第360話 グルカ兵(DAY9-11)

 グルカ兵――

 それは、「世界最強の戦士」との呼び声も高い戦闘集団だ。


 その出身はすべてネパールの山岳民族。よく「グルカ族」とひとまとめにして呼ばれることもあるが、正確にはマグール族、グルン族、ライ族など、ネパール各地のさまざまな民族出身者で構成されている。

 グルカ、という名称は、かつてネパール王国を統治していた王朝が「ゴルカ朝」という名前だったからだ。「ゴルカ」が英語読みで訛って「グルカ」――『グルカ族』という民族は、実際には存在しない。


 彼らが世界に見いだされたのは今から200年以上前、19世紀のことだ。

 当時、その強大な軍事力で世界の覇権を握っていた英国。その支配下で世界中の富を独占していた軍産複合体の元祖『東インド会社』とネパールとの間で繰り返された戦争において、ネパール側兵士として参戦していた山岳民族たち。

 彼らは極めて勇猛であり、山岳民族特有の強靭な肉体で英国兵相手に互角以上に渡り合ったという。


 結果的にネパールは敗北するのだが、英国は講和の条件としてその勇猛な兵士たちを自国で自由に雇える権利を王国からもぎ取った。敵国をして、その兵士たちの戦闘力を自軍に組み入れたいとまで思わせたのだ。


 以来、グルカ兵は主に英国軍で軍役に就くことになる。ちなみに20世紀になると、広く「英連邦」の一員国として、豪州軍やインド軍などにも組み込まれるようになった。


 もともとネパールは貧しい国だ。取り立てて産業もなく、生活水準は世界最低に近い。そんな中、当時世界最大の覇権国であった英国軍の兵士になるということは、グルカ兵たちに一定水準以上の生活を保障することを意味していた。

 それ以来、ネパールの若者はこぞって英国兵士になることを望んだのである。


 ただ、英国陸軍「グルカ旅団」の兵士には、ネパール人なら誰でもなれるわけではない。彼らは「志願制」でも「徴兵制」でもなく、「スカウト制」という独特の方式で集められる。英軍のスカウト部隊がネパール各地を回り、これぞという若者を軍に勧誘するわけだ。

 その競争率は、1万人の志願者のなかでせいぜい100人採用という、極めて狭き門だ。


 このため、ネパールの若者は、それこそ小学生くらいの頃から格闘技をはじめとした各種戦闘訓練、そして英国で働くために必要な「英語」を必死で学ぶ。グルカ兵になるための専門学校まであるほどだ。

 そうやって、もともと身体強健な若者の中から、さらに選りすぐりの精鋭たちが「グルカ兵」となって兵役に就く。彼らのは、一般的なネパール人のと同程度。1か月の軍役で、年収分を稼ぎ出す。まさにネパール人の中ではエリート中のエリート――完璧な成功者だ。


 というわけで、彼らグルカ兵は、近代以降常に英国および英連邦諸国で軍務に就いてきた。つまり、この段階では「グルカ兵イコール英国兵」、という認識で間違いはない。


 当然、英国と戦ったことのある諸国は、グルカ兵とも戦った経験を持つ。

 つまり、我が日本軍も、かつてグルカ兵と熾烈な戦闘を繰り広げた過去があるのだ。日本は、第二次大戦で英米と剣を交えているからだ。


 ここで、グルカ兵の恐ろしさを整理しておこう。


 彼らの特徴は、なんといってもその山岳戦闘能力だ。もともと高い標高で暮らしていたから、心肺機能が著しく高い。

 たとえば、同じ英軍の中で持久走をやらせたら、平地の直線コースでは大柄で脚の長いイギリス人のほうが早いが、起伏の激しい悪路とか、ましてや山登りコースともなると途端に信じられない強靭さを発揮して、グルカ兵たちが圧倒する。イギリス人は完全に周回遅れとなり、彼らの背中さえ見ることもできない。


 さらにはその勇敢さだ。

 彼らを表す言葉はさまざまあるが、最も有名なのはこの一文だろう。


“――死を恐れないという男がいるなら、その男は嘘をついているか、グルカ兵か、そのどちらかだ”


 さらに、その勇猛さを象徴するのが、彼らの持つ「ククリナイフ」と呼ばれる刃物だ。

 これは、ネパールではもともと広く使われている作業ナイフの一種で、農業用や祭礼用に用いられてきたものだ。

 その特徴としては、まず「つば」がない。日本刀ではよく「つばり合い」という言葉があるが、彼らの場合はこれと違って、まぁ要するに包丁のように「柄」と「刀身」がつるりとつながっているわけだ。

 おまけにその大きさは、「ナイフ」というにはかなりデカい。

 もちろんいろいろなサイズがあるからこれといった標準はないのだが、グルカ兵たちが戦場で好んで持ち歩くのは“水牛の頭を一刀両断できるくらい”のサイズだ。


 そしてなにより――その刀身の形状。

 それは刃のちょうど真ん中あたりで「く」の字型に折れ曲がっている。直角というほど鋭角ではないが、そう……15度とか、20度くらい。まるでカマキリがガバっとその刃を獲物に向けて伸ばした瞬間くらいの――いちばんヒトの恐怖心を煽る角度だ。


 そしてこのククリナイフには、聞くものを震え上がらせる掟がある。曰く――


「一度鞘から抜いたククリナイフは、血を吸わせるまで絶対に納めてはいけない」


 つまり、グルカ兵が一旦ククリナイフを抜いて向かってきたら、彼らは間違いなくこちらを殺しにかかってきているということだ。

 そもそもこの象徴的な武器は、彼らがグルカ兵として採用されたことの証として、軍から支給されるものだ。そこには“敵に血を流させるか――さもなくば自分の血を流せ――”という意味があると考えられている。

 要するに、万が一彼らグルカ兵が敵を斃せない場合には、そのククリナイフは二度と鞘には戻さず、それを使って自らの命を断て――という教え。


 さらには『臆病といわれるならば死を』という、グルカ兵たちのモットー。


 ここまで聞いて、彼らがいかに勇猛果敢で壮烈な覚悟を持った最強の戦士たちであるかがお分かりいただけただろう。


 そんな彼らの戦場エピソード、武勇伝は枚挙にいとまがない。まぁ、それをいちいちあげつらっていたらキリがないし、どうせ滅茶苦茶ツエエエエ――という話なんだろ、と思われるだろうから、ここでは一応自粛しておく。


 その代わり、少し違った角度から彼らの気質をあと少しだけ、深堀りしておこう。

 彼らがどれほど素朴で、純粋な兵士たちであるか――というお話。


 ただし、日本人には少々聞いていて辛くなる話だ。


 第二次大戦中、グルカ兵は英軍や豪軍の傭兵として、アジア各地で日本兵と戦っている。ニューギニアのジャングルで、フィリピンの奥地で、彼らは樹上から、茂みの奥から、日本兵を襲撃し多くを血祭りに上げてきた。

 だが、もっとも熾烈な戦いを繰り広げたのがビルマ戦線だ。


 当時グルカ兵としてこの地で戦ったネパール人はこう語っている。


「――我々は世界最強の傭兵で、マレー軍を3時間で撃破し、インド軍を1日で降伏させた。だが、日本の正規軍との戦いはかつてないほど過酷で、一週間不眠不休で戦わされ、半数以上が戦死した。これだけの死闘は初めてで、勇敢な敵軍を尊敬したのは後にも先にもこの時だけ。しかも、玉砕した日本軍のところに行ってさらに驚いた。英軍から支給された最新の武器で戦っていた自分たちとは違い、彼らの武器は貧弱で、食糧さえなく、日本兵はみなやせ衰えていた。こんな悲惨な状態であるにも関わらず、彼らはあれほどまでに戦い抜いたのだ。戦友が死んだときには泣かなかったが、敵である日本人の死を見て皆が泣いた――」


 世界最強の兵士と呼ばれる彼らから、これほどの敬意を受けた当時の帝国陸軍兵たちは、十分に自分たちを誇っていいと思う。


 いっぽうで、同じビルマのインパール作戦で英軍の捕虜になった日本兵に対し、彼らは恐るべき仕打ちをする。辛うじて捕虜になることを逃れ、密かに日本兵たちが囚われている捕虜収容所の様子を窺っていた、元日本兵の証言だ。


「――収容所の中には、多くの負傷した戦友たちが横たえられていた。そこに現れたのがグルカ兵たちだ。何やら透明な液体を戦友たちに振りかけている。暑かったので、水でもかけてくれているのかと感謝の念を抱いたが、その直後、戦友たちは燃え盛る炎に包まれて、生きたまま全員焼き殺されてしまった――」


 要するに、最初水だと思った透明な液体は、ガソリンだったのだ。英軍が転戦するにあたり、負傷した日本兵捕虜たちを連れ歩くことを嫌い、グルカ兵たちに「火をつけて焼き殺してしまえ」と命令したのが事の真実だった。

 だが、普通ならそんなことは、いかな上官の命令と言えど躊躇うものだ。せめて焼殺ではなく、別のやり方で……それが武人の情けというものだろう。しかし従順で生真面目なグルカ兵たちは、それを疑問に思うことなく忠実に実行したというわけだ。


 同じ捕虜収容所の出来事として、こういう話も残っている。

 英軍将校が、日本兵捕虜たちに対し「収容所の外周柵に近寄る者は、脱走を企図したと見做し射殺する」と訓示した。あくまで訓示、我々の命令には忠実に従えよ、というあくまでも「警告」だ。

 だが、それを聞いていたグルカ兵は、日本兵がただの散歩で柵に少し近寄っただけで、これを容赦なく射殺したという。そういう命令だったからだ。


 日本人は、だからグルカ兵に対してかなり複雑な心情を抱いている。

 特に兵士たちは皆、一通り軍事史を学ぶし、特に特殊部隊の兵士たちは世界の兵士たちのこういった話にも詳しい。

 だから先ほど坂田分隊長が「グルカ兵だ」と言った時に、分隊員たちがざわめいたのだ。

 彼らの戦士としての在り方には、それなりに敬意を抱くが、日本軍は伝統的に彼らと友軍になったことがない。むしろ、戦闘民族同士、不倶戴天の敵――といえば言えなくもない関係。


 だが、待てよ――


 グルカ兵というのは、「英軍兵士」なのではないか!? ではなぜ今、我々の前にいるのだ?

 俺たちが戦っているのは、中国軍だぞ――


 そう……グルカ兵の話には、続きがあるのだ。


 彼らは超エリート兵士として、世界中にその名を馳せてきた。

 いっぽうで、兵役が終われば彼らは盟約によりネパールに帰国することになる。21世紀に入り、英国は彼らに無条件で市民権を与えるようになったが、だとしても戦闘マシーンとして過ごしてきた彼らの中には、普通の生活に戻れない者も一定数存在するわけだ。

 そんな彼らの多くは、英軍での軍役を終えた後、あっさりと傭兵稼業に転ずる。他の欧米人元軍人たちとともに、民間軍事会社PMCを立ち上げる者すらいる。ククリナイフに、定期的に血を吸わせなければ生きていけない戦争屋になってしまうのだ。


 もちろんこれは『現世うつしよ』での話だ。士郎たちが元いた世界では、21世紀初頭、特に中東地域などで欧米先進諸国対アラブ人の、対テロ戦争が数多く繰り広げられた。そんな戦場で、多くの元グルカ兵出身傭兵たちが戦っていたのだ。


 だとすれば、今この戦場にいるグルカ兵も、正規のグルカ旅団所属兵ではなく、そうした傭兵かもしれない。中国軍に金で雇われた、用心棒だ。


 だが、だとすれば余計たちが悪い。

 彼らは非常に誠実なのだ。たとえカネで雇われたからといっても、一般的な傭兵たちと違って、おそらく彼らは途中で契約を反故にして逃げ出したりしない。

 つまり、一旦中国軍に忠誠を誓っていたとしたら、どんなに不利な状況になっても、決死で立ち向かってくるに違いないのだ。

 しかも、普通傭兵というのは、カネで雇われている以上「命あっての物種」と考える。どんなに稼いだところで、死んだら意味がないからだ。だが彼らは違う。


 確かにカネで雇われてはいるが、それ以上に彼らは名誉を重んじるのだ。降伏するくらいなら、死んだ方がマシ――と本気で考えている連中だ。

 もっと言えば、普通の暮らしに馴染めなくて、傭兵になってまでも戦いを欲する元グルカ兵は、基本的に相当腕が立つと見ていい。


  ***


 ジャキィィィ――――ン!!!!


 敵対アグレッサーモード――それが本来のそれかどうかは定かではないが――に入ったかざりと、その男が交錯した瞬間、空中にものすごい火花が飛び散った。


 男の持つ2本のククリナイフが、文渾身の正拳突きを「×」の形で受け止めた際の衝撃だ。


 だが、さすがのグルカ兵も、人外の身体能力を持つオメガ少女の突進を防ぎきることはできなかったようだ。そのままの格好で、まるで100キロの速度で突っ込んできた乗用車に撥ね飛ばされるように、後方にダァァァ――――ンと吹き飛ばされる。


 文の拳は、今や地球上のどんな鉱物より硬いと言って差し支えないだろう。そのDNA変異特性の一環として、皮膚をダイヤモンドの十数倍の硬度にまで硬化させることができるからだ。


 周囲の森が、まるで地震に見舞われたようにビリビリと揺れる。男が、後方の巨木に思いっきり叩きつけられた。いや……違う――


 そのグルカ兵もまた、驚異的な身体能力で吹き飛ばされた瞬間その身体をひねり、巨木の幹に二本の脚でダンッ――――!! と踏ん張った。背中から叩きつけられていたら、恐らく背骨が真っ二つに折れていただろう。


 強い――!!!

 次の瞬間、男が叫んだ。


「――マチュ・タライッ(ぶっ殺してやるッ)!!」

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