第394話 狼たちの領導(DAY10-6)

「――青藍せいらんっ!!!」


 未来みくひざまずくと、銀白色の巨大な狼がたたたっと駆け寄ってきた。そのままモフモフと彼女に覆いかぶさっていく。イヌのようにじゃれつかないところはさすがにオオカミだが、それでも大きな尻尾を右に左にゆさゆさとゆっくり振っているのは、彼の嬉しさの証だろうか。


「久しぶりだなぁ青藍! まったくお前は、いつもいつもイイトコ取りで現れるんだな!?」


 絶望的な消耗戦が唐突に終了して、集まってきたオメガたちも気が抜けたような顔をしている。だがその表情は決して暗くない。どの顔も、むしろやり切ったという清々しさに包まれていた。青藍の仕草に、自然と皆の顔もほころぶ。


「……これ、やっぱりこの子が言うことを聞かせたんでしょうか……?」


 くるみが誰にともなく訊く。戦場には静寂が広がっていた。


 あれだけの猛威を振るった獣たちの襲撃が、今は一切のなりを潜めているのだ。

 獦狚ゴーダンたちは皆一様に大人しく地面に伏せていて、それまでの殺意や凶悪さはどこにも見出せない。おまけにあの巨大な戦象――ステゴドンも、見渡す限りすべて駆逐されていた。獦狚ゴーダンが叛旗を翻し、奴らに襲い掛かったのだ。士郎の視界の中には、3頭の巨象が四肢を上向きにして果てている。


 いっぽう中国軍は、突然の形勢逆転を察したのか、突如として後退に転じた。それを見切った田渕たち機動戦闘車隊は、最初少しだけ追撃に転じ、ある程度緩衝地帯を確保したところで深追いを止めた。現在は避難所から半径1キロほど先の外周を防衛ラインとして、警戒態勢に入っている。


「よくわからないが、さっき見た限りでは、青藍の遠吠えに応えるように獦狚ゴーダンが反応してたように見えたな」

「突然攻撃の矛先を変えたのです」


 久遠と亜紀乃も同調する。やっぱりそうだよな……


「……間違いないだろう……青藍があのバケモノたちを統制して、俺たちを救ってくれたんだ」

「うん――ありがとう青藍」


 皆の話を聞いて、未来はさっきよりも強く青藍をわしわしと撫でた。青藍も気持ちよさそうに目を瞑って、未来にされるがままにしている。


「……ちょっと待て、もともと青藍は、ヂャン将軍に預けてたんじゃないか?」


 士郎は大事なことを思い出した。

 オメガチームをはじめとする第一戦闘団が『幽世かくりよ』に転移する際、青藍は留守番部隊の張将軍たちに預けてきたのだ。


 もともとこの子は、ただのオオカミではない。張将軍配下の兵士、浩宇ハオユーとハイイロオオカミとのキメラ結合体として獦狚ゴーダン化していた個体なのだ。それが、未来の覚醒に伴うリセット現象で再度分裂、再結合したという稀有な存在。

 浩宇自身はその際、命を落としてしまったが、オオカミのほうは見ての通り、美しい銀白色の個体として無事再生を果たしたというわけだ。

 だが、その美しいオオカミは、いろいろな部分に元人間だった要素が垣間見える、特別な存在だった。未来はそんなこの子を自分のペットとして引き取り、今に至っている。


 しかし、さすがに異世界へ転移するにあたって、今回ばかりは置いてきたのだ。ただでさえ普通の生い立ちではない青藍が、並行世界に転移するにあたって、何らかの致命的な影響を受けないとも限らなかったからだ。

 その子が、今ここにいるということは――!?


『機動戦闘車より指揮官CO――中尉、聞こえますか?』


 田渕がインカム越しに呼びかけてきた。


『あぁ、今度は何だ!?』


 どうせロクな報告じゃないことは分かり切っていた。内心うんざりしていたが、獣たちはなぜかこのとおり大人しくなっている。だとすれば中国軍か……人間の方がまだマシかもしれない――


『えと……本当に来ました……』

『ん? 何がだ!?』


 珍しく田渕が、曖昧で不明瞭な言い方をする。


『あれは恐らく……援軍です』

『――へ!?』


 先だって士郎は、避難民たちを前に「籠城して徹底抗戦」を宣言したばかりだ。その際「いつまで?」という市民の問いに「援軍が来るまでだ」と嘘をつき、彼らの動揺を無理やり抑えたのだ。だが本当のところは援軍の目途などまったくなく、絶望的な消耗戦に突入していたというわけだ。

 それが本当に来るとは――


『間違いないのか!?』

『方位〇―二―三を見てください。あれ、我が軍の戦旗です』


 士郎たちは慌てて双眼鏡を向ける。そこに映っていたのは――


 間違いない……白地に赤の放射ライン――旭日旗だ。


『ホントだ……』

『どこの部隊だ!?』

『分かりません……現在複数の周波数で呼びかけて――あぁ、繋がりました!』


 すると突然、懐かしい声が士郎たちのインカムにも飛び込んできた。


石動いするぎ中尉! 遅くなって申し訳ない。こちらは狼旅団――張秀英シゥインだ』


 ――――!!


 張将軍!?

 元『華龍ファロン』黒竜江省軍団長にして日本に亡命し、特別に国防軍少将を拝命して自分の部隊を率いることになった客将だ。

 彼が率いる通称『狼旅団』――第101独立混成旅団は、将軍を慕って一緒に亡命を果たした元華龍兵士をはじめ、もともと国防軍にいた外国出身兵たちを纏めた寄せ集め部隊――いわゆる外人部隊だ。

 だがその勇猛果敢さは、既に多くの戦闘で証明されている。まさに心強い友軍だ。


『将軍! いかがされたのです!? てっきり現世うつしよで奮戦中とばかり……』


 士郎は、意外過ぎる成り行きに戸惑いを隠せない。だがそれと同じくらい、嬉しさが滲み出ていた。だって、無間地獄のような消耗戦を強いられて、正直今や進退窮まっていたのだから。これほど心強い援軍は、士郎の軍歴の中で一番と言っていいだろう。

 そんな喜びが、無線を通じて伝わったのか、張は嬉しそうに応じる。


『――積もる話はたくさんある。一番の要因は、力強い援軍が向こうの世界にも現れたってことだ。それで玉突きになって、自分たちがこっちに派遣されたというわけだ』

『力強い援軍!?』

『あぁ、聞いたら驚くぞ!? だが、話はあとだ。今は貴隊と合流し、この戦いに勝利しようじゃないか!』


 あぁ――士郎はその力強い言葉に、思わず感極まる。

 もちろん素晴らしい仲間たちとともに戦ってきたわけだが、若輩の中尉にできることにはおのずと限界がある。本国でも国家存亡の決戦が行われている以上、弱音を吐くわけにはいかなかったが、それでも内心はいつ挫けてもおかしくないほど追い詰められていたのだ。

 彼のような老獪な将軍が傍についてくれることが、どれだけ心強いことか――


『――ところで未来は元気かね?』

『将軍っ!!』


 その言葉に、未来は思わず無線に割り込んでしまう。士郎もふっと笑みを浮かべ、会話を譲った。


 彼女と張秀英は、因縁浅からぬ仲だ。もともと張率いる当時の華龍に大陸で拉致されてしまった未来だが、敵同士という関係ながら、彼とは不思議な友情を結んだのだ。

 結果的にその友情が、張とその直参将兵たちの造反を促し、彼らの日本亡命に繋がることになる。同時にそれは、中国人なら誰でも憎むべき敵――というステレオタイプな分類を打ち壊し、この戦争が単なる国家同士、民族同士の戦いではなく、正義と悪の戦いで、そこに人種や国籍などは関係ないという新しい価値観を生み出していた。だから今の日本にとって、中国軍は敵だが、中国人は敵ではない。


『おぉ、生きていたか』

『はい、何とか……青藍が来てくれたから、もしやと思っていました!』

『ははは、そうだな。彼は恐らく君の匂いを辿ったのだろう。お陰でうちの部隊は労せずして君たちを見つけることができた』

『はやく会いたいです!』

『あぁ、今回は、君の大切な友人も一緒だ』

『えっ!? それって――』

『恐らく、君の想像は正解だ。もう少しだけ、待ってくれ。30分後に合流しよう』


  ***


詩雨シーユーっ!」

「未来っ!!」


 避難所の一角で再会した二人は、会うなりひしと抱き合った。

 ヂャン詩雨は、将軍の実の妹だ。ハルビンの華龍本部に未来が軟禁されていた時に、偶然出会った異形の怪物――それが詩雨との出逢いだ。


 だが、未来はその肉塊となぜか意思を疎通させることができた。それを知った秀英は、未来に心を開き、あれこれと便宜を図るようになる。

 その後李軍リージュンの暗躍により華龍内での激しい権力闘争――というか謀略が起こり、秀英は失脚した。李軍の独善的な行為を激しく糾弾したせいだ。

 その後日本軍が未来の軟禁先をハルビンと断定したことで奪還作戦が決行された。その時の激しい戦闘の過程で、最終的には未来の覚醒により、詩雨は元の身体を取り戻したのだ。

 幽閉されていた秀英たちを救い出し、最終的に彼に亡命を決断させたのもその時のことだ。


 結果的に、未来は詩雨と秀英という兄妹をいろいろな意味で地獄から救い出した、命の恩人だ。その時の友情は、決して壊れることはない。


 詩雨は、そのゾッとするほど美しい容貌を、1ミリも衰えさせていなかった。


「――元気そうでなにより……」

「そういう未来は、疲れてるね……」


 さすがに、ここまで殆ど不眠不休で戦い続けているのだ。未来に限らず、他のオメガたちもたいがいだ。詩雨はそんな未来たちに話しかける。


「でも、私たちが来たからにはもう安心だよ! 何せ秘密兵器を持ってきたからね!」

「「「「秘密兵器!?」」」」


  ***


「それはいったいどういう代物なんです?」


 士郎は怪訝な顔で張を見つめ返す。隣の田渕も同様だ。

 張秀英は、そんな士郎たちに一杯のお茶を勧める。


「まぁ、まずは一息ついてくれ」


 士郎たちは、未来たちと別れて一輌の機動戦闘車の兵員室に籠っている。避難所の建物はすべて避難民に開放していて、いまさら兵士たちが詰所にするようなスペースはない。そうかといって、立ち話できるような内容でもなかったので、急遽前線から一輌、戦闘車を回してきたのだ。兵員室は防音性も高く、情報が洩れる可能性は低い。


 士郎と田渕は、張の従兵が淹れた一杯の中国茶を慎重に飲み干した。本格的な淹れ方で、小さな湯呑は思わず手を放してしまいそうなほど熱い。ホゥ……


「まずは貴殿たちの奮闘に敬意を表したい。よくぞこの寡兵で持ち堪えたものだ」

「……恐れ入ります。オメガたちもいましたから、なんとか……」


 張が引き連れてきたのは、およそ1万人だ。一般的な独立混成旅団の部隊規模としては、一回り大きい。これほどの兵力を転移させてきた裏には、きっと咲田広美の尽力があったのだろう。彼女は出雲大社で大国主命オオクニヌシノミコトに拝謁を賜るという大仕事を終え、一旦どこかへ行くといって出かけて行ったきりだ。まさか援軍を引き連れて来てくれるとは思わなかった。


「――それで、先ほどの話だが……」

「はい……」

現世うつしよから各地のご神体を持ってきたのだよ。咲田氏が、宮内庁から託されてきたんだ」

「ご神体!? それをいったい何に使うんです?」

「彼女によると、こちらの世界の日本では、大半の神社が棄損され、ご神体が盗まれたそうじゃないか」

「えぇ、仰る通りです。こちらの中国軍が、全国的に進めていた占領政策です」

「それで、代用品として現世のご神体を一時的に持参したんだ。奪われた場所に、再度奉納するためにね」

「……再度……奉納……?」

「あぁ、咲田氏曰く、そうすることによって再び……何と言ったか……そう、レイラインなるものが復活するのだと……」


 レイライン――!

 以前一度だけ、広美に説明を受けたことがある。それは遥か昔から人々に、大地のエネルギーの流れ――『地脈』とか『龍脈』と呼ばれていたものだが、その真実は“地球上に描かれたエネルギー集積回路”だ。

 それはつまるところ、遥か何光年も彼方のシリウス星系――余剰次元空間――から地球に向けて放たれるエネルギーを、適切に『装置リアクター』へ送るための、いわば雨樋ガイドラインのようなものなのだと――

 そして全国の神社や聖地と呼ばれている場所というのは、それらレイラインの『結節点』上に造られた、いわば制御装置なのだ。


 確かに今、こちらの『幽世かくりよ』世界では、各地の神社のご神体が奪われてしまったことで、本来のそうした機能が発揮できなくなっている可能性が高い。それを、並行世界からまったく同じものを運んで再設置することで機能復活させ、再稼働させようということなのか――!?

 しかし、それを行うことで果たして何が起きるというのだ!?


「……最終的な勝利条件は!?」


 士郎はその作戦目的をずばり問い質す。広美が――宮内庁が――ひいては日本国が目指しているものとはいったい……!?


「現世に転移してきた中国軍の、再転移だよ。ついでにこの幽世にいる中国軍も、どこかに飛ばせたらと思っている」


 ――――!!!!


 確かに、それが実現したら一気に戦局は逆転するだろう。現世も、幽世も、両方ともだ。

 特に、もともと士郎たちのいた現世の日本と、ここ幽世の日本が表裏一体であるということが分かってしまった今、こちらの幽世日本の安定もまた、現世日本の安全保障には絶対不可欠の要素なのだ。

 この作戦の意義は、限りなく高い。


「――というわけで、四ノ宮群長は、我々を中尉の支援部隊として送り込んでくれたというわけだ。今や幽世世界については、君が第一人者だ。まずはここ、出雲を完全支配下に置き、ここを基点に夏至ラインを完全制圧する!」

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