第417話 二つの人類

 ハァッ……ハァッ……ハァッ……ハァッ……


 見慣れぬ光景が、士郎の頭の中を混乱させていた。

 眼前に広がっているのは、高低差のある赤茶けた大地。そのゴツゴツした岩肌に、深緑の巨大植物群が複雑に入り組む、謎の丘陵地帯。

 そんなまだら模様が延々と地平線の先まで続いていた。その異様な地形は、見ようによっては珊瑚の海底がそのまま地上に隆起したようにも見える。

 聞こえるのは自分の呼吸音と、そして大気を切り裂く風の音だけだ。


 時折、ムカデに似た胴体を持つ巨大なトンボのような飛翔生物が、バタバタと不快な翅音を立てながら目の前を通り過ぎていった。何匹も、何十匹も――

 それはまるで、何かから逃げ出していくようだった。巨大トンボの群れが、一斉に大地を見捨てていく――


 だが何より混乱したのは、なぜそんな光景を、自分はということだった。これじゃあまるで、空を飛んでいるみたいじゃないか。


 そう思ってふと足許を見た士郎は、驚きのあまり声を失う。

 当たり前のように、自分が空中に浮かんでいたからだ――

 

 ヒィッ――!?

 ハッハッハッ……ハァッ……ハァッ……ハァッ――


 驚いて乱れた呼吸を何とか元に戻そうと、士郎は状況把握に全力を挙げる。

 俺……生身で空を飛んでいるのか――!?


 いや――どうやら自分は何かのデバイスに搭乗していて、恐らく何らかの拡張現実機能により前後上下左右の全周がシームレスで見えるようになっているのだと思われた。

 そう――まるでF-38のパイロットが着用している、ヘッドマウントディスプレイシステムのように……


 だが、士郎の本当の違和感はその先にあった。その足許の先に広がる、光景だった。


 上空から見たそれは、まるで古代の合戦場のようだった。

 数えきれないほどの大軍勢が、キッチリと幾つもの方形を組んで一斉に同じ方向に進軍している。その迫力は半端なく、数千、数万の軍勢が一斉に大地を踏み締めるせいで、辺り一帯には濛々と土埃が舞う。


 いっぽうそれに対抗するもう一つの軍勢は、上空から見るとまったく異なる陣形を組み、方陣形と正対していた。

 それはまるで槍のように細く長く、そして先端は鋭く尖っている。そんなくさび状の、いや槍状の陣形が何本も、何十本も敵陣に向けられていて、やはり同じように一斉に突入を開始する。


 士郎はその両軍が真正面から激突するまさにその瞬間を、固唾を呑んで上空から見つめる。

 次の瞬間――


 幾つかの槍陣は方陣に突き刺さり、逆に幾つかの方陣は槍陣をへし折った。まさにがっぷり四つ。お互い譲らない二つの軍勢は、見る間にあちこちでぶつかり合い、大混戦となって方々で激しい戦いが始まった。

 その時だった。


<――やはり俺たちの出番のようだ! 全員、急降下爆撃用意――>


 不意に頭の中に声が響く。その瞬間、士郎の違和感は頂点に達した。


 日本語じゃない――!?


 それは、日本語どころか英語でも中国語でも、ましてやアラビア語でもなかった。およそ聞いたこともない言語なのだが、なぜだか士郎にはその意味がキチンと伝わってくるのだ。

 いや、もしかしたらそれは、もはや鼓膜を通じて聞こえていないのではないかと思われた。その声は頭の中に直接響いてきた。そう――まるで精神感応テレパスのように。


 すると、前方になにやら球形の、黄金に輝く飛行物体が目に入った。それはよく見ると単なる球形ではなく、曲面を基調としつついくつかの部分が意図的に突き出ている。

 最初球形に見えたのは、その物体そのものから放射される眩いばかりの光のせいだった。それがまるで小さな太陽のように、強烈に物体の輪郭をぼやかしていたのだ。

 これはいったい何だ――!?


 激しく困惑する士郎を尻目に、別の幾つもの小さな太陽が左右から士郎をヴィン――と抜き去っていった。

 それらはやがて集団――というか編隊を形成し、一旦直上遥か高空に舞い上がったかと思うと、そのままつるべ落としのように反転急降下を開始する。

 一瞬のち、編隊は塊のまま地上スレスレに近付くと、何かの閃光を放ってそのままギリギリで地面を躱し、すぐに反転再上昇を始めた。その流れは終始一貫あくまでも滑らかで、士郎の知っている航空機の動きではない。

 同時に、地上からは巨大なキノコ雲が立ち昇っていた。先ほど放った無数の光弾が、地上で爆発したに違いなかった。


<おい――お前何をしている!? 戦士ならば槍を向けよ!>


 また“声”が頭の中に響いてくる。自分に向けられたものだと直感ですぐに分かった。

 でもこれ、どうやって動かすんだ――!?


 士郎は自分が何かの飛行デバイスに乗っていることだけは分かるのだが、それをどうやって動かせばいいのか、さっきから皆目見当がつかないのだ。

 だって自分の周りには、操縦桿もスロットルも何かのタッチパネルも、およそインターフェースと思われるものがまったく見当たらないのだ。そうこうしている間にも、他の小さな“太陽”たちはヴィンヴィンと大空を自由自在に舞っている。

 くそッ――動けッ!!

 士郎は、やけくそで念ずる。あの編隊に追いつかなければ――!!


 すると次の瞬間、目の前の視界が急激にクルクルと高速回転し始めた。空が地面に、地面が空になる。刹那、目の前に黄金の球形飛行体が現れた。いや、彼らが現れたのではなく、こちらが彼らに追いついたのだ!

 そうか――これ、自分の思念で動くんだ!?


<よし――ならば続け! 殲滅だ!>


 士郎は“声”の導くまま後に続く。

 先ほどと同じように、地平線が丸く見えるほどの高空から、一気に地上まで逆落としで突っ込んでいく。ただし今回は、自分自身がその急降下爆撃のど真ん中にいる!

 周囲の視界がかすれて見えなくなるほどの高速。ただし、先ほどクルクル回転した時もそうだったが、なぜだか士郎は地球のGも遠心力も感じないのだ。ただそれはあるようにそこに見えていて、地面と自分との相対位置だけが急速に近づいていく。まるで、ゲーム画面を見ているような感覚――


 直後、地上の敵を完全に視界に捉えて、士郎は驚愕した。


 ヒトじゃ……ない……!?


 数千人の兵士で巨大な方陣形ファランクスを組んでいたのは、人類ホモ・サピエンスに似た、だった――!


 その何かが上空を振り仰ぐ。その瞬間、士郎は彼らと目が合ったような気がして、思わずギュッと固く目を瞑った。その表情が、驚愕と恐怖に歪んでいたように見えたからだ。

 だがその顔は次の瞬間、閃光と共にあっけなく蒸発する。士郎たちの放った光弾が、彼らの真上で大爆発を起こしたからだ。


 あれはいったい――!?


<――よくやった。あとは適宜上空を巡回。問題あれば対処せよ>


 次の瞬間――

 小さな太陽たちが、戦場の空全域に広がっていく。士郎もその一角を担い、恐らく“担当空域”と思われる一帯を比較的低速度で巡航し始めた。


 これは自分の意思で飛んでいるのではない。恐らく自動操縦オートパイロットだ。あるいは、もっと上位の存在が、編隊全体を制御しているのだろうか――

 きっとこのデバイスは、イレギュラーな挙動をする時のみ操縦者の思念を直接受けて動きを変えるのだろうと思った。それ以外は、何も考えなくても空に浮かんでいるようだ。


 士郎は改めて足許を覗き込む。地表面までの距離は驚くほど近い。

 そして地表には、先ほどチラリと目撃した、ヒトとは異なる軍勢が割拠していた。ただし、士郎たちの爆撃の成果なのか、大きくその数を減らしている。そこへ何の遠慮もなく突っ込んでいく槍隊形の集団は、士郎のよく知る“人間ホモ・サピエンス”たちだ。


 あぁ――!

 我々が戦っているのは、もう数十万年前に滅亡したとされる、現生人類ホモ・サピエンスではない別の人類だ。


 なぜなら彼らの顔貌は、その眼窩の上部分が大きく前方へ突起する特徴的な構造を示しており、その顎も異様なほど幅広いからだ。おまけにその体格は、どう見てもヒグマかゴリラのように逞しく、鋼のような筋肉に覆われているのが見て取れる。


 ネアンデルターレンシス――!!


 間違いない。彼らはかつてこの地上に君臨し、いつの頃か現生人類に駆逐されて姿を消した、我々とは違う別種の人類だ――


 では、今はいったい西暦何年だ!? いや、その単位は西暦では恐らく刻めない。何万年前? それとも何十万年前――!?

 ホモ・サピエンスとネアンデルターレンシスが、大戦争を繰り広げているなんて――


 その戦いは、体格も大きくて力も強いネアンデルターレンシス1人に、数名の――もしかしたら十数名のホモ・サピエンスが群がり、ようやく拮抗するありさまだ。

 例えばネアンデルターレンシスが腕を振り回すと、不運にもその丸太のような腕で跳ね飛ばされたホモ・サピエンスは、数メートル以上吹き飛ばされ、そのまま地面に叩きつけられて動かなくなる。

 いっぽうホモ・サピエンスの大半は武器を携えて鎧で身を固めており、上半身裸でそのいかつい身体を見せつけるネアンデルターレンシスを寄ってたかって袋叩きにする。槍で突き刺し、棍棒で殴る。


 そして士郎たちのチームは、明らかにホモ・サピエンス軍に属する集団だった。


<――なんで……なんで俺たちは彼らと戦っているんだッ!?>


 士郎の怒りは、腹の底から噴き上がって頭の中に反響した。クソッ――!! なんだこの戦いはッ――!?

 すると次の瞬間、まるでその気持ちに応えるかのように頭の中に誰かの思念が広がる。


<今さら怖じ気づいたか!? だが――これは運命なのだ……>


 ――――!?

 もしかして、自分の思考が相手に届いたのか――!? 俺は精神感応が使えるのか……!?

 士郎は試しにまた同じように頭の中に感情を叩きつける。


<運命とは何だ!? 我らは彼らと共存するべきだ! 同じ人類じゃないか――!?>


 その瞬間、空域全体にざわめきが広がったように感じた。

 実際には、誰も声など発していなかったのだろうが、恐らく士郎と同じように飛翔デバイスに乗っていた別の者たちが、士郎の思念を受け取って一斉に動揺したのだろう。

 それが伝わってしまうのが、精神感応なのだ。


<お前は何を言っているのだ!? 我々が、奴らと共存できるわけないではないか――>


 この声は、先ほどからずっと士郎に指示を下している誰かだ。もしかしたらこのチームの隊長的な存在なのかもしれない。


<――ホルス……お前はいつからそんなおかしな事を言うようになったのだ……>


 ホルス――!?

 それは、もしかして俺の名前なのか……!? 


 その時、初めて士郎は、自分が今いるこの世界が、今まで見たことも聞いたこともない時代と場所に存在するであろう、別次元の世界なのだと実感した。

 いや……そうではない。ここは間違いなく地球だ。それも直感として分かる。大きな違和感の理由は――


 恐らく「時間」が異なるのだ。

 ここは、遥か数十万年前の、太古の地球だ――


 なぜなら士郎は、眼下で激しい戦いを繰り広げる両軍の、無数の戦士たちのことを知っていたからだ。ホモ・サピエンスはもちろん、ネアンデルターレンシスさえ……彼らの骨格と体格は、博物データで良く知っている。そしてその悲劇的な運命も――

 だから、自分が恐らく次元の狭間に迷い込み、とんでもない時空に放り出されたのだということすら理解した。


 だが、自分は気が付いたらこの謎の飛翔デバイスに乗っていた。ふと首を傾げて、自分自身を見ようとする。鏡はないから自分の顔は見られないが、少なくとも視界に映る自分の腕と腹は、よく知る自分のそれではない。もっと浅黒く、毛深かった。


 もしかして、肉体ではなく意識だけ次元の狭間に迷い込んだのか――!?

 だとすると、自分は既に「石動いするぎ士郎」ですらないのか!? あぁ――“ホルス”だったな……


 だが、元の人格の意識と記憶が鮮明に残っているのは幸いだった。なぜこんなことになっているのか、客観的に観察できる。


<――ホルスよ、今一度問う。お前はアカーと戦えぬのか――!?>


 アカー!?

 もしかして、ネアンデルターレンシスのことか!? だったら――


<アカーと戦う意味が分からない……共存すればいいではないか!?>


 心の底から思念を頭に叩き込む。すると、どうやら伝わったようだった。


<――愚かな……我々がアカーと共存できないのは、周知の事実であろう!? 何を今さら……>

<なぜだ!? なぜ共存できない!?>


 “声”は少しだけたじろいで黙り込んだ。まるで「コイツはいったいどうしてしまったんだ!?」とでも言わんばかりに――

 そうだ……俺は、恐らく数十万年先の未来から、突然“ホルス”の肉体と精神を乗っ取った、21世紀後半の人間だからだ。この時代の理屈は、だから教えてもらわないと分からないんだよ――


<なぜって……この地球上では、二つの人類は共存できないからだ。人類の繁殖力は途轍もない――この星は、異なる人類を同時に養えるほど豊かではないのだ――分かるな? ホルスよ……勝者はどちらか一方だけなのだ……>


 あぁ――そうか……人類は、自らが生き延びるために、ライバルとなる別人類を滅ぼしたのだ。目の前の光景を見る限り、共存という選択肢は、どうやら最初からなかったようだ――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る