第439話 SWCC
十数人の子供たちと幾人かの母親たち、そして萌香たち保育士を守りながらなんとか最初の川岸近くまで逃れてきた田浦たちの分隊は、もう少しというところで再び辟邪を上空に視認してしまった。
今や辟邪は日中両軍問わず、そして敵対姿勢の如何を問わず、武装している者たちを無差別に攻撃する極めて危険な存在なのだ。アレに狙われたらひとたまりもない――
「ぶ……武器を……降ろせ……その場で地面に放り投げるんだ……」
田浦は辟邪に焼き尽くされるリスクを考慮し、兵士たちに武器を置くよう命じる。
「そ――そんなッ!? 無理ですよ軍曹ッ!! 中国の奴ら、滅茶苦茶撃って来てますしッ!」
「そんなことは分かってるッ! だが駄目だッ!!」
「駄目って……奴らまだ辟邪に気付いてないんですかねッ!? だったら位置関係から言ってアイツらの方が先にやられるんじゃ――」
「あぁ! その直後に俺たちも黒焦げになるがな!!」
「くッ――」
兵士たちは、名残惜しそうに最後の一連射を放つと、その場にライフルを放り投げた。
「走るぞッ!! みんなもだッ!!」
田浦が号令した瞬間、気持ちを切り替えた兵士たちは一斉に回れ右すると、子供たちや母親、保育士たちを庇うようにして全力で川岸に向かい走り出した。
「――クソっ! なんてこったッ!!」
兵士たちは毒づきながら、それでも必死で遁走する。それを見た中国兵たちは、日本兵たちをついに追い詰めたと思ったのか、大きな喚声を上げると勝ち誇ったように追いかけてくる。やはりまだ、背後の辟邪に気付いていないようだった。銃弾の雨が田浦たちの後方から降り注ぐ。
プィン――ピィンッ――
ドッ――
バシュ――
いくつもの銃弾が、走る田浦たちの耳元を掠める。そのうち兵士の一人がもんどりうって突っ伏したが、ギリッと歯を食いしばってすかさず立ち上がった。
なにせ敵に背を向けて走っているのだ。おまけに民間人を庇いながらだから、ロクに被弾回避行動も取れない。兵士たちが撃たれるのは時間の問題だった。
案の定別の兵士が、何かを背中からぶつけられたかのようにふらついた。田浦も、右大腿部に突然焼け火箸を突き刺されたかのような激痛を感じる。だが、すぐにその感覚は消えた。今ほど痛覚遮断処置を感謝したことはない。
「きゃあァァッ!! 田浦さんッ!?」
「だっ――ダイジョウブだッ!! みんな走れッ!!!」
一瞬バランスを崩した田浦を見て、萌香が大粒の涙を流しながら悲鳴を上げる。だが、兵士たちは誰一人諦めない。他の兵士たちも何度も躓いて転げるが、そのたびにすぐ立ち上がって、あくまで子供たちや母親、萌香たちをガードしながら一歩でも先に進もうとする。
子供たちもそんな兵士たちの姿を見て、泣き言も言わずに必死で走った。
自分たちは、ホントは痛覚遮断してるから痛くないんだ――萌香を安心させるためにそう言おうとしたが、田浦は自分の声が殆ど出なくなっていることに気付く。あぁそうか……痛みはないが、どうやら出血のせいで身体機能が著しく低下し始めたらしい。防爆スーツの中で、心臓にエピネフリンが自動的に打ち込まれていくのが分かる。
やがて、1人2人と兵士たちが足を止め、その場にうずくまっていく。見ればどいつもこいつも、既に4、5発は軽く喰らっているようだった。走れなくなったのは、銃撃のせいで脚の骨が折れたり、その他身体機能が著しく損傷して物理的に動けなくなったせいだ。諦めたわけじゃない。
そんな兵士たちの異常に気が付いた萌香が振り返って足を止めた。
「たっ……田浦さんッ!! みなさんッ!?」
「行けッ!! とにかく走れッ!! 川に向かえッ!!」
田浦は絶叫した。その時だけは、不思議と声が出た。
追跡してくる中国兵たちの背後に浮かぶ辟邪は、まだこちらに気が付いていないようだった。しきりに別の方向を攻撃している。
クソっ――こんなことなら、もう少しだけ武装したまま後退すべきだったか――!?
田浦は少しだけ自分の判断を後悔するが、それを口に出したら部下たちに申し訳ない。既に6人全員が、多数の銃弾を受けて瀕死の状態だった。だが、どの顔も妙に晴れやかだ。それを見た田浦もまた、妙に納得してしまう。
そうか――結局のところ、俺たちは自分の“死”に意味を持たせたかったのだ。
もちろん、日本国を救う、戦争に勝利するという大義には大きな意味がある。自分たち兵士はそのための駒であり、戦争遂行のための歯車のひとつだ。しかも俺たち特殊部隊員は、自らがその駒のひとつに過ぎないなどと自虐するほど落ちぶれてはいない。その小さな駒、歯車がなければ大きな山は動かないし、自分たちがそのための歯車であることにちゃんと誇りを抱いている。
だが、それはそれとして、今目の前にいるこのか弱き存在――生物の本能として守るべきと思えるこの子らを、今この瞬間自分が盾になって守っているのだという強烈な実感もまた、兵士たちの自尊心を大いに掻き立ててくれるのだ。
自分が兵士になった意味――血涙を流して特殊部隊員になり、地獄の最前線に立った意味は、今この瞬間この子らの命を守るためだったのだと――
そして、自分の命がそのための代価なのだとすれば、十分におつりがくるほど納得できるじゃないか――
「いけッ! 走るんだッ!!」
「後ろを振り返るなッ!」
「川沿いに河口に向かえッ! 友軍がいるからッ!!」
兵士たちは、最後の気力を振り絞って口々に萌香たちに叫ぶ。その声を背中に受けた萌香や子供たち、母親たちは、一様に涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、なんとか川岸の方へ逃れようとするが、同時に誰もが後ろ髪を引かれてどうしてもその足は鈍る。
萌香が堪えきれずにもう一度後ろを振り返ると、勇敢な兵士たちは既にさっきの場所に立ち止まり、向こう側を向いていて、迫りくる中国軍の前に大きく両手を広げて立ちはだかっていた。
萌香たちに銃弾が飛んでいかないよう、生身の身体を晒して遮蔽物になろうとしていたのだ――
「田浦さぁんッ――!!!」
萌香が涙声で絶叫すると、ほんの少しだけ田浦が振り返ってくれたような気がした。刹那――
ヴゥゥゥゥゥゥゥン――!!
ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――ン!!!
耳をつんざく重機関砲の嵐が、田浦たちの方へ猛烈な曳光弾と共に吸い込まれていった。猛烈な白煙が彼らの姿を掻き消す。あぁッ――
――――!?
あれ――? 萌香は僅かな違和感を覚える。
今……どっちから撃ち込まれた……?
次の瞬間、射線上にいたはずの田浦たちが、そのまま同じ場所に立ち尽くしているのを萌香は確かに見た。斃れてない――!?
すると、田浦たち6人の兵士も、辺りをキョロキョロし始めたではないか! 生きてる――!!
何だか分からないが、萌香は確かに田浦がまだ生きて動いているのを確認し、いてもたってもいられなくて彼の方へ弾けるように駆け出していた。
その直後、向こう側から迫っていた中国兵たちの異変に気が付く。あれほど勝ち誇ったように押し寄せていたはずの連中が、忽然と消えた――!?
何がどうなってるの!?
すると、その田浦たちが我に返ったように萌香たちの方を向いて、手の平を必死で下に向け、地面へ押し付けるようなジェスチャーを繰り返しているではないか!?
えっ!? 伏せろってこと?? 萌香たちは、慌てて地面に這いつくばる。直後――
ヴゥゥゥゥゥゥン――!!
ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥぅン――!!!
ガガガガガッ!!!
バキャベキガギャゴギュッ――!!!!
先ほどと同じ圧倒的な火箭が、確かに萌香たちの後方から頭上を通り抜け、さらにその先の田浦たちの頭上を飛び越えて、中国軍部隊の方へ雨あられと突き刺さっていった。それはまさに、そこにあるあらゆるものの存在を許さない、圧倒的で徹底的で壊滅的な暴風。
萌香がその暴風源を見ようと川岸の方を振り返ったのは、極めて自然なことだった。そこにいたのは――
ほとんど黒色に近い濃いOD色の小型ボートに乗った一団。
ただし、ボートとはいってもその上には、装甲板を備えた機関砲のような武装がいくつも据え付けられていて、舷側には十数人の兵士が鋭く銃を構えている。まるでハリネズミのように刺々しく、死神の乗り物のように禍々しい、圧倒的な存在感。
そのうえ、そのボートに掲げられていたのは、星条旗だった――
***
『
観測員の報告が、作戦室に響き渡る。
「よしッ……頼むぞ」「なんとか突破口を開いてくれッ!」「兵たちも思わぬ援軍に驚いてるんじゃないか!?」
幕僚たちが思い思いに口を開く。だが、先ほどとは明らかに異なり、誰もが僅かな希望の色をその顔に滲ませていた。
「――四ノ宮くん、これはあくまで非公式の作戦だ。だが、心から感謝する……」
「いえ、感謝するなら直接こちらの方に――」
そう言って四ノ宮が視線を向けた先にいたのは、長身痩躯の白人男性だった。普通のスーツを着ているから、軍人ではないのだろうということはすぐに察しが付いた。その白人男性は、坂本の襟元に付いた四つ星に気が付くと、右手をサッと差し出してくる。
「――初めまして、ヨナハンと申します」
むかし在フランス日本大使館に武官として駐在経験のある坂本も、淀みなくその手を握り返した。
「幕僚長の坂本です。このたびは、御国の精鋭部隊をお借りできましたこと、あらためて深く感謝いたします」
「いえ、これは我が国なりのご恩返しなのです。私自身、日本の皆さんには、私の命より大切な家族――メリッサ、アビゲイル、そしてイザイアを救ってもらいました。参加している兵士たちも、みな自分から志願した義勇兵です」
「ほぅ……」
坂本は、彼にどんな個人的背景があるのか承知していない。四ノ宮がすかさず補足する。
「ミスターヨナハンは、先般の上海陥落時に我が軍が現地からたまたま救出できた米国人のうちのお一人です。幸い、ご家族も全員救出できました」
「あぁ――そうだったんですか」
「えぇ……あの時日本軍のヘリが来てくれなければ、私も家族も中国軍に殺されていたでしょう。それにあの時、現地にいた多くのユダヤ人同胞たちも、日本軍は国籍問わず救ってくれた。だから日本には感謝しかありません。そしてこの日本の空母も、その時上海沖合に駆け付けてくれた救世主の方舟だった……今こうして再び日本の軍艦に乗艦出来たのも、まさに運命です」
そう――彼こそがあの時、第605偵察分隊の樋口たちが命懸けで救助したヨナハンファミリーのご主人、ジェイコブ・ヨナハンその人であった。
「――で、今回ミスターヨナハンは、ご自身の
謎の中国軍による日本本土侵攻のニュースは、当然ながら大きな衝撃を伴って世界中を駆け巡っていた。そしてその戦いが途轍もなく困難であり、日本が極めて厳しい状況に置かれていることも、国際社会は十分認識していた。
だが、だからといってその戦争を仲裁したり軍事介入しようという外国勢力もまた、皆無だった。
日米安保条約はとっくの昔に失効していたし、世界には既に「それぞれの勢力圏の揉め事はそれぞれの地域覇権を握る超大国が自分で始末をつける」という暗黙のルールがあったからである。
裏を返せばそれは、他の覇権国の勢力圏には手を出さない――という新世界安保秩序が機能していたことも意味している。もしこれを破って他地域の覇権国が他所の地域に介入してしまうと、世界大戦に陥る危険性があったためだ。
だが、ジェイコブたちのように心から日本に恩義を感じていた人々は、そういった新世界秩序とは別に、このたびの日本の危機にあたり、何とか力添えできないかと手を尽くしていたのである。
特にユダヤ人たち――彼らは、遥か数千年の昔から、受けた恩義には必ず報いることで民族の尊厳を守ってきた人々である。
だから今回も、どんな手段を使ったのかは知らないが、恐らくは想像を絶する世界的なネットワークと資金力、そして信念の力で、今でも世界最強を自負する米国軍の、さらにはその最精鋭部隊の一部をこの極東の島国に送り込んできたのだ。友軍として――
その際に日本側窓口となったのが、樋口たちが所属していたオメガ特戦群であったことは言うまでもない。四ノ宮があらためて口を開く。
「――しかし正直言って驚きました。あのSBT/SWCCが我が国に送り込まれてくるとは……水陸機動団が発足当時模範とした部隊です。これ以上頼りになる援軍は考えられません」
あの四ノ宮が絶賛するとは――
坂本はあらためて、この世界最強の水上特殊部隊に思いを馳せた。
アメリカ海軍
それは、あのアメリカ海軍の最強特殊部隊として有名な『SEALs』に所属する舟艇部隊のことだ。そしてSWCCとは、そのSBTに所属する精鋭隊員たちのことである――
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