第441話 フォーリンエンジェル
マット・エヴァンス上等兵曹の物語を書き始めると、恐らくそれだけで一冊の本が書けてしまう。だからここでは書かないのが正解だ。
だが、最低限のディティールくらいは紹介しておかないと、なぜ彼のような歴戦の勇士がこんな極東の地で、自らの国のためでなく、わざわざ日本のために地獄に足を踏み入れたのかが理解できないだろう。
だからかいつまんで必要最低限のことだけ触れておく。
まず、エヴァンスは生粋の米国人だ。他の米軍兵士と同様に、星条旗に忠誠を誓っているし、その責務を果たすために厳しい選抜試験をくぐり抜け、SEALs隊員になった男だ。
そう――彼はもともとSEALsの一員なのだ。つまりは、兵士の中の兵士、泣く子も黙る特殊部隊員だ。だが、今回の日本行きにあたり、彼はその資格を一旦返上してまでわざわざ
理由は単純だった。彼が『日本本土防衛のための義勇兵募集』の噂を聞きつけた時、求められていた兵種がそれだったからである。
なぜSBTだけが募集されていたのかは実に説明しづらいのだが、端的に言えば“政治の問題”だ。
日本が軍事的に独立して久しい。同盟国とは言え、日本軍の指揮下に入らない外国軍を今さら受け入れるわけにはいかなかったのだろう。ましてや国土防衛戦争だ。仮に米軍の介入のお陰で侵略軍――つまり中国軍だ――を退けたとなると、戦後の日米の力関係に繊細なハレーションを起こす恐れもあった。
新世界秩序の中で、絶妙なバランスによって保たれていた強大国同士の秩序がこれをきっかけに崩壊し、また21世紀前半のように強大国同士が世界各地で角逐を始めてしまうかもしれない。多くの政治家たちが、その辺を懸念したであろうことは想像に難くない。
だからもちろん、正規軍が公にこの戦争に軍事介入するという外交オプションは最初からなかったし、そうかといって歴史的な同盟国だった日本の窮地を黙ってみているというのも寝覚めの悪い話だった。
そんな時、とある政府高官が密かに音頭を取って始めたのが“日本に義勇兵を送ろう”というキャンペーンだったのである。
もちろんここでいう義勇兵とは、誰でもいいという訳にはいかない。勝手に押しかけてホスト国に迷惑をかけては本末転倒であるから、兵士として一騎当千であり、武器弾薬や装備一式すべて自己完結していて、そして自らの軍務を隠密裡に遂行できる者――が求められたのである。そうなると、条件を満たすのは自ずと「特殊部隊員」ということになった。
だが、それがSEALsとなると途端に話は複雑になった。この部隊はあくまで米海軍の虎の子だ。未だかつて、彼らが外国軍の指揮下に入ったことはないのだ。つまり隊員を、そのままSEALsとして義勇軍に参加させるわけにはいかなかったのだ。今度は米政府の都合がネックになったわけだ。
本来ならここで終わる話だ。だが、そうはならなかった。よほどの政治力がバックにいたのだろう。日本へ特殊部隊員の義勇兵を送るキャンペーンは、潰えることなく継続されたのだ。
そこで誰かが知恵を絞ったのが、SEALsの支援部隊であるSBTを送るというプランだったらしい。彼らはSEALsとほぼ同等の能力を持っているし、自己完結能力の点でもズバ抜けている。
結果的に、もともと3チームしかいなかったはずのSBTが、今回は16チームにもなって日本に送り込まれたというわけだ。
しかも、このSBTには元SEALs隊員の他に、グリーンベレーやフォースリコン出身者もいるらしい。そんな恐るべき精鋭たちのことを「義勇兵」と呼ぶのもなんだかおかしな話なのだが、とにかく米国が表向き関与していない以上、今後もこの名前で通すことにする。
いずれにせよ、そんな事情の中でエヴァンスは、あくまで今回
さて、次に触れておくとしたら、彼が大の親日家だということだ。
まぁ今回のアメリカ人義勇兵たちが、程度の差こそあれみな親日家であるのは言うまでもない。なにせ自らの意志でわざわざ日本にまで来て命を懸けているのだから。
だからここでは、彼がなぜ親日家なのかということだけ軽く触れておく。
そのきっかけは、彼の祖父の代にまで遡る。
当時沖縄に海兵隊員として駐留していたクリストファー・エヴァンス二等軍曹は、21世紀初頭に起こった世界最大規模の恐ろしい大地震『東日本大震災』の際に行われた一大救難活動『トモダチ作戦』に従軍したのだという。
マットは小さい頃から、その時の祖父の体験談を聞いて育ったのである。2万人以上の日本人が、高さ数十メートルもの恐ろしい津波で一瞬にして亡くなったこと。その後の捜索救難活動で、祖父自身、多くの日本人を救助したこと。引き続く復興支援活動で、昼夜を分かたず支援物資の配送に励んだこと――
そして一番感銘を受けたのが、その時多くの日本人が祖父クリスに心からの感謝を示したという話だった。当時からアメリカは超大国で、米軍は世界中に展開していたが、兵士たちが現地国の一般市民からこれほどの感謝を受けたことはなかったのだという。
祖父によると、日本人は常に誠実だった。そして、どこかの発展途上国のように、投下した支援物資を先を争って奪い合うようなことは一切なく、その貴重な物資を避難所の大人たちが子供や老人など、弱い人々に率先して配り歩いている姿ばかり見たのだそうだ。
瓦礫の山と化した街を歩いている時も、兵士たちはいつだって手を振られ、握手を求められた。それどころか、駆け付けた米軍兵士たちを気遣い、泥で汚れた顔や手足をタオルで拭ってくれようとしたのだという。
そんなことをされた米軍兵士たちがどれだけ自分のことを誇りに思い、この人たちに尽くそうと思ったか、想像できるかい!?
祖父はマットにそう言って笑いかけた。それは最悪の事態だったが、同時に自分の軍隊生活の中で一番使命感に燃え、輝いた日々だった――祖父はいつも同じ言葉でこの稀有な体験談を締めくくったものだ。
マットは祖父のこの話を聞くのが大好きだった。何度だって繰り返し話をせがんだし、祖父もこの話だけは嬉しそうに語ってくれた。
だって、なんだかとてつもなく心を揺り動かされたから。自分もそんな風に人に感謝される仕事をしてみたい――
だからマットが兵士になった理由は、この祖父の体験談が大きな影響を及ぼしている。そして当然ながら、日本という国にとてつもなく興味を持った。いや――もしかしたらとっくにこの国と恋に落ちていたのかもしれない。
ただ残念ながら、マットが軍に入った頃は、もうとっくにアメリカは日本から撤退していた。だから祖父クリスのように、日本に駐留することは敵わなかったのだ。
だからといって、日本はヨーロッパのように簡単に旅行に行けるような場所でもなかった。この国はずっと長い間中国と戦争をしていて、観光目的で外国人が訪れるほど情勢が安定していなかったのだ。
マットが日本に肩入れする、もうひとつの理由も簡単に触れておこう。それは、2062年に発生した月面基地での『ドロイド兵反乱事件』だ。
この時壊滅的被害を被ったUSブロックに、ビルディング・スペシャリストとして常駐していたマットの父、ライアンを救助してくれた人たちこそ、日本の航空宇宙軍だったのだ。
詳しい説明は省くが、他のどの国も見捨てた米国基地の隊員たちを、最後まで諦めずに果敢に救出に向かってくれた彼らのことを、当時6歳だったマットはよく覚えている。日本の兵士のアイカメラを通して、バンデンバーグ宇宙軍基地の中央管制室モニターに父の無事な姿を見つけたマットは、嬉しさのあまり画面に噛り付いて泣き出してしまったほどだ。
つまり日本は、マットの父の命の恩人でもあるのだ。祖父の話にはじまり、父の奇跡の生還――
彼にとって、だから日本は特別な国なのだ。
そういうわけで、今回の義勇兵参戦は、マットにとってごく自然なことだった。いつか行きたいと思っていた大好きな日本に行ける、またとないチャンス。
もちろん、物見遊山で志願したわけじゃない。今こそ、祖父が経験したのと同じように、自分にも日本人のために何かできるんじゃないかと思ったのだ。
そして当然、父が受けた恩義に報いる最高の機会だ。今の自分にはそのための、十分な能力がある――
***
「――上等兵曹、前方に例の
チームのメンバー、マンキューソが小声で注意を促す。日本軍からは、とにかく奴に遭ったら武器を置けと言われているのを思い出した。
「オーケーベイビー、まだこっちを向くなよ……全員、ライフルを地面に置け。そーっとだ……」
誰かがゴクリと唾を呑み込むのが聞こえた。ここに来るまでに、チームはいくつもの黒焦げ現場を目撃している。それはまるで、間違って溶鉱炉から溶けた鉄をこぼしたみたいな有様だった。それをみんな、あの空に浮かぶ少女がやったというのが、やはり信じられない。
「ヘイマット! 2時の方向に中国軍だ……どうする……?」
「チッ……やり過ごせるか?」
「……どうかな……」
マンキューソが最新の
そういえば、彼らの周囲を虫のような極少サイズのドローンが無数に飛んでいる。
「――あぁ……民間人がすぐ傍に隠れてるぞ……大人二人に……子供? 家族かもしれない……奴らに見つかったらおしまいだ」
「クソ……このまま接近して近接戦闘用意……」
「
マットたちは、瓦礫伝いに中国兵たちへ近付いていく。上空には例の
ガシャリ――
突然民間人が、足許のガラスを踏みしめてしまって大きな音を立てる。それに気づいた中国兵たちは、何やら大声を上げながら周囲を乱暴にかき分け始めた。
案の定、民間人はあっけなく見つかってしまった。「XXXXXXッ!!」何やら中国語でまくしたてた奴らは、家族を乱暴に引っ立て、その場に立たせる。その時だった。
えも言われぬ殺意が、周辺一帯を覆う。まさか――!?
マットたちが上空を見上げると、先ほどのエンジェルが憤怒の表情で中国兵たちを見下ろしていた。見つかった――!
次の瞬間、その褐色の少女はギンッ――と青白い瞳を煌めかせる。
ガガガガガガッ――!!!
間髪入れず、中国兵たちが一斉に発砲を開始した。
「あぁッ!! マズい――」
聞いていた通り、その火箭はまったくと言っていいほどエンジェルには何の損害も与えられていないようだった。無数の銃弾が、彼女の周囲で次々とジュッと音を立てて溶けていく――
それどころか、その胸の辺りには、次第に何か白熱した球体が形成されつつあるようだった。
「――あの家族を連れて、ここから退避だッ!」
次の瞬間、チームはまるで最初からそうするつもりだったかのように、家族に駆け寄る者、目の前の中国兵を制圧する者に分かれ、それぞれ数秒でそれを実行した。マットたちの突然の登場に驚く家族――そして中国兵たち。
もっともマットたちに気付いた数人の中国兵は、声を上げる暇もなく喉を切り裂かれ、絶命した。その様子を不幸にも目撃してしまった家族は、あまりのことに声も出せない。ラグビーの突進のように乱暴に組み付かれた家族3人は、そのままSWCCたちの肩に担ぎ上げられてその場を離れる。刹那――
マットたちの背後が急激に明るくなった。
咄嗟に銀紙のような耐熱シートを全員が被る。数秒間だけなら、数千度の熱にも耐えられるはずだ。
カァッ――
辺りを、それこそ数千度の大火球が襲った。猛烈な熱気に、その場にいた全員が「自分は焼け死んだ」と思ったくらいだ。
だが生きていた。日本軍に教えられた通り、その火の玉が膨れ上がった瞬間は息を止めた。熱せられた空気で肺が焼け焦げるからだ。
シートの中でチームが蒸し焼きになっていたのは、実時間としてはほんの数秒だったのだろう。だが、体感としては永遠とも思える時間だった。家族がパニックになりかけたのを必死で誰かが抑えつけ、口許にウエスのようなものを被せているのが目に入った。
その直後――体感温度が下がったのを冷静に把握したマットは、ガバと跳ね起きる。
「――全員、走れッ!!」
精鋭隊員たちは、躊躇うことなくシートをはねのけると、脱兎のごとく駆け出した。周囲は想像通り火の海――というより溶鉱炉の中のようだった。軍用ブーツの底が恐ろしく熱い。足許が妙にグニョグニョするのは、恐らく靴底が溶け始めているせいだ。
ビィィィィ――――ン!!!!
真っ赤に燃え上がった空を切り裂いて、白い光条が刺し貫かれたのはその時だ。
えッ――!?
今のは曳光弾か!? いや……違う――
マットたちが困惑した瞬間、目の前にドサッと何かが落ちてきた。
――――!!
それは、先ほどまで上空に君臨していた、あの
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