第393話 ハウリング(DAY10-5)
「中国軍は、獣たちを何とか制御し始めたようです」
田渕が戦術統制システムのモニターを忙しく操作していた。
画面には、
それまで無秩序に暴れ回っていた獣たちが、キチンと前線を維持しながら攻め寄せてくる様相が、手に取るように分かる。それは明らかに、統制された動きだった。
「獣たちの数の方が多いんじゃないか?」
画面を覗き込む士郎が指摘する。確かに、敵主力である南戦線は、先ほどF-38が空爆を行ったことで事実上瓦解していた。だとすると、ここに映る敵部隊は、残存兵力を立て直したということなのだろう。
チッ……今回はなかなかしぶといな――
士郎は胸の内で舌打ちをした。敵も、この戦いが天王山だと理解しているに違いない。
「――出雲大社はどうやっても獣たちが手を出そうとしないようです。だからこちらに全振りしてきたのでしょう」
「ここに避難民が集まっていることは、敵も承知しているみたいね」
「……敵は、我々の戦略目的を見誤っている可能性があります。徹底抗戦しているのは、市民を守るためだと……」
「だからこちらに総攻撃を仕掛けようと?」
「そうです。避難民を抹殺してしまえば、諦めてこちらが撤退すると考えているのでしょう」
「我々白
「そうですね……だとすると、敵の索敵能力はほぼ喪失しているかもしれません。ある意味チャンスです」
とは言うものの……
依然として危機的状況であることに間違いはなかった。
確かにここで避難民たちを見捨ててしまえば、部隊としては非常に身軽になる。太平洋戦争中も、南洋諸島の多くの攻防戦で、現地住民や日本人入植者を守るため、島の守備隊は相当苦戦を強いられたのだ。
その中で、多くの逸話も生まれている。最期まで現地民を守り抜こうとして玉砕した部隊は、今でも現地から尊敬され、島民はその英雄的行為を語り継いでいる。
いっぽうで、たとえば沖縄戦は多くの悲劇を生んでしまった。最初県民をなんとか守ろうと必死で戦っていた日本軍だが、米軍の激しい攻撃で戦線が崩壊すると、最終的には県民保護を放棄した。もちろん、現場の分隊レベル、個人レベルでは必死に目の前の県民を守ろうとする兵士もいたようだが、組織的に保護を諦めた時点で、多くの悲劇が生まれてしまった。
沖縄戦の評価は軽々には出来ない。多くの英雄的行為が生まれたし、それと同じくらいの残虐で非人道的な行為も行われたという。多くの人がいろいろな思いを今でも抱いているし、それが正しいとも間違っているとも言う資格は、後世の士郎たちには1ミリもない。
ただ一つ言えるのは、戦争に住民を巻き込んでしまうことの困難さだ。そしてまさに、士郎たちは今、その困難にぶち当たっている。
「敵の第二波攻撃は、獣たちだけでなく、中国兵たちの火器にも気を配らなければなりません。機動戦闘車隊は、主に中国兵たちを相手することになるかと――」
田渕が申し訳なさそうな顔をする。だが、それが最も合理的であるのは論を待たない。
「――当然だ。獣たちはオメガチームで何とかする」
士郎は、4人のオメガを見回した。覚悟はいいな――という目配せだ。彼女たちの顔には深い疲労の色が見られるが、致し方ない。避難民を見捨てるわけにはいかないのだ――
***
無数の獣が四方八方から襲撃してくるという事実は、悪夢以外の何物でもない。
避難所は、決して要塞ではないのだ。土塁があるわけでもないし、強固な掩蔽壕が築かれているわけでもない。ただ、電磁的な防壁があったに過ぎないのだ。
だが今や、その電磁防壁は存在しない。あるのは、何の変哲もない学校の校舎と広い校庭のみだ。
だから一番効果的な戦いは、15世紀から16世紀にかけて編み出された要塞戦の手法以外にはあり得なかったのだ。だが、少なくとも砲兵部隊のいない中国軍と、肉弾戦のみで襲い掛かってくる獣たちに対しては、案外効果的なのかもしれない。
「――星形要塞?」
久遠が不思議そうに訊ねる。
「あぁ、俺は日本史専門だから、あまり詳しい方じゃないんだが、士官学校で一回習ったことがあるんだ。日本では、函館の五稜郭が代表的だな」
士郎が言っているのは、幕末に起きた函館戦争で榎本武揚が立て籠もった、
防御側は、攻め手に対して一切死角がないから、これほど効率的な守備は他にない。
今回士郎は、この星形要塞の原理を応用して、全周から襲い掛かる獣たちを撃退しようと考えたのだ。幸い、オメガチームは士郎を含めて5人いる。校舎をペンタグラムの中心に置き、ほぼ五角形の各先端に、それぞれを配置する。機動戦闘車はそれよりも一回り外側に配置し、獣越しに攻撃してくるであろう中国軍たちに対処する。
さっそく、獣の群れが視界に入ってきた。
『士郎さん、
『あぁそうだ――くるみ、無理せず、すぐに隣に助けを求めるんだぞ!?』
『アイアイっ!』
5人は既にペンタグラムの各先端に位置しているから、辛うじて見えるのは両隣の2人だけだ。注意すべきは位置取り。勝手に突っ込んでいったり、引いてはならない。常に綺麗な五芒星を維持することで、相互のカバーが可能になるのだ。
『私のところにも現れた――では、押して参るっ!』
『――久遠、くれぐれも突出するなよ!?』
『あぁ、了解だ!』
『亜紀乃ですっ! こっちにも来ました! 対処するのです』
士郎は、左隣の先端を担当する未来の方を向いた。美しい銀髪が煌めいているのが目に入る。その前方には、土埃が舞っていた。
肝心の、自分のところにはこないな……と思っていたら、右隣のくるみから焦った声が聞こえてくる。
『――士郎さんッ! すいませんそっちに小集団が行きましたッ!』
『了解だ、任せろっ』
見ると、確かに数頭が土煙を上げてこちらに急速接近するところだった。あれを深追いせず、あくまで冷静に自分の位置をキープしているくるみは、さすがと言っておこう。
士郎は、ゾーンディフェンスの要領で少しだけ位置を変え、迫り来る群れに対峙する。一撃の位置まで近づいたところで、その長刀をスラリと抜き、躍りかかった。
ザシュッ――!!
ヴァサッ――!!!
あっという間に斬撃が奴らを切り刻む。血飛沫を上げて転がる獣たちを一瞬目で追うと、士郎は躊躇なく元の位置に戻っていった。星形城塞戦は、いかに先端の位置を維持するかが勝負の分かれ目なのだ。
『ナイスです! 士郎さんっ』
くるみの嬉しそうな声が響く。だが、浮かれる間もなく今度は士郎の位置の正面に、別の群れが現れた。よし来いッ! いくらでも相手してやるぞ!?
***
『――士郎!? 大丈夫か?』
久遠が心配している。彼女と亜紀乃は、ペンタグラムの反対側の配置だから、そちらの状況がどうなっているか掴めない。士郎を心配して、声を掛けてくれているのだ、というのがひしひしと伝わった。
『――あぁ、なんとかな……』
もはや「そっちこそどうだ?」と聞く気力もない。ふと、両隣の未来とくるみのところの様子を覗く。案の定そちらも、相当数の
かく言う自分自身の持ち場前にも、これでもかという数が積み上がっていた。
はぁッ……はぁッ……はぁッ……はぁッ……
もはや限界が近い。先の方では、機動戦闘車が2輌、激しい銃撃で後方から迫る中国兵たちを牽制しているのが見える。
なんだこの消耗戦は――!?
もう相当数の獣を斃したはずだが、一向に勢力が衰える気配がない。次から次へと新手が現れては、馬鹿の一つ覚えのように飛びかかってくる。
不幸中の幸いなのは、奴らが人間の軍隊のように、一斉に襲ってこないことだ。そこはもしかしたら、狼の習性なのかもしれない。奴らは常に、ある程度の
それにしたって数が多すぎる。既に5人合わせて数百頭の
おまけに、ステゴドンだ。
先ほど8頭やっつけたことで警戒したのか、それほど数は多くないのだが、それでも士郎の視界に収まる範囲だけでも、3頭から4頭がうろついている。避難所全体を取り囲んでいるのは、やはり先ほどと同じ、7、8頭はいるのではないだろうか。
『――し、士郎!? コイツら、いったいどれくらいいるんだろうな!?』
ハァハァ荒い息をさせながら、久遠が訊いてくる。さすがに疲労困憊しているようだ。
『……そうですね……覚悟はしてましたが、予想以上かも……』
未来も、珍しく弱音を吐く。いや――よく考えたら、彼女は先ほど大社での戦闘で死にかけているのだ。そういう意味では、くるみだってまだ万全じゃない。ウズメさまの神威がなければ、今頃命を落としていたかもしれないくらいなのだ。
皆、疲弊している――
士郎の胸に、絶望の黒い炎がチロチロッと燃えかけた、その時だった。
オォォォォォォ――――ン
突如として、戦場に何かが響き渡った。太く低く、そしてどこまでもよく通る、圧倒的な音――
オォォォォォォォォォォォ――――ン
まただ――!
これはいったい……士郎は、思わず右隣のくるみと、そして左隣の未来の方を交互に見る。様子を見る限り、二人にもこの音が聞こえたようだ。特に未来は、激しく周囲を見回して何かを見つけようとしているみたいだ。
あぁ……そうか――! これは――
狼の遠吠えだ――
オォォォォォォォォォォォン――――
すると、その咆哮が明らかに戦場全体の空気を一変させたのが分かった。なぜなら、それまでグルルルル――とあちこちで恐ろしげな唸り声をあげていた
それだけではない。連中は、いきなりその場に立ち止まると、腰を落として座り込んでしまったのだ。
『――ど……どうした!? 何が起きてる……!?』
『士郎くん! あれ……』
左隣の未来が、前方を指さしていた。
その指し示す方向に視線をやった士郎は、驚きのあまり声を失う。
美しい白銀の毛並み。他の
それは間違いなく、
『青藍――!!』
その未来にそっくりの美しい狼は、堂々と戦場のど真ん中に立ち、その太い首を天に向けてなおも雄々しく吠え続ける。
オォォォォォォォォォォォ――――ン!!
それが最後のトドメとなったのだろうか……
ついに見渡す限りの
戦場を、一瞬の静寂が支配した。その空気を切り裂いて、未来の声がインカム越しに響き渡る。
『――青藍ッ!!!』
すると、その声に反応したのか、前方の青藍がすくっと腰を上げた。真っ直ぐに未来の方を見つめている。次の瞬間――
ウォォォ――ウォォォォォォォ――ン
再び青藍が遠吠えする。すると、それまで大人しく座り込んでいた無数の
その先にいたのは、ステゴドンだった。
数秒もしないうちに到達すると、奴らは再び小集団を形成し、巨象の周りをグルグルグルグルと回り出す。それはまるで、狼が獲物を狩る直前の行動だ。刹那――
パォォォォォォ――ッ!!!
狂ったように咆哮を上げる戦象たち。だが、気がつくと無数の獣がその巨体に殺到していた。
どぴゅぅぅぅ――
どぴゅぴゅッ――!!
戦象が、辺り構わず白濁益を吐き散らかす。そのたびに、至近距離にいた
一体何が起きたのだ!? あれだけの獣たちの群れが、一斉に攻撃の矛先を変え、あっという間に形勢逆転だと――!?
ただ一つ確かなのは、士郎たちはまたしても、青藍に助けられたということだけだ――
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