第378話 剣が峰(DAY9-29)
降りしきる雨滴が一瞬のシャッターチャンスで切り取られたかの如く、それは士郎たちのすぐ頭上に静止していた。もちろん昨夜からずっと雨が降っているから、その空間には本物の雨滴も無数に混じっているのだが、なにより目を引くのは――先端が赤熱した円錐形の……砲弾だった。
「う……ウズメさま……これはいったい……!?」
士郎が驚愕した表情で辺りを見回しながら、呻くように声を上げる。
「じゃから……時の歩みをすこぉしばかりゆっくりにしたのじゃ。これでよいのであろう?」
「時を……ゆっくり……?」
「あぁ、まぁこの弾だけを止めるのも面倒じゃったから、とりあえず境内に落ちてくるあらゆるものを止めたという感じじゃな。雑なやり方で申し訳ないのう。かかかっ」
要するに、ウズメさまは特定エリアの特定対象――今回の場合は“上から降り注ぐもの”という縛りということか――に対し、時間操作を施した……と言っているのだ。そんなことが――!?
「――そんなことができるのか!? という顔じゃな」
ウズメは、例の上から目線で人間たちを
「……だって……なぁ!?」
士郎は、傍にいる
実はオメガたちにとって、似たような現象は今まで何度も自分自身が引き起こしていたから、なんとなくこの現象が分からないでもなかったのだ。
「――えと、士郎くん……よく分からないけど、これって私たちが全力機動した時にも、割と似たような現象は見たことあるよ? さすがにこれだけ広範囲にモノが止まって見えたことはないけど、相対的なものであれば、例えば敵の銃弾が止まって見えるようなことはないことじゃないというか……」
「うむ――私たちは、結構素早く動き回るからな……感覚的には、敵の動きが止まって見える、というのは分からんでもない」
めちゃめちゃ“達人の至言”っぽい。ん――待てよ……ということは、今のこの現象も、もしかして……
「ほほぅ、娘っこどももなかなか言いおるの……じゃが、これは少し違う」
「あ……そうなんですか?」
未来があっ――と何かに気付いたような顔をする。
「――そうじゃ。わらわたちは今、動いておらん」
「確かに――」
久遠も、そうか――! という顔でみんなの顔を見回す。ではどうして!?
「ふむ……よかろう。端的に言うとな、わらわは神じゃから、時間を自在に操れるのじゃ――」
ウズメの話は、考えてみればもっともだった。
7次元の存在であるウズメたち神々は、6次元以下のベクトルを自在に操ることができる。それは、「線」「面」「立体」そして「時間」という4つの次元の中に暮らす『4次元存在』である士郎たち人間が、“自分の住む次元マイナス1次元のすべてのベクトル”を操れるのと同じことだ。
つまり人間は、1次元である「線」、2次元である「面」、3次元である「立体」――というベクトルを、すべていじることができる。
となると、『7次元存在』であるウズメは少なくとも、6次元までならそのベクトルを自在に操作できるということだ。当然その中には4つ目の次元――すなわち「時間の流れ」というものも含まれる。
今回の現象でいえば、それは「空から降ってくる物体」の動きを限りなく遅くした、ということなのだろう。だから「砲弾」や「雨滴」が、止まって見える――
「――もう、なんでもアリなんですね……」
士郎は、半ば呆れたように呟く。そんなことができるのなら、いっそ最初から助けてくれればよかったじゃないか!? 罰当たりかもしれないが、このたった一晩の戦闘で多くの戦友を失った士郎からすれば、そんな愚痴のひとつも言いたくなるというものだ。
「いや、正直に言うとな……これはそう簡単なものではないのじゃ。そちたちは、これを魔法のようなもの――あるいはご都合主義的と思っておるかもしれんがの――」
ご都合主義――と言われて、士郎はドキッとする。まるで自分の思考を見透かされていたかのような……
「……い、いえ……別にご都合主義とは――」
「まぁ良いわ。じゃが、これだけは言っておくぞ。時間操作というのはな、決してわらわ一人ではできるものではないのじゃ。その場にいる者全員が、それを望まねばならん」
「……全員が……?」
「そうじゃ。今回で言えば、まぁそちたち全員が“砲弾が止まってくれますように”と一律に願うことで、それがようやく実現するというわけじゃ」
それって――!
まるで量子力学の世界と同じじゃないか!? 量子というのは、それが観測されて初めて事象が確定する。いわゆる『シュレーディンガーの猫』理論だ。
だとすると、今ウズメは、その量子の特性を利用して「そうなってほしい」というみんなの願いを実際に現出させたということなのか!?
「あの……ウズメさまは『量子』を操れるのですか!?」
「りょうし? よく分からんが、わらわたち神は、人間がそうあれ――と願ったことを、時として実現することがある。その時おぬしたち人間が、心を一つにしてそうなってほしいと願った時にだけ、わらわたちはそれを叶えてやることができるのじゃ」
ウズメの言っていることは、極めてアナログではあったが、それは突き詰めていえば量子論の実践に他ならない。
そうか――つまり、神と人間の違いとは『量子』という万物の最小単位を自在に操作できるかどうか……その一点にのみあるわけだ。
すなわち――『神』は決して超自然的存在ではない。
その操作方法さえ分かれば、士郎だって『神』のような行いができるかもしれないのだ。それは科学の進歩によってか!? あるいは――
その時だった。
ガァァァァァン――!!!
社殿の方から、大きな破壊音が聞こえてきた。
***
赤城飛行隊がようやくそのくびきを解き放たれたのは、黒岩が身を挺して中国軍特殊部隊の急襲を食い止めた、まさにその時であった。
『
『バイパー01、ランウェイ03――
『
ゴゥッ――という強烈なジェット推流が、F-38
『バイパー01、
『バイパー01、ロジャー、イズモコントロール』
TACネーム『プリースト』こと山本少佐率いる赤城飛行隊が、続々と空中に上昇していく。もともと艦載機ということで
『ファルコンよりプリースト――
『
その瞬間、離陸中のすべてのパイロットが喚声を上げた。溜まりに溜まったフラストレーションを解放する瞬間が、ついにやって来たのだ。
『ファルコン』こと加藤中尉が、ただちに
山本は、ふと足許を見やる。F-38のパイロットは、3D
『よし――では二個編隊を市街地
『ウーオッ!!!!』
それはつまり――二個師団と聞いている南戦線の敵兵力に対し、F-38が28機という戦力で襲い掛かるということが、いかにオーバーキルかということを表した、山本なりのジョークだ。
そもそもF-38の火力はそれだけ凄まじいのだ。先端部分にまるでモノアイのようにセミアクティブレーザーシーカーを装備した
おまけにその
つまり、この史上最強の戦闘機を破壊することができるのは唯一、地上に駐機している時だけなのだ。
そういう意味では、図らずも中国軍の行動は理に適っていた。空中で撃ち落とせないのなら、地上で破壊するしかない。だが、その作戦も今や失敗に終わった。黒岩の犠牲が、彼らの企図を挫いたのだ。
ドゥゥゥゥッ――!!!!
大編隊が、一路南南東を指向した。おそらく60秒後には、田渕たちが踏ん張っている戦線の向こう側に、大量の爆弾の雨を降らせるはずだ。
***
「隊長! F-38ですッ!」
香坂伍長が空を見上げて大声で叫んだ。その瞬間、ゴォォォォッ――という大音響が戦場の空を覆いつくす。その直後、今度はドゥゥッ――という激しい強風が兵士たちに吹きかかった。その暴風は辺りの空気を容赦なく掻き乱していく。それは、彼らが物凄い低空飛行でこの空域に進入したということだ。
「おぉ……」
田渕は、待ちに待った航空戦力が、ついに飛来したことを確認して安堵の溜息を漏らした。
先ほどから目の前で、敵砲兵部隊が榴弾の雨を市街地へ送り込んでいたのである。恐らく敵榴弾砲は、最低でもここから数キロ――下手したら10キロ近く離れた場所に陣取っているはずだ。だから、前線で拮抗している今の状態では、到底ソイツらを潰しにいくことはできない。いいようにつるべ撃ちされていた田渕たちは、まさに切歯扼腕して見守ることしかできなかったのだ。
「――頼んだぞぉ!!」
田渕に限らず、戦線で地面の泥を舐めていた多数の兵士が、上空を次々に通過する赤城飛行隊の雄姿を熱い視線で見送った。
ほどなくして、前方に大火球が連続する。数瞬遅れて、グワヮヮヮア――ンという大爆発音が鼓膜をつんざいた。
「――やったッ!!」
グワァァァン!!
ガァァァン! バァァァ――ンッ!!!
二千発の花火が一斉に爆発したかのような激しい閃光と衝撃音が、おそらく南戦線だけでなく、出雲市全域に広がった。それは、先ほど東戦線で目撃された、あの大爆発に匹敵するかもしれない。
恐らく敵砲兵部隊が餌食になったのだ。あの爆発を見る限り、破壊されたのは砲だけではない。付近に野積みにしていたであろう大量の砲弾も、すべて誘爆したのだと思われた。
ズズズズズ――という地震のような揺れが、地面を通じて伝わってくる。
ガァァァァァ――――
ほどなく、今度は前方から、頼もしい戦闘機の排気音が響いてきた。見えた――!
それは、4機……いや、8機が超低空の
すると、何かがポゥ――と機体からパージされた。すぐにそれは、まるでビルの天井についている消火装置から水が撒かれるが如く、一帯にオレンジ色の矢のようなシャワーを降らせる。すると、あっという間に地面が紅蓮の炎に包まれた。クラスター爆弾!!
続いて同じ数の編隊が、やはりアブレストで真っ直ぐこちらに突っ込んできた。第二波――!
ボワッ――!!!
先ほどと同じように、またもやオレンジ色のシャワーが一帯に降り注ぐ。あれは――
容赦なく、第三波が既に襲い掛かっていた。止むことのないクラスター爆弾の豪雨。既に敵部隊のいるエリア一帯は、どちらを向いても煉獄の中に飲み込まれていた。
あんなところにいたら、絶対に助からない――香坂は、つくづく自分がこちら側で良かったと思った。恐らく、ほんの数分前までは、敵の中国兵たちがこっちを見て、同じことを考えていたのだろう。だが今や、すっかり形勢逆転だ。
この破壊力――!
我々は、本来これほどの戦力を持っていたのだ。
田渕率いる南戦線の部隊が今まで必死に抵抗したことで、恐らくこの時点で敵兵力は何割か削っていたはずだ。だが、それでもなお前線の向こうには、いまだ1万数千名の敵兵が展開していたに違いない。
だが、F-38の空爆は、それらをまるで蟻を蹴散らすが如く瞬殺した。
それでもまだ食い足りぬとばかりに、あの猛禽たちは、今度は機銃掃射に切り替えて地上を血の海に変えているようだった。
『全員――着剣せよ! 急げッ!』
唐突に、インカムから田渕の声が聞こえてきた。え――? 着剣て……どういうこと!?
香坂は、慌てて前方を凝視する。
するとその視界には……信じられないものが映っていた。
あれは――!
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