第352話 泥人形(DAY9-3)
苛烈な銃砲弾が飛び交う中、わざわざ田渕がここまで確認に来たのにはそれなりの理由がある。
第一に、本当にそれが破壊されているのだとしたら、この南戦線の戦いは初っ端から相当ハンデを背負うことになるであろうこと。
第二に、それには他でもない、中尉の親しい将校が乗り合わせていたからだ。もし自分が彼の立場なら、どんなことでもいい、現場がどうなっているのか知りたいと思うだろう。
タタタン――
タタタタン――
軽機関銃の音が方々から聞こえてくる。敵の攻撃はつい先ほど始まったばかりだ。だからこそ今のうちにこの不可解な爆発をこの目で確かめておく必要がある。なぜ――攻撃を受ける前に……!?
冷たい雨が鉄帽の縁からポタポタと雫を垂らしている。
ダダダダダ――
今の発砲音は先ほどより近い。確認のための時間はそう残されてはいないようだった。
田渕は、目の前の惨状にゴクリと唾を呑み込む。
陸戦兵器としては史上最強との呼び声も高い八〇式多脚戦車改型――
8本の脚を持ち、電磁加速砲で武装する極超高張力鋼繊維でその身を固めた煉獄の使者。漆黒のその姿は、まるで鳥さえも喰らうと言われる南米棲息の
だが、今彼の目の前にあるのは、小山ほども大きさがあるのではないかと錯覚しそうなほど巨大な、ただの黒い塊だった。
車高4メートルと言えば、その質感としては小さな一軒家くらいはあるだろうか。だが、暗闇の中でもこうしてその姿が鮮明に見えるのは、それ自身が激しく炎上しているせいだ。それは、恐るべき大蜘蛛がヒトの罠に掛かってあっけなく頓死したかのように、天を仰いでその無防備な腹を晒し、脚を固く縮こませているかのような無残な姿だった。
その獰猛な脚は今やバラバラに引き千切られていた。腹からは、オレンジ色の炎と黒煙が噴き上げている。それはまるで、蜘蛛の腹が裂けて臓物が飛び出てきたような、そんな悪趣味な想像すら引き起こす。
噴き上げる炎は、雨の中でも一向にその勢いを衰えさせる様子もなさそうだった。その装甲殻の中には、人が乗っていたであろうはずなのに――!
『――曹長! 132号車の確認できました』
無線の呼び掛けが、田渕を現実へと引き戻す。
「香坂か!? どうだった?」
「はい……」
「――どうした、ハッキリ報告しろ!」
香坂正義伍長は、大陸で
オメガ特戦群、とりわけ石動中尉直参ともなると、どうしても厳しい現場が多くなる。彼こそが、DNA変異特性を持つオメガ少女たちを統括するチームリーダーだからだ。彼女たちは事実上、国防軍最強の白兵戦専門要員だ。だからこそその戦場は常に、敵に肉薄し、敵の表情を目の当たりにしながら切り結ぶ、厳しい現場になる。
いっぽうで香坂はまだ若い。まだ
それに、香坂はいろんな経緯があって現在ウイグル人のアイちゃんという童女の面倒を半分見ている。まぁ、ここで言う「半分」というのにもいろいろ事情があって、それはそれで語り始めるとキリがないのだが、とにもかくにも彼には少し穏やかな時間が必要だったのだ。
だから「武者修行」と言っても実際はむしろ後方で多少なりとも融通の利く――少なくともそうそう命の危険を心配する必要のない――後方勤務で少し骨休めをさせていたというのが本当のところだ。
そんなだから、こうやって久々に厳しい最前線に連れ出すと、今みたいに少し動揺したりする。娑婆っ気のついた兵士はいつもそうだ。だが同時に、ベテラン曹長は思ってしまうのだ。
若者にはやはり、人の死に慣れないでほしい――
「――で、どうなんだ?」
『は、はい……中の搭乗員は3人とも……焼死していました』
「そうか……」
『――す、すいません……正確に言うと、うち1名は焼死かどうか判然としません』
「どういうことだ」
『こめかみに銃痕があります』
「……あぁ……それは大丈夫だ……」
『え? ど、どういうことです!?』
「……いいんだ……ご苦労、配置に戻ってくれ。俺もすぐ追いかける」
田渕は、それを事細かに香坂に解説する気にはなれなかった。こめかみを撃った形跡があるということは、恐らく――自決だ。全身が生きたまま焼かれる苦痛に耐えかねて、持っていた護身用拳銃で自分を撃ったのだろう。
多脚戦車の搭乗員と言えば、陸兵の中でもエリート中のエリートだ。特にチェン少尉が率いるこのチューチュー戦闘団は、そのエリートの中でもさらに選りすぐりと聞く。
彼は最期、どんな思いで自分のこめかみに銃を突き付けたのだろうか――
田渕は、あらためて目の前のゴライアスの残骸を無言で見上げた。こちらの方は、中心装甲殻の亀裂が狭すぎて中の遺体を目視することができない。だが、その細い亀裂からは先ほどからずっと炎と黒煙が噴き上げている。やはり『焼死』と報告すべきなのだろうか――!?
田渕は、少しでもいいから彼女たちの遺体を確認できないだろうかと思案する。壮烈な戦死を遂げた兵士たちの、最後の姿をキチンと目に焼き付けるのも、曹長たる自分の役目だと常日頃思っているからだ。
田渕は少しだけ逡巡して、それから持っていたライフルの銃床で、その亀裂部分をガンガンと叩いてみた。やはりビクともしなさそうだった。
諦めて、くるりと踵を返した――その時だった。
ガンガンガン……
え!?
今、中から音が……した……?
気のせい? いや、まさか――
田渕は慌ててもう一度振り返り、再度ガンガンガン――!! と力いっぱい装甲を叩く。すると――
ガンガンッ!! ガンガンガンッ――!!!
再び中から叩く音が聞こえてきた。今度はハッキリとだ。
間違いない!!
「おッ! おいッ!! 生きてるのかッ!?」
田渕は大声で亀裂の中――燃え盛る炎の中だ――に向かって怒鳴り上げる。
すると、やはり先ほどと同じようにガンガンガンッ!! と叩く音が返ってきた。なんてこった――!!
「――よ、よしッ!! 待ってろッ!! 今なんとかしてここをこじ開けてやるからなッ!!」
田渕は、そう言うと装甲殻の裂け目にグイっと両掌を挿し込んだ。
「うわっちッ!!!」
装甲は、炎によって灼熱の温度に熱せられていた。到底素手では触れない。
急いで辺りを見回す。
だが、あいにくレスキュー隊が持っているような工具はどこにも転がっていなかった。当たり前と言えば当たり前だ。せめて工兵がいれば――と思うが、ここに彼らはいなかった。工兵隊はもっと重要な役割のために、現在出雲大社の境内に展開している。
だが、たとえ彼らがいたとしても、そもそもこんな頑丈な装甲殻、どうにかできるものなんてこの世に存在するのか――!?
クソッ!!! なんとかしないと!
あの装甲殻の中は、まるでダルマストーブの中と一緒だ。何の奇跡か知らないが、今この瞬間人が生きていたとしても、一刻も早く助け出す必要がある。でなければ、どのみち時間切れだ――!!
その時だった。
ブロロロロロ――
向こうから、何か駆動音が近づいてくる。こんなところを呑気に走ってくるのは、半分素人の出雲守備隊だろうか!? それとも――!?
田渕は、即座に姿勢を低くしてライフルを構え直した。もし敵軍がここに近付いてきているのだとすれば、応戦に手いっぱいとなり、中の生存者の救出はほぼ不可能となる。クソッたれめ――!
ん――!?
だが駆動音は、どうやらバイクのようだった。この音は……ハーレー!?
すると、通りのずっと先にある角を、突然何かが猛スピードで急ターンしたかと思うと、まっすぐこっちへ向かって突進してくるではないか。光が一条、まともに田渕の目を貫いた。一文字ヘッドランプ!
あれは――灯火管制用のカバーをつけた、サイドカーだ!
どうやら守備隊の伝令のようだった。急いでいるのか!? だが、どうでもいい。誰でもいいから手伝わせて、何とかして131号の乗員を助け出す!
だが、そう思って彼らを呼び止めようとするまでもなく、どうやらあのサイドカーは真っ直ぐこちらに向かってくるようであった。もしかしてこの炎上しているゴライアスを見に来たのか!? まったく、悪趣味な奴らだ。だが――キキキキィィィ!!
「――田渕曹長ッ!?」
唐突に聞き慣れた声が聞こえたかと思うと、目の前に飛び込んできたサイドカーがジャックナイフのように急停車した。雨が降っていなければ、濛々と土埃が舞い上がっていたところだ。
「――あれ? 亜紀乃さんっ!?」
乗っていたのは、クロノスこと久瀬亜紀乃だった。彼女はバイクが急停車したのと同時に舟型のサイドシートからすくっと立ち上がると、そのまま数メートル前方に跳躍してバンッ――と田渕の目の前に着地した。両脚も揃って――相変わらず10点満点だ。
「――曹長ッ! そのゴライアス……」
「えぇ、ちょうどよかった! まだ中に乗員がいます! 手を貸してくださいッ!!」
その途端、彼女の顔が明らかにパァと輝いた。
「え!? てことは、まだ生存者がいるのですかッ!?」
「――えぇ! まだ中から反応がありますッ! でもどうしても装甲が破れんのです」
「よかった――!!」
唐突に別の声が割って入った。男の声だ。
田渕がそちらを見ると、守備隊の義勇兵と思しき人物が、慌ててバイクから降りてくるところだった。
「――えと、こちらは?」
「守備隊の黒岩兵長さんなのです」
亜紀乃が手短に紹介する。続けざまに今度は田渕を彼に紹介する。
「――黒岩さん、そしてこちらが田渕曹長です! 士郎中尉の先生みたいな方なのです」
俺はみんなからそんな風に思われているのか!?
田渕は、少しだけ気恥ずかしいが悪い気はしない。おそらく中尉が吹聴しているのだろう。まったくあの人は――
そうこうしていると、亜紀乃がサイドカーから何かを取り出した。これは――いつも持ち歩いている彼女の軍刀だ。
「あ、亜紀乃さん、さすがにそれじゃあコイツの装甲はどうにもならんでしょう」
田渕は難しい顔をする。155ミリ徹甲弾の直撃すら弾き返すコイツの装甲は、そんなものでどうにかなるような代物じゃない。
だが、彼女は何の躊躇いもなく、燃え盛る装甲殻に近付いていった。
「――いいから見ていてくださいなのです」
そう言うと、彼女はスタスタと歩を進め、左手に持った鞘から剥き身の長刀を引き抜いた。そのまま上段に構えると、一撃の間合いに立って燃え盛る亀裂付近をキッと見つめる。刹那――
はぁッ――!!!
振り抜いた瞬間、彼女の長刀からヴン――と青白い光の残像がその剣筋をなぞった。
え――!?
田渕は、一瞬我が目を疑った。
その瞬間、ゴライアスのあの装甲が、まるでバターを切るようにスパリと袈裟懸けに切断されたのである。
ギィィィぃ――
装甲は、そのまま斜めに滑ってグヮラン――と地面に落っこちる。同時にボワッ――と火炎が開口部から噴き出て、そして急激に下火になった。
亀裂によってちょうどいい塩梅に空気が供給されつつ、まるで焼き物窯のように内部で燃え盛っていたものが、急に蓋を開けられて熱気と炎が全部逃げ出したというところか。都合よく雨も激しく降り出し、消火の足しになる。
「――す、凄い……ですね! 亜紀乃さん」
なんという斬撃――!
たった一撃で、あのゴライアスの装甲を
「いえ、この刀、咲田さんがヒヒイロカネでパワーアップしてくださったのです」
あぁ――!
そういうことか!! 例の幻の……神さまの金属とかいう奴だな……ならば何でもアリということなのか……
すると突然――!!
「グはァァッ!!」
黒焦げのおはぎみたいな塊が、ゴライアスの装甲殻の中からむっくりと起き上がった。いや――よく見るとそのおはぎには、やはりおはぎみたいな手脚が生えている。
「あっ! 泥人形――」
「誰が泥人形じゃいッ!!」
思わず亜紀乃が口走った言葉に、鋭いツッコミで応えたのは、他でもない――チェン少尉だった。
なぜだか全身こんがり焼けた泥団子みたいになっている。
「少尉! ご無事でしたかッ!?」
田渕が目を丸くして彼女を見つめる。あの焼き物窯のような、ダルマストーブの中のような炎熱の中で、よくぞ生きていた――だけでなく、むしろピンピンしているではないか!?
いったいどうやって――!?
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