第396話 パラサイト(DAY10-8)

 それが、敵辟邪へきじゃ――ガンダルヴァによる精神攻撃であることは、もはや疑いようのない事実だった。

 多くの兵士たちが、戦場で青い顔をしてうずくまっている。


 その影響範囲が、例の讃美歌のような歌声が聞こえる範囲であるということも、なんとなく分かってしまった。士郎たちのいる場所ではそれほど聞こえないが、前線との無線の遣り取りの中で、インカム越しにその讃美歌が大音響で流れているのが漏れ聞こえてきたからだ。つまり、旅団兵士が展開している最前線では、恐るべき音量であの歌が兵士たちに襲い掛かっているということだ。


『……ぅいッ! ……中尉!! ……こえるか……聞こえるかいッ!?』


 ハッと気が付くと、誰かが士郎に必死で呼びかけていた。


『あ――えと、こちらは石動いするぎ中尉だ! 今、誰が――』

『あぁ! よかった……こちら叶だよ! 現在大社の本殿だ。そっちは大丈夫かい?』


 聞こえるか聞こえないかの距離にいるとはいえ、士郎は無意識にガンダルヴァの精神攻撃に呑み込まれるところだったらしい。知らずに意識が遠のいていた。


『すッ! すいません少佐――こちらは問題ありません』


 もちろん、多少の誇張はある。本当は、問題ないわけじゃないのだ。現に今、自分はやたら自殺したくなっている――!


『……あの歌声だが……どうやらガンダルヴァの思念を増幅する、音響兵器の一種らしい』

『音響兵器ですか!?』

『あぁ、それがどれだけ危険なものか、君も知らないわけじゃないだろう!?』


 音響兵器ソニックウェポン――

 それはこの時代、極めて身近なデバイスだ。

 敵の破壊、殺傷、抹殺を主目的とする第一線の戦闘部隊では殆ど運用されていないが、軍政を担当する憲兵隊や、国内の治安を担当する警察機動隊などでは逆に標準装備されている。

 その最大の特徴は、対象を傷つけることなく無力化する、というものだ。

 音波を照射することで、人の正常な判断能力を奪い、聴覚器官や平衡感覚を喪失させて対象の行動を封じる。殺傷を主目的としないデモ鎮圧や大衆誘導に、音響兵器は極めて有効なのだ。


 そもそも人間は、「音」というものに極めて敏感だ。

 もちろん、人間に限らず、大抵の草食動物や鳥などは「音」に対して極めて警戒心が強い。長い進化の過程の中で、自然界における弱者は大抵こういった「音」や「臭い」によって周囲のリスクを感じ取ってきたからだ。それはある種「被捕食者」特有の習性、本能と言ってもいいかもしれない。

 もちろん「視力」もあるに越したことはないが、草原や森の中など、視界の見通しの効かないところで暮らすうえでは、視力よりも聴力や臭いに敏感な方が生き残る可能性は高くなる。

 

 だから、その本能は何万年――数十万年経っても変わらず、人間の奥底に眠っている。暗闇の向こうから聞こえる物音や足音を人間が極端に警戒するのは、当時の名残りだろう。

 ポイントは、人間がそういった音にという点だ。


 音響兵器は、その恐怖を増幅するために発達してきた。

 最も実戦に活用していたのは、第二次大戦中のナチス・ドイツだ。欧州各地を空爆の恐怖に包んだユンカース急降下爆撃機は、攻撃の際その脚部の独特な形状により、期せずして甲高いサイレンのようなノイズを辺り一帯に撒き散らしたという。

 結果として人々は、そのユンカース独特の恐ろしい音が降ってくるたび、パニックに陥ったのだそうだ。こうして爆撃目標周辺に「圧倒的な恐怖心」と「威圧効果」を生み出していることを知ったナチス・ドイツは、その後意図的にさまざまな航空機にノイズ発生器を付け、敵国の人々にストレスを与え続けたという。


 さて、これらの実例を引き継いだのが主に米国だ。

 21世紀初頭から、世界の紛争地域で治安維持活動に従事していた米軍は、多くの音響兵器を実戦配備していった。

 その代表格が『LRAD』と呼ばれる長距離音響発生装置だ。

 このデバイスは極めて指向性が高く、数百メートルから時には1キロほど先までの「対象のみ」に向けて特定の周波数の音を照射することで、周囲に負担を与えることなく確実に狙った目標の動きだけを封じることができる。

 結果、対象は極めて不快な感覚を味わい、それ以上行動することを妨げたり、場合によっては一定時間聴力を喪失させたりして、無力化されるわけだ。


 当時武器使用に極めて厳しい制限のあった海上自衛隊も、この音響兵器を多用している。

 たとえばソマリア沖での海賊対策。他にも、水産庁の調査捕鯨船が、妨害活動を加えてくる環境テロリスト「シーシェパード」を洋上で撃退するために使用した実例もある。


 それだけではない。日常生活においても、この音響兵器は実にさまざまなところで人知れず活用されてきた。例えば深夜の公園。たとえば治安の悪い地域にあるコンビニ。

 若年層にしか聞こえない、甲高くて不快な周波数――一般的には『モスキート音』とも言う――を密かに一定範囲の中で照射し続けることで、無軌道な若者たちをその場に居られなくして追い払うのである。

 さらに21世紀半ば近くなって日本国内でも政情不安が激しくなると、頻発するデモを鎮圧する目的でLRADが多用されるようになった。最も激しかったデモ鎮圧作戦では、LRADの出力を上げ過ぎて何人ものデモ参加市民が死亡したり、聴覚障害に陥ったりもした。送出する音声を間違えれば、集団自殺だって起こったかもしれない。


 つまり言いたいのは、この音響兵器というものは、低強度から高強度まで、実に対応レンジの広い群衆制圧兵器である、ということだ。その強度によって、この兵器は非殺傷の治安維持デバイスから、恐るべき狂気を生み出す非人道兵器にもなり得る。そして繰り返しになるが、人間はこの手の攻撃に極めて弱い。

 そんな兵器が、この戦場で敵辟邪の精神操作の増幅装置として使用されている――というのだ。


『――大丈夫、中尉、少佐、見ていてください』


 突然、ヂャン秀英シゥインが割り込んできた。

 先ほどガンダルヴァの精神攻撃を懸念した士郎に、“いい考えがある”と豪語したのが張将軍だ。いったいどうするつもりなのか……

 士郎はドローンの空撮映像にかじりつく。


 すると、うずくまった狼旅団の兵士たちに、中国兵たちが無慈悲にも攻撃を仕掛けていた。先ほどの士郎と同様、兵士たちは半ば意識も朦朧としているのだろう。さして反撃も出来ず、次々に倒されていく兵士たち――


 クソっ――!

 そもそも、なんで中国兵たちはこの音響兵器の影響を受けないのだ!?

 さっきから見ていると、頭を抱えてへたり込んでいるのは日本兵だけだ。いくら音響兵器には指向性があるとはいえ、今のように彼我の配置が混在するような場面で、中国兵たちだけがピンピンしている理由が分からない。

 耳栓でもしているのか――それとも何か別の理屈なのか――!?


 だが次の瞬間、唐突にその中国兵たちが――吹き飛ばされた!


 それまで殆ど無抵抗の日本兵を蹂躙していた彼らは、突如として反撃を受け、逆にパニックに陥り始め、愚かにも右往左往している。ざまぁみろ――!

 しかしこの強烈な一撃を見舞ったのは、いったいどこの部隊だ!?


『――少し出遅れました。森崎隊――ただいまより前線を交替します』


 当たり前のようにインカムに入ってきたその声は――!!


『え!? も――森崎大尉!?』

『あぁ、久しぶりですね、石動中尉』


 少し低めの、冷静沈着な声。それは忘れもしない――


『ドロイド隊、3,000名――これより戦線に合流します』


 一個連隊規模!?

 それがどれほどの大規模兵力なのか、ドロイドという存在を知る者なら分からない訳がない。

 

 シリアルナンバーRD-9119、森崎一葉かずは大尉は、元宇宙軍でミサイル駆逐艦『いかづち』の気象長をやっていたドロイド兵だ。士郎たちオメガ特戦群がハルビンに進攻するにあたり、大陸派遣ドロイド部隊連絡将校として特戦群に一時的に編入され、一緒に戦火をくぐった仲だ。

 確か現世に戻って中国軍相手に従軍していたはずだが――


『――えと……森崎大尉、向こうの方は大丈夫なんですか!?』


 向こうの方とはもちろん、『現世うつしよ』日本のことだ。


『はい、幸い力強い援軍が現れましたので、四ノ宮群長に再度こちらに転戦するよう指示を受けました』


 さっきも張将軍が同じことを言っていたな――

 いったい「援軍」って何のことだ!?


 まぁいい……今はそんなことより……


『り……了解しました。それで、3,000というのは戦闘ドロイドの数ですか!?』

『もちろんです――今回私は群体制御の統率官として参戦します』


 あぁ……やっぱり我が国は、この戦闘を決戦と位置付けているのだ――

 そもそもドロイド兵というのは、1個体ユニットで特殊部隊一個分隊ほどの戦闘力と同等とされる、恐るべき存在だ。

 もちろんドロイドと一口に言っても、用途によっていろいろな機能に特化しており、どれもが同じというわけではない。だが少なくとも「戦闘ドロイド」というのは、シリーズの中で最も戦闘に特化した機材だ。普通の局地戦ならせいぜい100人もいれば御の字。それにしたって一般兵力に換算すれば、極めて高い練度を誇る精強な特殊部隊一個大隊、すなわち1,000人のタケミカヅチと同等レベルなのだ。


 それが3,000人というのは、実に恐るべき物量だ。

 単純計算で先ほどの30倍。つまり、完全装備のタケミカヅチ一個師団を投入したのと同じか、恐らく実際の戦闘力はそんなものでは済まない。

 彼女たち――大抵のドロイドは女性の外見をしている――は、基本的に死を恐れない。もちろん大抵の特殊部隊員は自らの使命のために命を賭して戦うが、彼女たちはその比ではないのだ。

 なにせ「死」という概念がない。

 たとえ自分のボディが滅茶苦茶に破壊されても、人工知能を別の個体に乗せ換えれば、それで元通りなのだ。そんなのが、統制の取れた行動で攻撃を仕掛けてくれば、大抵の中小国家はそれだけで恐れをなし、あっという間に降伏するだろう。


 中佐……これは絶対に、勝ちに来ているな――

 この戦力投射からは、オメガ特戦群群長・四ノ宮東子の圧倒的な意思を感じる。


 早くそちらのケリをつけて、戻ってこい――!


 森崎たちの投入は、現状繰り返されている敵辟邪の精神攻撃に対しても、まさにこれしかないという決定的な切り札だ。

 何せドロイドたちは、惑わされるべき魂――精神が電気仕掛けなのだ。もちろん生身の人間の脳活動だって、突き詰めれば電気活動に違いないのだが、今はそういう屁理屈を言っているのではない。

 複雑な重層構造を見せる人間の精神活動とは異なり、ドロイドたちはその頭脳に搭載されている量子コンピュータの量子的思考――つまり、総当たりリーグ戦のような思考だ……と言っても分かりにくいかもしれないが――に基づいて行動を自律的に決定する。すなわち、複数の選択肢の中から最も合理的な問題解決を導き出すのが彼女たちのやり方なのだ。


 だからどんなにメモリーデータを掘り起こされたところで、彼女たちは何とも思わないだろうし、結果として二度と同じ過ちを繰り返さないよう、より合理的な判断を下すまでだ。


 実際、既に戦線は狼旅団の兵士からまるごと引き継ぎ、森崎たちドロイド部隊が掌握している。

 偵察ドローン越しの映像が、途切れることなく士郎に送られていた。案の定、中国兵たちは突然現れてきた彼女たちに追い立てられ、逃げ惑っている。


 勝負あったな――

 そう思って、士郎がふと視線を外そうとしたその時だった。


 一人の中国兵の動きがおかしい。

 士郎は、その部分をズームする。隣の未来みくと、そして久遠にも一緒に見るよう促す。


 最初ドロイド兵に追い立てられて逃げ惑っていたその兵士は、途中でドッと膝をついた。すると、ブルブルブルと全身を大袈裟に震わせ、激しい痙攣と共にそのまま横倒しになったのだ。

 追いかけていたドロイドが少し困惑しているのが分かる。

 兵士は、倒れ込んだ地面の上でまだビクビクと激しく痙攣していた。いったい何の発作だ!? それがよくあるてんかんの発作でないのは明らかだった。だって、胴体ごとビクンビクンと跳ねているのだ。まるで魚がまな板の上で跳ねているみたいだ。


 未来たちも、お互いの顔を見合わせ、困惑の色を隠せない。


 追撃していたドロイドが、なんとかその中国兵を大人しくさせようと、ガバっと組み伏せようとしていた。なぜひと思いに射殺しないのか不明だったが、何やら不測の事態が起きているようだ。音声がないから、詳細が分からない。


「――いったい何だ!?」


 士郎が呟いた瞬間だった。突然その中国兵は、地面に仰向けに大の字になった。その直後、彼の腹が異様に膨らんだかと思うと、バァーンと破裂したのだ。いや――


 破裂したのではない……その腹から……何やらカニのような、ヤドカリのような、あるいはクモのような――とにかく脚がたくさんある何かの生物が、兵士の腹を食い破って出てきたのである。


 追撃していたドロイドが、ビックリしたように硬直して中国兵を見下ろしていた。その奇怪な生物が、ドロイドにそのまま猛烈な勢いで飛び掛かったのは、その直後だ――

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