第412話 季節外れのスターマイン
『高雄洲護國神社』は、台湾島の南側地域一帯――具体的には、直轄市である高雄市と台南市、そしてその周辺の台東県、屏東県辺りまでを含めて管轄する、台湾で二番目の護国神社だ。
もともと北部の台北市には、戦前に当時の台湾総督府が建立した『台湾護國神社』があったから、これでようやく南部の人たちにも身近にお参りできるお宮ができたというわけだ。
もちろん、そもそも護国神社を台湾に増設しようという動きがあったのも、昨今の激動する世界情勢が関係している。特に、ここ最近の日本を取り巻く大戦争のせいで、ここ台湾からも多くの義勇兵や編入兵が参戦し、そしてその命を散らしていった。この事実は、台湾人日本人問わず多くの人々に、彼ら戦死者の処遇を考えるきっかけを与えたのである。
その結果、当然ながら、その
とりわけ台湾出身兵たちは、この『護国神社』に祀られることを非常に名誉なことと受け止めていた。もちろん、戦死者はこの時代でも変わらず靖国神社に祀られるのが常だったが、台湾在住の遺族がそう簡単に東京九段下にお参りできるわけでもない。
そういう意味では、地元にその代わりとなる社があるというのは非常に便利だったし、何より彼らはこの『護国』という名称に特別な思いを抱いていた。
護国とはすなわち『救国』――つまり、ここに祀られるのは“救国の英雄”という認識だったのだ。そのうえ“祀られる”というのは「神さまになる」という意味だ。
日本統治以来、皇民意識の極めて高い台湾の人たちが、天皇陛下を頂点とする日本の神社に神さまとして祀られるという処遇を、これ以上ない名誉と受け止めたのは当然のことであった。
そういったわけで、今日はとんでもないくらい賑やかで華やかなお祭り気分が街中に満ち溢れていた。護國神社に至る参道には、ぼんぼりが無数に吊るされ、たくさんの屋台が出ている。
道行く人々はみな、台湾の国旗である『青天白日満地紅旗』と日章旗のミニ旗を手に持ち、楽しそうにそぞろ歩いていた。中には今が2月だというのに浴衣を着ている人もいて、なんだか一気に日本の内地に迷い込んだような、そんな雰囲気がそこかしこに漂う。
久遠はそんな賑やかな通りを、オメガ特戦群の制服姿で歩いていた。
今日は休日だしプライベートだし、私服で来ようかとも一瞬思ったのだが、よく考えたら大して服も持ってきていないし、そもそも誰かに見せるわけでもない。それに気づいた瞬間、久遠のテンションは一気にダダ下がり、そしていつも通り軍服姿で出かけることにしたわけだ。
どうせ私なんか、変にお洒落したって浮くだけだ。女だてらにバリバリの前線部隊の将校なんて、そもそも普通の男の人から見たらドン引きだろう。怖がって、誰も近づいてこないはずだ。
それに、今日は護國神社の御霊祭りなんだから、むしろこの格好の方が相応しい――という言い訳を頭の中で考えて……
だが、彼女の姿を見かけた街の人々は、どうやらそうは捉えていなかったようなのだ。どうもさっきから、視線が痛い。
みな久遠とすれ違うと、振り返って二度見するし、遠慮がちに並行して歩いては、携帯端末でカシャリと写真を撮られているような気がする。中には、隣のツレの肩を叩いて、何やらこちらに聞こえないようキャーキャーお喋りを始める若い女の子たちもいる始末……
久遠は何だか居心地が悪くなってしまって、少し俯いて官帽を目深に被り、足早に通りを抜けていこうとした。その時だった――
「――久遠!」
え――!?
急に自分を呼び留める声が、喧騒の中で投げつけられる。しかもその声は――
久遠はびっくりしながら、辺りをキョロキョロと見回した。だが相変わらず周囲は人混みが凄まじく、おまけにさっきからこっちを気にしてくる人々のリアクションが地味にウザい――
はぁぁぁ……と溜息をついた瞬間、
「よっ――!」
誰かが肩に気安く手を置く。キッ――と振り向いて今度こそ文句を言ってやろうと思った途端、久遠は自分のテンションがカチリと切り替わる音を聞いた。
「――しッ……士郎っ!?」
「おっすー」
目の前にいたのは、ずっとずっと逢いたかった、誰よりも傍にいて欲しい存在。久遠は、何で今日自分は軍服で来てしまったのだろうと死ぬほど後悔する。
「……ど……どうして……!?」
「ん――まぁな。今日これからここの護國神社で初めての御霊祭りがあるだろ? そんで、四ノ宮群長が来る予定だったんだが急に予定が入ってな。そんで俺が名代として急遽駆け付けたってわけだ」
「そ……そうなんだ……////」
「――それに、可愛い部下がこっちの鎮守府で演習監督に来ているのも知ってたしな」
そう言うと、士郎は茶目っ気たっぷりに軽くウインクしてみせた。
ほぁぁぁ――////
それは、久遠にとって何よりも朗報だった。士郎は休暇もそこそこに、士官学校の臨時教官として部隊を離れていたから、内地でもしばらく会っていなかったのだ。
久々に会う士郎は、相変わらず凛々しく、そして久遠の胸をドキドキさせる魔法を纏っていた。
「――それにしても、お前めっちゃ注目されてんな」
「え?」
「だって、台湾で特戦群の制服着てる女性将校なんて、ほとんど誰も見たことないだろ? まぁ、この辺の人たちから見たら、芸能人を見かけたようなテンションになるわな」
「……そうなのか?」
さっきからジロジロ見られてたのは、そういうことだったのか……
「はい自覚なし――まぁ、分かってたらそんな恰好でフラフラ来ないか」
そう言って士郎は朗らかに笑った。
「――そ、そういう士郎だって、バッチリ軍服姿じゃないか!?」
「俺はしょうがない。だってこれから祭祀の来賓として出なきゃなんねーもん。今日はもう、有名税だと思って諦めてる」
久遠は左右を見回した。すると、いつの間にか二人を取り囲むように人の輪が出来ている。先ほどまではそれでも自制していたのだろう人々は、今やこのツーショットにあからさまにどよめいていた。
国防軍初の5軍統合任務部隊。数々の激戦をくぐり抜け、見事日本に勝利をもたらした世界最強の戦闘集団。オメガ特殊作戦群の名は、もちろんここ台湾でも轟いていて、彼らの活躍を紹介する戦時高揚番組などを見たことのない市民は今や存在しない。
だから、この二人が着用しているこの灰白色の独特の軍服が、オメガ特戦群の将校制服であるということは女性や子供でも知っていたし、ましてや士郎の胸に輝く『旭日殊勲十字章』は、彼が本物の英雄であることを圧倒的に人々に物語っていた。
人々の注目の半分は――いや、それ以上は、この人に対してではないのだろうか、と久遠は密かに思う。
「――さてと久遠、せっかくだからお前も
「い……いいのか……?」
「あぁ――だって、そもそも森崎大隊長がお前を連れて行ってくれと昨日俺に頼んできたんだぞ?」
「えっ!?」
あの人ときたら――!
全部お見通しで、もしかしたら士郎との今の遭遇も、偶然じゃない――!?
***
「――なかなか盛大な祭礼だったな」
士郎がほうじ茶をすすりながら、ぽつりと久遠に話しかけてくる。来賓の控室となっていた社務所はいつの間にか誰もいなくなっていて、今は二人っきりだ。
さっきまで関係者の間を回って忙しく挨拶していた宮司の姿も見えない。表でインタビューでも受けているのだろうか……
「あ……あぁ、そうだったな……なんかマスコミまで取材に来てて、ビックリした……」
「みんなやっぱり……証を求めてるんだと思う……夫は、息子は、父は、兄は……国のために戦ったんだ……その死には、ちゃんと意味があったんだ……ってね」
士郎がしみじみと語る。今日の御霊入れの儀式で初めてこの神社に祀られたのは、台湾南部の出身者で義勇兵・編入兵として日本軍とともに戦い散華していった2,418柱と、過去およそ100年前まで遡った消防、警察などの殉職者計37名だ。
その中にはもちろん、二人が良く知っている名前も幾つかあった。特にあの口の悪い、そして愛らしい戦車兵とか――
士郎がしみじみしているのは、もしかしてそれもあったのだろうか。だが、彼はそれ以上感傷的にならないように、注意深く振る舞っているようでもあった。
それが久遠を気遣ってのものであるということは、いくら空気の読めない自分でも分かる。せっかくの再会に水を差さないよう、彼は努めて平静を装っているに違いない。
「――士郎……ひとつ聞いてもいいか?」
「ん……どうした?」
「士郎は……もし私が死んだら、キチンとお参りしてくれるか?」
唐突に出た言葉に、士郎は驚いたように久遠をまじまじと見つめ返した。
「……久遠……」
はッ――また空気の読めない発言をしてしまったことに、久遠は後から気付く。
「――あ……いや……」
久遠はきまり悪そうに、俯いて顔を背けた。「あのな……」呆れたような士郎の声に、思わずぎゅっと目を瞑る。私、なんて馬鹿なんだろう――
すると、ふわりと頬に士郎の掌が触れる感触が伝わってきた。そのままクイと真っ直ぐ前に向けられる。恐る恐る目を開けると、目の前には士郎の優しそうな顔があった。
「あ……////」
近い――突然のことに、久遠は思わずドギマギしてしまう。
「……俺、久遠と出逢えて本当に良かったと思っているんだ……」
「え……」
「久遠こそ……どうなんだ? 俺が戦死したら――ちゃんとお参りしてくれるのか!?」
それを聞いた瞬間、久遠はぎゅっと胸が圧し潰されるような感覚を味わう。
「――そんなの……嫌だ……お参りするしないではなく……そんなことは考えたくもない!」
「だろ……?」
「あ――」
そこまで言われてようやく気付く。大切な人が死んだら――とか、そもそもそんなのは考えるだけで胸が張り裂けそうになってしまう。士郎のいない人生など、何の意味があるというのだ。なかなか気持ちは伝わらないが、それでもこの想いがあるからこそ、私は毎日頑張れるのだとあらためて気づく。
え――ということは……!?
「し……士郎……!? もしかして……あ、いや……」
「もしかして――何だ……?」
士郎は、久遠の頬から手を離すと、あらためて優しく彼女の両肩を抱き、真っ直ぐ正面を向かせた。久遠の長い睫毛がパチパチと瞬きを繰り返す。ぱっつん前髪の下に、真っ赤な顔が見え隠れする。もはや何をされても、抵抗できる気がしなかった。
「――久遠……?」
その時――
ひゅるるるる―――
ド――――ン!!! パァッ――
どこか遠くで心許ない風切り音が聞こえてきたかと思うと、突然腹の底に響く爆発音が辺りの空気を震わせた。それは、戦場で聞く嫌なノイズではなく、どこか郷愁を誘う、懐かしい音――
「――花火……!」
久遠は目を丸くして思わず呟いた。士郎の顔も思わずほころぶ。
「ホントだ――そういえば今夜、御霊祭りに合わせて花火大会だったんだ」
「へぇ!?」
ド――――ン!!
パァッ――
ドドド――――ン!!!
パァッ――
いつの間にか、辺りはすっかり暗くなっていた。社務所の窓から、赤やオレンジの花火の輝きがキラキラと室内に映り込む。
二人は思わず立ち上がって、窓越しに夜空を覗き込んだ。そこには、大輪のスターマインが二重三重に南海の夜空を彩っている。
「――外、出てみるか……?」
「うん」
士郎は自然なかたちで手を差し出した。久遠はそれを一瞬だけはにかむが、迷わずきゅっと握り締めて我が身を委ねる。
カラカラカラ――と社務所の引き戸を開けると、夜の空気と相変わらずの喧騒が、境内を包んでいた。
「――綺麗だな……」
士郎は、そっと久遠の腰を抱き寄せた。久遠の左手と士郎の右手はごく自然に真ん前で繋がれていて、だから今、二人はぴたりと寄り添って空を見つめている。
ド――――ン
腹に響く花火の音は、ちょうど上手い具合に久遠の胸のドキドキを隠してくれた。
パァッと輝く赤や黄色の輝きは、久遠の頬の火照りを程よく誤魔化してくれていた。
来る時にあれほど注目された二人の制服姿は、辺りの暗さと雑踏に紛れて誰にも気づかれなくなっていて、おまけに人々のすべての視線は、今や仰角80度の夜空に向けられていた。
「……久遠?」
「な……なに……?」
士郎が小声で耳元に囁く。いや――花火と雑踏の音に紛れないよう、耳元で語りかけてくれているのか――
「俺さ……久遠がいなくなったらヤだよ……」
「――え……」
「だから、命令だ……絶対に、死ぬな……もしお前に何かあったら、俺が絶対に助けに行くから」
久遠は、その時の胸の高鳴りを一生忘れない。身体中が熱くなって、心臓がどきどきして、どうしようもなくもどかしい切なさが、身体中の細胞の一つひとつを支配した。
だから――気づいたらそうしていたのだと思う。
いつの間にか久遠は精一杯背伸びして、彼の顔を掌で引き寄せていた。不意打ちを喰らった士郎は、一瞬だけ驚いた様子で久遠を見下ろしたが、すぐに目を瞑ってそのまま彼女を抱き寄せた。
それは、どこにでもいる恋人たちの光景だった。
北緯22度の2月の花火大会は程よく過ごしやすく、二人はお互いの温もりを、いつまでも確かめ合う――
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