しよく見せてください』


 モニター越しに叶を顎でこき使っていたのは、宮内庁所属のかんなぎ、咲田広美である。


「こ……こうかい……!?」

『……うーん……そうですね……形状的には間違いないと思いますが……うーん……』


 なんだかハッキリしなかった。いつもの広美なら、見た瞬間に白黒はっきりつけてくれそうなものなのだが、今回は少し様子が違う。


『……やはり直接この目で確認する必要がありそうです。もう少し待っていてください』


 そう言うと、プツンと通信が切れた。広美は現在太平洋上日本沿岸を北上中だ。


「やれやれ……いったい何がひっかかっているのやら……」


 今回ばかりは叶もお手上げである。何せこれは広美の専門分野で、叶は門外漢だ。いくら叶が「これは幽世の出雲大社にあったご神体に違いない」と言い張ったところで、彼女が認めない限り断定はできないのだ。

 米国からの義勇兵たちが戦場から持ち帰った謎の石板。それは、あのアイシャとかいう辟邪の腹部に癒合していたものだという。しかも、敵の荷電粒子砲攻撃によって真っ二つに破壊されたその石板は、亀裂部分を手で組み合わせると、それまで意思疎通ができなかった辟邪アイシャの声を伝えてきたのだという。


「――まぁ、あれ以来戦況は多少なりとも好転しているのだから、そう焦ることもあるまい。貴様も寝ていないのであろう……咲田さんが赤城に到着するまでの間、少し休んだらどうだ」


 四ノ宮が珍しく優しい態度なのを見て、叶が驚いた様子を見せる。口をポカンと開けて見つめ返す叶を見て、四ノ宮が少しだけ恥ずかしそうな表情を見せた。


「……別に……オメガたちのことで貴様が責任を感じる必要はないのだ。あれは不可抗力なのであろう?」


 四ノ宮は、派遣部隊がこちらの世界に戻ってきて以来、叶が寝食を惜しんでオメガたちの回復の手がかりを探していることを知っていたのだ。その有様はまさに鬼気迫るものと言っていい。だが、この稀代の天才科学者をしてこれほど苦戦しているのだ。このままでは叶の方が倒れてしまう。


「そうはいってもね、やっぱり僕は責任を感じずにはいられないよ……なにせ目の前で起こったことなんだ……今だって、彼女たちさえいればこんなに苦労せずに済んでいるのにと考えてる……」


 確かに国防軍の首都奪還作戦は厳しい状況だ。時ならぬ帝国軍の次元転移によって、不足する戦力こそ補えたものの、今の状況はそれを十分に活かせているとはいいがたい。

 特に、一度恭順の意を示したと報告のあった敵辟邪が、再び向こう側に立って我が軍を苦しめているせいで、多くの将兵が犠牲になっているのは事実だった。オメガさえ健在なら、アイシャを制圧するのもそう難しくはなかったであろう。だが現実は、死なずに済んだはずの兵が散華し、助けられたはずの多くの民間人が未だ敵勢力下に取り残されている。


「……貴様はよくやっている。今は米軍も合流したのだ……来るべき最終決戦に向けて、少しでも休んでおくべきだ……」


 叶はじっと東子の横顔を見つめた。相変わらずこの人は部下思いだ。責任なら自分が背負う――という意思が滲み出ていた。


「……ふぅ……まぁ東子ちゃんがそこまでいうなら、少しだけ横になってくるよ……」

「あぁ、そうしてくれ……それと――」

「ん? なんだい?」

「東子ちゃんって呼ぶな」

「……へいへい」


 お互いに目を合わせ、少しだけ微笑むと、叶はあてがわれた自室に戻っていった。


  ***


「――東子ちゃん東子ちゃんッ!」


 叶が素っ頓狂な声を上げて、狭い空母の艦内を駆けてきた。作戦室の入口のところで立番の警備兵に止められる。


「かまわん、通してやれ」


 中から聞こえてきた四ノ宮の声に、兵士がすっと身体を横にどける。それを押しのけるようにして叶が作戦室に飛び込むと、そこにはビジネススーツをかっちり着込んだ小柄な女性の姿があった。咲田広美だ。


「――いったい何の騒ぎだ?」

「……って、広美ちゃん着いてたんなら僕も呼んでくれよ」

「ふん、貴様のことなどうっかり忘れていただけだ」


 四ノ宮はそういうが、本当は咲田広美の到着を受けて、叶の自室にわざわざ彼を呼びに行ったのは四ノ宮自身だ。そのうえ疲労困憊して気絶するように眠りこけていた叶の様子を見て、今は起こさないでおこうとそっと扉を閉めたのも四ノ宮本人だ。


「――で、広美ちゃん! どうなの!?」


 叶は挨拶もそこそこに本題に切り込む。

 アイシャの腹部から剥離した石板が、幽世の出雲大社に鎮座していたご神体の一部なのかどうか――もし間違いないのなら、それはオメガたちの再生に大きな関係があるはずなのだ。


 なぜならそのご神体は“次元転移の触媒”であり、先日の転移の瞬間、神さまであるウズメさまが咄嗟に投げつけたものだからだ。

 その場に同席していたアイシャがその欠片を持っていて、この世界に現出したのならば、もしかしたらそのが転移に何らかの肯定的影響を及ぼしたのかもしれない――


 それは、米海軍特殊舟艇部隊のマット・エヴァンス上等兵曹がもたらした貴重な証言とも合致している。アイシャは確かに、彼に「欠片を探せ」と伝えたというのだ。


「……確かにこの石板は、大社のご神体にそっくりです。ですが、細かい点で異なるのです」


 広美は、その石板に何やらクラシカルな拡大鏡をあてがっていた。青白く光る例の文字を、先ほどから丹念に読み取ろうとしている。


「何が引っかかるのか……良ければ教えてくれないかな、広美ちゃん」

「それは……」


 叶の呼びかけに、広美は少し躊躇う。もしかしてまた、世界の常識がひっくり返るような秘密だったりするのだろうか――


「思うに――」


 叶は、石板の表面を食い入るように見つめている広美を見ながら口を開いた。


「――思うに、そこに刻まれた文字が違うとか――」

「ひゃっ!?」


 唐突に、広美がびくついて顔を上げた。


「なななな……なぜそれを……」

「あー、当たりなんだね?」

「えっ!?」

「えっ?」

「……か、カマをかけましたね……」

「うん」


 ぐぬぬぬぬ……と歯ぎしりする広美を、作戦室にいた他の幕僚たちが興味深そうに眺めていた。彼女のことは、「宮内庁職員」というより「皇室に奉仕する巫」と皆には紹介してある。お陰で若干男尊女卑傾向のある帝国軍将校たちも、彼女に対しては最初から一目置いているようだ。これも四ノ宮の気配りだった。

 叶は涼しい顔で勝手に話を進める。


「で、そこにはなんて書いてあるんだい? この文字、僕読めないんだよ」


 確かに、このご神体に限らず、今まで叶たちが見てきた同様の青白文字は、どれ一つとして解読できていないのだ。最初に叶が見たバヤンカラの地下洞窟。大仙陵古墳の地下遺跡。そして、出雲大社のご神体――

 それらがどれも同じ文字で、しかも何かを意匠化した表意文字、いわゆる『聖刻文字ヒエログリフ』であることは分かるのだが、それは既に解読されたエジプトのものとも異なるし、正直言って今まで見たこともない文字なのだ。


「おや……皆さんはこの文字をご存知ありませんでしたか!?」


 広美が、今さらなことを言ってくる。いや――確かに何が書いてあるか、今まで聞いたことはなかったが、こんな文字をそもそも一般人が知っていると思っていた彼女の非常識を大いにツッコみたいところだ。


「――しょうがありませんね……そこからですか」


 なんだかすごく上から目線だが仕方ない。ここはひとまず下手したてに出て、実を取ることにする。


「これは日本の古代文字、俗に『神代じんだい文字』と呼ばれるものです。他にも『カタカムナ文字』あるいは『ヲシテ文字』などと言う方も民間にはいるようですが、まぁ何と呼んでいただいても構いません」

「神代文字……」


 日本の文字だったとは――

 それはつまり、今の平仮名やカタカナが生まれる前の、土着の文字ということなのだろうか……


 それにしても……と叶はあらためてその神代文字を観察する。それは文字というか、なんだか幾何学的な模様のようにも見えた。たとえばそれは「〇」の中に「+」が組み合わさったモノとか、「Π」とか「Γ」が重ね合わされたモノとか、もちろん「/」や、はたまた星座のマークのような不可思議な曲線で構成されたモノとか、とにかくどのように発音するのかさえ分からない、謎の意匠だったのである。しかも、パッと見同じような文字はほとんど見当たらない。つまり、こうした謎の文字が数十種類、あるいは百種以上羅列されているのだ。


「――古代日本には、そもそも文字がなかったと認識しているんだけど……」

「それは大きな間違いです。古代の我が国では、天津神あまつかみ国津神くにつかみの戦いがあったことをお忘れですか?」


 広美はきっぱりと言い切った。天津神と国津神の戦い――それは、ありていに言えば現朝廷を統べる天皇家と、もともとこの国を統治していた大国主命が統べる原日本国との勢力争いだ。幸いその抗争は平和裡に集結し、大国主命が『現世うつしよ』から身を引いて、その代わりに『幽世かくりよ』を統べる王になったというのは先日教わった通りだ。


「――確かに天津神はヌシさまを丁重に幽世に奉りました。しかし、その後の現世はあくまで天津神――すなわちご皇室の統治する世界……国津神の著した歴史は一旦清算しなければなりませんでした」


 それは、もしかして『焚書』があったということなのか――

 得てして歴史の勝者は、自らの正統性を過剰に人々に示すため、敗者の歴史を葬り去ってしまうものだ。その典型例が『焚書』。滅ぼされた王朝の記した歴史は、大抵『偽史』として貶められ、この世から抹殺されてしまう。


「――そこで、ある時期から国津神の文字は使わなくなったのです。天津神の時代になっても、密かに国津神を支持する勢力は一定数いましたから、それらの不満分子に統治の詳細を悟られて裏をかかれぬよう、天津神はしばらく別の言語を使うことにしたのです。それが殷字であり、平仮名でありカタカナです」

「殷字……? それはいったい……平仮名やカタカナの元は漢字ではないのですか!?」

「おや、それもお忘れでしたか!? 殷字とはすなわち、漢字の元となった文字のことです。今から2千年前に中国で記された『契丹古伝』曰く“漢字以前の文字を天字といい、天字以前を卜字、卜字というのは殷字であり、殷は元これ倭国”とされています」


 当然だが「倭国」とは日本の古名だ。古代中国の史書・文献に出てくる「倭」の文字は、すべて日本のことを指している。


「――え? じゃあ漢字というのは元々日本の文字なんですか?」

「そうは言ってません……漢字の元となったのが殷字であることは間違いありませんが、途中からそれを発展させて大成させたのはあくまで当時の漢人たちです」

「ということは……もしかして日本人は、中国人よりも早く文字を発明していたのか!?」

「まぁ、そういうことになりますね。中国だけでなく、遠く南米や、南太平洋の島々に残る遺跡にも、この神代文字は残されています。これは当時の日本が、少なくともこの地球上の半分の地域に大きな影響を及ぼしていたことを意味します」


 そんなことはこれっぽっちも知らなかった。これもいわゆる“勝者による歴史の書き換え”ということなのか――


「――で、でも、肝心の日本にその文字が残っていないというのは――」

「ふぅ……何を言っているのです。神代文字は、今でも日本国内のあちこちに残っていますよ? たとえばこれは、熊本県にある『日宮弊立ひのみやへいたて神宮』のご神体『日文ひふみ石板』に刻まれた文字です」


 広美は大きな溜息をつきながら、作戦室のモニターに自分の端末画像を転送した。そこには、まさしく神代文字が石に刻み付けられていた。


「――なんと書かれているのです?」

「ひふみよいむなやこともちろら ねしきるゆいつわぬそを はたくめかうおえに さりへてのますあせゑほけれ――」

「……えっと……」


 もはや日本語ですらない。みなが目をぱちくりさせていると、広美がおもむろに口を開く。


真麻まおらん――これは糸の原料のことです――を採取し、それから取った――これは細い糸のことです――を紡ぎ、衣料を整え、強い兵士を大量に育成せよ。さすれば戦いを挑んでくる悪い部族どもは彼方に退散する。神さまがくださった広大な田畑を心してしっかり耕作せよ――」

「……へ、へぇー……」


 まぁ、ほとんどの者が理解しかねているようだった。


「要するにこれは、神に仕える領民たちに、外敵に備えて軍備を整えよと檄を飛ばしているものです。これが神の言葉として、今から1万5千年前に記されて現在に残っています。ちなみにこれと同じものが、奈良や大分でも見つかっています」

「ちゃんと残っているんだ……」

「確認できただけで、全国で800か所ほどにこうした神代文字が刻まれた岩絵や石板があります。つまり――当時の日本社会を構成する共通文字だったわけです」


 目の前の石板に刻まれた文字が、古代日本語を記した神代文字であるということはなんとか理解できた。ならば――


「で……ここには何と書かれているのです?」


 叶は、アイシャの腹部から剥落したとされる石板をしっかりと見据えた。

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