第395話 再来(DAY10-7)

 士郎たちが元々いた世界――作戦運用上『現世うつしよ』のコードネームで呼ぶことにした世界には、少し前から多数の中国軍が突如現れ、日本全土の侵攻を始めていた。

 それに対し国防軍は必死の反撃を行い、今や国家の存亡を懸けた本土決戦が繰り広げられている。


 士郎たちは、そんな中国軍があろうことか別の次元にあるもうひとつの世界――『幽世かくりよ』から転移してきた異世界の軍隊であることを突き止めた。そのうえで、彼らの兵站供給源を断つために自らも幽世に転移してきたのだ。

 そして今、異世界の中国軍と決戦を繰り広げている。幽世の事実上の首都、出雲の地で――


 ヂャン秀英シゥインが託されてきた新たな作戦計画は、この幽世日本で破壊されたレイラインを復活させ、次元転移を発動させるというものだ。

 それを理解するためには、今一度このレイラインについて簡単に整理する必要がある。


 レイライン――

 それは、大地に描かれた目に見えないエネルギー回路だ。

 古くから人は、この地上のあちこちに大いなる生命エネルギー、あるいは神聖な霊的エネルギーが集まる場所を見いだし、それを『聖地』と呼びならわしてきた。

 それは日本のみならず世界中に分布し、たいてい人類はその聖地に神殿やら何らかの施設――それはピラミッドや古墳のような遺跡として現代にその痕跡が伝わっている――を建設してきた。

 日本で言えばそれは、大抵の場合『神社』だ。富士山のような、山そのものが霊場とされているものもある。


 特に敏感な人でなくとも、こうした“聖地”に立ち入ると、人はたいてい何らかの気配を感じるものだ。結果としてそこに建つ神社や神域は信仰の対象となり、ますます人が集まるようになった。

 近年は、そうした場所を『パワースポット』などと称し、ありがたがる風潮もあったりする。


 ともあれ、レイラインというのは端的に言えば、そうしたいくつかの聖地を結んだ線のことだ。


 ただし、より正確に言うならば、先にあったのはレイラインだ。

 神社などのパワースポットは、そのライン上の要所要所に後から建てられたものに過ぎない。


 最初に“大いなる生命エネルギー”と言ったが、このラインを流れるのは、太陽系からおよそ8.6光年離れたおおいぬ座の一等星、シリウスから来るある種のエネルギー波だ。

 レイラインは、地球に向けて放たれたそのエネルギー波を、とある任意の一点に集めるための、いわば誘導路、ガイドライン、雨樋の役割を果たしている。


 今までいったい何度、シリウスからこのエネルギー波が送られてきたのだろうか!?

 人々はそれがレイラインを通るたび、当然大いなるエネルギーの奔流を感じたはずだ。そしてそのあまりのパワーに怖れおののき、畏怖し、神の力を感じたことだろう。


 東洋ではそれを『地脈』とか『龍脈』と呼び、神の通路と理解した。そして、はりの世界と同様、それら奔流が所々で合流するハブ、いわゆる『結節点』を聖地と呼んだのである。

 当然、結節点からはエネルギーが漏れ出すから、最終到達点ほどではないにしろ、それこそ「神の奇蹟」が時折見られることもある。よく神社などで“神隠し”が起こった理由だ。ここでいう神の奇蹟とは、次元転移に他ならない。

 神社などに行って、人々がその神々しさや、何らかの霊的パワーに圧倒されるのは、今でもそのエネルギーが漏れ出しているからなのだ。


 さてこのレイラインだが、実は太陽の運行と相当関係がある。

 もともとシリウスという別天体のエネルギーを受け取る集積回路だから、それが宇宙規模の設計であることは論を待たない。だが、より巨視的にこのレイラインを見ると、たとえば日本列島には『夏至ライン』と呼ばれる、太陽の運行線をトレースしたものがある。また近畿を中心としたエリアでは、数百キロの半径で巨大な五芒星ペンタグラム、あるいは六芒星ヘキサグラムのかたちをしたレイラインが描かれていたりする。


 今回張秀英が士郎に促したのは、この中の『夏至ライン』の完全奪還だ。正式な夏至ラインは、千葉県の鹿島神宮から皇居、明治神宮、富士山、伊勢神宮、吉野山、剣山、そして宮崎県の高千穂を結ぶもので、地図を見れば明らかだが、これは見事に一直線を形成している。そしてそれは、夏至の日の太陽の運行線と完全一致しているのだ。


 そしてもう一つ。厳密には『夏至ライン』ではないが、それと交差するかたちでが存在する。それが、出雲大社を起点とし、若狭湾、そして富士山に至るラインだ。

 この線は、夏至ラインのいわば複線、あるいは支線と解釈されており、途中の『結節点』を経て別の形でエネルギーが噴出していることが確認されている。


 そして何より、今回の異世界中国軍の現世日本侵攻は、これら複数の結節点から溢れ出てきたことが判明しているのだ。彼らの出現地点はほぼ例外なくこれらレイラインの結節点――各地の聖地だ。

 なぜ支線にまで溢れてきたかと言えばそれは、この集積回路の最終到達地点――すなわち仁徳天皇陵、またの名を大仙陵古墳と呼ぶ場所を、宮内庁のかんなぎである咲田広美が封印してしまったからだ。

 彼女の機転により、異世界中国軍は当初予定していたであろうポイントに出現することができず、途中の結節点から漏れ出した。結果的に、中途半端なかたちで現世日本を侵攻することになったのである。この手違いにより、辛うじて日本は奴らの奇襲を持ち堪え、現在も徹底抗戦しているのだ。


 だから今回の作戦は、いわば連中の逆流転移を狙ったものだ。本来出るべきところに出現できず、想定外のところに現れてしまったのだから、桶の底を抜くようにそのポイントに穴を開け、トイレの水を流すように、洗い流してしまおうというわけだ。

 そのためには、ここ幽世の結節点を復活させ、エネルギーの流れを再開させなければならない。現在こちらの世界では、各神社、すなわち結節点に置かれていたはずの「ご神体」が奪われ、レイライン制御機能を喪失しているからだ。ここに現世からわざわざ持ってきた「もうひとつのご神体」を安置することで、それはおそらく実現される。


「――まずはここ、出雲大社を完全に掌握することだ。獦狚ゴーダンをハンドリングできるようになったんだ。残りの兵隊どもを制圧するのは、そう難しいことではないだろう?」


 張は余裕の表情だ。だが、士郎にはあとひとつだけ懸念がある。


「えぇ、まぁ……ただ、取り逃がした敵の辟邪へきじゃが結構厄介なのです……」


 士郎は、瀕死の重傷のまま逃げ出したあの少女のことが、ずっと気に掛かっていた。何より、途中から獦狚ゴーダンたち獣の動きが統率されていたことが気になる。もしかしたら、彼女がその親玉なんじゃないか――という懸念が、ずっとわだかまっているのだ。


「――具体的には、その辟邪ビーシェの何がネックなのです?」


 張はあくまでそれを斃す覚悟のようだ。

 士郎は、彼女が熱核爆発のような大爆発を引き起こしたこと、複数のオメガが瀕死の重傷を負ったり、死を覚悟したりするほどの強大な戦闘力を持っていること、そしてなにより、彼女が精神攻撃のような異能で対象を支配下に置こうとする、恐るべき異能を繰り出してくることなどを縷々説明する。

 途中から獣たちが組織的な動きをしてきたことも、もしかしたら彼女の仕業かもしれない――という点についても、忘れずに付け加えた。


「――最後の点に関しては、しかし青藍の方に分がありそうだ。彼は今や完全に、獦狚ゴーダンを支配下に置いている」

「それなんですが、もともと青藍にはそんな能力があったんでしょうか!?」

「さぁね……ただ、現世うつしよ――向こうの世界ではそんな兆候は見られなかった。こちらに転移し、君たちの部隊を探す過程で、彼は獣をひれ伏させるコツを掴んだようだったよ……途中何度か獦狚ゴーダンに遭遇したんだが、その都度青藍が相手の戦意を喪失させるのを見た――」

「ふむ……では青藍は今や、敵辟邪の精神支配を上回る制御を獣たちに与えていると……」

「――それが、この世界にいる時だけの限定された力なのか、あるいはなんらかの条件を踏むことによって発動する力なのかは分からんがね……」

「……まぁ、いいでしょう……少なくとも獦狚ゴーダンについてはある程度目処が立ちそうだ……ただ、人間となるとそうはいきません……彼女の精神支配には、オメガたちも相当苦しめられています。一般兵士たちが戦闘中に錯乱する可能性があります」


 それを聞いた張は、ニヤリと笑った。


「……なるほど……ではこうしましょう。私にいい考えがある――」


  ***


 張将軍率いる狼旅団は、その圧倒的兵力にモノを言わせて、避難所から出雲大社、そして旧市役所――ここには作戦指揮所が置かれている――の3つを繋ぐ面を完全に支配下に置いた。

 もちろん、その過程で散発的な戦闘が起こったが、どれも大したことなく収束した。これらの戦況の変化は、当然避難民にもすぐに伝わっていく。結果的に、士郎の「嘘」は嘘ではなくなり、彼は面目を保つことになった。


「――今やヒーローだね、士郎くん」

「やめてくれ……俺は運が良かったんだ」


 避難所の敷地内を歩いていると、避難民たちが窓から顔を覗かせ、手を振ったり頭を下げたり、皆思い思いに士郎たち国防軍への感謝の気持ちを表してくる。

 本当は、これに倍する人々を助けられたはずなのだ。避難民のうち6割は、国防軍の指示を守らず勝手に避難所を出て、そして命を落としてしまった。それを考えると、とてもではないが士郎は浮かれ気分になれない。

 それでも、小さな子供が楽しそうに校庭の片隅で遊ぶ姿は、じわりと充足感を満たしていく。戦闘はまだ予断を許さないが、ほんの少しだけ、彼らを守り切ることができるのではないだろうかという希望も湧いてくる。

 その時だった。


 ついさっきまで、校庭に転がっていた瓦礫の山に登ったり下りたりして他愛もない遊びを繰り返していた子供たちが、突如としてその場に棒立ちになった。

 やがて泣きそうな顔になり、その場にうずくまる。


 どうした――?

 何やら嫌な予感がして、士郎は周囲をキョロキョロと見回した。隣の未来みくが、一転険しい表情になる。


「――士郎くん……あれ、聞こえる?」

「え――?」


 ァァァァァ――――――


 微かに、何か讃美歌のような高い細い声が聞こえたような気がした。

 一緒にいた久遠も、その場で顔を歪める。


「……士郎……これ……」


 まさか――!?

 未来も、久遠も、二人とも以前同じ目に遭っている。そう――敵辟邪の精神攻撃だ。その二人が、相前後して同じようなリアクションをするということは――!?


 その時、張将軍から無線連絡が入る。先ほどの会合のあと、彼は一帯を制圧するために前線に出ていたのだ。


『――中尉、どうやら君の言った通りになったようだ』

『どうしました?』

辟邪ビーシェだよ……我が狼旅団の兵士たちも、少しマズい状況に陥りつつある』

『だ……大丈夫ですかっ!?』


 やはり――!

 あの辟邪の娘は生きていた。オロチさまが後を追ったというが、逃げおおせて自陣に舞い戻ったということなのだろうか!?

 そして再び我々に対し牙を剥いた――

 あれほどの重傷を負っていたというのに、性懲りもなく――!


 ァァァァァァ――――


 再び、風に乗って先ほどの讃美歌のような歌声が微かに届く。

 士郎は、慌てて鉄帽を逆さにし、ホログラフィ映像をボワッとその場に表示させる。顔を歪ませながら、未来と久遠も覗き込んだ。

 表示されているのは、ドローンからの空撮映像だ。今や市内中心部を制御下に置いている狼旅団の兵士たちが、あちこちに見える。辻々には戦闘車両が停まっており、旭日旗が翻っていた。

 だが、一部では何か大きな動きが起きているようだ。士郎はその部分をズームする。


 中国軍――!!


 その一角では、中国軍が激しい攻撃を加えているようだった。対峙する狼旅団の兵士たちは、だが――上空から見る限り、その動きは精彩を欠いていた。

 なんてことだ……精神攻撃を受け、動揺しているのか!? 精鋭の兵士たちが、頭を抱えてその場にうずくまっていた。間違いない――彼女は、人の心の奥底にある深い傷を抉り出すのだ。兵士たちはベテランであればあるほど悲惨な経験を重ねているから、心の引き出しの奥深くにしまい込んだ過去のトラウマは、想像を絶する痛みとなって彼らを襲っているのだろう。


『――将軍! 精神攻撃を受けた兵士たちは、同士撃ちの危険がありますっ!』


 士郎は無線で叫ぶ。これだ――この容赦ない攻撃が、彼女のやっかいなところなのだ。ふと周りを見る。未来と久遠は、ますます辛そうな顔をしていた。避難民たちはっ!?

 校舎の中で、人々が気分悪そうにうずくまっていた。平気な顔をしている人々が意外なほど多いのは、おそらく彼らがそれほど辛い体験をしていないからだろう。だが一部の人々は、憔悴し切っている。あぁ……身内が戦争で酷い体験をしたのだろう……それは夫か、父か、息子か……あるいは非戦闘員に対する無差別攻撃の記憶か――


 かくいう士郎も、なんだか胸が苦しくなってきた。いかん――トラウマが多すぎて、自分で自分を殺したくなってきた……

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