第410話 仲良し鍋
「――まったく……気を付けてくださいよ? 幸い官舎に空きがあったからよかったものの――」
カチャリ――とドアが開くと、お兄ちゃんがうんざりした顔で出てきた。
「どうだった? 怒られた!?」
「まぁな……めっちゃ小言! まったく、ありゃあ普段からフラストレーション溜めまくりの、とんだ小役人だ」
ゴホンゴホン!! という咳払いが先ほどの部屋の中から聞こえてくる。
「やべッ! 聞こえてた!?」
お兄ちゃんはバッと私の腕を掴むと、一目散に廊下をすっ飛んでいく。「あ! ちょっ――」と焦る私を引きずっていく。そうやって建物内を脱兎のごとく走り抜けて中庭に出ると、ようやく立ち止まった。
肩でゼイゼイと息をしながら、お兄ちゃんは私の方をいたずらっぽく見つめてくる。私は私で、多分髪の毛めっちゃ振り乱していたんだろう。それが何だかお互い間抜け可愛くて、思わず二人して笑い出した。
「あははははっ!!」
「ははははッ! ひぃーウケる!!」
お兄ちゃんは、わしわしと私の頭を撫でてきた。
「――取り敢えず元の部屋の修繕が済むまで、俺たちは新婚用官舎に住むことになった! 家具とかも全部付いてるから、当面はまぁ……困らないかな!?」
「ホント!? すごーい! あ――でも……」
私が一番気にしているのはあのことだ。
「クリスマスツリーは……?」
「あぁ、あれは玄関横のクローゼットに入ってたから全部無事なんだ。心配しなくていい」
「――そっか!」
はぁぁぁ――
とにかく、それだけが気がかりだったのだ。お兄ちゃんの大切なものを燃やしちゃってたら、死んでお詫びするしかない――
「まぁでも……ちゃんと戸籍変更の手続きしといてよかったな。兄妹じゃなかったら、二人で住めないところだった」
「うん……叶中佐に感謝だね」
結局私は、年末年始だけお邪魔するつもりだったのが、クリスマスイヴに「妹になりたい」と宣言したことで、結局そのままお兄ちゃんのところに居候を始めたのだ。
そんで「こういうのはちゃんとしといたほうがいいから」とお兄ちゃんが言うので、年始明けにさっそく叶中佐のところに行って、二人が本当の兄妹になるから、何とか戸籍変更の手続きをしてくれ――と頼み込んだのだ。
最初中佐は、二人が何を言っているのか理解できなかったらしい。「――という設定の、何が始まるんだい?」と訊き返してきたから、目の前で思いっきり妹としてお兄ちゃんに甘えてみせたのだ。
そしたらようやく私たちが本気だと理解してくれたらしく、それから泡を食ってあちこちに連絡を取り始めてくれたのだ。
結果的に、二人は無事「法的」に兄妹になることが出来た。普通こういう時は、士郎の親が亜紀乃を養子として迎え入れることで成立するのだが、残念ながら士郎の両親はどちらも鬼籍に入っている。いっぽう亜紀乃は生物学的な親が最初から存在しないから、そもそも戸籍がない。まぁ、そこにちゃっかり目を付けたのが叶中佐だった、というわけだ。
戸籍がない――というのを「出生届を出し忘れていた」ということにしたのである。それで遡って、亜紀乃が生まれた年にキチンと
士郎の戸籍に、「×」――すなわち「死亡」の付かない、久々の家族が出来た瞬間だった。
***
士郎の家が火事になったと聞いて、仮の住まいである世帯用官舎にオメガたちが押しかけてきたのは、二人が入居して間もない頃だった。
「おじゃましまーす!」
「おー! 久しぶりだなぁみんな! よくここが分かったな!?」
そう言って、笑顔で迎え入れたのは士郎である。
「へぇー! 結構綺麗なんだー」
「意外ですね……なんだか新婚家庭にお邪魔したような気分です」
「一人で侘しいだろうと思ってな、今日は食事を作ってやろうかと――」
「ま、ちょっと駆け付けるのに時間かかっちゃいましたけど……」
わいわい言いながら玄関に入ってきたのは
現在オメガ特殊作戦群の隊員たちは、完全に休暇に入っている。それぞれ実家に帰省したり旅行に行ったり、軍人である特権を行使して、この移動の難しい時代に好きなことをやって過ごしているのだ。
だから、こうやってみんなで顔を突き合わせるのは数か月ぶりのことだった。それだけに、皆どこかそわそわして、なんだか夏休みの出校日に久々にクラスメートに会ったような雰囲気が漂っている。
ま、実際は今、真冬なんだが。そう言えば、一人だけ姿が見えない。
「
「かざりちゃんは今、ボランティア活動に精を出しているみたいで……」
「ボランティア?」
「なんでも、戦争孤児をサポートするとか何とか――」
「ふーん……」
まぁ、彼女自身『
休暇中、何をするかは個人の自由だ――
「――ところで、キノちゃんの行方を知りませんか?」
「へ……?」
逆に聞いてきたのはくるみだ。他のオメガたちもこくこくと頷いている。
「去年のクリスマス前に基地を出て以来、音信不通なんです。いったいどこに行ったのかしら……」
「ちょっと心配だよね」
「だいたいあの子、行くアテなんてあったかな……」
わいわい言いながら、一同がリビングの扉をカチャリと開けた瞬間だった。
「「「「あーーー!!!」」」」
4人が一斉に大声を上げて固まった。
部屋の真ん中のソファーの上に、うさみみスウェットを着たモフモフの亜紀乃がちょこんと座っていたからだ。口にはクッキーみたいなものを咥えている。
「……ど……どどど……どーして……」
「……え!? ……なに……? どーいうこと!?」
亜紀乃はもはや開き直って堂々としたものだ。もとよりオメガたちはサプライズ訪問だったから、何の準備もしていなかった亜紀乃には、開き直るしか選択肢がなかったのだ。
「あー、実はな……キノは俺の妹になった」
士郎が頭をポリポリと掻きながら、
「……妹に……」
「なった……!?」
そんなパワーワードは聞いたことがない。
「――い……いつから……!?」
「……てか……妹って……それって何の設定ですか!?」
期せずして、最初の叶と同じリアクションが飛び出した。
「――設定ではないのです。今の私は士郎お兄ちゃんのホントの妹……」
「……士郎おに……お兄ちゃん……!?」
亜紀乃の言葉に、全員が卒倒する。くるみなどは、口から何か霊体のようなものがふわりと飛び出したんじゃないかという感じでへなへなとその場に座り込んでしまった。
「え……ちょ……士郎くん、それって、まさか戸籍も一緒になったってこと!?」
「あぁ、そうだぞ。タイミングが悪くてみんなには今まで言う機会がなかったんだが、キノが俺にクリスマスプレゼントとして自分が妹になるって宣言してくれたんだ。んで年明けに――」
「いやいやいやいや! クリスマスプレゼントって訳が分からない! そんなひょいひょいって家族になれたりするもんなんですか!?」
「――家族の愛は誰にも止められないのです」
「ややこしくなるからお前はちょっと黙ってろ? な?」
亜紀乃が平然と言い放つのを、士郎が優しくたしなめる。その様子を見て、楪がハッと気づいたように先手を打った。
「そっかー! キノちゃん、良かったねぇいいお兄さんが出来て! じゃあこれからは、私のこと“お姉ちゃん”って呼んでいいからね」
「「「――――!!!」」」
それを聞いた途端、他の3人がクワと目を剥く。そうだ――! 確かに“いもうと”ってことは、少なくとも士郎と結婚するわけじゃないってことだ。
確かに「家族」であれば、こうやって一つ屋根の下で暮らしてたって別に不思議なことじゃない。あまりのことに面食らって、ついさっきまで二人が同居しているという驚愕の事実に滅茶苦茶ジェラシーを感じていたのだが、よく考えたらライバルが一人減ったということではないか!?
このうえは、この新しい“妹”とより親密さを増して、既成事実を作ってしまえばいい。ならば――
「そ……そっかぁ! キノちゃん、士郎さんの妹ちゃんかぁ! じゃあきっと、毎日が楽しいね」
「うん! お兄ちゃんはとっても優しいのです。火事を起こした時も、家のことより私のことばかり心配してたのです」
「ん――!?」
火事を起こした時も――!?
「ね、ねぇキノちゃん? もしかして士郎くんのおうちが火事になったのって……」
「私がボヤ騒ぎを起こしちゃったのです」
「あはは――まぁボヤというより、爆発!?」
隣で士郎がどうということはないという顔で笑っている。いや――そこ普通は笑えないから!!
3人が「妹」という地位が恐るべきパワーを持つことを実感した瞬間だった。要するに、妹大好きお兄ちゃんは、このポンコツ妹が何をやっても怒らないのだ。
「――ところで、みんなはどうして突然やってきたのですか? 何かご用ですか!?」
亜紀乃が平然と言い放つ。くっ――妹強し!!
「あ――そ、そうだった。実はね、士郎きゅんがね、一人で淋しいだろうと思って、ちょっと押しかけ女房気取りで、みんなでご飯を作りに来たんだよ」
楪が朗らかに話す。久遠もくるみも未来も、こういう風に悪びれもせず相手の懐にどんどん入っていくことが出来ない性分だ。このままでは、ゆずちゃんに“義姉”の座を取られかねない――!
「そ――そうなのよ! ホラ、食材いっぱい持ってきちゃった! ねぇ、今からキッチン借りていいかなぁ!?」
「腕によりをかけて、たくさんご馳走を作るのだ!」
***
4人は、まんじりともせずジッと亜紀乃の一挙手一投足を睨みつけている。
ダイニングテーブルの上にズラリと並んでいるのは、オメガたちがそれぞれ腕によりをかけて作った、渾身の手料理だ。それぞれの皿の前には、それを作った人が一列になって並んでいる。
その反対側にちょこんと一人で座っているのがモフモフうさみみ姿の亜紀乃だ。先ほどから、順にその手料理を一口ずつ味見している。
この光景を見れば、どうやら4人は“妹”である亜紀乃に、料理の腕を試されていることが一目瞭然だった。
結局亜紀乃のせいで、4人はそれぞれが「自分がメインディッシュを作る」と言い出したのだ。本当はそれぞれがあれこれ分担して、多彩な料理とデザートを作る約束をしていたのだが、亜紀乃という想定外の変数が現れたせいで、その紳士協定――いや、淑女協定は脆くも崩れ去ったのだ。
こうなったら早い者勝ちだ。少しでも目立って、少しでも印象を良くして、頭一つ抜け出さなければならない。
それでキッチンの場所取りを巡って、すわガチンコバトルか――という不穏な空気が流れたのだ。そのくだらない仲間割れを見て、よく出来た“妹”こと亜紀乃が『料理対決』で決着をつけることを提案したというわけだ。
「――ど……どうかなぁ!?」
「わ、私のは健康にも気を遣って……減塩にしてあるんですよ」
「――やはり和食が一番であろう。良い出汁が出ているはずなのだが……」
「士郎くんはやっぱり男の子だから、ガッツリ系が好きなんじゃないかと――」
ちなみにそれぞれのメニューは、楪が定番の『肉じゃが』、くるみは女子力高そうな『ロールキャベツ』、久遠は実力の一品『金目の煮付』、そして未来は手の込んだ『パエリア』だ。
意外なことに、オメガたちはみなそこそこ料理ができるようなのだ。まぁ、軍隊にいれば誰だって自然に料理の腕はついてくる。それぞれ、それなりに美味しそうなラインナップだった。
そんなオメガたちの渾身の力作に、亜紀乃がいよいよ判定を下す――
「えと……まずゆずちゃん」
「にゃ!?」
「男の人はみんな女子の作った肉じゃがが大好きと思ったら大間違い。味が薄い、じゃがが硬い、あざとい」
「びぇっ!?」
「次、くるみちゃん」
「は、はいっ!」
「そもそもお兄ちゃんはクリーム系あんまり好きじゃない。しかも薄味過ぎてパンチがない。一口で飽きる」
「ふぎゃっ!?」
「次、久遠ちゃん」
「うむっ!」
「私は好きだけど……」
「お、おぉ!」
「――お兄ちゃんは魚に目が付いてると食べられない。研究不足」
「ぐぬぬぬぬ……」
「最後、未来ちゃん」
「ひゃいっ!」
「これはお兄ちゃん好きだと思う」
「ほ――ほんとっ!?」
「でも――昨日二人で食べたばっかり。残念。運も実力のうち」
「ひぇぇぇぇ……」
何というか、全員玉砕だった。轟沈だった。そして――理不尽だった。
つまるところ、いつも一緒に暮らしていて同じものを食べている妹が、一番最強で、一番のライバルであったことに、4人はようやく気付く。
その日の夕食は、結局『鍋』になった――
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