第377話 弾着(DAY9-28)
ドドドドン――!!
ドドドドドドンッ――!!!
未明の市街地に、まるで花火の乱れ打ちのような重低音が連続して響き渡った。
次いでヒュルルルルゥ――という風切り音が辺り一帯に充満する。中国軍の一斉砲撃だった。
田渕は、自分の頭越しに投擲されたその見えない弾道を追うように、上空を仰ぎ見た。クソっ――
南戦線の後方から繰り出されたその榴弾攻撃は、防御戦線を簡単に飛び越えてあっという間に市街地に到達する。狙われたのは、市民たちが避難しているエリアだ。無差別に非戦闘員を攻撃し、わざと大混乱に陥れることで日本軍の統制を崩そうとしているのだろう。
それはまさに、第二次大戦当時ソ連軍が頻繁に行った「縦深戦法」と同じだ。戦場は、最前線だけではない。後方も戦闘の混乱に巻き込むことで、前線の兵士は安全地帯が存在しないことを悟り、やがて絶望する。
避難地域を警護している少数の兵士たちも、その砲撃が自分たちに向けられたものであることを即座に自覚した。指揮所からの警告を待つまでもない。不気味な風切り音が、あっという間に自分たちに近付いてくる。
「全員ッ! 対爆姿勢を取れェェーーッ!!」
肩を寄せ合うようにして避難していた住民たちが、顔を強張らせながらお互いに抱き合った。親子が、老人が、子供たちが、ギュッと固く目を閉じ、頭を抱えるように小さくうずくまる。
――ひゅぅぅぅ――……
無数の榴弾が、一帯に吸い込まれていった。だが――
ヴィンッ――!
ヴィヴィヴィヴィヴィンッ――!!
突如として、避難民たちの上空に何やら虹色の波紋が広がった。何もない虚空に突然現れたそれは、まるで夜空に咲くしゃぼんの万華鏡のようだ。
だが、何より住民たちが驚いたのは、その万華鏡がすべて、敵砲弾を撥ね返した際の反射現象だったということだ。
ドカン――という恐ろしい爆発音の代わりに、それは笑ってしまうほど可笑しげな音を周囲に響かせる。
ほんの数瞬前まで剥き出しの殺意で襲い掛かってきた無数の砲弾は、その滑稽な音と共にまるでおもちゃのように弾き飛ばされ、すべて明後日の方向に跳ね飛んでいった。つまり、住民たちの避難場所には一発たりとも着弾しなかったというわけだ。
「――す……凄い……」
大人たちは、最初何が起きたのか理解できなくて、こわごわとその顔を上げた。辺りをキョロキョロと見回し、お互いの顔を見合わせる。
「よし……防護壁は問題なく作動しているな」
守備隊の兵士に交じって一人だけ
「う……うぉぉぉっ!!!」
住民のひとりが、突然雄叫びを上げた。すると、それに触発された多数の避難民が、一斉に歓声を上げる。わぁぁぁぁぁッ――
「どうだッ! お前らのヘナチョコ弾なんて当たんねーぞッ!」「来るなら来てみろッ!!」
期せずして、避難所全域に明るい声が響き渡る。冗談抜きで敵の砲弾を全弾弾き返したというその事実が、多くの市民に「生きる希望」を強く刷り込んだのだ。
「……これが……例の電磁ナントカという奴の威力ですか! 大したもんだ!!」
義勇兵がひとり、息せき切って国防軍兵士に話しかけてきた。
出雲市にいる非戦闘員は、今のところすべてこの電磁防護壁で覆われた避難所に逃げ込んでいる。そこは元々学校で、校舎やグラウンドには多数の避難民が寄り添うようにへたり込んでいた。
みな一様に不安そうな顔つきで、昨夜から一睡もせず、生きた心地もせずに過ごしていたのだ。
すると、第二波が間髪入れず着弾する。一瞬人々はギョッとした表情を見せるが、またもや電磁防壁は無数の榴弾を弾き飛ばした。
ヴィヴィヴィヴィヴィンッ!!
ヴィヴィヴィンッ――!!
夜空には、無数の万華鏡が咲き乱れ、そのたびに人々は歓呼する。それはまさに、鉄壁のバリアだ。ここにいる限り、自分たちは大丈夫――
***
そもそもこの世界には「戦闘中の市街地で非戦闘員である住民の安全を確保する」といった概念は存在しない。これは近代以降、戦争というものが「総力戦」となり、交戦国の領土・領海の中では「戦闘地域」と「非戦闘地域」の区別がなくなったことに端を発している。
古今東西、特に古代においては、戦争するにあたり「合戦場」というものがわざわざ設けられたものだ。それは大抵、郊外の丘陵地帯であったり、無人の荒野だったりする。共通するのは、人々の普段の日常生活からは遠く離れた場所という点だ。両軍は、わざわざそうした「戦闘に適した場所」にお互い出向いていって、せーので戦ったわけだ。
ところが社会が発展するにつれ、戦争の勝利条件が「相手をある一定の条件下で打ち負かす」だけのものから、「相手を完全に屈服させる」ものとなった。つまり、戦ったら終わりではなく、負けたら領土を奪われたり、人民を虐殺されたり奴隷にされたりするようになったわけだ。
当然戦場は、相手の領土――とりわけ攻撃対象となった都市や地域のド真ん中で行われるようになる。戦場が、人々のすぐ身近に迫ったわけだ。だが、ここまではまだ、兵士と民間人が十分区別できた時代。
非戦闘員は、そこから逃げ出しさえすれば戦禍から逃れることができたし、武器を持たない者は往々にして赦された。住民を軒並み虐殺してしまえば、いくら占領したところで生産労働人口がいなくなってしまうからだ。
問題はこれ以降だ。産業革命を経て、戦争というものが「国家の総力戦」となっていった時代。
戦争は次第に「殲滅戦」の様相を呈していく。
相手方の産業や工業生産力を破壊し、相手国の体力そのものを削って継戦能力を奪うのだ。そうなると、前線ではない後方の工業地帯とか資源生産拠点も当たり前のように攻撃対象になっていく。兵士と非戦闘員の区別がつきにくくなったのもこの頃からだ。
戦場に出るのは男たちと相場が決まっていたけれど、彼らに武器弾薬を造っているのは、銃後の女性や子供、老人たちだった。そうなると当然、彼らも攻撃対象とせざるを得ない。
軍需関連施設が攻撃対象となったり、貨物船や鉄道など海陸の通商ルートが狙われるようになったのもこの頃からだ。
そして、更に時代が下って近代から現代。
戦闘はますます戦略的になり、しかも「モノ」の取り合いから「思想・イデオロギー」の意地の張り合いへと変化していく。この頃になると、戦争の勝利条件は「相手方の絶滅」しかなくなってくるわけだ。
当然、戦争遂行のためには、以前にも増して相手国のあらゆるインフラを破壊する必要が出てくる。これまでの軍需関連施設に留まらず、民間用の空港、港湾、運河、そして人々が居住する都市全域、住宅地、農地、その他もろもろ。
なかでも、いわゆる「戦略的要衝」は、そこがどれだけ民間人が居住する地域であっても、必然的に戦闘地域となった。ここに至り、ついに兵士と非戦闘員の区別は一切なくなったのである。
そうなった時、ではそうした危険地帯に居住する民間人を避難させることが果たして可能であろうか。
答えは否である。
もちろん、空襲の激しい大都市部であれば、せめて子供だけでも田舎に避難させようという「疎開」という考え方も選択肢の一つとなる。太平洋戦争中には、実に多くの児童がこの「疎開」を経験した。
だが、たとえば地域全体、国全体が戦場になってしまったらどうすればいいのだろうか。それは例えば第二次大戦中の欧州諸国だ。ドイツやフランス、あるいはポーランドなど――
これら諸国はまさに、国全体が戦場となった。ソ連は、シベリアあたりまで離れるとさすがに戦禍を逃れたが、モスクワ近郊以西はまさに独ソ戦の主戦場だ。
「絶滅戦争」とまで呼ばれたこの両国の角逐は、その凄惨さにおいて他に例を見ないほどの様相を呈したという。
こうした都市に住む住民は、結局逃げ場などどこにもなくて、そのまま激しい戦闘が繰り広げられている市街地に残留せざるを得なかった。以前にも触れたが、スターリングラードの住民の死亡率が全人口の98パーセントという惨劇は、こうした背景によるものだ。
そしてそれは、占領下のここ日本においても同じであった。どこに逃げたって、中国軍は全土に駐留している。抵抗すれば、どこにいたって追い詰められる。
だから今まで、たとえ戦闘が起こったとしても、住民には「避難」という選択肢がまったく俎上に上らなかったのである。
日常生活を送っていた空間に兵士がなだれ込み、銃火が飛び交い、砲弾が炸裂する。その間非戦闘員である一般市民は、自分の家でじっと俯き、歯を食いしばって戦火が過ぎ去るのを待つしかない。
当然、多くの人は無事では済まない。家を焼かれ、居間にいても銃弾が掠め飛ぶ。国防軍が来るまでは、そんな死と隣り合わせの中で生きてきたのだ。だからパルチザンの抵抗運動もなかなか燃え上がらなかったのである。
たとえ屈辱的な生活を送ったとしても、殺されるよりはマシ――
誰だって、愛する家族が無残に黒焦げになるくらいなら、よっぽどのことがない限り歯を食いしばって我慢するだろう。特に「お上」意識が高い日本人の国民性であればなおさらだ。余計なことをせず、ひたすら耐えて耐え忍ぶ。
だから出雲の住民たちは、事ここに至り、戦闘が避けられないと悟ってついに観念したのだ。中国軍が攻めてきたら、万に一つも自分たちが助かる可能性はない――
だが、この電磁防壁は、そんな住民たちを最後まで守ってみせる――そんな国防軍の決意の表れだった。士郎たちは、戦闘前の束の間の時間を利用して義勇兵たちをいったん自宅に帰し、市内に残留していた家族全員をここに誘導するよう命令したのだ。
兵士たちの大切な家族は、絶対に守る――その約束が、今目の前で果たされようとしていた。「避難所は無事」――この一報が、戦場全体をあっという間に駆け巡ったのは、決して偶然ではない。そしてそのことが、すべての兵士たちに一層の奮起を促したのは当然のことであった。
中国軍の「縦深戦法」はここに破綻する。
兵士たちは以後、敵砲兵部隊の一斉砲撃をまったく恐れなくなった。
***
ドドドドドドンッ――!!!
『また敵の一斉砲撃です――弾着30秒後!』
指揮所の観測員が報告する。
だが、士郎は比較的落ち着いていた。避難所警護の兵士からは、電磁防壁がキチンと機能しているとの報告を受けたばかりだ。
「――了解だ。住民には落ち着いて待機するよう引き続き呼びかけて――」
『いえ! 着弾予測地点はそちら――出雲大社ですッ!』
「は!?」
観測員が焦れたように士郎の言葉を遮った。なんだと――!?
ヒュルルルル――
あっという間に榴弾の恐ろしい風切り音が近付いてきた。マズい! 電磁防壁は大量の電力を消費するため、この出雲市街地で唯一、避難所にしか配備していないのだ。つまり――
「――ウズメさまッ! 今すぐ退避ですッ!!」
士郎と
「ふぁっ!? 安心せい、大丈夫じゃ」
「大丈夫って……大砲の弾が飛んでくるんですよ!?」
ぴんと来ていない様子のウズメに、士郎が焦り気味に警告した。仮にそれが120ミリ程度の比較的小さな榴弾だとしても、それ一発でおそらく半径にして最低50メートルほどは吹き飛ぶだろう。仮に120ミリ程度の口径ならば――だ。
万が一203ミリほどもある大口径榴弾だったとしたら、その被害範囲は一発あたりサッカーグラウンド1面分くらいにはなる。そんなのが今から雨あられと降り注ぐのだ。普通の人間ならば、あっという間にミンチになる。もっと言えば、出雲大社はおそらくこの初撃で跡形もなく吹き飛んでしまうだろう。
「じゃから、大丈夫じゃというに――」
「ヤバいッ!!」
グダグダと話しているうちに、ヒュルルルルゥゥゥ――ッとすぐ頭上に砲弾が降り注いできた。士郎は慌ててガンダルヴァの上に覆いかぶさる。未来と久遠も、思わず頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
だがその瞬間――
ヴィン――
と何かの力が働いたかと思うと、士郎たちのすぐ頭上に、それは浮かんでいた――!
先端が円錐形で、真っ直ぐ空から垂直に突き立っているその物体の正体とは――
「ひぇっ!? これッ……」
士郎は目をカッと見開いて、思わずそれを凝視する。
それはまさに――敵の榴弾そのものであった。
先端部分は空気との摩擦のせいなのか、既にヤバいほど赤熱している。まさか――
「ほれ、これで良いのじゃろ?」
ウズメは涼しげな顔つきで、士郎たちにウインクしてみせた。
「う……ウズメさま……これは……!?」
「ちょっと時間の進みをゆっくりにしておるだけじゃ。あと
時間の動きを操作しただと――!?
ハッとして士郎は周囲を見渡す。すると辺り一面に、目の前のコレと同じような砲弾が、中空にただ浮かんでいた。その数は、ざっと見渡しただけで十数発。まさに弾着寸前だった。ウズメによると、これでも少しずつ動いているらしいから、よく見るとじわりじわりと落下しているのだろう。
これ、どうすれば――!?
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