第415話 コンティニュー

 なんで……!?

 何で私と士郎きゅんが写ってるの――!?


 図書館の『手書きコーナー』に収蔵されていた大量の日記帳。

 そこでたまたま手に取った女子中学生の可愛らしい日記には、よくある学校でのいざこざと、そして両親の離婚に伴って家出したことが書かれていた。

 ただし、日記の後半はビックリするほどトーンが変わっていて、この女子中学生がただならぬ事態に巻き込まれていく様子がありありと書き連ねられていた。なんだか重い病気に罹っているとか何とか――

 しかも肝心なところでその日記は筆を折られていて、それ以上の具体的な内容も、そして彼女の結末もまったく分からない。

 どうしても続きが気になったゆずりはが、その日記帳をバサバサ揺すってしつこく手がかりを探したところ、偶然にも見つけた一枚の写真――


 信じがたいことにそこには、今よりずいぶんと見た目の若い、士郎と楪が写っていた。


 だから、楪が思わず「えぇーーーっ!?」と叫び声を上げてしまったのは、無理からぬことだった。図書館から追い出される時に、すかさず先ほどの写真をポケットに忍ばせた楪は、街路をとぼとぼ歩きながら、あらためてその写真を食い入るように見つめる。


 写真の中の二人は、一緒に写ろうとして撮ったというよりは、不意打ちで一瞬を切り取られたような感じだった。若々しい士郎の背中に、幼い楪がおんぶのように抱きついた瞬間、パシャリと激撮されたような、刹那の記憶――

 でも二人とも、雰囲気はなんだかとっても楽しそう……というより、初々しい――!?

 まるでお互い恋愛経験がなさそうな、10代のカップルそのものだった。


「――なんで……私……まったく記憶ないんだけど……」


 写真の中で不器用に笑う二人は、どう見ても自分と士郎きゅんだ。おかしいのは、写っている自分の髪型だ。今よりむしろ少し長くて、ちょっと背伸びして大人ぶろうとしているのがイタい。

 もしこれが本当に自分だったら、これは間違いなく第一級の黒歴史証拠写真だ。


 反対に、士郎きゅんは今よりずっと髪が長くて、何だかちょっとイケてる感じ。いや、モチロン今だって最高にイケてるんだけど、この写真の士郎きゅんはもっとこう――軍人になる前の『ビフォア士郎きゅん』って感じだ。


 でも、ホントにこれって私なの!? だって――ということは私と士郎きゅん、昔から知り合いだった――!?

 でも士郎きゅんは今まで何も言ってきたことないし、そもそも私にだってまったく記憶がない――

 てか、じゃあこの日記帳、私のってこと!? ウソぉ……私の性格から言って、日記なんて律義につけるわけがない。しかも、仮にこれが本当に私のだとしたら、今からほんの4、5年前に私は手書きで日記をつけていたことになる。

 まぁ……家出した後自分のIDが追跡されるのを恐れて手書きしたのなら分かるが、この日記はその半年以上前から自筆で書かれているのだ。この時代に!? 謎過ぎる……


 もっと心配なのは、この日記に少しだけ書かれていた『病気』のことだ。私、そんな重大な病気に罹った記憶ないんですけど――!?


「――よう、早いな!?」


 突然声を掛けてきたのは、他でもない士郎きゅんだった。え!? もう待ち合わせの時間……?


「……実は俺もちょっと早めに出てきたんだ……なんか気がはやったというか――」

「へぇー、そうなんだぁ!?」


 私は思わず胸が高鳴った。とか――要するに、私に逢いたくて待ちきれなかったってことでしょ!?

 そういうことを、臆面もなく口走るこの人は、天然なのか? それとも計算!?

 はー……私いつから士郎きゅんのこと、こんなに好きになってたんだろ……


「えと……そしたらさ……この際二人でちょっと顔出してみないか? その……例のアラブ料理屋へ」

「それって……」


 そう――それは、以前私と未来みくちゃん以外のオメガたちがお邪魔したという、例の渋谷のダイニングのことだ。みんなによると、不思議な料理がいっぱい出て来て、しかも意外にみな美味しかったらしい。

 士郎きゅんの親代わりの人たちが経営していて、みんなはその時、士郎きゅんのお父さんの話を聞いたのだという。

 今……連れてってくれるの――!?


「――行く! 行く行くっ!!」


 二つ返事だった。これって要は、士郎きゅんのに紹介してくれるってことじゃん!? しかも、前回のみんなと違って、今日は私一人だ。ドキドキが止まらない――


  ***


「――えっ!? あなた……」


 目的のアラブ料理屋『カリフ』の扉をくぐった途端、サルマと呼ばれたその女性は、私を見てギョッとしたような顔をした。


「……ねぇシロー、その子――」

「あぁ、前回連れてこられなかった子のうちのひとりで、うちの隊員なんだ。ゆず、自己紹介」

「あ……はい、えと――」

「知ってるわよ、ユズゥリでしょ!? 前よりずいぶん大人っぽくなったけど、相変わらずカワイイ子ね。てかシロー……いつの間に……」


 はい――!? ユズゥリって、もしかして私のこと!? 確かに外国人にはちょっと発音しにくい名前で、英語圏の人には結構ユズィーとかユズリーファとか適当に呼ばれることが多い。だとすると、これってアラブ読み? 士郎きゅんの義家族、シリア出身って聞いたことあるし――


 てかなぜこの人は、私のことを昔から知っているような口ぶりなのだ!?

 士郎きゅん……!?


「え!? サルマ、何でゆずのこと……? て……え……!?」

「あっきれた……あなたたち、お互いのこと忘れたままだったの? ていうか……これ、私……ちょっとまずかったかしら……私てっきり――」


 そう言うと、サルマさんは急に動揺したような顔をしてキョドキョドし始める。すると、店の奥から背の高い、浅黒い男性がひょいと顔を出した。


「――ようシロー! ……あっれぇー!? なんだ、ユズゥリまで!? ひっさしぶりネぇー!」

「えっ!?」

「ちょっ――兄さん! マズい――」

「えっ!?」

「えっ!?」


 どういうことぉ――――!?


  ***


「――俺たち、知り合いだったぁ!?」


 士郎きゅんは、素っ頓狂な声を上げて私の方をまじまじと見つめた。だが、それは私だって同じことだ。誰か、ちゃんと説明してよ!?

 まだ開店前の『カリフ』のホール内。ふかふかの絨毯が敷き詰められ、背の低いゴージャスなアラブ式ソファーにみんなで腰掛けて、チャイをすする。だが、味なんてまったく分からなかった。


「知り合いっていうか……ねぇ……?」


 サルマさんは、兄のサイードさんの顔を横目で見る。


「正しくは“知り合い”じゃないネ……二人はとってもステディだった……ユズゥリはシローの初めてのガールフレンドね」

「えぇ!?」「ウソ!?」


 サイードは嬉しそうに二人を交互に見つめる。当の本人たちは、これは何かのドッキリではないかとキョロキョロ周囲を見回すが、もちろんカメラは仕込まれていない。


「――でも、二人の記憶戻ってよかったネ……ワタシ、前から二人はお似合いだと思ってたヨ」

「それがね、この二人、実は全然記憶ないみたいなの……再会してたのは偶然らしいわ」

「えっ――!? そんな偶然あるはずが……あぁ、でもそうだとしたら、アッラーのお導きに違いないネ! 二人は再会すべくして再会したんだヨ」

「だからサイード、キチンと順序立てて説明してくれよ!? 俺さっぱり分かんないんだけど……」


 困り果てたような顔で、士郎きゅんが訴える。するとサイードさんは大袈裟に首を振って、肩を竦めてみせた。


「ふぅ……シロー、ユズゥリ……二人は5年前に出会ってるネ。というか、ユズゥリをここに連れてきたのはシローだヨ?」

「うそ……なんで?」

「なんで? って当時聞いたのはワタシのほうネ――そしたら、野良猫ストレイキャット拾ってきたみたいに、この子をしばらく住まわせてくれって」


 そう言って、サイードさんは私の方を見ると、キュッとウインクしてみせた。


「そうよ、ユズゥリは当時まだ12か13だったと思うけど、とにかく家には帰れないの一点張りで――だから私たちは、最初この子がシローに嫁入りに来たかと思ったの」

「アラブでは、女性が男性の家に行くということは、事実上の嫁入りを意味するからネ」

「それは誤解を招く言い方よサイード兄さん。正確には、男女が性交渉するには結婚してなきゃいけないってことで――」


 一体この人たちは何を言っているのだろうか!?

 それじゃあまるで、私が士郎きゅんとセックスしたいから家に上がり込んで結婚しようとした――みたいな文脈になってるじゃん!?

 よく分からないが、たぶんイスラム教の人たちの文化って、婚前交渉厳禁だったような――てか、今はそんなことを言ってるんじゃなくて……


「ま、まぁ前置きはさておき、ゆずはその後どうなったんだ!?」


 士郎きゅんが話を進めてくれる。彼と私の困惑は、そろそろ限界マックスだ。


「当然、ユズゥリはうちで預かったネ……この店の2階に、一ヶ月近く住んでたヨ」


 ――!?

 またもや爆弾発言だ。私がこの店に居候してた――!?


「シローはちょうど陸軍士官学校に合格して、春から入隊することになってた。だからスキャンダルを恐れたネ。未成年のユズゥリと同棲なんかしたら……だから彼女のことが心配だったシローは、代わりにワタシたちにお世話押し付けたネ」


 サイードさんが、半分冗談だと分かる感じで本当なのかウソなのか分からない軽薄な説明をする。


「――とはいえ、シローは毎日ここに来てたのよ。ユズゥリに逢うためにね……そのうち親しくなって、何度かデートにも出かけてたみたい」


 サルマさんが補足する。サイードさんの説明も、言い方はともかく殆ど事実のようだった。


「でも――」


 急にサルマさんが声色を変える。サイードさんも、軽く溜息を吐いた。


「――そんなある日、軍の人が来たのよ。病院から連絡があったってね……」


 それが――例の病気の話だということに、私は一瞬で気付いた。二人の“その後”について、核心を衝く話だ。


「……軍は、ユズゥリが重大な病気に罹っているから彼女を引き取ると言って押しかけてきたのよ。その前にシローが診察に付き添ってたから、きっとそこから住所がバレたのね」

「――あぁ……あの時は辛かったネ……二人とも、ココで引き離されたら二度と逢えないって予感がしてたんだろうネ……だから駆け落ちしたんだヨ」

「「駆け落ち――!?」」


 二人は同時に口走る。昨今なかなか聞かないワードだ。


「そうなの……だけどすぐ連れ戻されちゃって、最終的に軍は反抗的なユズゥリの記憶を消すことにして、彼女の処遇に不満を表明したシローにも同じ処置を施すことに決めたの。私たちは、ヨースケのことがあったから、特例でお咎めなしになったけどね」


 ヨースケとは、士郎きゅんのパパさんで、石動いするぎ洋介さんのことだ。パリ暴動でピュリッツアー賞を受賞した高名なジャーナリストで、その関係で政界や軍関係者にも大きな影響力を持っていたらしい。この頃は既に亡くなっていたはずだけど、きっと恩義を受けた人たちが手を回してくれたんだわ――


 話はここまでだった。

 結局その後私は軍に連行され、士郎きゅんは私に関する記憶を完全に失くしたらしい。サイードさんとサルマさんが知っているのはここまでで、その後の私の音信は一切不明。

 そんなことがあったから、最初サルマさんは私の顔を見てビックリしたわけだ。いっぽうサイードさんは、いつの日か私が再び現れると知っていたのだという。その根拠を聞いたら「アッラーのお導き」なのだそうだ。彼によると、愛する二人は必ず再会できるものらしい。


 その時ふと思い出して、先ほど図書館から密かに持ち出した、例の日記帳に挟まっていた写真をポケットから取り出してみる。

 それを見た二人は、あッ――と小声を上げた。


「――これ、私が撮った写真だわ」


 サルマさんが目を丸くして嬉しそうに笑った。サイードさんも横で朗らかに笑っている。


「二人があんまり初々しくて、いつだったか撮ってあげたのよ。この頃シローはいつもユズゥリのことばかり気にしていたわ」


 それを聞いた楪は、なんだかとっても幸せな気持ちになる。そうか……私が士郎きゅんを好きになったのは、そんなに昔からだったんだ。確かに写真の中で笑う私は、とっても幸せそうだった――ダサいけど――


 きっと「重大な病気」って、私がオメガ化したことと関係があるに違いない。でなければわざわざ軍が出てくることはなかったはずだし、オメガ案件自体、相当高度な軍事機密だ。記憶の操作という極端な処置を、当時若かった二人が施されたことにも説明が付く。

 そして、きっと研究所に収容された私は、すべての私物を没収されたのだ。だからあの大切な日記も恐らく実家に送り返されて、その後何らかの経緯で図書館に寄贈されてしまったのだろう。だとしたら――


 あぁそうか――私、知らないうちに生まれ変わってたんだ。いや――もちろん本当の意味での生まれ変わり、久遠ちゃんみたいなガチの「輪廻転生」って意味じゃないけれど……

 そう、それはまるで「ゆずりは」の花言葉のように――古い記憶は消えていて……そして今、二人の物語はふたたび、新たな鼓動を打ち始めたのだ――


 私は、隣に立つ士郎きゅんをそっと盗み見る。その横顔は相変わらず困惑を隠せない様子だけど、頬はほんのり赤く染まっていた。

 ねぇ士郎きゅん……幼かった私は、あなたとの大切な記憶をどうしても消されたくなくて、あんなに必死に日記を書いていたんだよ――


 でも……もう大丈夫。私はとっくに、あなたがいるこの世界で、日記の続きを書き始めているのだから。

 さぁ、恋の続きをしましょ――

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