第414話 ダイアリー

 ゆずりは――

 「楪」もしくは「譲葉」「交譲木」と表記。ユズリハ科ユズリハ属の常緑高木。背丈は10メートルほど。葉は20センチほどの長さの細身で、茎に螺旋状に付く。花は5月から6月頃に咲き、その形状はまるでブドウのような房状だが、小さくて可愛らしい。ただし食すると毒に当てられて腹を下すこともあるので注意。難燃性で防火樹としても知られている。

 春に若葉が出ると、それまで付いていた古い葉がそれに譲るように落葉することから、親が子に世代を譲り、代々家が栄えていく様を彷彿とさせるとして、古来より縁起物とされてきた。

 花言葉は「生まれ変わり」「若返り」「新生」など――


 へぇー……

 西野ゆずりはは、自分の名前の由来を始めて知って、ちょっとした感動を覚える。


 昼下がりの図書館――

 帰国……と言っていいのか、異世界から戻ってきて戦争を終えたオメガ特戦群の面々は、軍からご褒美の長期休暇を貰ったところである。

 帰省しようが旅行しようが何しようが自由――! と言われて、彼女が真っ先にやったことは、士郎とのデートの約束を取り付けることであった。


 何せ他のオメガたちは、以前原宿・渋谷界隈を士郎きゅんに連れられて思う存分楽しんだことがあるらしいのだ。まぁ自分はその時、右腕を吹き飛ばされて療養中だったからしょうがないのだけれど、それにしたってあまりにも羨ましいではないか!?

 もちろん士郎きゅんは「元気になったらちゃんと埋め合わせするからな」と言ってくれた。渋谷で仕入れたお見舞いの品を、持ってきてくれた時のことだ。

 でも結局、それ以来なんやかやと忙しかったり作戦が勃発したりして、なかなかその機会が巡ってこなくて……


 だから今回「遊びに連れてって!」と無邪気に頼んだら、士郎きゅんはあっさり応じてくれたのだ。もしかしたら、内心約束が果たせていなかったことを、気に病んでいてくれたのかもしれない。

 石動いするぎ士郎とは、そういう人である。いつだって律義で、誠実な人だ。


 にしても……いくら何でも早く着きすぎちゃったかも――!?


 約束の時間は今日の夕方だ。あまりにも楽しみ過ぎて、今日は朝からいつも以上に念入りなバスタイムを過ごし、目一杯オシャレして気合入りまくりで家を出たのだ。そんで待ち合わせ場所に着いて時間を見たらまだお昼過ぎ。約束の時間まであと4時間もある。

 しょうがないから、ゆっくりと時間が潰せる図書館にやってきたというわけだ。


 楪は、植物図鑑を書棚に戻す。

 普段図書館なんて来ないから何を読めばいいのか分からなくて、結局表紙が綺麗な本を手に取っただけだったのだが、意外に自分のルーツみたいな話が書いてあって面白かった。

 というか今の時代、こうやって「紙の本」を手に取るという体験自体、図書館にでも来なければ味わうことができない。他にも何か掘り出し物がないかどうか、楪は密かにわくわくしながら、ゆっくりとフロアを巡る。


 その時だった。

 ふと目に入ったコーナーの名称に、楪はいたく興味をそそられる。


 『手書きコーナー』――


 それって、まさに読んで字のごとく“手書き”の本ってこと!?

 今や書籍は全部電子化され、学校の授業もすべてタブレットにタッチペンで書きこむようになって久しい。現代の人々は、そもそも紙に文字を書き込むという習慣がなくなってしまったのだ。

 だから、この『手書き本』というのはとても貴重な知的財産だ。ある意味“文化財”とか“古文書”に近いと言ってもいいだろう。


 へぇ――

 楪は、怖いもの見たさについ足を踏み入れる。


 期待した通り、書棚にはさまざまな手書き資料が保管されていた。

 今から100年以上前の、有名な作家や漫画家の“直筆原稿”。歴史的建築物の手書きの設計図面。中には、どこかの学校のテストの答案用紙まで歴史的記録としてファイリングされている。


 〇とか×とか、全部手書きで採点されてる――!

 生徒の間違った答案に、丁寧に朱書きのコメントが追記されているものまで……先生と生徒の、当時の息遣いまで伝わってくるようであった。


 おもしろい――!

 そう思って、楪が次の書棚を指でなぞっていた時だった。


 『日記』――

 そこには、さまざまな装丁の日記帳がズラリと並んでいた。もちろん誰のものかは分からない。きっと名もなき市井しせいの人々のものなのだろう。

 ふと棚の注意書きを見ると、こんな風に書いてあった。


<この日記類は、ご遺族等、関係者の許可を得て蒐集・展示しているものです。プライバシー保護のため、一部の実名は黒塗りとなっています。>


 まぁ、確かにそうだよな……日記なんて、普通に考えたらプライベートの塊じゃないか。でも、その分内容は相当エグいか、赤裸々なものに違いない。もしかして、下手なゴシップニュースより面白いんじゃないだろうか。


 楪は、ドキドキしながら適当に一冊抜き出してみる。

 それは、何の変哲もない黒革張りの日記帳だった。ぱらりとめくると、途端に黒い文字がびっしり書き込まれている。しかも達筆過ぎて、ちょっと読むのに骨が折れそうだった。


 わわっ――これはナシ!


 慌てて書棚に戻した楪は、別の一冊を探す。

 今度はもっと、可愛らしい日記帳にしよう……そう、女の子っぽい奴だ。できれば中学生以上くらいのがいいな。だってそれより下の年齢だと、どうせ“朝起きてお昼ご飯食べて夕方友達と遊んで寝ました”みたいなのに決まってる。

 日記帳と言えば、やっぱり恋する少女の揺れ動く心の内を切なく書き留めたものに限る。

 だって、私がそういうタイプだもの――


 まぁ、最後の一言は若干「盛って」いる。だって、楪には「日記を書く習慣」などないからだ。多分その気になっても、きっと三日坊主に違いない。


 そうこうしていると、なんだかそれっぽい日記帳が目に入る。他より明らかに新しくて、ピンクがかった薄紫のカバー。それほど分厚くもないし、ペラペラでもない。程よい感じのボリューム感で、気軽に読むにはちょうどよさそうだった。

 これ、絶対女子中学生か、女子高生の奴だ――!

 楪の直感がそう告げていた。

 今度こそ、期待に胸を膨らませて冊子を書棚から抜き出してみる。パラっとめくると案の定――可愛らしい女子の筆跡が、程よい密度で紙面に踊っていた。


 これにしよう――楪は、そのまま近くのチェアに浅く腰掛けると、どこかの誰かのある日の記録を読み始める――


  ***


 15分後――

 楪は一旦顔を上げて大きく深呼吸した。日記帳の前半部分は、何の変哲もない日々の記録だった。


 春から中学生になったこと。この日記は、その機会に付け始めたこと。頑張って友だちをたくさん作り、中学校生活を楽しみたいこと。

 5月――気が付いたら友達が出来ていたこと。その友達と、初めて家族以外でショッピングに出かけたこと。

 7月――隣のクラスの子と友達が揉めたこと。そのせいで、ちょっとした緊張感が校内に漂っていること。期末試験が最悪だったこと。

 8月――クラスの仲のいいグループみんなで夏祭りに行ったこと。その時に、あまり親しくない男子から告白されてしまったこと――


 キターーー!!

 ついに告白イベントだ――と楪はページをめくる手に力が入る。コレコレ! これがないと、女子の日記帳は面白くない。だが――


 日記帳の内容は、徐々に雰囲気が変わっていった。


 9月――付き合うということがよく分からなくて、あの男子を振ったこと。そうしたら、クラスの女子からハブられ始めたこと。次第に孤立し、友達だった子も自分に話しかけてくれなくなったこと。

 10月――変な噂が立つようになったこと。男に媚を売る、誰とでもヤるビッチと陰口をたたかれるようになっていたこと。

 お父さんとお母さんが離婚したこと――


 楪は、なんとなくどこかで聞いたような話だなと思って、一旦読むのを止める。

 軽い気持ちで、誰かのコイバナを覗き見て一緒にドキドキするつもりだったのに、思いがけずヘビーな話になってきて、なんだか調子が狂ってしまった。


 あーあ……みんな一緒なんだなー……

 なぜなら、楪の両親も中学に入ってすぐ離婚したからだ。もともと超絶美少女だったから、同級生からのやっかみも昔から半端なかった。

 昔から私、同性から嫌われるタイプだったんだよねー。

 友達は、女子よりむしろ男子の方が多かった系。かといって、その男子たちも同級生はどの子も頼りなくてガキばっかだったし……


 あ……だから私、士郎きゅんみたいな頼りがいのある年上男性が好みなんだわ――と、猛烈に納得する。あー……士郎きゅんが、私の中学の先輩だったら良かったのに……そしたら私の中学時代も、もっとバラ色だったはず――


 楪は、とりとめもないことを考えながら、再度日記帳に視線を落とした。


 11月――いじめが陰湿化してきたこと。SNSに合成のエロ画像をばら撒かれ、あることないこと誹謗中傷を受けるようになったこと。離婚したママはいつも機嫌悪くて、一切相談に乗ってくれそうにないこと。

 12月――ネットの偽画像が原因で、街で痴漢に襲われそうになったこと。病院に行ったら、保護者に話があるから連れてくるように言われたこと。何とかママに相談しようとしたら、いつの間にか知らない男の人がパパの代わりに家にいたこと。

 家出したこと――


 もう――なにこの子……!?

 春から冬にかけて、ビックリするほど人生転がり落ちてるじゃない……

 ここまで劇的に天国から地獄まで突き落とされるとは――まさか図書館に、こんな生々しい記録が存在するなんて、想像すらしていなかった。先が気になる楪は、勢い込んでページをめくる。だが――


「――あれっ?」


 楪は、思わず声を上げてしまった。

 ちょうど真ん中くらいまで読み進めたその手書きの日記帳は、ある日を境に突然白紙になっていたのだ。そう――それは「家出した」と書いてあった日の、その翌日分からだった。


「シ――――ッ!!!」


 図書館スタッフが、もの凄い形相で口に指を当て、こちらを睨んでくる。


「……す……すいません……」


 ナイショ声で恐縮して謝ると、楪はあらためて帳面に目を落とした。パラパラと白紙のページをめくると、突如としてまたもや文字が目に入る。あった――


 なんだ……何ページか飛ばしてただけか――まったく……女子中学生の気まぐれか――

 なぜだかホッとして、楪はあらためて居ずまいを正す。それからゴクリと唾を呑み込んで、続きのページに目を落とした。すると――


 楪は、その手書き文字を震える思いでジッと見つめた。


<――たすけて>


 そこには、弱々しい文字でそう書いてあった。

 よく見るとその文字は、それまでのようにキチンと罫線に合わせて書けていなかった。しかも、文字の大きさは全部バラバラで、筆圧も強かったり弱かったり、文章によっては斜めに書き殴られているものまである。


<忘れたくない>

<絶対に思い出す>

<どうすればいいの?>


 いったい、少女に何があったのだろう――!?

 それが、尋常でないことは一目瞭然であった。すると、突然長文になっている部分があった。楪はキュっと胸が締め付けられるような思いを抱きながら、その部分を読み進める。


<――××くんを忘れないために、私はここに彼との思い出を書き記す。……>


 「××」の部分は、黒塗りになっていた。あの棚に書かれていた注意書きの通りだ。個人のプライバシーに関わる部分が消されているのは、致し方ない。


<……××くんは、家出した私がピンチになった時、助けてくれた人だ。一晩の宿と晩ご飯のために、知らないオッサンについていきそうになった時、呼び止めて私を引き留めてくれたのだ……>


 ――滅茶苦茶いい人じゃん……楪はちょっと感動する。女子中学生が、飢えた下衆野郎の毒牙に掛かるところを助けてくれたということなのだろう。


<……××くんはファミレスに私を連れて行ってくれて、それから家に帰そうとした。だけど私は帰りたくなかったから、××くんにワガママを言ったのだ。家に帰るなんて無理ゲーだ……>

<……××くんは高校卒業するところらしい。春からは大学に行くって……超エリートじゃん。エリートの××くんは、家に帰りたくない私のために、取り敢えず知り合いのやっているお店に連れて行ってくれた。渋谷では結構珍しいエスニック料理屋さんだ。そこには外国人だけど女の人もいて、××くんのお姉さんのような人だと言っていた。しばらくその店に居候になる。ドキドキ……>


 ――凄い! ××くんも凄いが、そのお店の人も偉い。こんな人に拾われて、ホントに良かった!


<……〇月×日、××病院から電話。すぐに来るように言われる。しょうがないから××くんにニセのお兄ちゃんになってもらって病院に行く……>

<……私の病気、結構ヤバいみたい。お医者さんからすぐに手術するよう言われるが、家出中の私にはどうすることもできない。××くんに再度家に帰るよう怒られるが、母親には頼りたくない。絶対に帰らない! ……>


 ――どんだけ意地っ張りなの!? そして、病気って何の!?

 楪は、もはやページをめくる手を止められない。とんでもない日記を手にしてしまった。この子、これからどうなっちゃうの……!?


 だが、日記はそこで止まっていた。今度こそ、それ以上何も書かれていなかった。

ウソでしょ――!?

 ここまで引っ張っておいて、結末がないなんて……!


 楪は、日記をひっくり返して、バサバサと冊子全体を振ってみる。何度も何度も指でこすって、それ以上何か書かれていないか、誤って二枚一緒にめくってないか、思いつく限り再点検する。だが、どうやってもそれ以上は、何も出てこなかった。


 あーあ……いいところだったのに――

 そう思って、その日記帳を頭の上に両手で持ち上げた、その瞬間だった。

 天井の照明に僅かに透けた表紙の中に、何か四角い影がある――!!


 えっ!? と思って楪は、その表紙の紙をそーっと剥がしてみる。図書館スタッフに見つからないよう、辺りをキョロキョロ見回しながら、どう見ても怪しい動きで――


 次の瞬間――

 楪はまたもやスタッフに怒られる羽目になった。そこに挟まっていたものが、信じられないものだったからだ――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る