第347話 終わりの始まり――再び(DAY8-11)

 灯台の下の方から突如として聞こえてきた発砲音。

 それは、髙木和也二等兵がちょうど用を足しに降りていったタイミングだった。


 慌てる一同だが、あいにく誰も武器らしい武器を持参していない。このまま闇雲に降りていっても、やられるだけだ。

 だが、逡巡する大人たちを尻目に、亜紀乃がすっくとその場に立ち上がった。


「――亜紀乃ちゃん! どうするつもり――」


 黒岩が言い終わる前に、亜紀乃は押し黙ったままその場でダンッ――と跳躍した。


 跳躍した――!?


 まさか――直に飛び降りたのか!?

 ここは、地表面から優に45メートルはある。15階建てのビルの高さくらいだ。そのうえ、灯台が建っているのは岬の突端に近い狭い場所だ。少しでも着地点を間違えたら、地面ではなく、波が叩きつける岩場に真っ逆さまだ。脚の骨を折るどころの騒ぎじゃない。というか――死んでもおかしくない。


「――亜紀乃ちゃんッ!!」


 黒岩は、彼女が飛び越えていった手摺をガシッと掴むと、大きく上半身を乗り出して真下の暗闇を見つめた。既に彼女の姿は見えない。

 すると、下の方から断続的に何かの物音が低く聞こえてくる。時折、発砲炎のような鋭い明かりがストロボのようにパっパっと光った。

 黒岩は、慌てて塔の中に飛び込む。


「――あ、ちょっと!?」

「助けに行きますッ!」

「そそそ、そんなッ! 無理だって!」


 だが、もはや男たちの制止は彼の耳には届いていなかった。黒岩は、決死の形相で灯塔の中の螺旋階段を飛び降りていく。男たちは「クソっ! どうなってんだッ!」と毒づきながら慌てて後を追いかける。


  ***


 さて、ほんの少しだけ時間を巻き戻そう――

 和也は、真っ赤になりながら灯塔の階段を駆け下りていた。「かわやへ行く」というのは単なる口実だ。

 突然目の前に現れた美少女。まだ名前も聞いていなかったな――とぼんやり考えながら彼女の顔をあらためて思い浮かべる。

 まるで人形のように無表情な顔立ち。だが、その瞳といい鼻といい口といい、そして、全体的な表情といい……どのパーツをとっても、それは本当に見目麗しい少女だった。小柄で、全体的に華奢な体つき――それは、妹の秋子よりもほんの少し大きいだけだ。それに……少しいい匂いがした……

 あれで「軍曹」だなんて――

 確かに彼女の出で立ちは、自分たちとはまったく異なっていた。その細い肢体にぴったりと貼り付いた漆黒の服。胸と肩の部分は、いかめしい装甲板を鎧のように纏っている。ついでに言えば、肘から先と膝から先の四肢の先端部分も、上半身と同様に何か鎧のようなもので覆われていた。

 重くないのかな――和也がようやく思いついたのは、そんなくだらないことだ。鎧が厳めしい分、彼女の華奢な身体が強調されて、余計にいかがわしい気持ちになる。


 ――やっぱり彼女は、別世界から来た未来の人なのかな……和也は、噂に聞いていた国防軍の話を思い出す。彼らはこの世界とはまったく違う世界から突然やってきて、俺たちに加勢してくれているらしい。それが本当だとしたら、彼女と自分は文字通り……でも――

 まだ逢ったばかりなのに、ほんの一瞬しか見ていないのに、和也はあの少女と離れたくないな――と思ってしまったのだ。


 カァーっと顔の周りが熱くなる。ちょっと本当に厠へ行って、頭を冷やした方がいいな――

 いつの間にか螺旋階段を二段飛ばしで飛び降りていた和也は、目の前にようやく現れた灯塔の出入り扉を見つけると、勢いよくバン――と外に飛び出した。


 その途端。

 和也は、目の前の男たちと目が合う。え――!?


 灯台の外には、十数人の黒い影が歩いているところだった。は? 誰だこいつらッ!?


 そう思った瞬間、男たちは何か棒状のものを和也の方向に向けた。え――?

 ダダダダダッ――!!


「おわッ――!?」


 思わず叫び声を上げると、和也は扉から飛び出たままの勢いで、そのまま横っ飛びに地面に転がった。その拍子に、肩と側頭部をしこたま地面にぶつけたが、ぼんやりしている暇はなかった。

 機関銃だッ! 機関銃で、撃ち殺されるところだったッ――!


 ドカドカドカッ――複数の足音が、一気に自分の方に迫ってくる。慌てて後ろ手を突き、後ずさりしながら上半身を起こしてそちらの方を見ると、明らかに兵士と思われる奴らが、まさに自分に襲い掛かろうとする寸前だった。


「あッ――!!」


 ブン――と風切り音がして、何かが顔の前をもの凄い勢いで通り過ぎた。その途端、両頬と鼻柱を真一文字に焼けつくような痛みが襲う。直後、今度はドロリと熱い何かが顔の下半分に降りかかった。濃密な、鉄の臭い……いや、これは――血の臭いだ。き、切られたッ――!?

 ナイフかなんかで横薙ぎに切り付けられたのだ。もう少し高さがズレていたら、喉笛を切り裂かれるところだった。それに気づいた瞬間、和也はガクガクと歯の根が合わなくなる。


 殺される――!!


「ひっ、ヒィィィ――」


 口を開けて、誰かを呼ぼうと大声で叫んだつもりなのに、情けない悲鳴のような空気が喉から漏れただけだった。それでも必死で立ち上がろうとするが、膝がガクガクしてどうしても身体に力が入らない。直後、先ほどナイフを空振りした男がその身を翻し、再度和也の身体の上にのしかかろうと襲い掛かってきた。


「――がぁぁぁぁッ!!」


 和也は必死で腕を滅茶苦茶に振り回す。その拍子に、掌にめり込んでいた小さな石礫が無意識に吹き飛んで、男の目の辺りにバラバラっと降りかかった。ちょうど目つぶしを喰らわせるようなかたちになり、男がウッ――と怯んで足を止める。

 それを見ていたのか、今度はまったく異なる方向から別の奴に再度狙い撃ちされる。

 ガガガガガッ――


アツッ――」


 今度は和也の右肩に、焼け火箸を突き立てられたような激痛が走った。「ヒィィィぃっ!」とまた悲鳴を上げながら、もんどりうって地面にうつ伏せになる。

 コイツらはいったい何なんだ!? というか――本当はそんなこと、聞かずとも分かっている。中国兵たちだ! だが、なぜこんなところにいる!? どこから来たッ!?


 みんなに知らせなきゃ――!!


 だが、そんな事より何より、今や手を伸ばせば届きそうな距離にまで、中国兵たちが迫って来ていた。物凄い殺気――なんでコイツらは俺を殺そうとするんだッ!?

 やめてくれッ! 俺はまだ死にたくないッ!! なんでなんでなんでなんでッ!?

 

 はぁッ――そんなこと、分かり切ったことだ。

 俺がコイツらを目撃したからに決まっているじゃないか!!

 俺が――奴らの侵入を見つけてしまったのだ。昨日の朝の、敵戦闘機部隊の来襲を目撃したのと同じだ。

 また俺が、一番先に見つけてしまったのか――!? だが、そんなことはどうでもいいとばかりに、中国兵たちが和也の肩に手を掛けた。


「……がァッ!! がァァァッ!!!」


 必死で叫ぼうとするが、恐怖で声が出せない。まるで言葉を忘れてしまったかのようだ。

 怖い――!!

 殺される――!!!


 身体中の力が、すべて抜けてしまっていた。普段あんなにイキがっていたのに、いざ殺されるとなると、身体が動かないどころか、声さえ上げられないとは――

 中国兵たちは――恐らく3人ほどだ――和也をそのまま押し倒すと地面に押さえつけ、恐ろしいナイフを振り上げてきた。もう駄目だ――

 和也は目をギュッと瞑った。刹那――


 ダンッ――――!!!!


 と大きな音を立てて、和也のすぐ傍に何かがぶち当たった。次の瞬間。

 シュッ――


 と何か鋭いものが降り抜かれる音がしたかと思うと、急に周囲の圧迫が消え失せる。殺気が……消えた――!?


「――大丈夫、なのです」


 あまりに場違いな声が聞こえてきて、和也は固く瞑った瞼を思わず開ける。そこにいたのは――


「……ぐ、軍曹……どの……」


 間違えるはずがない――

 漆黒の服に身を包んだ、小さくて華奢な少女。後ろ姿しか見えないが、その美しくたなびく栗色の髪は、さっきまで何度も頭の中でリピート再生していた、先ほどの美少女その人に間違いなかった。


 ただし、その右手には……日本刀――!?


 真っ直ぐ横一文字に延びたその刀身が、遥か上空をクルクル回る灯台の白い明かりに反射して、ギラリと光った。

 その瞬間、何かがドサッと和也の腹の上に落ちる。ウッ――と思わず息が漏れ、何だろうと少しだけ顔を近づけてそれを覗き込む。その瞬間――


「――ひッ! ヒィヤァァァァッ!!!」


 まるでジャングルの謎のケモノが雄叫びを上げるような、不様な悲鳴を上げて和也は身体を硬直させてしまった。

 そこにあったのは、人間の生首だった。先ほどまで和也を殺そうとのしかかっていた、あの男だ。


「――へッ!?」


 慌てて左右を見回すと、同じような生首がゴロンゴロンとあと二つ、すぐ脇に転がっていた。


「ひゃあァァァッ! かはァァァぅぅぅう!!」


 その恐ろしさは、経験したものでなければ到底理解できないだろう。人間の生首だけがゴロンと幾つも転がっている光景が、どれだけ身の毛もよだつものであるか――

 しかもそのうちの一個は、自分の腹の上でカッと虚ろな目と歪んだ口を開け、こちらを睨みつけているのだ……


「――あっ……」


 和也はその瞬間、ついに放心した。


「――気にしなくていいのです。よくあることです」


 背中を向けたままの少女は、顔色一つ変えず、少しだけ和也の方を振り返った。

 次の瞬間、またもやヴン――と空気の波動が伝わってきたかと思うと、目の前から掻き消える。


 え――? 消えた……


 すると、今度は20メートルほど向こうで、また何か争うような物音が一瞬聞こえた。

 ドサドサッ――

 また何か重たいものが地面に落ちる音がする。それを聞いた瞬間、和也はジュン――と身体の中心に何かを感じ……そしてようやく理解する。


 俺……小便漏らしている――!


 自分が失禁していたことに、今の今まで気づいていなかったのだ。そして、ようやく先ほどの彼女の言葉の意味を理解する。


 ――――!!!


 あの子に、自分が小便漏らしたところを見られたのか――

 だから「気にしなくていい、よくあることだ」と……!


「――がァァァ!! 今すぐ殺してくれぇ!!!!」


 あまりの恥ずかしさに、和也は思わず叫んだ。でも、あれッ!? 声が……出た――


「――なんだッ!? 深手を負ったのかッ!!? どこが痛いんだッ!?」


 突然、男の声が頭上から降ってきた。


「――へ!?」


 見上げるとそこには、先ほど少女と一緒に灯台に登ってきた見慣れない男が、血相変えてちょうど駆け込んでくるところだった。


「――あ、いや……」

「どうしたッ!? 血だらけじゃないかッ!!」


 確かに和也は血塗れだった。顔面は切られているし、右肩にもかすり傷を負っている。何より、周辺は血の海だった。だって、3人の男が一瞬にしてその首を刎ねられたのだから――


「……え、えと……俺はなんとか大丈夫です……」

「じゃあこの血は――ハッ!? 彼女はッ……彼女はどうしたッ!!」


 男は、切羽詰まった顔つきで和也に食って掛かる。


「……ぐ、軍曹なら……あちらに……」


 和也が指差した方向を険しい顔で仰ぎ見た男――黒岩は、その視線の先に、信じられない光景が広がっているのを目の当たりにする。

 それは、なんというか……実に表現に困る光景だった。


 辺り一面血の海の中に浮かぶ、天使――


 亜紀乃は、まったく無表情のまま、バラバラに切り刻まれた元人間だったと思われる肉片の山の中心に、静かに佇んでいた。

 その姿はどこまでも透明感に満ちていて、その作り物のように端正な顔一面に激しい返り血を浴びている様は、ゾッとするほど美しかった。


 あぁ……何てことだ――

 彼女は――いや、彼女だけではない。国防軍にいたはみな、その見た目とは裏腹に、容赦のない殺人マシーンだったのだ。


 最初黒岩は、なぜこんな男社会の軍隊に、彼女たちのようなうら若き乙女が何人もいるのだろうと思っていた。しかも、支援部隊の兵士でもなさそうだったのだ。

 だが、これでようやく理解した。彼女たちは、第一級の戦闘員なのだ。そういえば――少女たちの言葉を思い出す。

 「――私たち、新兵訓練なんか受けてない……」――さもありなん。

 こんなデタラメな強さなら、悠長にそんな訓練受ける必要すらなかっただろう。目の前の亜紀乃ちゃんの姿はまさに、阿修羅――


 この可愛らしい少女は、自分などより――いや、大抵の古参兵などよりよほど恐ろしい戦場を潜り抜けてきたのだろう。その姿が、綾瀬にどれほど似ていようとも、彼女はやはり妹とは別人だった。だが……だからこそ黒岩は、彼女を見て焦燥感に駆られる。まるで、綾瀬がこんな風になってしまったかのような、そんな切ない気持ちになってしまうのだ。こんな……こんな地獄から、この子を一刻も早く救ってやらなければ――


 いっぽう和也は和也で、目の前の光景に言葉を失っていた。

 あんなに小っちゃくて可憐な少女なのに――

 自分は殺されそうになってパニックに陥り、小便まで漏らす醜態を晒したというのに――

 彼女は顔色ひとつ変えずに、敵兵を一瞬のうちに斃してしまった。しかも、あんな凄惨な方法で――

 彼女こそ、戦闘のプロだ。伊達に「軍曹」やってるわけじゃない、ってことなのか……それとも「国防軍」は、みんなこんななのか――!?


 和也は、自分の気持ちがあまりに惨めにひしゃげていくのを噛み締める。俺は……ただの素人だ……


 その時――


 ズゥ――――ンンン!!!!


 市街地の方から、内臓を突き上げる重低音が空全体に響き渡った。爆発――!?

 黒岩は、ハッとして東の空を見据える。やっぱり――自分は騙されていたのだ。明朝攻撃などデマもいいところだ。


 総攻撃が、始まったのだ――

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