第406話 角逐(DAY10-18)

 なぜこの男がここにいる――!?


 元『華龍ファロン』科学部門総裁にして、一連の騒動の首謀者と目される人物。

 クリーにせよ、アイシャにせよ、中華製オメガ――すなわち“辟邪へきじゃ”の背後には必ずこの男がいると推認されていた。さらには、獦狚ゴーダンに代表される数々のキメラ生成にも深く関与したと疑われる、第一級の国際指名手配重要参考人――李軍リージュン


 その存在と暗躍は、かつて華龍に拉致された未来みくの証言によって国防軍にもたらされ、ヂャン秀英シゥインをはじめとする亡命者たちからの事情聴取によっても裏付けられていた。


 その男が、ここ『幽世かくりよ』の戦場に当たり前のようにいて、今こうして目の前にへたり込んでいるのだ。

 ようやく尻尾を掴んだというか、案の定というか――要するに、この次元をまたいだ大戦争にも、この男は少なからず関与していたということだ。


 道理で、士郎たちが『現世うつしよ』で遭遇した辟邪や獦狚ゴーダンが、こちらの世界にもいるわけだ。コイツの助手とされるファン博文ブォエンを先日逮捕したことで、よもやとは思っていたが、実際に目の当たりにしてしまうと二の句が継げない。

 おおかたステゴドンや、中国兵たちに寄生していた“蟲”も、すべてコイツの仕業なのだろう。もちろんアイシャの件も――


 そうだ――この男ついさっき、アイシャを助けに来たと口走ったぞ!?

 それでわざわざ、ここまで乗り込んできたというのか――!? しかしどうやって!?

 憤激する未来を制しながら、士郎が詰問する。


「――おい、貴様どうやってここに入ってきた!? 中国兵たちは建物の手前で食い止めていたはずだ」

「ま、まぁそれは……どさくさに紛れてというか……裏から飛び込んだというか……」

「要するに、この狂った自爆攻撃はすべて、彼女を取り返すための陽動だったと!?」

「そ……そんなところだ。何せこの子の価値は、その辺の兵隊なんかとは比べ物にならないからな……」


 だからって自爆攻撃など――人の命を何だと思っているのだ……

 敵兵とはいえ、彼らの命があまりにも安いことに士郎は憤る。


「と、とにかく……この子は返してくれ! お前たちだって、こんな死にぞこないを捕虜に取ったところで何の役にも立たないだろう?」

「そんな簡単に、はいそうですかと言えるわけないだろう!? 彼女は今や戦いを望んでいない。お前の元に返る理由がない」


 士郎はきっぱりと言い放った。彼女は罪を償うと言ったのだ。それに――正直なところアイシャがいないと、我々は転移できない。今だって、そもそも転移する直前だったのだ。


「――ならばなおさら! なおさら彼女は、我々の元に還るべきだ。我々は、もはや戦うつもりはないのだ。ならば元の鞘に収まるのが筋では?」


 なおも李軍は食い下がってきた。確かに理屈は通っているが……これは何かある――と思わせるには十分だった。横から未来が割り込んでくる。


「――勘違いするなっ! オマエは私たちと対等なつもりなのか!?」


 確かに、今の李軍は袋の鼠だ。いくらでも捕縛できる。

 それにしても、未来の怒りは相当なものだった。詩雨シーユーにしろ将軍にしろクリーの件にしろ、そして青藍せいらんのような動物たちの件にしろ、この男は今まであまりにも生命を弄び過ぎた。そしてまた、今はアイシャを道具のように扱っている。


「――あぁミク……美しき日本の辟邪ビーシェよ! 私はアイシャに安息を与えたいだけなのだ。彼女は十分に戦ったのだから……」


 その言葉に、未来はあからさまに嫌悪感を示した。


「私の名前を気安く呼ぶな! それに……オマエは嘘吐きだ! 彼女に安息を与えるなど、信じられるものか」


 未来は、構えていた長刀をさらにクイと前に突き出した。そもそも話し合いなどするつもりはない、という意思表示だ。李軍は、目の前に突き付けられた切先から、しかめっ面で視線を外す。士郎が言葉を継いだ。


「……未来の言うとおりだ。貴様がこの後やるべきことは、今すぐ投降することだ。貴様には、もはや護衛の兵士すらいないではないか!?」


 確かに、先ほどから闇雲に突っ込んで来ていた敵の自殺兵――いや、ゾンビ兵たちは、今や完全にゆずりはたちオメガによって制圧されている。この空間を制しているのは明らかに士郎たちだった。だが――

 なぜだかこの男は、先ほどから余裕綽々しゃくしゃくなのだ。


 李軍はニヤリと不気味な笑みを浮かべた。


「ふむ――どうやら話し合いには応じてくれそうにありませんな……ならば仕方がない」


 そう言うと、李軍は咄嗟に目の前で転がっていたアイシャに飛びつき、彼女の上半身を抱き起した。しまった……一瞬の隙を突かれたか――


「ど……どういうつもりだ……」

「この娘には既に三屍サンシィを仕込んである! これを治すには、私の元に戻るしかないのだ」

「サンシィ――!?」

「おや……? ご存知ありませんか? 先ほどから兵どもの腹の中から出て来ていたでしょう」

「――ッ!」


 それはつまり――あの寄生虫――“蟲”のことか!?

 本人の意思に関係なくその行動を司り、最終的には宿主が死してなお、その骸を勝手に動かすというゾンビ化寄生虫……

 生きた人間からそれを引き剥がすのは極めて困難だ。先ほどのドロイドのようにガッチリ頭部に貼り付き、それでも無理に引き剥がそうとすると、顔の皮まで一緒に剥がれてしまう。中国兵たちの腹の中から出てきたことを考えると、おそらく内臓にも食い込んでいるはずだ。そんな恐ろしい寄生虫を、よりにもよってアイシャに……

 もしかして彼女の腹からおびただしい出血があったのだって、これと関係しているのかもしれない。


「貴様……卑怯だぞッ!」

「――くッ……」


 士郎と未来は、しかし歯ぎしりするしかない。つくづくゲスな野郎だ。

 その時、アイシャが「ぅぅぅん……」と呻き声を上げた。


「アイシャッ! 大丈夫か!? しっかりしろッ!!」


 士郎は彼女に呼びかけるが、反応は薄い。だが、少しだけその瞼を開けると、弱々しく士郎たちを見つめ返してきた。次の瞬間――


 突然カッ――と目を見開いたかと思うと、アイシャはその場で跳ね起きた。そして、まるで野良犬が久々の餌にありついたかのように、士郎と未来にいきなり飛び掛かってきたのだ。その目は、既に先ほどのアイシャのものではなく――


 ドガガッ!!


「アイシャっ!? しっかりするんだ! そんな変なのに負けちゃ駄目だッ!!」

「アイシャっ!! あなた大怪我してるのよっ!? 無理しないで!」


 アイシャに組み敷かれながら、二人は叫んだ。だがアイシャは、不遜な笑顔で未来と士郎を見下ろしてきた。完全に我を忘れている。

 彼女の腹からは、ドクドクと出血が続いていた。両腕だって欠損したままで、本当ならこんなに動けるような状態ではないはずだ。まさしく、本人の意思とは関係ないところで彼女の身体は支配されていた。でなければ、こんな満身創痍の状態で、未来たちに飛び掛かってくるわけがない。


 その時、ガタン――と大きな物音がする。

 刹那、アイシャは敏感に反応した。すぐさま向きを変えると、二人を組み敷いたままフーッと猫が威嚇するようにそちらの方角を見やる。

 すると、床にうずたかく積もっていた瓦礫の山が崩れ、叶がガサゴソと這いずり出てきた。良かった――無事だったのか!


 だが、叶は今の状況を一瞬で理解すると、首を振りながらその場に座り込んだ。軍服も顔も、煤けて薄汚れている。


「――これはこれは……どうやらのっぴきならない状況のようだ」


 叶は、目の前にいた李軍を無表情のままジッと見つめた。稀代の天才科学者同士が、初めて睨み合った瞬間だった。だが、やはり生みの親の方に分があったのだろうか――

 三屍――と呼ばれた異形のモノに寄生されたアイシャは、叶を標的と認識したのか、凄まじい形相で彼ににじり寄っていった。


「少佐ッ! 気を付けてくださいッ! 彼女、完全に操られていますっ」


 警告を受けた叶は、ビクッと顔を緊張させると、一歩、二歩と後ずさった。だが、その代わり組み伏せられていた士郎と未来は、アイシャの背後でそろりと起き上がる。それでも李軍は余裕の表情だ。


「さぁ――この子を解放しなさい。私なら、三屍の動きを制御できる。武器を捨て、道を空けるのです」


 勝ち誇った李軍が、周囲を見回した。もはやこちらに対抗できる術はない。このままこの男の言うとおりにアイシャを大人しく引き渡し、この場を立ち去るのをじっと見守るしかないのか――

 だが次の瞬間、叶がニヤリと不敵な笑みを零すのを、士郎は見逃さなかった。


「――対称性の破れ」


 叶がボソッとそれを口走った途端、李軍がビクッと動きを止めた。


「……な……なんだと!?」

リー博士――あなたは、我々日本軍がこちらの世界に転移してきたメカニズムをご存知で!?」


 叶は、まるで勝者のように李軍を見下ろした。余裕の笑みを浮かべながら――


「……な……何を言っている!? 知ったことか!」

「ほぅ……では、いいのですな!?」

「何がだ――」


 少佐はいったい何を言っているのだ!? 士郎と未来はお互いの顔を見合わせる。だが、叶は悟ったように涼しい顔をしていた。対して、李軍は突如として脂汗をかき始める。


「我々は、シュバルツシルト面における対称性の破れを制御する方法を見つけました。だからこれほどの大軍をこの世界に送り込むことができた――」


 そうなのか――!?

 士郎たちは、相変わらず叶の言っている意味を理解できていない。実際のところ、士郎たちが『幽世』に転移してきたのは、広美ちゃんの導きにより、大宰府に鎮座していたご神体の「鏡」を通ってやってきたものだ。あ、もちろんその際、『神器』を触媒に使ったことも記憶している。それが、叶の言うなんちゃらという仕組みなのか――!?

 だが、李軍は逆に、小刻みにその身体を震わせ始めていた。確実に、叶の発言に怯えているという感じだ。


「――ということはつまり……今向こうの世界にいる中国軍を、我々は“虚無”に帰すことだってできる」

「ふッ……ふざけるなッ! そんなことが許されるわけがない!」

「どうしてですか!? あなたは先ほどもう戦うつもりはないと仰った。だったらもはや、向こうの軍も必要ないでしょう」

「だ、だが……それとこれとは別だ! あれだけの質量を“虚無”に戻すなど……第一、対称性の破れを人間が制御できるわけが――」

「申し遅れました。私、叶元尚と申します」

「な――! か、カノーだと……!?」


 李軍は、明らかに「叶」という名前を聞いて激しく動揺した。

 え? 叶少佐って、そんなに有名なの? 名前を聞いただけで震えるくらい――!?


「お……お前……いや、あなたが……カノー博士……」

「えぇ、私も李先生のお噂はかねがね……ですが、今は残念ながら敵味方に分かれているようだ。なおかつ、どうやら私たちの利害は相反しているらしい」

「ま、待ってくれ――いや……待ってください……確かに……確かにその、日本軍の転移のメカニズムには興味がある。そ、そ、そ……それが対称性破れの制御に基づくなら、それは途轍もない――いや、人類は新たな文明を築くスタートラインに立ったと言っても過言ではなく――」

「――さすがに慧眼ですな……では、今すぐこの娘の問題を解決していただけませんか? このままだと、私は貴軍の将兵を永遠に虚無の中に閉じ込めなければならなくなる」

「――ッ!?」


 李軍は、恐らく分かっていたこととは言え、叶が真っ正面から脅してきたことに恐れをなした。なぜなら、李軍はこう理解していたからだ。

 質量保存の法則により、等価交換を原則とした次元移動にあたり、一度ペアを組んだ自分と中国軍の一方が“虚無”に送り込まれると、やがて時間の経過とともに李軍自身も最終的に“虚無”に墜とされる――

 すなわち、李軍自身が滅される。つまり、彼は“虚無”に飛ばされる中国兵たちを気にしていたのではなく、最終的には自分も存在を抹殺されることを恐れて慌てていたわけだ。


 先ほどまで、あれほどいきがっていた李軍が、ついにその拳を振り下ろした。稀代の天才科学者同士の角逐は、そのあまりにも高度な理論の応酬により、見事決着したのである。


 李軍が、掴んでいたアイシャの肩をゆっくりと離した。次いで何かをその顔に噴霧すると、彼女の身体がいきなりビクビクと痙攣する。

 ガッ――

 喉の奥から腸を絞り出すような苦しそうな嗚咽を上げた彼女は、やがてその口を大きく開いたかと思うと、その喉奥からグロテスクな多足生物をゲロゲロと吐き出した。


 途端――アイシャはその場にドサッと崩れ落ちる。

 それを見た叶、そして士郎たちは、慌てて彼女に駆け寄ると、そのボロボロの身体を助け起こした。だが次の瞬間、李軍はクワとその目を大きく開けた。


「――なんてな!!」


 パンッ!ブヒュッ!!

 ビチャッ――!!!!


 突如として、アイシャの腹が破裂した。それは小さな爆発だったのか――腹の中に仕込まれた何かが、弾け飛ぶように吹き飛んだのだ。


「あッ!!!!」「いかんッ――!!!!」


 青色のネオンサインのような模様の、漆黒の塊が投げ込まれたのはその瞬間だった。刹那――


 ヴン――という電磁場のような唸音が聞こえたかと思うと、ツン――と周囲が静寂に包まれる。

 士郎たちが掻き消えたのは、その直後だった――

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