第416話 選択肢
「――結婚、妊娠、出産。クリスマスプレゼントで自分が妹になる。南国の花火の下で恋人気分……本当にそんな夢を見ているというのか!?」
四ノ宮は、当惑した様子で叶に問いかける。
「厳密には“夢”ではないよ東子ちゃん。これはあくまでも、彼女たちが実際に見ていると思われるビジョンだ」
「それと夢のどこが違うのだ!? 実際彼女たちはこうやってここで眠っているではないか!? 睡眠中の脳の働きによって出現するビジョンは、一般的に“夢”と呼んで差し支えないはずだ」
叶は小さくかぶりを振って四ノ宮の発言を否定した。
「――まず、彼女たちは寝ているわけではない。肉体の機能としては限りなく“死”に近い状態だ。というより、医学的には既に死んでいると言った方がいい。現在はただ単に、彼女たちの前頭葉の一部に僅かな電気信号が認められているに過ぎないんだよ。しかも、不随意筋の活動さえ止まっているこの状態でそういう現象が起きていること自体、既に医学の常識を逸脱しているんだ」
「――くッ……」
叶の冷徹な指摘に、四ノ宮は思わず息を詰まらせる。
「第二に、先ほどのビジョンは、あくまで彼女たちの脳波を解析して組み立て直したものだ。そこには論理的に考えて“夢”ではない証拠が多数認められる」
「夢ではない証拠――!? どういうことだ」
「そもそも“夢”とは、その人の個人的経験に基づいて、睡眠中に脳が情報を整理する際に発生する残像のようなもの――と考えられている。つまり夢とは本来、自分の実体験以上のビジョン化は出来ないんだよ」
「実体験……?」
「そう、ただしそれは“疑似体験”でも構わない。本で読んだり、映画のようなフィクションを視聴したりすることも、ある種の“体験”として人間は自分の脳に取り込んでいく。中には、そんなもの見たことない――と思っていることが夢の中に現れることもあるが、大抵の場合、それは自覚症状がないままに視界の片隅に捉えていた情報だったりする」
「つまり……今彼女たちが見ている“夢”には、本人が経験した実体験以上の情報が含まれている、と言いたいのだな!?」
「そういうことだ」
横須賀市南部にあるオメガ特殊作戦群司令部。その隣接地にある軍病院の機密区画。
異世界からの帰還以来、そこで昏睡状態に陥ったままの6人のオメガと、そのチームリーダーである
特戦群にとってかけがえのない人材である彼らは、『
現在は、そんな彼らを何とかして蘇生させるべく、唯一反応が認められる前頭葉の電気信号を解析して、彼女たちの脳活動を再現することが試みられていた。だが――
解析結果は驚くべきものだった。
彼女たちの脳活動は、まるで“夢”を見ているかのような結果を示したのである。ただしその解釈について、現在叶の見解は四ノ宮の理解を超えている。
「最初は私も、これらは単なる彼女たちの“夢”だと思った。あまりにもありふれた内容だったからね」
「というと?」
「――まずはくるみちゃんだ。彼女が見ているビジョンは、まさに石動君との幸福な新婚生活だ。妊娠中だった彼女は、夫である石動君の献身もあって無事に出産に漕ぎつける」
「まさに、夢のようなストーリーではないか。好きな男との結婚生活を夢見る少女なんて、よくあるシチュエーションだろ!?」
「まぁそうだね……現実の彼女は、家庭内性暴力という不幸な過去を背負っていたから、人一倍幸福な家庭生活を夢見ていた可能性がある。このビジョンは、そうした願望がもたらした“夢”である可能性を否定できない」
「ふむ……」
「続いてキノちゃんだ。彼女の場合は、あろうことか石動君の実の妹になるというビジョンだ。彼女の生い立ちは知ってたっけ?」
「いや――」
それから叶は、亜紀乃が「ホムンクルス計画」に基づいたクローン体であることをかいつまんで説明した。
「――驚いた……そんなことが……」
「あぁ……だから彼女が石動君の妹になりたがった理由は、いくらでも心当たりがある。生物学的血縁がこの世に存在しないキノちゃんは、新しい“家族”を手に入れたかったのだ……つまり、これも願望だね――」
「ではやはり……二人の見ているビジョンは単なる“夢”に過ぎないのではないか!?」
「――問題はここからだ。久遠ちゃんのビジョンには、彼女の知り得ない情報が含まれている……森崎大尉の水陸機動旅団大隊長就任だ」
「それは……偶然なのでは?」
「あり得ない。森崎大尉は確かに近い将来ドロイド兵初の大隊長になる予定なんだが、その情報は久遠ちゃんの経験値にはもちろん入っていない。この人事は今のところ極秘事項で、彼女が知り得る立場にないのは当然として、今のところ森崎本人すら知らない話だ」
「じゃ……じゃあ、久遠は近い将来実現する“正夢”を見ていると――!?」
「……正夢……正夢か――確かに言い得て妙だね」
叶は、何かを思案するように呟いた。
「――昔から人々の間で当たり前のように語られてきた“正夢”……それは、実際に起きる未来を予言するかのように見る夢だと言われている。だが、単なる“夢”で本当に未来のことが分かると!?」
「どういう意味だ?」
「その通りの意味だよ。正夢とは“夢”じゃなくて、異なる世界線あるいは時間軸に迷い込んだ際の“実体験”だとしたら!?」
「そんな馬鹿な――」
「『幽世』という、実際に存在する別の世界を既に経験した我々は、それを一切否定できない。並行世界は、もはや実在する現実なんだ」
「だとしても、夢で別の次元に移動するなど――」
「何度も言うが、次元移動は別におかしな現象じゃない。条件さえ整えば、誰だって
「じゃあ……久遠の意識は今、本当に別の世界線にいるというのか……!?」
「まずはそう仮定してみよう……という話だ。そしてその場合、久遠ちゃんと同様の肉体的症状を呈している他のオメガたちも、やはり別の世界線にいると仮定するほうが自然だ……」
ゴクリ――と四ノ宮は唾を呑み込んだ。
「そして、彼女たちの願望のような“夢”は、それぞれ異なる世界線での実体験かもしれない、という前提に立つと、今度は恐るべき事実が判明する」
「どういうことだ!?」
「時系列が一致しないのだよ」
――――!!
要するに、くるみの見ているイメージでは、彼女と石動が結婚していて子供まで産まれていた。いっぽう亜紀乃のイメージの中では、くるみは結婚などしておらず、その代わり亜紀乃が新しい家族になっていた。久遠に至っては、くるみや亜紀乃を差し置いて石動と恋人関係になっている。
石動士郎がとんだゲス野郎でない限り、彼女たちの世界線はすべてバラバラ――すなわち、別の世界の出来事なのだ。
「――まさか……全員別々の世界線に散らばっているのか!?」
「そう考えるのが一番合理的だ。しかも、それらはすべて今より“
それはただ単に見えていないだけで――普段は感じることができないだけで、常にすぐ傍に実在している。
世界線は、我々が何かを選択するたびに分岐して、さらに無数の世界線に分かれていく。我々は、そのレールのどれかに乗っているに過ぎない。
“夢”とは、時たま見える車窓の風景なのだ――
「……信じられん……いや、信じたくない……正直、そんな状態にある彼女たちを、この世界に全員連れ戻せる自信がない……」
「……同感だ……」
「貴様の仮説が、間違っている可能性は……!?」
「もちろんあるさ……仮説とは常にそういうものだ」
その時、彼女たちの脳波解析を行っていた量子スパコンがピッ――と反応した。
「お……ゆずちゃんの解析結果も出てきたよ」
そう言うと、叶はおもむろに
その映像の隅に時たまテキストが表示されるのは、彼女の言語野に伝達された電気信号を一定のアルゴリズムで解析し、文章として可視化したものだ。断片的だが、彼女のイメージの中でどんな会話が交わされたのかを類推することができる。
叶はそれらの結果をしばらく見つめると、四ノ宮の方を振り向いた。隣で見ていた四ノ宮にも、なんとなく楪の見ていた“夢”の内容が読み取れる。
「――どうやら結論は出たようだね……彼女の場合は、自分が知らなかったことを知る、いわゆる秘密の暴露が発生している」
「この……昔石動と出逢っていたという話か?」
「うむ――こんな話、私も知らなかった」
「私もだ――」
「……つまり、彼女がこの秘密を、我々のような周囲の人間から聞かされていた可能性は、万に一つもなかったということだ。これは、彼女が今脳内で見ている世界が、こことはまったく異なる第三者世界であることを物語っている……すなわち、これは“夢”ではないどこかの現実、ということだ」
「だが……このことがもし事実だったのだとすれば、楪の失われた記憶が何らかの影響で蘇ったという可能性もあるんじゃないか?」
「もちろんその可能性もなくはないが……それにしたって『手書きの日記帳』とか『石動君とのツーショット写真』とか、ビジョンの中の物証が具体的過ぎる。仮に以前出逢ったことがあるという記憶が蘇ったのだとしても、なればこそこんな回りくどいストーリーを思い描かないはずだ。誰のものかも分からない日記帳のくだりなどはすっ飛ばして、若かりし頃の石動君に出会うところから話が始まるはずだろ?」
叶の話は至極もっともだった。だとするとやはり、楪の見ているビジョンは、どこかの世界線で実際に彼女が経験している光景そのものと受け止めた方が自然なのだろうか。
「――さて、これらのことから、現在オメガたちは無数に分岐したさまざまな世界線のどこかを彷徨っていると仮定しよう」
「うむ……」
「彼女たちを僕らの存在する世界にサルベージするには、どこかの世界線を公式な未来として決定し、その唯一の世界線に皆を集めてくるしかないと思う」
「まぁ……その方法論はともかく、言いたいことは分かる」
「この時必要な要素は何だと思う?」
必要なものは何だと言われても……四ノ宮は皆目見当がつかない。首を傾げるばかりだ。
「――質問を変えよう。彼女たちのビジョンに共通しているファクターは何だい?」
――!
それは明らかだ。
「それはもちろん……石動だ」
「そのとおり! 彼女たちが見ているさまざまな可能性の中で、唯一の変数は石動君の存在だ」
それについては、叶に言われるまでもない。石動士郎が誰と未来を歩むのかによって、それが実際に実現するかどうかが確定する。はッ――
「そ……そうか! つまり、その未来が公式なものになるかどうかは……石動の選択次第――」
「そういうことだね。彼女たちのビジョンを形作る一方の当事者である石動君が、その物語を本当のことだと観測して初めて、その未来は確定する。これは、量子力学の基本中の基本だ。つまり、このあとの段取りとしては、石動君が誰の世界線と一緒にいるのかを確認する必要がある。そしたらそれが公式になるから、あとはその世界線に残りのオメガたちを引き寄せればいい。そうやって全員が同じ世界線に揃ったところで、一気に僕らが今いる世界『
「――い……石動のビジョンの解析結果はッ!?」
四ノ宮は思わず前のめりになって叶に迫った。だが、その叶は肝心な時に景気の悪そうな表情を見せる。
「それが――」
「どうしたのだ!? 私は別に、あいつが誰とくっつこうが構わないぞ!?」
「いや、東子ちゃん……実はね……石動君のビジョンがまったく見えてこないんだ……」
「は――!?」
「石動君からは、何の信号も読み取れないのだよ。もうかれこれ一晩以上脳波データを解析にかけているんだが“ノーイメージ”というエラーメッセージが何度も出てくるんだ……」
「そんな……」
「もうひとつ、悪い情報がある……」
叶が申し訳なさそうな顔で四ノ宮の顔色を窺う。案の定、四ノ宮は叶を睨み返すが、これはとんだとばっちりだ。この件に関して、叶はひとつも悪くない。
「――実は……同じようにビジョンが見えないのが、かざりちゃんと
いったいどういうことだ!?
だって、脳波は動いているんだろう!? そのデータが解析できないというのは、いったい――
「――東子ちゃん、驚かないで聞いてくれ……石動君と未来ちゃんは、現在の地球上の言語・思考体系とはまったく異なる世界にいる可能性がある。でなければ、こんなことになるはずないんだ――」
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