第379話 供物(DAY9-30)

 圧倒的な空爆を前にして、それでも寸刻も前線への警戒を緩めなかった田渕曹長こそ、さすが歴戦のつわものと言うべきなのだろう。


 燃え盛る敵部隊の展開地域から、最初豆粒のように――じき、大きな黒い物体として飛び出してきたソレの姿を見て、香坂は腹の底から震え上がった。


 獦狚ゴーダン――


 それは、忘れもしない……かつて香坂たちが中国大陸の一角で、当時その辺り一帯を支配していた軍閥『華龍ファロン』にけしかけられ、危うく命を落とすところだった――あの獰猛な獣だ。


 危うく命を――と言ったが、実際にあの時の不規則遭遇戦では、小隊の大半の兵がこの怪物に襲われ命を落としている。武装民兵どもに追い詰められ、それでもなお最後まで生き残って抵抗を続けていた十数名の残存兵の大半が、最終的にはこのケダモノに無残にも喰い殺されたのだ。

 結局、その時の生き残り4名が、士郎であり、田渕、各務原かがみはら、そして香坂なのだ。この長い物語は、その時「オメガ実験小隊」が急遽駆け付け、4名を救出してくれたことから始まっている。


 それがまたしても、今になって目の前に現れるとは――


 だが今回はまだ、田渕曹長のお陰で、僅かな時間ではあるがこちらも心構えが整えられるというものだ。

 もしも不意に目の前に奴らが現れたとしたら、きっと恐怖で身体が動かず、あっという間に頭を喰い千切られていただろう。

 それに今は――


 その少女はまるで、それは私の獲物よ――と言わんばかりに兵士たちの前に立ち上がった。


「――亜紀乃さん……」


 田渕が背中越しに声をかける。


「曹長さん、大丈夫です。時間稼ぎは私がするのです。でも――」


 亜紀乃はふっと振り返り、そこかしこに這いつくばる兵士たちの様子を流し見た。誰もがどこかしら怪我をしている。疲労の色も濃い。決して万全の態勢でないのは明らかだった。


「――今のうちに、みなさんは後退してください。皆さんを守りながらだと、かえって戦いづらくなりそうなのです」


 亜紀乃の言い分はもっともだった。これでは間違いなく足手纏いだ。だが、田渕にも意地がある。少女ひとりを戦場に残し、自分たちが全員撤退するなど、特戦群兵士の名折れだった。


「亜紀乃さん! 元気な者は何人か残ります。急造ですがトーチカもある。ここに立て籠もって、外を掃射するくらいなら我々にもできますッ!」


 田渕のいつにない真剣な眼差しを見て、亜紀乃はこれ以上言うまいと心に決める。こくりと彼女が頷いたのを見て、曹長はテキパキと指示を下していった。


 やがて、重傷者を軽傷者が搬送するかたちで、兵士たちが後退していく。彼らには、士郎が陣取っているはずの出雲大社に向かうよう、指示してある。これも、当初から申し合わせた行動だ。戦況が逼迫してきたら、最後は皆で大社に立て籠もる――


「それにしても――」


 兵士たちを見送りながら、亜紀乃が疑問を口にする。


「――なんで今さらが出てきたのでしょうか?」


 確かにその通りだった。そもそもこのケダモノは、『現世うつしよ』の華龍たち――より正確に言うと、当時の『華龍』科学部門総裁、李軍リージュンなる人物――が、禁忌のキメラ研究の果てに生み出した怪物だ。あまつさえそれを密かに戦場に連れ出し、日本軍相手にけしかけたのだ。

 その後この怪物は、ハルビンでの攻防戦や、上海に異世界中国軍が現れた時にも時折出現しては、国防軍を悩ませてきた。だがまさか……こちらの『幽世かくりよ』にまで現れるとは――


「さぁ……もしかすると、軍用犬と同じような運用でこちらの中国軍も貰い受けていたのかもしれません。それが飛行隊の空爆で檻が壊れて……!?」

「……そうかもしれませんね……だとすると、相当殺気立っているかもなのです」


 二人の推測は当たらずとも遠からずだった。

 実際のところ、中国軍が多数の獦狚ゴーダンを戦場に帯同していたのは事実だし、それが空爆によって逃げ出したのも事実である。しかも、その際に周辺にいた多数の中国兵を、コイツらは


 それが証拠に、既に肉眼でハッキリ見える距離にまで迫ってきた彼らの凶悪な顎には、どす黒い雫がいくつも滴っていた。


『――全員、トーチカに立て籠もれ! いいか!? 絶対に銃眼から距離を取るんだ! 貼り付いてると、腕でも頭でも、持ってかれるぞッ!』


 田渕の号令で、踏みとどまった兵士たちが次々にあちこちのトーチカに飛び込んでいった。それを見て、亜紀乃だけはひとり、外に出てケダモノどもを迎え撃つ。


 ガウッ! ガウッ!!

 グルルルルッ――


 血に飢えた悪魔たちが、すぐ傍まで迫っていた。背中に背負った長刀を、彼女はふたたびスラリと抜いた――


  ***


 ガァァァァァン――!!!


 その大きな破壊音は、拝殿の方からだった。士郎たちは敵辟邪ガンダルヴァを乗せた担架をどうすべきか!? 少しだけ逡巡する。

 元々彼女はオロチに半殺しにされ、今や虫の息である。そこをウズメさまが“獲物の所有者”であるオロチからちょっと拝借するていで、士郎たちに運ぶよう命じたものだ。いったいどこに連れて行くつもりなのかさえ、よく考えたら士郎たちはまだ聞いていない。


「――ウズメさま……」

「今のは何の音じゃろうな? これ蒼流の娘っこよ、少し見てまいれ」


 ハッ――と了解した久遠が、タンッと飛び出していった。すっかり神さまと息ピッタリだ。さすがもと巫女というべきか。

 その間に、士郎はウズメに質問する。


「あの――ウズメさま、この子はいったいどうされるおつもりで……?」

「おぉ、そうじゃったの……いや、ちょっとこやつは使い道があるでの」

「……使い道……ですか?」

「うむ。ホレ、この者はさっき、えらい派手に弾けようとしとったじゃろ?」


 派手に弾ける――とは、もう少しで未来みくが焼け死ぬところだった、あの“熱核膨張”のような現象のことだ。東戦線では、敵一個師団2万を含め、多数の人間を一瞬にして蒸発させた張本人だ。士郎たちは、それがどのような仕組みによるものなのか、未だ承知していない。


「それが……いったいどういう――」


 士郎が言いかけた時、タンッと久遠が戻ってきた。


「――士郎! ウズメさま! 大変だ」

「どうしたんだ一体!?」

「敵兵が、境内に乱入してきた!」


 ――――!!!


 元々防衛線は手薄だった。東西南北、ありとあらゆる方面からの敵の侵攻に対処するため、戦闘部隊はすべて前線に配置してある。それは同時に、市内中心部がガラ空きになっている――という意味でもあった。

 通常なら、市街地の防衛というのは主要道路や重要施設などの周辺、あるいは辻々に警備を配置し、重層的、立体的な警戒線を張り巡らせるものだ。だが、現状は圧倒的に兵士の頭数が足りていない状況で、一度外周の防衛線を突破されたら、あとは本陣まで一直線に攻め込まれてしまうという脆弱さなのだ。

 恐れていたことが現実となった。

 こうなったら、我々だけで対処するしかない――


「クソっ! 敵兵はどれくらいだ!?」


 士郎が問い質す。


「えと……そうだな、せいぜい3個小隊といったところだ」

「結構な数じゃないか!」


 確かにこちらはオメガ2人に士郎、そしてウズメさまだ。言ってみれば、ゴールドメダリスト級のトップアスリートが集まっていると言っていい。3個小隊90名ほどの人数なら、対処できない数ではない。

 だが、油断は禁物だった。こんなところにまで乱入してきた連中だ。恐らく全員特殊部隊――日御碕ひのみさきで昨夜、亜紀乃が苦戦した連中かもしれない――


 すると、突然ウズメさまがノリノリになった。


「おぉ! ちょうどよいかもしれん! どれ、ここはひとつ、わらわの指示に従ってはくれまいか!?」


 あれ? いつになく丁寧な言い方だな――と士郎は少しだけいぶかしんだが、まぁいいかと受け流す。だが、ウズメの言葉遣いの変化にはやはりそれなりの理由があったことを、士郎たちはすぐに知るところとなる。


  ***


「――はぁッ!? そんなこと、できませんよ!」


 士郎は色をなして反論する。


「なぜじゃ!? こやつは敵ぞ!? 何を躊躇うことがある!」


 ウズメも一歩も退かない。未来と久遠は、二人の間でオロオロするだけだ。


「し、士郎よ……すぐ傍まで敵兵が迫っているのだ。こんなところで口喧嘩してる場合ではないぞ……」


 久遠が宥めようとするが、士郎は頑として首を縦に振らなかった。まぁ、久遠も未来も、心情的には士郎に賛成だったが、ウズメの言い分にも一理ある。だが、確かにこれは――


「……だって、いくら何でも彼女の身体をバラバラに切り刻むなんて、あまりにも非人道的ですッ!」

「バラバラとは言うておらんじゃろうが! ホレ、どのみちこやつの身体はオロチによって既に切り刻まれておるのじゃ。それをちょいっとちぎって――」

「何がちょいっとちぎってですか!? そんな猟奇的なこと、できるわけないじゃないですか!」


 要するに、ウズメの提案はこうだ。

 実は士郎たち国防軍は、この出雲大社全域に、ある仕掛けを施していたのだ。それは、昔ながらの日本の城に仕掛けてあるような「落とし穴」や、突貫工事で造った「空堀」、敵兵たちが一列でしか通れないような狭い通路、そして「石落とし」などだ。

 これは、工兵隊の古参兵が思いついたものだ。彼曰く、結局のところ数百年間の戦国時代を経て洗練された日本の城の防衛機構こそ、とてつもなく理に適っていて、護るにやすく、攻めるにかたい――ということらしいのだ。あくまでここ出雲大社を死守しなければならない士郎たちにとって、それはそれなりに魅力的な提案だった。ということで、今や大社は戦国時代の城郭もかくや――という恐るべき細工でハリネズミのようになっている。


 ウズメはこれに加えて、敵兵を翻弄するある途轍もないモノを加えようと言い出したのだ。


 それは「次元移動」という魔法のような悪魔の仕掛けだ。

 工兵隊が要所要所に作った仕掛けに敵兵たちが迷いこんだら、さらにこのトラップが発動するようにしたいのだという。


 そしてそれには、どうしてもこの敵辟邪へきじゃの身体の一部が必要らしいのだ。


「――そこが分からないんですよ!? なぜウズメさまの仕掛けに、この子の身体の一部が必要なんですか?」


 いきり立った士郎が、神さまを詰問する。この人は、どこまで行っても正義の人なんだな、と未来は少しだけ気持ちが熱くなる。これだけ追い詰められているというのに、キチンと自分の中で“一線”を持っている。どんなに酸鼻を極める戦争の中にいても、人間ひととしての矜持は忘れたくない、ということなのだろう。


「じゃからの、こやつはあくまでも偽神ではあるが、確かにわらわが使うような……ほれ、おぬしが、とか何とか言っておった、“この世の始原”をいじくる力を持っておる。この仕掛けを起動させるには、触媒としてが必要なのじゃ」

「そ! ……そうなんですか!?」


 問答無用でウズメの言葉を遮ろうとした士郎だが、その言葉がふわりと腑に落ちたのか、少しだけトーンが柔らかくなった。

 それに、さすがはウズメというべきか――

 この神さまは、既にガンダルヴァの特性を見抜いていたのだ。彼女は自らの“究極的観察者”としての力で、『量子』を自在に操ることができる。


「うむ、わらわならもとより自由に扱えるのじゃが、なにせ仕掛けがこうあちこちにばら撒かれておるでの、全部が全部目配りはできんというわけじゃ。そこで――」

「だったら!」


 突然未来が割り込んでくる。


「――だったら、彼女の髪の毛を使うというのはどうでしょう?」


 ――――!


「……髪の毛……?」

「そうです。だって髪の毛だって、彼女の身体の一部でしょ? ほら、DNAだって、毛髪さえあれば鑑定できたりするじゃないですか。ということは、別に肉とか骨とか、そういったを無理にしなくたって――」


 確かに未来の言うとおりだ。それに、髪の毛を少々いただくのならば、別に彼女に身体的負担はないであろう。


「……た、確かに、髪の毛であれば……まぁ……」


 士郎もそれなら譲ることができる。ウズメはと言えば……


「ふむ……髪の毛か……まぁそれでもよいか……要するに、この者の身体の一部であれば、なんでもよいのじゃからの」

「じゃあ決まりです! それならば、異存はありません」

「はぁぁ……」


 オメガたちは、安堵の溜息を漏らす。

 そうこうしている間にも、外は先ほどよりも騒がしくなっていた。敵がすぐそこまで迫っている――!


「じゃあ早速じゃが、おぬしたちは手分けして各仕掛けにこやつの髪の毛を仕込んでまいれ」

「――って、どうやって?」

「おぉ、ちょっと待っておれ」


 そう言って、ウズメが本殿の三方さんぼう――よく大きな神棚の前に置いてある、四角い形をしたお供え物を置く容器のことだ――からくすねてきたのは……餅――!?


「お、お餅ですか!?」


 士郎が戸惑った様子でウズメの顔色を窺う。


「まったく、おぬしたちは何も知らぬのだな……餅とはもともと神の依り代ぞ!? 人間どもが餅を食うのは、その神の身体をいただくことに他ならん。じゃから正月とか、そういう時にしか食わんじゃろうが」

「――わ、私は割と普段から食べるが……」

「それは単なる食いしん坊じゃ」


 ピシャリと言われた久遠がなぜかしょげ気味である。


「――とにかく、その餅の中にこやつの髪をグイと突っ込んで、置いてこい!」

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