第442話 伝言

「――い、今だッ!! 撤収ぅッ!!」


 マットたち特殊舟艇隊員SWCCたちは、脱兎のごとく駆け出していた。この地獄のような戦場で、絶対制空権を保持していた地獄の天使が、突如として目の前に墜落してきたのだ。逃げるなら、今しかない。

 SWCCたちのうち3人が、それぞれ民間人を肩に担ぐ。その他の隊員たちはその周囲で壁を作るようにして、元いた位置目掛けて全速力で走った。


「――ありゃいったいどういうことだッ!?」

「分かりませんッ! 中国兵が撃ち落としたんでしょうか!?」


 一目散に走りながら、マットたちは今見た光景を反芻する。だが、さっぱりだった。あの天使を撃ち落としただと――!? どうやって――!?


 ほどなく、マットたちが先ほど遺棄したライフルが瓦礫の向こうに見えてきた。ザザザァーッとスライディングするように次々そこに飛び込んでいくと、兵士たちは馴染みの獲物を再び手に取る。


「ふぅぅっ! やっぱりこれがないと心細いってもんだ」


 民間人たちを地面に寝かせ、自分たちは素早くその周囲に低い姿勢で展開する。その時だった。

 背後に中国兵たちの気配を感じる。振り返ると、先ほどエンジェルが墜落した現場に、新手の中国兵たちが恐る恐るにじり寄っていくところだった。まだ完全に無力化できたとは思っていないらしく、一定の距離を開けたまま、円状に取り囲んでなかなか近寄ろうとしない。


 やはり先ほどの光線のような攻撃は、中国兵たちの仕業なのだろうか!? だとすると……

 マットの頭の中に、嫌な予感がもたげてくる。この感覚に襲われた時は、大抵負け戦だ。自分たちの力ではどうしようもない時の、あの無力感に満ちた嫌な感覚――


「マット、さっきの攻撃だが……」


 マンキューソが話しかけてくる。彼はチームの電脳担当として、さっきみたいにドローンを操作したり、周囲の索敵を担当する男だが、当然そっち方面の知識も潤沢だ。


「あぁ」

「あれは、もしかしたら日本軍の報告書にあった荷電粒子砲かもしれない」

「は? 荷電粒子砲!? そんな兵器、俺たちだって持っていないぞ?」

「あぁ、分かってる……だが、エンジェルの防御力は見たところ、自分の周囲に高温の防護膜を構築しているようだった。それを貫いたとなると――」

「待て、じゃあエンジェルに通常兵器が効かないってのは……」

「戦車の爆発反応装甲ERAと一緒さ。超高温のバリヤに触れると、銃弾や砲弾、果てはミサイルの弾頭までそれに反応して溶けるか誘爆する。だから本体に届かないんだよ。だが、もし荷電粒子砲だったら、対象の温度は関係ない……」

「それで……」

「――それに、中国軍の荷電粒子砲は、日本軍によると砲弾の供給源を断っただけで、砲そのものはまだ全部潰せていないと報告にあったじゃないか!?」


 確かにマンキューソの言う通りだった。この恐るべき中国軍の秘密兵器は、とてつもない電力を要する問題を、人間の生体エネルギーを用いることで解決したのだという。日本軍はその恐るべき砲弾――いや、生体カートリッジの供給工場を叩くことで、この兵器を一時的に封じていただけなのだ。恐らく中国軍の主力が集結しているこの戦域には、まだいくばくかのカートリッジが残っていたとしても何ら不思議ではない。

 その時だった。


 ガガガガガガッ――!!!

 ドドドドドッ――!!!


 突如として激しい銃撃音が湧き起こった。エンジェルを取り囲んでいた中国兵たちが、一斉に発砲を開始したのだ。


「――どうしたッ!?」

「今度は、例のキッズです!」

「なにッ!?」


 例の、灼眼の子供たちだろう。まったく、日本軍はこんなバケモノだらけの戦場で、よくも今まで戦ってこれたものだ。

 眼前には、おぞましい光景が瞬く間に広がっていった。子供たちは、報告書にあったとおりまるで虫かトカゲのような恰好でカサカサと素早く這い廻り、中国兵たちに襲い掛かる。それはあたかも、ヒナを攻撃された親鳥が、必死で外敵に攻撃を仕掛けているようであった。だが、この場合の親鳥はあのエンジェルで、子供たちはまさにその親を守る小さな親衛隊だ。


 それに対し、中国兵たちは持っている携帯火器で必死に反撃している。最初マットたちは、子供たちの見た目に少しだけ怯んで声を失うが、すぐにそれがただの子供の姿をした悪魔であることを理解した。見る間に両者の間合いは詰められ、すぐに血で血を洗う大混戦が繰り広げられ始めたのだ。


 ガガガガッ――!!

 ダダン! ダダンッ!!


 中国兵たちは四方八方に乱射するが、灼眼の子供たちは一切怯まない。被弾すれば木っ端微塵に吹き飛ぶような脆い身体なのに、さっきから次々と中国兵たちに躍りかかっていく。そのうち一体の子供が、中国兵の頭に飛びついた。


「――ぎゃあァァッ!!」


兵士は見る間に白い蒸気に包まれる。あれはきっと、強酸性の粘液を吐いて中国兵を溶かそうとしているのだ。それを見た別の中国兵が、覆いかぶさった子供を銃の台尻で吹き飛ばした。

 だが、時すでに遅し――中国兵の上半身は、ほとんどボロボロになって内臓や骨が剥き出しになっていく。辛うじて残っていたと思われる声帯が、断末魔の悲鳴を上げていたのもほんの数秒だった。


 それは、まさに地獄の光景だった。そのうち中国兵たちはパニックに陥り、子供たちだけでなく傍にいた味方まで撃ち始める。もはや周囲が見えていないのだ。彼らが全滅するのは時間の問題だった。


 つまり――この戦場を勝ち抜くには、あのエンジェルと、それからエンジェルを守護するあの薄気味悪い子供たちを排除しつつ、中国兵たちを打ち負かさなければならないということか――

 それでようやくこの東京という街は勝者となれる。マットには、それがとてつもなく絶望的な勝利条件であるように思えた。

 その時、狙撃担当のエドモンドが声を上げる。


「おい、アレ……生きてんじゃないか!?」


 アレ、とはもちろんエンジェルのことであろう。ふと目を凝らすと、確かに彼女の四肢が僅かに動いているように見える。まぁ、冷静に考えれば、彼女が生きているからこそあの灼眼の子供たちがそれを守ろうとしているに違いないのだ。


「――どうする!?」

「……どうするって……」

「捕獲しないのか!?」


 いったいどうやったらそんなクレイジーな発想が出てくるのか、マットはチームのメンバーをあらためて見回す。どの顔も、強い意志を持ってマットを見つめ返してきた。


「――あぁっ! ったく! 分かったよ。俺は時々お前たちがクレイジーなんじゃないかって思うよ」

「そういうアンタもだろ?」


 エドモンドがマットの肩をポンと叩く。


「よし、今は武装していてもエンジェルの攻撃を受ける心配はないだろう。このままあのパニック会場に何気なく近づいて、エンジェルを回収する」

「キッズの目眩ましは俺の仕事だな」


 マンキューソが左腕に装着したコンソールを何やらポチポチといじる。すると、先ほどまで周辺を雲霞のように漂っていた超小型ドローンが空中のあちこちで結合し始めた。小鳥程度の大きさにまで合体すると、それは全部で10個ほどの小型ドローンにスケールアップした。


 ヴィンッ――

 それがまるで輪舞ロンドのようにクルクルと組み付いたり離れたりしながら、灼眼の子供たちのほうへ徐々に近づいていく。それまで中国兵たちを散々いたぶっていたキッズたちは、途端にその小鳥サイズドローンに意識を奪われた。灼眼の視線が上空に移動する。


「――今だッ!」


 マットたちは、再び先ほどの位置に駆け戻っていく。褐色の肌をしたエンジェルが、ほんの数メートル先に横たわっていた。だが――


「おい、あれ……」


 エンジェルの腹に、大きな亀裂が入っていた。それはつまり――彼女のちょうどお腹部分に胴当てのようにあてがわれていた何か石板のようなものが、真っ二つに割れていた、という意味だ。

 それは漆黒の石板で、何やら青く光る文字のようなものが刻まれている。だが、もっと問題だったのは、その割れた石板のその奥――つまり彼女の腹部から、大量の血液と体組織が溢れ出していたことだった。


「――もう彼女、死んでるんじゃないのか……?」


 じゃあさっきピクリと手脚が動いたのは、死亡時の生理反射だったというのか――


「どうします!? 生死問わず回収するか、それともこのまま置いていくか」


 もちろん、戦術的には彼女を回収するのが正解なのだろう。エンジェルに関しては、もともと日本軍に恭順の意思を示していたというではないか。それに、彼女に関してはいろいろと謎な部分が多すぎる。

 だが、見たところ息はないようだし、何より彼女のその姿があまりに痛々しくて、マットは正直逡巡していた。内臓のはみ出た少女の遺体を持って帰ることに、いったい何の意味があるのだろうか――


 マットはそっと彼女に近付いて、その黒光りする石板をスッと撫でた。すると、ヴンと文字部分の青光が光り輝く。


「――おっと……」


 思わず手を引っ込めたマットは、あらためてそれを観察する。よく見ると、その石板は彼女の身体に半分埋め込まれているように見えた。胴当てのように、お腹の上にあてがっていたわけではないのか……

 これは……どうなってるんだ……石が人間の身体と癒合しているなんて、見たことがない。マットはなぜか、その縦に真っ二つに割れた石板を、そっとつなぎ合わせてみる。途端――


「――う……ううん……」


 エンジェルが小さな呻き声を上げた。生きてる――!!


「おい、彼女生きてるぞ!? やっぱり連れて帰ろう」

「了解だ」


 兵士たちは、当初の予定通り彼女を抱きかかえ、半身を抱き起こす。そのままエドモンドの背中に乗せようとして……


「――ゥがあぁぁッ!!」

「えッ!?」


 突然暴れ出したエンジェルが、ゴロンと地面に転げ落ちた。次の瞬間、お腹の石板が周辺の皮膚ごとボロンと剥離する。突然、彼女の腹部から大量に出血した。やっぱり先ほどの光線で被弾したのは、この部分だったのか!?


 だが、何より深刻だったのは、暴れた彼女が再び中空に浮かび上がったことだ。ただし――

 その様相は今にも死にそうで、まさに満身創痍といった面持ちであった。


「――ま、待ってくれ! 俺たちと一緒に――」


 上空を見上げたマットが呼び掛けるが、話の途中でエンジェルは怒りを爆発させる。その身体の前面に、先ほどと同様に何かのエネルギー体を白熱させ――


「しまっ――」


 ――だが、それだけだった。あの高熱火球は途中で生成を止め、エンジェルは沈黙する。マットは彼女に射すくめられたかのようにその場で硬直し、その青い瞳をじっと見つめ返した。


「マット! ヤバいぞ!! 早く離脱しよう」

「マットッ!!」


 一瞬のち、メンバーの怒鳴り声で我に返ったマットは、周囲をキョロキョロと見回すと、半分逃げ腰になった隊員たちを見つけ、慌てて後を追う。だが――


 コツン――

 マットの爪先に当たったのは、先ほど彼女の腹から剥離した石板だった。ハッとした様子でそれを拾い上げると、ようやくマットは全力で走り出す。だが、何かが気になった様子で何度か後方を振り返った。


 エンジェルは、その間に再び空高く浮かび上がっていた。

ただし、先ほどのようにそれは戦場全体を威圧するような雰囲気ではなく、どちらかというとその場から逃げ出そうとしているように見えた。


 マットは、先ほど自分の心に直接突き刺さってきたエンジェルの言葉を、頭の中で復唱する。


  ***


「――で、これがその遺留品というわけですか……」


 空母赤城の作戦室に出頭を命じられたマットは、長身の不健康そうな日本人から矢継ぎ早の質問を受けていた。


「はい。彼女のお腹に埋め込まれていたんです……というより、身体の一部になっていました」

「元尚、これはいったい……」

「間違いなく、幽世かくりよの出雲大社にあった大国主命オオクニヌシノミコトのご神体だよ」

「ご神体!? なぜそんなものが……」


 四ノ宮東子は、派遣部隊が向こうの世界からこちらに戻ってくる時の詳細を承知していないのだ。もちろん概略は報告を受けているが、詳細部分はこうやってその都度事情聴取して紐解くしかない。何せその場にいて無事に生還したのは、ここにいる叶しかいないのだ。

 いや、もう一人いた。宮内庁の咲田広美だ。ただし彼女は、本来のルートで戻ったから、現在は九州の太宰府からこちらへ向けて物理的に移動中なのだ。

 こんなことになるのなら、彼女の力で少しずつでも戻ってくるんだったという後悔は、意図的に誰も口にしない。


「――ちょうど転移の瞬間、ウズメさまが投げ込んでくれたんだよ。このご神体は、次元移動のいわば触媒になるんだ」

「で、それをあの辟邪が自分の身体に埋め込んでいたと――」

「全部じゃない。見ての通り欠片の一部だ」

「……ううむ……」


 では、残りの欠片はどこに行ったのだ……四ノ宮は、当たり前の疑問を頭に浮かべる。


「あの――」


 マットが口を開いた。下士官である彼は、本来訊かれたことに答えるしか発言権がない。だが、この長身の男は思ったより気さくだった。


「なんだい?」

「……は……こんなことを言うのも変なんですが……」

「構わん」


 女性将校が、ぴしゃりと言い放つ。これほどのクールビューティーを、マットは久々に見たような気がした。


「は、はい……彼女が離脱直前、自分に話しかけたような気がしたのです」

「話しかけた? 何と言ったのだ?」

「はい、話しかけてきたというか、直接頭の中に呼び掛けてきたというか……」

「申してみよ」


 長身の少佐も、コクリと頷いた。マットは意を決して発言する。


「――欠片を……探して……彼女は確かにそう言ったと思います」

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