第411話 南海の戦巫

 冬だというのに、空は輝く陽光によってどこまでも碧く高く突き抜けていた。これなら宇宙まで、真っ直ぐ飛んでいけそうだ。

 頬にそよぐ爽やかな風が心地よい。鼻腔をくすぐるのは、僅かに混じる潮の匂い。今は一年で一番過ごしやすい時期だ。視線を水平線に戻すと、どこまでも青い海原がキラキラと輝いていた。


「――准尉! 蒼流准尉!! こちらにおいででしたか」


 岬に繋がる小径には、陸軍第三迷彩戦闘服姿の兵卒が立っていた。内地では滅多にお目にかかれないレア柄だ。

 戦闘略帽の下から覗くショートカットの黒髪は、彼女のいかにも生真面目な性格を表しているようだった。その表情は、少しだけ焦っている。


「あぁ! すまない……今行く」


 久遠は大声で返事をすると、スタスタと自分の従卒の方へ歩いていった。もうすぐ演習の開始時間だ。監督官の久遠は、実戦経験の乏しい兵士たちをしっかりと導いてやらなければならない。


 ヒィィィィィ――ン

 しばらく歩いていると、前方の空き地で丸みを帯びた大きな機体が離陸を待っていた。垂直離着陸強襲降下艇<飛竜>だ。独特の微かな推進音は、むしろ久遠の心を落ち着かせる。

 かつて大切な仲間たちと何度も死線をくぐった時の、懐かしいBGMだ。


 飛竜は演習監督官を乗せると、そのままフィ――と軽やかに浮かび上がった。100フィートほど垂直上昇すると、おもむろに急角度でクィッと機体を反転させる。それから滑るように南の方角――海の方へ飛び去って行った。その先の洋上に見えるのは、無数の黒点。

 だが、それはよく見ると、上陸用舟艇の大船団だった。「状況開始――」の号令が掛かり次第、これが一斉に海岸線に殺到する手筈だ。


  ***


「――まったく、貴様らはいったいどうなっておるのだ!?」


 鎮守府内の作戦検討室には、第6軍に所属する第601水陸機動旅団の中で、第3強襲偵察大隊に所属する将校全員が集められていた。

 昼間の演習で、上陸予定地点の右翼を担当した部隊である。演習では『全滅』と判定された、唯一の部隊でもあった。


 そこに居並ぶのは、各小隊長を務める少尉、そして中隊を纏める中尉たちだ。

 その中尉少尉を先ほどからこっぴどくこき下ろしているのが、他でもない蒼流久遠准尉だった。ただし、彼女の所属はオメガ特殊作戦群。日本国の救世主として今や伝説となった、究極の超エリート部隊だ。そこで「准尉」を張る将校ともなれば、他の一般部隊に行けば最低でも「中尉」もしくは「大尉」待遇。

 実際、オメガ特戦群は他のどの部隊よりも激戦地に投入され、そして見事に勝ち抜いて結果を残してきた。もちろん戦果はピカイチだし、同時に兵員損耗率も飛び抜けて高い。戦死傷者率が高いというのは決して下手を打ったということではなく、それだけ厳しい戦場に一歩も怯むことなく、最期まで戦い抜いた証でもあった。

 しかも「准尉」というのは下士官から叩き上げの昇任階級だ。つまり、実戦で圧倒的な武功を立てた者だけが辿り着ける、究極の階級と言ってもいい。

 士官学校を出さえすれば自動的に任官する少尉とは、階級の重みがあまりにも違うのだ。


 だから、先ほどから何を言われても、彼らは一言も反論できずにいる。

 もっとも、監督官を務めるオメガ特戦群の准尉に、演習で全滅判定された部隊の将校が口答えしたなどと噂が立てば、恐らくソイツのキャリアはその瞬間に終わる。そんな無謀な将校は、いるはずもなかった。


 ちなみに、第3強襲偵察大隊には三つの中隊と、各中隊に所属する計30個の小隊がある。つまり――さっきから久遠に叱られているのは合計で33人の中尉少尉なのだが、彼らの首からは例外なく間抜けな演習札がぶら下がったままだ。演習結果に怒り狂った久遠が、そのままぶら下げておけと厳命したものだ。

 札の表示は半数が『溺死』、3割が『爆死』、残りが『被弾死』。

 つまり、最低でも半数が、そもそも海岸線に到達する前に海の藻屑と化したことになる。これでは、辛うじて上陸を果たした兵士たちが敵の圧倒的銃砲火に晒されるのは目に見えているし、したがって上陸地点を確保することなどできる筈もない。全滅するべくして全滅したということだ。


「――なぜ! そもそも海岸線に辿り着けないのだ!?」


 久遠は本気で教えて欲しいという顔で左右を見回す。だが、将校たちは俯いたままだ。誰も声を発する者はいない。


「あ! あぁーそうか! 貴様らもう死体だから、喋れるわけもないよな!? よぉーしよく分かった。死体は死体らしく、そのまま死体袋に放り込んで、波打ち際に棄ててこい!」


 すると、先ほどからジッと久遠の横で話を黙って聞いていた大隊長の大尉がガタンと立ち上がると、久遠のすぐ目の前に仁王立ちになった。キッ――と彼女の目を睨みつける。

 もしかして――蒼流准尉に反論するのか!? 自分の部隊をこれほどまでにこき下ろされれば、誰だって……


 一同が固唾を呑んだ瞬間だった。


「――死体袋を……持ってきなさい……」


 その瞬間、室内がざわっとする。将校たちは、情けない顔で自分の部隊長を見つめるしかない。すると、部屋の壁沿いに立っていた下士官のうち数人がテキパキと動き始めた。扉が開き、黒いビニール製の死体袋が次々に兵卒たちによって運び込まれる。


 その日の夜、演習場の波打ち際には33個の死体袋が放り投げられた。潮が満ちて間違って流されないよう、念のため数人の兵士が警戒に立つが、間抜けな将校たちはその日、夜が明けるまで砂浜に放置され、死ぬほど海水を浴びる羽目になった。


  ***


「――蒼流准尉!」

「おはようございますっ! 准尉」

「お疲れさまっす! 准尉殿!」


 翌朝――

 久遠が鎮守府の敷地内を歩いていると、兵士たちが次々に声をかけてきた。みな満面の笑みを浮かべ、憧れの眼差しをあからさまに向けてくる者も少なくない。


 オメガ特戦群から派遣されてきた蒼流准尉が、間抜けな将校どもにとびっきりの懲罰を食らわしたという噂は、瞬く間に第6軍の中に伝わっていた。

 それが何らかの問題になったのかといえばさにあらず。むしろ、多くの下士官兵からは喝采をもって受け止められたのである。


 理由は明快だった。馬鹿な将校のせいで、命を落とすのは常に下士官兵たちだからだ。

 先の戦争で多くの将兵を失った国防軍は、各地の部隊で士官学校を繰り上げ卒業した粗製乱造の将校たちを任官させていた。

 それはここ、台湾南部の高雄市に拠点を構える高雄鎮守府においても例外ではない。

 

 元々いたベテラン将校は、皆本土の激戦地に駆り出され、結果もといた部隊には多くの将校欠員が生じることとなった。そこで、その穴埋めのため新任少尉が大量に着任したのだが、当然ながらその質は呆れるほど低く、部下たちは内心日増しに懸念を深めていたところだったのだ。


 だが肝心の新任少尉たちには、まったくそんな危機感が見られなかったのだ。それは、将校として初めて現場の戦闘部隊を率いることとなった高揚感からくる、ある種の万能感――いや、慢心かもしれない。

 だからこそ、今回のような大演習が組まれたのだ。

 中国との大戦争は一応の決着をみたとはいえ、ここ東南アジアは常に政情不安定である。実際、南シナ海からソロモン諸島にかけては、海上武装勢力――いわゆる海賊たちが跋扈するようになり、時折商船も襲われるなど、不安定さが増していた。

 そうした情勢下において、彼ら新任少尉たちも何度か海上臨検などの小さな実戦を経験することになったのだが、所詮そんなものは単なる「海上警備行動」に過ぎない。

 現に、そういった現場における新任少尉たちは、いつも大抵お飾りだった。実際の臨検活動は下士官たちがテキパキとこなしたし、たとえ少々海賊たちが暴れたとしても、大抵は将校が指示する前に軍曹たちが取り押さえるなり射殺するなりして、重大事態にエスカレーションすることを防いでまわっていたのだ。


 だが、いつなんどき政変が起こるかもしれない沿岸諸国がひしめき合っているこのエリアでは、突如として本格的な戦闘が発生するかもしれないのだ。そうなった時、現場の将校たちには臨検活動とは比べ物にならないほどの判断力と戦闘センスが求められる。


 もちろん、そんな事態になったら矢面に立つのは高雄鎮守府の第6軍だし、最初に緊急展開するのはこの地域を管轄する第601水陸機動旅団なのだ。

 下士官兵たちが、出来の悪い素人将校のせいで無駄死にするかもしれないと恐れたのは当然だった。


 だからこそ、バリバリの実戦叩き上げである蒼流准尉のキツい一発に、第6軍の下士官兵たちが喝采したのだ。戦争は、遊びじゃない。お前のくだらない命令で、多数の兵士が命を落とすなんて、まっぴらだ――


「――蒼流准尉、参りました!」


 カチン――大隊長室の前で、久遠は流れるような小気味の良い敬礼をする。扉の前に立つ兵卒は、彼女の凛々しい顔立ちをうっとりと眺めた。


「――入れ」


 部屋の中から聞こえてきたのは、昨日の反省会で久遠の懲罰を聞き入れ、新任将校たちを死体袋に入れて海岸に放置した大尉の声だ。


 カチャ――

 扉を開けると、大尉は執務机から立ち上がった。


「――昨日は正直驚きました」

「はぁ……少しやり過ぎましたか? 森崎大尉?」

「いえ、あれくらいでちょうどよいのかもしれません。彼らには、兵たちの命を預かっているという覚悟が足りないのです」


 第3強襲偵察大隊の大隊長は、シリアルナンバーRD-9119、ドロイド将校の森崎一葉かずはだった。

 もちろん、久遠とは肩を並べて死線をくぐった仲である。戦後の配転で、今や日本の海兵隊とも呼ばれる、敵前上陸を主たる戦法とした即応部隊、水陸機動部隊のひとつを率いる大隊長に就任していた。


「――将校たちは?」

「今朝夜明けとともに回収し、浴場に放り込んできました。今は一人ひとり、演習報告書を書いております」

「そうか。一晩考える時間が十分あったんだ。さぞ筆もはかどっておるだろう」

「だといいんですが……」


 その瞬間、見つめ合っていた二人は、急にぷぷっと笑い始めた。


「――ひくっ! ひくっ!」

「くっ……くくくっ」

「あーっはははは!」

「ははははっ!」


 ひとしきり笑い合うと、二人で机の前のソファーに移動する。


「ねぇ久遠ちゃん、紅茶でいいかしら?」

「えぇ、恐れ入ります」


 ぽこぽこぽこ――電気ポットが徐々に沸騰し始める。鎮守府とはいえ、前線部隊の中堅幹部の部屋だから、それほど豪奢なティーセットがあるわけではない。森崎は、自席の後ろ側に造りつけられた小さな給湯棚からカップを二つ取り出して、自ら喫茶の準備をしていく。

 本来なら、扉の外に立つ従卒がやって然るべきなのだが、今は「不要」と伝えてある。気の置けない旧友との、積もる話を邪魔されたくなかったからだ。


「――みんなはどう?」

「はい、みんな元気です。まだのんびり休暇中の者もいますが、私はもうやることもなくて……一足先に軍務に復帰した次第です」


 ふぅん――という顔をしながら、森崎がテーブルにカップをカチャリと置いた。それから電気ポットのお湯を透明な紅茶ポットに移し替え、久遠の前に差し出す。お湯は途端に琥珀色に染まり、ゆっくりと茶葉がポットの中で舞い踊る。

 それをしばらく蒸らすと、ほどよいタイミングで久遠はそれを自分のカップに注いだ。セイロンのふくよかな香りが鼻腔をくすぐる。


「あら? 石動いするぎ大尉とはどうなっているのかしら?」


 ガチャン――とカップを取りこぼしそうになった久遠が、焦ったような顔でカップをテーブルに戻した。


「――ちょ……いきなり驚かさないでください」

「あら、別に驚かしたつもりはないわ……鬼教官の弱点を知っているだけで」


 久遠は耳まで熱くなる。だが、残念ながらソレに関しては、これといって森崎に話せるような進展もない。そのことが余計に悔しくて、ますます赤面してしまうのだ。気持ちを落ち着かせるため、久遠は紅茶を一口すすった。


「そう言えば――」


 気を利かせたのか、森崎が話題を変えてきた。


「――そう言えば、この街に護国神社があるのを知ってる?」

「え? 護国神社ですか!?」


 久遠は内心ホッとする。取り敢えず、士郎ネタ以外なら取り乱さなくて済みそうだ。


「もともと台湾には、20世紀初頭の最初の日本統治以来、結構な数の神社が建立されているのだけれど、今回の高雄鎮守府設置に伴って、周辺の古い神社が再整備されることになったのよ」

「へぇー、そうなんですね!?」

「えぇ――それで、せっかくだからそのうちの一つを護国神社にしようという話があって、話の内容的にも我々鎮守府が協力することになったわけ」

「……まぁ、護国神社ともなれば、その主祭神は亡くなった軍人やその土地出身の戦死者ということになりますからね」

「……で、このたびようやく内務省から分祀の許可が下りて、次の日曜日に御霊入れの祭祀が執り行われることになったのよ……どう久遠ちゃん!? ちょっと顔出してきたら? あなた元々巫女さんでしょ!?」

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