第376話 将軍たちの思惑(DAY9-27)

 南戦線での墜落ガンシップ搭乗員の救出劇が、単なる局地的勝利に過ぎなかったのは、今や国防軍兵士であれば誰もが自覚していることだった。

 どう楽観的に解釈しても、戦況は極めて厳しい。


 まずは主戦場となった南戦線だ。

 敵二個師団の圧倒的攻勢によって、今や戦線は崩壊寸前である。田渕曹長率いる防衛部隊は、もはや半数が無力化され、残存する兵力は一個中隊規模にまで衰えていた。

 その原因は明確だ。不足する陸上戦力を補う予定だった制空部隊が出動できなくなるというアクシデントに見舞われたため、数に優る旧式の軍隊に対する必勝パターンと思われたエアランドバトルが展開出来なかったのである。

 お陰で細長く伸びきった防衛線は各所で突破され、今やいくつかのトーチカや塹壕に立て篭もって敵前線の押し上げを辛うじて押しとどめているに過ぎない。そもそも60倍もの戦力差を考えれば、戦線が拮抗しているというだけでも大したものと言えなくはなかったが、戦争とは常に結果がすべてだ。突破されるのは時間の問題だった。


 ついで東戦線だ。

 突如として生起した大爆発によって、友軍部隊はほぼ全滅と認定された。

 幸か不幸か敵部隊まで巻き添えを食って、一個師団2万人が勝手に壊滅してくれたのはありがたい限りだったが、見方を変えればこの地域はほぼ焼け野原になったということだ。都市そのものの一部が消失したというのは限りなく痛い。

 そして、この一帯を守備する部隊がぼっかりと蒸発してしまったのは途轍もない損失だった。


 そして北戦線。

 山岳地帯での戦闘は一進一退を繰り返しており、現時点で敵味方どちらが優勢にことを進めているのか状況が殆ど掴めない。

 今のところ敵部隊の市街地への侵入は認められないから、敗走しているわけではない、ということだけが唯一の好材料だ。


 いずれにせよ、この状態はまさに目一杯――今が限界と言っていいだろう。これ以上どこかが破綻すれば、あるいは元々の戦力差を考えれば、時間の経過とともに敵軍の優勢は目に見えるようになり、早晩出雲市は陥落する。

 さすがの国防軍――そして歴戦のオメガ特戦群も、次第に疲労の色を濃くしていた。これではまるで、紀元前480年にギリシアとペルシア軍の間で行われた『テルモピュライの戦い』とまったく同じ構図ではないか。

 ヘロドトスの記した書物によると、ギリシア軍として立った僅か300のスパルタ重装歩兵は、数百万のペルシア軍――実際はせいぜい30万程度というのが史実だそうだが、それにしても圧倒的な戦力差だ――を相手に一歩も退かず、3日間にわたってこの大軍を食い止めたばかりか、敵将クセルクセスの兄弟2人をも討死させたという。

 最終的にスパルタ兵は背後から忍び寄った敵に虚を突かれ、敗北する。だが、この大戦闘は数千年の時を経てもなおこうして語り継がれるほどの英雄譚として、世界中の戦士の畏敬の念を集めている。


 だが、国防軍はスパルタ兵のように討死するわけにはいかなかったのだ。絶対に守るべきものがそこにはあったからだ。もちろんご神体も大切だが、何よりそこには未だ数万人の市民がいたのである。

 中国兵の戦いぶりは、間違いなくこうした非戦闘員のことなど1ミリも考えていない。兵士が刀折れ矢尽きたなら途端に市街地に乱入し、市民たちを虐殺するのは目に見えていた。上海を決して忘れてはいけないのだ。


 いっぽう、心配の種は別としても、同様のことを中国側も考えていた。

 彼らの方こそ、もしかしたら日本側より追い詰められていたのかもしれない。


  ***


「――ガンダルヴァはっ!? アイシャはどうしたのですッ!?」


 李軍リージュンは半ばパニックを起こしかけていた。

 彼女を戦線に投入したのは、間違いなく李軍本人の責任だ。東西南北から市街地を囲い込み、一斉に攻勢に出た中国軍。戦端が開かれて以来、前線から続々と上がってくる情報は、どれも勇ましいものばかりであった。

 心配していた敵航空部隊も、どうやら離陸できずにいるようだった。工作員の破壊工作が上手くいったに違いない。

 おまけにガンシップの撃墜だ。あのような支援機を周到に準備していた日本軍のいやらしさには参ったが、勝負は時の運。幸いにも撃墜に成功したとの報告を受けた瞬間、李軍は「ここが勝負時――」と判断し、果敢に賭けに出たのだ。

 ついてはただちに虎の子のガンダルヴァ――アイシャを戦線に投入し、一気に勝負に出た――はずだった。


 ところが、ほどなくして彼女を投入した東戦線で、大爆発が起きたとの報告が入る。それですっかり李軍はしょげ返ってしまったのだ。

 その凶報はまさしく、彼女が臨界に達したことを示していた。


 確かにアイシャは今回、戦場に出ることをとても嫌がっていた。少し前、強行偵察に出た際に、イズモ不可侵域アンタッチャブルで謎の敵性体にコテンパンにされてしまったからである。

 それ以来彼女は塞ぎ込み、その精神は見ていて可哀相なくらい傷ついてしまったようだった。だが、だからこそ李軍はもう一度彼女を同じ戦場に立たせ、その恐怖を克服させたかったのだ。


 それは、今になって考えると「素人の生兵法」だったのかもしれない。彼女のトラウマを、もっと深刻に考えるべきだったのか――

 だが、それは「結果論」だ。あの時李軍は確かに、彼女を立ち直らせる千載一遇のチャンスと確信したのだ。敵は今やガタガタで、もう一押しで完勝する――

 その勝ち戦に乗じて彼女の恐怖を克服し、そして他に比肩するもののない圧倒的な強さを戦場全体に轟かせる。その「圧倒的勝利」こそ、李軍がこちらの世界の中国軍にを今度こそ刻み付ける、必須条件だったのだ。だが――


 いったい何が起こったのだ!?


 李軍にとって、辟邪ビーシェが臨界に達するという事態は、悪夢以外の何物でもない。今までの経験上、それはことごとく「失敗」を意味したからだ。

 振り返れば――それは彼がまだ元の世界にいた当時のことだ。

 忌々しい日本軍が「華龍ファロン」黒竜江省軍団本部のあったハルビンにまで攻め込んできた際、これを迎え撃ったクリーという名の辟邪がやはり臨界に達し、結果的にそれが最期のトドメとなってハルビンが陥落したのだ。

 あの時李軍と、手下のファン博文ブォエンはほうほうのていで間一髪逃げ出した。一歩間違えたら、死んでいたところだったのである。


 そして忌まわしい二度目の臨界は、バヤンカラ山脈の洞窟遺跡で、他でもないアイシャが引き起こしたものである。

 あの時は、彼女が本来持っていた異能を触媒として、異世界とのゲートを開く最終実験を試みていたのだ。結果的にアイシャはそのゲートを解放することが出来ず、あの悲惨な臨界事故を引き起こしてしまったのだ。そして彼女自身はその代償として、数か月に亘り意識不明の昏睡状態に陥った。


 いずれも正確な原因追求は出来ないまま、今に至っている。だが、ひとつだけ分かっているのは、彼女たち辟邪がこの臨界を起こすとき、大抵は辟邪本人にも相当のダメージがあり、そしてそれは例外なく生死に関わる深刻な事態だということだ。


 だとすると、今回の大爆発も十中八九アイシャの身に何か良からぬことが起きているに違いない。

 そして何より、今最も懸念されるのは、市街地に放っていた斥候からの報告だった。


「――もう一度正確に! キチンと分かるように報告しなさい! 何が現れたって!?」


 李軍は「冷静」という単語をもはや忘れてしまったかのようだ。


「は……はいッ……それが、その……結論から言うとよく分からないのです……ただ、何らかの存在が空中に出現し、その……ガンダルヴァさまがその中で見悶えていたと……」


 斥候からの報告を代読する情報将校の顔は、完全に青ざめていた。自分でも何を言っているのかもはや分かっていないのだろう。何よりこんな訳の分からない報告をして、他の高級将校たちに無能と思われるのが致命的だった。

 案の定、総指揮官のヂュー上将は半ばあきれ顔だ。


「それでは何を言っているのかよく分からん……何らかの存在とは、一体何なのだ!?」


 上将が気の毒そうにその将校の顔を見る。


「……それは……現在引き続き調査中ですッ」


 ほぅ――上手く切り抜けたようだ。上将は李軍に向き直った。


「閣下――これはもしや、例のイズモの怪物なのではないでしょうか? これだけの決戦の最中に、よもや斥候兵も寝ぼけてはおりますまい……」

「う……うむ……だが、それはさておきアイシャだ! 見悶えて――と言っておったが、それは正確にはどういう状態なのだ!?」

「は、はッ――その言葉の通りです。斥候の印象によりますと、まるで何らかの力で強く抑えつけられ、苦しんでいるようであったと……」


 再び情報将校が答える。本当は「捕まって半殺しの目に遭っていた」という報告だったのだが、今の李軍にそのまま伝えれば、下手したら自分が逆恨みされかねない。


「……何ということだ……可哀相に……」


 李軍はショックのあまり椅子にへたり込む。その様子を、上将はじめ他の高級将校たちが黙って見つめていた。やがてそのうちの一人が口を開く。


リー同志――ここはひとつ、ガンダルヴァさまの救出を図ってはいかがかと……」


 その言葉に、李軍はハッと目を見開き、その将軍にすがるような視線を送った。こうなったら、圧倒的勝利とかどうでもいいから、彼女を救いださなければ――

 李軍は俄かに今後の方針を思い描く。


「――そ、そのとおりです! そう言えば! 彼女を見つけたのはどこなんです!?」

「イズモの神殿上空です。例の大爆発の後、どうやら東戦線から真っ直ぐそこまで飛んでいかれたようで……」

「あぁ! さすがはアイシャだ。敵の本陣まで一気に飛び込んでいったというのか――まったく……なんと気高く、勇気のある子だ……!」


 李軍は大仰に辺りを見回すと、居並ぶ将軍たちに鋭い視線を順に送っていく。


「皆さん……彼女は全軍の先鋒となって敵の中心部まで飛び込んでいった……その結果、邪悪で凶暴な日本軍と刺し違えようとしているに違いない! 彼女の後に続き、彼女を助け出すことは、兵士として大変名誉なことだと思いませんか!? もちろんそれが叶ったあかつきには、我が軍は敵に勝利しているでしょう」


 芝居がかった李軍の言葉に、朱は少しだけ醒めた視線を送る。他の将軍たちに気付かれない程度に。

 そのうえで、上将は全員に語りかけた。


「――閣下の仰る通りだ。彼女はまさに全将兵の模範となるべき勇気を示したのです。これを助けるのは武人の誉れ――いざ、全軍でイズモ神殿を目指そうではないか!」


 実際のところ、彼女がいったいどの程度の敵に返り討ちにあったのか!?

 戦局全体を俯瞰した際、そのこと自体は実は大して影響がないのではないかと、その時の朱は考えていたのだ。

 ただ、これほどまでに彼が執心しているあの娘を「尊い犠牲」として捨て置くのは、いささか躊躇いがあったのも事実だ。なにより李軍本人がそれを容認しないだろう。下手すると、今回の会戦の本分すら忘れ、そちらに全力投球しかねない。

 だったら最初から自分のハンドリングの中で救出作戦を行った方が、まだ彼を掌握できるというものだ。


 正直なところ、彼の言う「辟邪ビーシェ」なる者が別にいなくても、我々はあの未来みらいの異世界から来たという日本軍に十分勝てる――

 だとすれば、これ以上奴を尊重する必要はないのではないか――


 朱は徐々にではあるが、この李軍という男を見限る方向に舵を切り始めていたのだ。それは、今この瞬間にも異世界に送り出している「100万の軍勢」を引き上げる――という軍事オプションも、最終的な視野に入れていた。そう――


 朱はまだ、日本軍オメガの本当の恐ろしさを知らなかったからである。


 ともあれ、現状確かにイズモの戦域内に、正体不明の謎の存在が蠢いていることは間違いのない事実であった。

 李軍の大切な辟邪には、その謎の存在と存分に戦っていただくこととしよう。勝てば儲けもの――刺し違えでも十分だ。もしもそれで討死でもしたならば、「国家英雄」の称号でも与えて、大いに称えてやろう。

 今回の鎮圧作戦で見事武勲を上げた私と私の部隊は、晴れて本国に召還。今やメインストリームとなった欧州戦線への転属も夢ではない。


 とにかくそのためには、日本自治区で唯一不可侵のままとなっている、ここイズモの地を平定することだ。そうすれば、今燎原の火の如く列島全体に燃え広がっている抵抗運動も、すぐに鎮圧できるだろう。

 そして、目の前の日本軍の降伏まで、今や秒読み段階なのだ。李閣下――今回の決断は実に見事でした。私にイズモを攻略する勇気を授けてくださり、深く感謝いたしますよ――

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