第349話 妹の我儘(DAY8-13)
信じられない――!
久遠は、作戦指揮所からの返信を聞いて思わずカッとなった。「
士郎は、現場の厳しい状況が分かっていないに違いない。
彼女の目の前には、亜紀乃を中心として例の黒岩兵長、そしてもともとこの灯台監視哨で任務に就いていた少年兵の、僅か3人しかいないのだ。しかも、その少年兵は軽傷とはいえ怪我を負っている。おまけに経験も浅いらしく、見る限り先ほどから戦闘には殆ど役立っているようには見えない。
それに対し敵兵は予想以上に精強だ。
それを、今はキノちゃんが殆ど一人で相手をしている状況だ。もちろん彼女はオメガの本領を発揮して、死体の山を築きつつあるのだが、先ほどから敵兵は一向に途絶える気配がない。まさに、次から次へと湧いて出てくるのだ。
いくら彼女が圧倒的だとは言っても、このままでは明らかにジリ貧だった――
そうこうしているうち、やがてまたキノちゃんが一人で敵兵の真ん中に飛び込んでいった。あっという間に辺りには肉片が散らばる。まさに孤軍奮闘だった。
それにしても、先ほどから使えない少年兵はともかく、あのベテランっぽい黒岩兵長はいったい何をやっているのだ!?
既に監視哨の兵士は2名も戦死しているのだ。確かに守備隊に入ったばかりで戸惑っているのかもしれないが、元々帝国陸軍兵士なのだろう!?
少しでも、キノちゃんの役に立ったらどうだ――!?
「デビルフィッシュより
久遠はあらためて上申する。普通は一度却下されたことを再具申するなんてあり得ないのだが、逆にそれだけ緊急事態だと分かってもらえるかもしれない――
指揮所からの再度の返事は予想外に早かった。
『――監視対象が反撃を放棄しているなら、それこそが敵と内通している証拠かもしれんな』
「あ! 士郎ッ!!」
意外にも、指揮官の士郎が直接無線で呼びかけてきた。
「――そうなのだ! 少年兵はビビッてしまってさっきからクソの役にも立たないし、どうすればいい!?」
『…………』
しばしの沈黙があった。だが、おもむろに返事が返ってくる。
『――よし、少年兵だけ回収できるか?』
「え? どういうことだ!?」
『黒岩兵長やキノに気付かれないよう、少年兵だけ回収してその場を離脱するんだ。キノが戦闘しているのは、その少年兵を守るためではないのか?』
「……ど、どうかな?」
『仮に少年がいなくなって、キノが積極的に敵を攻撃する必然性がなくなったとしたら、彼女もその場を離脱しようとするんじゃないか!?』
「そ、そうだな……キノはいつでも冷静だ。まともな判断力があれば……そうするかもしれん」
『――もしそうなった際に黒岩兵長が敵部隊からスルーされれば、彼は――クロだ』
「……了解した」
通信を終えた久遠は、カッと3人を注視した。
先ほどから少年は、小屋に立て籠もったまま動く気配がない。いっぽう亜紀乃は相変わらずだ。敵兵が灯台に近付くたび、片っ端から攻撃を繰り返している。だが、冷静になって全体を見回すと、確かに士郎の言うとおりのような気がしてきた。
この敵兵たちは、亜紀乃の攻撃に応戦しているだけのようにも見える。もし彼女が攻撃を止めれば、そのままスルーしてこの場を通り抜け、市街地に向かうのではないだろうか!?
実際、亜紀乃が大きく跳躍して一時的に小屋から離れた時も、敵兵たちは手薄になったはずの小屋を攻撃して制圧しようとはしていなかった。そこにまだ日本兵――手傷を負った少年兵と、そして黒岩兵長――が立て籠もっているにも関わらず……
彼らの狙いはこんな灯台ではなく、一刻も早く市街地に到達することのはずだ。ただ、岬の突端に建つこの灯台で、亜紀乃が通せんぼするような形で敵兵と対峙しているから、やむを得ず戦闘を繰り広げているだけに違いない。
よし――
久遠は、不可視化したまま小屋に近付いた。
半壊したその建物は、あちこちに銃痕があって、室内は跳弾のせいか滅茶苦茶になっていた。屋根は既に半分崩れ落ち、天井を見上げると半分夜空が見えている。灯台の本体と同様、石造りのお陰で炎上だけは免れているようだった。
その部屋の片隅に、半身を横たえるような形で青白い顔をした少年兵が身を低くしていた。眉間と肩口から多少の出血があり、顔面には大きく横一文字に裂傷が認められる。そのせいで、一見酷い怪我を負っているように見えるが、今まで何度も戦場で傷を負った久遠には、それが大した怪我でないことくらい一目で分かる。この子――やはり気持ちが折れてしまっているのだろう。
そこから二、三歩離れたところには、比較的歳のいった男が二人、こと切れていた。いずれも小銃が遺体の傍に落ちていたから、彼らは恐らく銃に手を掛けた瞬間、外にいる敵兵たちに狙い撃たれ、射殺されたに違いない。
さらに、少年の位置からちょうど対角線くらいのところに、黒岩が座り込んでいた。壁に寄りかかるようにして外の様子を窺っている。だが彼自身は、特に武器を手にしている様子はない。もうその時点で、この男は敵に反撃する意思がないのだとすぐに分かった。
肝心の亜紀乃は、ただいま小屋の外で敵兵と絶賛交戦中である。チャンスは今しかない――久遠は決断した。
気配を消したまま、少年兵のすぐ傍に近寄る。
「――少年、今すぐここから助け出してやる」
突然何もない空中から囁き声が聞こえて、彼――髙木和也二等兵――は、おそらく腰を抜かさんばかりに驚いたことだろう。だが、幸か不幸か彼は既に腰を抜かしていた。
驚きのあまり口をパクパクさせていたようだが、不可視化したままの久遠は構わず彼を抱き起こす。
次の瞬間――
ダンッ――と小屋の床を蹴り上げて、久遠は和也もろとも空高く跳躍した。部屋の向こうに陣取る黒岩には、幸い気付かれていないようだった。
二人はあっという間にこの狭い戦場を離脱する。突然空中に打ち上げられた和也は、自分が今どうなっているのかまったく理解できなくて、かすれたような悲鳴をその場に残していっただけだ。
***
何度目かの突撃から帰ってきた亜紀乃は、そこにいたはずの和也が忽然と消えているのに気づいて、パニックに陥りそうになっていた。
「――え、えと……あの男の子は――!?」
亜紀乃は、黒岩を問い質す。小屋外の戦闘の推移にばかり気を取られていた黒岩は、その時初めて和也がその場からいなくなっていたことに気付いたのだ。
「――あ、あれ!? ……さっきまでそこにいたはずなのに……」
「自力で脱出したのでしょうか!?」
「……いや、彼は腰を抜かしていたはずだから、ひとりで戦場離脱なんてそもそも……」
「ですが、小屋の中にはどこにもいません」
そう言うが早いか、亜紀乃は再度ダンッ――と跳躍して小屋から飛び出していった。その直後、再び外の方で「ギャアぁぁ」とか「うぅッ!」というくぐもった声が何度か聞こえてくる。
だが、早々にまた亜紀乃が戻ってきた。
「――いないのです……死体もありません。どうやら戦闘のどさくさで、脱出に成功したみたいなのです」
「じゃ、じゃあ……」
「黒岩さん、今すぐ私たちもここから離脱しましょう。さすがの私も、この人数相手では骨が折れるのです」
敵兵たちは、今やパッと見ただけで50、60人は視認できる。皆、断崖をよじ登ってきた連中で、それなりに精兵だ。亜紀乃も黒岩も、この連中が恐らく特殊部隊員であろうと踏んでいた。
「――た、確かにこのままじゃ、ここが制圧されるのも時間の問題かもしれないね」
「では――」
「いや! 亜紀乃ちゃん!! 君は市内に戻るべきじゃない」
「どうしてなのです? 先ほど爆発音も聞こえていたから、あっちでも戦闘が始まっているのです」
「――だからだよ! 今回日本は……勝てない……」
「……ど、どういうことなのです?」
「中国軍は、恐らく相当な大戦力で総攻撃を仕掛けているはずだ。それに対してうちはせいぜい千人ちょっとだ。勝てるわけがない」
「そんなことはないのです、私たちは強いのです。航空戦力も、多脚戦車も――」
「あれらは役に立たない」
「――――!?」
亜紀乃は、怪訝な顔を黒岩に向けた。まったく――そんな時の表情まで、この子は綾瀬にそっくりだ。黒岩の胸がチリッと痛む。
「……多分、あのジェット戦闘機も、あの恐ろしい形をした装甲……戦車も……途中で動かなくなるはずだ」
「どうして? だっていつもキチンと整備して――」
「私が――!」
黒岩は、気が付くとまるで正座のような体勢になっていた。両膝を床に着け、太腿に両の拳を重ねる。
「――私が……細工した……」
亜紀乃は、無言で黒岩を見下ろす。
「……言ってる意味が――」
「私が細工して、戦闘機も戦車も途中で動かなくなるようにしたんだッ! 私は工作員だッ!!」
「……工作……員……?」
「――そうだ。私は中国人民解放軍偵察総局に所属する、特殊工作員だ。日本人の中に紛れ、反乱分子を炙り出し、これを殲滅するのが任務だ」
「……何を言っているのか……あなたは日本人では――」
「――復員兵であることは事実だ。名前も……本名だ。だが、今私が忠誠を誓うのは中国だ。今回も、君たち国防軍の動向を探るために基地近くまで忍び込んで偵察していたんだ」
気が付くと、亜紀乃は目に一杯涙を溜めていた。黒岩の胸は張り裂けそうだったが、彼女を救うためには、これ以上嘘で誤魔化すことはできなさそうだった。
「――今、占領軍は出雲を本気で制圧しようと大攻勢を仕掛けている。偶然だったにせよ、君たちの基地に忍び込むことができた私の役割は、その驚異的な性能の兵器に小細工をして使い物にならなくすることだ。亜紀乃ちゃん……日本軍は負けるんだよ」
「…………」
「本当は、大攻勢は明日未明と聞いていたんだ。だから今夜、君を連れ出した。市内にいちゃ危ないからだ。だが、どうやら少し予定が早まったらしい……このまま二人で出雲を脱出して――」
「みりん干し――」
「は?」
唐突に、亜紀乃が口走った。黒岩は呆気に取られる。
「……み、みりん干し? いったい何を――」
「さっきサイドカーに乗せてもらっていた時に、頭に浮かんだのです」
「なぜ――!?」
「分からないのです……でも、黒岩さんを見ていたら、急にみりん干しが食べたくなりました。普段はそんなもの食べないのに、不思議なのです……」
なんてことだ――
黒岩は、後頭部をガツンと何かで殴られたような衝撃を受ける。そして――
突然、滂沱する。
「――どうしたのです? 私の“みりん干し”……何か心当たりがありますか?」
黒岩は、信じられないものを見るような目で、亜紀乃をじっと見つめた。
「……みりん干しは……妹の綾瀬の……大好物だ」
「妹……さん……?」
黒岩は、それっきり押し黙ってしまった。ただ彼女をじっと見つめ、そして零れる涙を拭おうともしない。
「――妹さん……綾瀬さんは、確か私にそっくりだと仰っていたのです」
「あぁ、その通りだ……」
その言葉を聞いた亜紀乃は、意を決したように黒岩を見つめ返す。
「――私は、その理由を知っています」
「ど……どういうことだ……!?」
「恐らく私は、綾瀬さんのDNAを使って人為的に作られた、クローンです」
「……クローン? 何だそれは……一体何を言って――」
「クローンとは、誰かとまったく同じDNAを持つ、分身みたいな存在のことです。私の身体は、綾瀬さんのDNA――そうですね……同じ細胞……からできているのです」
「――――!!」
「……言っている意味、分かりますか……?」
「じゃ、じゃあ……君は、綾瀬と同一人物だっていうのか!?」
「そうですね……そうとも言えます。綾瀬さんの人格や記憶こそありませんが、物理的な肉体は……完全に同じ人間といって差し支えないでしょう」
黒岩は、あまりのことに目を大きく見開いて、亜紀乃を見つめ返した。思わずその手を伸ばし、そして――彼女の頬に触れる。
亜紀乃は、そんな黒岩を優しく受け入れた。小首を傾げ、目を瞑り、彼の掌にそのまま頬を委ねる。
「――昔、こんな話を聞いたことがあります。まだ人間の臓器を他の人に移植していた時代の話です……心臓を移植されたまったくの別人に、元々の持ち主――ドナーの記憶が甦ったことがあるそうです。その人しか知らない、生前の記憶です。ドナーの情報は一切秘密だったのに、移植された人はドナーの家までまっすぐ辿り着くことが出来たし、母親に会った時も涙を流して再会を喜んだそうです。不思議なことがあるものだと思いました」
「じゃ、じゃあ今の……みりん干しの話も……」
「恐らく綾瀬さんの記憶なのではないでしょうか!? 心臓どころか、私の身体はすべて、綾瀬さんの細胞で創られているのですから。その脳に至るまで……」
黒岩は、言葉を失っていた。困惑した表情で、ただ……愛おしそうに亜紀乃の頬を撫で続ける。
「――さて、そんな私からお兄ちゃんにお願いがあるのです」
――――!!
「私と一緒に……来てくれませんか?」
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