第375話 それぞれの使命(DAY9-26)

 未来みくが飛び出て行った後、野戦病院は更なる喧騒に包まれていた。一人で切り盛りしている叶は、もはや鬼気迫る勢いである。


「――先生っ! もう赤タグの人ばかりですッ!! どうかお願いしますっ!!」


 それまで叶の指示を頑なに守っていた婦長が、ついに声を上げた。それは、未だ封建的主従関係が横行していたこの時代の日本の医療現場においては、命懸けの直訴に近い行為だ。『現世うつしよ』と違い、『幽世こちら』の世界では、看護は医者の下僕といってもいい関係だったからだ。つまり――医師に意見するなど、決して許されない越権行為だったのだ。

 だが、当の叶はそんなこと、最初からこれっぽっちも思っていない合理主義者だったことを、看護婦たちは今の今まで知らなかった。


「おぉ!? そうか――じゃあ婦長さん、君が次の患者を選んでくれないか?」

「――え?」

「頼むよ……もう僕は全体を見回して、誰を最優先に治療すべきか客観的判断を下せそうにない……」

「……は、はいっ!」


 婦長は困惑しながらも、やがて周囲の看護婦たちに次々と的確な指示を下し始めた。絹江は、叶のサポートを言いつけられた。


「……せ、せんせい……これをどうぞ」

「おぉ! スマンね、助かるよ……ありがとう」


 叶は、絹江の差し出した冷たくて清潔な手ぬぐいで首から上を綺麗に拭い、コップ一杯の水で喉を潤した。絹江は絹江で「ありがとう」と医者から言われたことを、信じられない思いで反芻する。


「――さっ! 気合いを入れ直して、もうひと頑張り!」


 パンパンと両手で頬を叩き、叶があらためてすっくと立ちあがって周囲を見回した時だった。


「――少佐ッ! こちらを頼みますッ!!」


 また、衛生兵の一団が駆け込んできた。

 担架で運ばれてきた兵士は、パッと見全身火傷だと見て取れる。瞬間的に一千度の高熱に耐えられるはずの防爆スーツがドロドロに溶け、上半身を覆っていた防弾装甲も溶けて、原型を留めないほどぐにゃりと変形していた。露出していたと思われる両手首から先は、既に燃え尽きたのか欠損しているように見える。

 さしもの叶も、一瞬で状況を見極める。


「あぁ、そりゃもう駄目だ。黒カード!」


 そう言うと、すぐに別の患者の方に向き直ろうとする。だが衛生兵のひとりが、つかつかと歩み寄ってきて叶の耳許に強く囁いた。


「――少佐、こちらは水瀬川くるみ一曹です……何とかしてください」


 ――!!?


 それを聞いた叶は、あらためてその黒焦げの兵士を見下ろす。くるみちゃん――!?

 叶は慌ててその兵士の完全被覆鉄帽をパージした。


「――くるみちゃんッ!!」


 中から現れたのは、まごうことなき水瀬川くるみだった。

 幸い、頭部は辛うじて原型を保っている。もちろん顔面の皮膚は熱傷で完全に火ぶくれ、叶が知っている彼女の顔とは似ても似つかない惨状を呈していたが、それでも見間違えるはずはなかった。

 震える手で、その頬に触れる。すると、桃の皮を剥ぐように、ズルンとその皮膚が剥離してしまった。


「――絹江ちゃん、ただちに手術の用意だ。えと、水橋くん?」

「もちろん、手伝います! オメガを死なせたとあっちゃあ、全体の士気に関わります」


 くるみを搬送してきたのは、水橋たちだった。叶も、バヤンカラ以来顔見知りのこの衛生兵が、医師免許を持つ優秀な医療者であることを知っている。

 叶のただならぬ雰囲気を察し、看護婦たちはただちに緊急手術の準備に取り掛かった。水橋とあと1名、衛生兵がサポートに入る。この間、もうひとりの医師免許を持っていた衛生兵が、叶の代役で他の患者の治療に回ることとなった。

 叶が周囲を見回し、宣言する。


「――この兵士は絶対に助ける! 絶対にだ!! 分かったらただちに作業開始!!」


  ***


 黒岩が例の大爆発に遭遇したのは、ようやく浜山公園に着いてF-38の駐機場に駆け込んだ時だ。

 突然東の空が真夏の正午のように明るくなり、次いで突き上げるような衝撃が足許を襲う。そのせいで機体が何機か、ズズズッと位置をずらしたが、幸い擱座するほどには至らなかった。


「なんだっ!?」


 各機に貼り付いていた整備員メカニックたちが、一斉に顔を上げ、東の空を仰ぎ見る。彼らが黒岩に気付いたのはその時だ。


「おい、どうした!? 貴様どこの所属だ!? 前線はどうなってる?」


 義勇兵の配置は、主に東戦線と南戦線だ。北戦線には道案内役として数十名が国防軍に帯同しているに過ぎない。

 整備兵の一人が黒岩を見咎めて声を掛けた。みな殺気立っているのだろう。心なしか言葉も刺々しい。それに怯えたわけでもないのだろうが、黒岩の返事はどこかたどたどしかった。


「……あ、あぁ……実は……」


 黒岩は、亜紀乃に言われた言葉を思い出す。そんな都合のいい話が通じるとは思えなかったが、とりあえず彼女の助言に従ってみることにした。


「――破壊工作……」


 その言葉に、整備兵たちが固まる。他の兵士たちも作業の手を止め、黒岩の方を振り向いた。


「何だと――」

「敵の破壊工作の状況が分かって、知らせに来たんだ」


 一瞬の沈黙のあと、整備兵たちが黒岩の元に駆け寄ってきた。


「ホントなのかッ? それ、どこからの情報だ!?」

「え、えっと……南戦線で捕虜を捕まえたんだ……それで、その捕虜が口を割った」

「それでわざわざ伝令に駆け付けてくれたのか!? 大変だったろう」


 黒岩の言葉に、整備兵たちは一転、口々に慰労の言葉をかけてきた。どうやら、彼の言葉を疑っている余裕はないらしい。それに、戦場を駆け抜けてきたということは、黒岩自身も命懸けでやってきたということだ。そんな男を疑うわけがない。


 基本的に整備兵というのは、どんなに銃弾が飛び交っている戦場においても、集中力を途切れさすことなく整備に明け暮れる連中だ。自分の身を護る前に、航空機や戦車などの兵器整備を完遂することを優先する。

 しかしだからと言って、戦況に関心がないのではもちろんない。むしろ自分たちの整備や修理が、目の前の戦闘の勝敗を分けることを誰よりも知っているのだ。いわば、F1レースにおけるメカニックたちと同じようなものだ。


 だから、実は現在の戦闘の推移を誰よりも気に掛けていたのは整備兵たちだ。

 なにせ、数に劣る国防軍が最も頼りにしていたのが、彼らの整備する統合打撃戦闘機F-38だったのだ。敵の破壊工作とはいえ、今はそれがまったく戦力として機能していない。そのせいで、大軍が押し寄せている南戦線と東戦線で兵士たちが大苦戦していることを、誰よりも知っていたのだ。


 一刻も早く敵の破壊工作部位を特定し、整備を完了して飛行隊を戦線に復帰させなければならない。

 だが、ヒントのない状態でそれをやり遂げるのは、実はとてつもない作業なのだ。

何せ、一箇所おかしなところを見つけても、それで終わりというわけにはいかないのだ。すべてを点検し、他のすべてに異常がないことを確認して初めて再整備完了となるのだ。

 それはある意味オーバーホールに近い作業量だ。通常3か月ほどかけて行うOHを、40機以上の機体に対してこの短時間で行うなど、ほとんど不可能に近い。


 だからこそ黒岩の情報は、何よりも貴重なものだったのだ。


「――フラップだ! フラップ部分を集中的に点検しろッ!!」


 黒岩が詳細を伝えると、整備兵たちは一斉に各機体に戻っていった。既に完全分解していた数機を除き、この分であればあと小一時間ですべての機体を飛ばすことが出来るだろう。

 黒岩は心から安堵する。

 良かった――亜紀乃ちゃんの言った通りだった。戦闘状態に入ってしまえば、やれ誰が工作員だの真犯人はどうのこうのなど、いちいち気にする者などいない。そんなことより、兵士たちは目の前の作業を完了することが最優先なのだ。

 これでようやく罪滅ぼしができる。黒岩は、ようやく妹に胸を張れるような気がして少しだけ気を緩めようとした。その瞬間――


 ボワンッ――!!!


 突然、鼓膜が潰れるかのような圧力を感じたかと思うと、近くで爆発音が轟いた。

 慌ててキョロキョロすると、広い浜山公園の一角――駐機場の端で、黒煙が大きく立ち昇っているではないか。


「――おいッ! 何だ!?」

「アレ――ちきしょう! やりやがったッ!!」


 慌てて飛び出してきた整備兵たちが見たのは、駐機場の端に留めていたF-38が1機、爆発炎上する光景だった。


「――俺! 行ってきますッ!!」


 我ながら、なぜそんなことを言ったのか、黒岩には分からなかった。ただあの瞬間、自分が行かなければならないような気がしたのだ。乗ってきたサイドカーに再び跨り、数百メートルを走り抜けて駐機場の端に辿り着いた彼は、外周に複数の黒い影が潜んでいるのをすぐに見つけたのだ。

 特殊部隊だ――!


 それは間違いなく、昨夜遅く日御碕ひのみさき灯台を襲撃してきた連中に間違いなかった。こんなところに回り込んできていたのか!?

 ふと腕時計を見ると、確かにあれから既に6時間以上が経過していた。上陸し、市街地を迂回してここまで辿り着くのに、ちょうどいい時間だった。


 後輪にカウンターを当て、ズザザザッ――とその場に急停車すると、黒岩は据え付けの機関砲に噛り付く。

 ガガガガガガガガガガガッ――!!!!!


 夢中で弾幕を作り、外周から忍び寄る敵兵たちを必死で牽制する。プィン――チィン――

 いくつもの至近弾が、黒岩の頬や身体のあちこちを掠めるが、そんなことにためらっている余裕は今や1ミリもなかった。


 ガキン!


 すぐに弾帯の銃弾が底を尽き、そして新しい弾帯を補充する暇もなくて、黒岩は今度は手榴弾を放り投げた。

 ダァァァ――ン!!


 わぁッという敵の悲鳴が上がり、少しだけ銃撃が弱まった隙に、素早くサイドカーから飛び降りる。その瞬間、そこに敵のRPGが飛び込んできた。


 グワァァァ――ンッ!!!!


 バフゥッ!!! っともの凄い爆風と熱気が押し寄せる。すんでのところで難を逃れた黒岩は、爆発して瓦礫と化したF-38の残骸の影に転がり込んだ。今度は背中に背負っていたライフルを構え直し、ガチャリと撃鉄を引き起こす。


 ダダダッ――ダダダダダッ!!!


 残弾を慎重に見極めながら、それでも的確に敵兵に銃弾を浴びせかける。


 機を逸したのは敵兵たちだ。ようやく駐機場に辿り着き、戦術的には最も脅威が高いと思われる航空戦力を破壊しようと仕掛けたのに、端にある1機を撃破した瞬間、日本兵が一人とはいえすっ飛んできたからだ。

 敵兵たちは機体に近付くことができなくなり、やむを得ず外周から他の周囲の機体に機銃掃射を浴びせる。だが、もともとF-38の装甲は極めて防弾性が高い。小銃弾ごときでは、チィンチィンと撥ね返すばかりで、傷一つ付けることは容易ではなかった。

 焦った敵兵は、今度は次々に迫撃弾のようなものを撃ち上げてくる。それが密集した駐機場の手前の方に次々に落ち始めると、何機かの脚部ランディングギアがそのせいで破壊され、ガコンガコンと斜めに機体が擱座していく。


「クソッ!!」


 黒岩は、それらの迫撃砲攻撃を何とか食い止めるために、更なる無茶を仕掛けていった。隠れていた比較的大きな瓦礫から這いだし、更に敵兵集団ににじり寄る。

 距離が縮まったことで弾着精度が上がり、敵兵は少しずつ削られていった。堪らずジリジリと後退していく。だが、同時にそれは黒岩自身にも何発かの着弾を許すこととなった。

 既に肩口に一発。そして太腿とふくらはぎには、弾が掠めて裂創となった出血がそろそろ深刻化しつつあった。


 早く――

 早く整備を完了してくれ――


 それが勝手な言い分であることを、黒岩は十分自覚していた。そもそも自分が破壊工作を仕掛けなければ、こんなことにはなっていなかったのだ。だからこうなった以上、敵兵の駐機場への侵入を防ぐのは自分の役割だ。

 しかしながら、サイボーグでもロボットでもない、生身の人間である彼にとっては、既に限界に近い満身創痍なのだ。

 もはや弾薬も心許ない。あと1分、いや……数十秒もつかどうか――


 その時、黒岩の前方でガサガサガサッと物音がする。

 あぁ……敵兵たちが新たに何かを仕掛けてくる予感だ。地面にぴったりと身体を貼り付けたまま、黒岩は少しだけ頭の角度を変えて、敵兵たちの動きを確認した。

 

 ――――!!


 あれは、重機槍――いわゆる重機関砲だ。分解してここまで持ってきていたのだろう。目の前で組み立てるとは、どれだけ俺は舐められているんだ……

 恐らく最初は駐機場全体に忍び込んで、各機体に爆発物でも仕掛けるつもりだったのだろう。だが、俺が現れたせいで釘付けになり、やむなくアレで掃射しようという腹か。

 確かにアレなら、いかなこの最新鋭の機体といえど、無事では済みそうにない。そして、そんなことをされたが最期、せっかく破壊工作部位を修理して戦線に復帰できる一歩手前まできたこの航空戦力を、無為に地上で散らせる羽目になる。重機槍は、もう少しで組み立てが完了するところだ――


 黒岩の決断はシンプルだった。


 うぉぉオオオオッ――!!!!


 突然その場に立ち上がった彼は、重機槍目掛けて一目散に走り込んだ。驚く敵兵たちの表情が、目の前に迫ってきたその瞬間、黒岩は自分の腹のところで手榴弾の安全ピンを抜き、そのまま飛び込んでいった――


 亜紀乃、ありがとうな――

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