第346話 不意打ち(DAY8-10)

 サイドカーを降り、二人が徒歩で灯台に近付いていくと、根元のところに小さな小屋があった。

 それは最初から造りつけられており、どうやら人が常駐しているようであった。恐らく灯火管制をしていて窓には厚いカーテン状のものが目張りしてある。だが、僅かに端の隙間から、中の黄色い光が漏れ出していた。


「――ここは確か、監視哨になっているはずなんだ」


 黒岩は、誰に言うとなく呟くと、その小屋に近付いていく。コンコン――


「――誰だ!?」


 中からくぐもった声が聞こえてくる。


「つい最近守備隊に入ったばかりの、黒岩と言います。連れも一緒です」


 少しだけ躊躇ったような間が空いたが、やがてカーテンが少しだけ揺れると、ガチャっと扉が開いた。中にいたのは中年の男だ。


「――どうやら中国人ではなさそうだな」

「あ、はい……すみません突然お邪魔して……時限休暇が出たものですから、ちょっと国防軍の彼女を連れてきたんです。灯台を見たことがないというものですから……」


 黒岩の言い方には、若干事実と異なるニュアンスが混じっていた。亜紀乃が灯台を見たいと言ったからここに来たわけではなく、たまたま灯台に行くと聞いて「自分は灯台を見たことがない」と言ったのが真実だ。だが、まぁどっちでもいいか――とその時の亜紀乃は軽くその話を聞き流す。


「あぁ、国防軍の……! そうかいそうかい、よく来たなぁ」


 当然ではあるが、この監視哨にも国防軍の名は轟いている。絶体絶命の窮地に陥った出雲の街を救った、伝説の軍隊。半分アマチュアの出雲守備隊義勇兵たちにしてみれば、まさに地獄に仏――雲の上のようなありがたい存在だ。

 そんな部隊の兵士がわざわざこんな辺鄙な監視哨にまで来てくれたのだ。歓迎しない道理がない。そして、黒岩の狙いもまさにそこにあった。

 素性の知れない自分のような新参者よりも、「国防軍兵士」である亜紀乃を前面に推し立てた方が通りがいい。


「え? 国防軍!?」


 奥から兵士がもう一人、ひょっこり現れた。


「――そりゃあぜひ武勇伝が聞きてぇなぁ! なぁ!?」

「あぁ! どうする? カズも呼んでくっか!?」


 男たちの会話に、黒岩が小さく反応する。


「――カズ? この監視哨には、お二人のほかにも誰かいらっしゃるんですか?」

「あぁ、もう一人は今、灯台のてっぺんで見張りやっとるけぇ」

「く、黒岩さん……私、灯台に昇ってみたいかも――なのです……」


 亜紀乃が思わず口走る。あまり意思表示をしない彼女がそんなことを言うなんて、柄にもなく――ここに他のオメガがいたら、きっとそう言ったに違いない。まぁ、思いがけない夜のツーリング――しかも海岸線のワインディングロード。この年頃の女の子には、ちょっと特別な感じがするのかもしれない。


「――おぉ、まぁ見せてやらんこともないが……言っとくが、ここは観光名所じゃねぇからな。なぁ!?」

「おぅ、俺たちはこれでも、最前線で任務に就いてるんだ。一応先輩に対する礼儀をだな――」


 小屋にいた2人の義勇兵は、亜紀乃の言葉を聞いて嬉しそうに答えるが、同時になぜだか急に先輩風を吹かせ始めた。まぁ、プロの兵士でもなければ「監視哨」という持ち場の重要性に気付くことができず、自分たちだけが本隊から遠く離れて一見地味な任務に就いていることについての、言葉にならない不満めいた思いを持っていたのかもしれない。この二人、どうやら見た目よりも相当繊細なハートの持ち主のようだ。

 だが、彼女の防弾装甲板に刻まれている階級章が何気なく目に入って、急にビックリする。軍曹――!? こんな見た目で、ぐんそう!?


「――あ! ししし失礼しましたッ! 軍曹どのッ!」

「……え?」

「あ、あのッ……すす、すいませんッ! てっきりその……こど、子供かと思って――」

「……あぁ……別に構わないのです。世間ではまだまだ私、子供扱いですから」

「そそそそんなぁ……いじめないでくださいよぉ」


 どうやら男たちは、亜紀乃がへそを曲げて厭味を言っていると勘違いしているらしい。しまった――下手な先輩風なんて吹かせるんじゃなかった!!

 どこの世界でも軍隊は階級がモノを言う。彼女がどんなに子供みたいな見た目だろうが、彼ら兵卒からしたら「軍曹」なんて神さまみたいな存在なのだ。しかも彼女は伝説の国防軍の軍曹なのだ――


「…………?」


 亜紀乃は、訳が分からないという顔で小首を傾げる。だが、そのリアクションがまた、彼らには「なにコイツ許してもらえるとでも思っているの?」と間違って解釈されているふしがある。

 震えあがった二人の兵卒は、慌てて話題を逸らしにかかった。


「そそ、そんなことより、灯台登りませんか? 今すぐ!」


「え? いいんですか!? だってさっき――」

「い、いやぁ、だって二人とも、今時限休暇中なんですよね? まぁこの機会に一度見ておくといいですよ。ささ、ついてきてください!」


 言うが早いか、男たちはそそくさと灯台の入口扉を開けて中に入っていった。まるで逃げるように。二人もいそいそと後を追う。


 灯塔の中は当然だが円筒形の中空になっていて、丸い外壁の内側に沿って螺旋状に階段がついていた。4人は、その急階段を一列になって登り始める。途中何度か仕切り板のような床があらわれ、一行はさらにそれを突き抜けてどんどん登っていく。まるで竹の節みたいに造られているんだな――と亜紀乃は思った。


「おぉーい! カズーっ! 今からそっち登っていくからなァ――撃つんじゃねぇぞぉ!」


 男が真っ暗な上に向かって叫んだ。すると「おぉーっ」という返事が上から返ってくる。最初の二人と違って、若い男の声だった。


 ぐるぐるぐるぐる――

 もうどれくらい螺旋を回ったのか分からなくなった頃、ようやく上の天井からパァーッ――と大光量の明かりが漏れてきた。


「あ――!」

「ホレ、今のが灯台の明かりですよ。あと40段くらい」


 男の一人が、黒岩と亜紀乃に教えてくれる。


「ふぅー、やっと着いた」


 思わず黒岩が声を上げた。灯台の一番上の部分――巨大なフレネルレンズが納まっている鳥籠のようなハリハンと呼ばれる部分には、ぐるりと全周を囲う踊り場が設けられていた。そこにニュッと頭を出すと、サァァァ――ッと夜風が吹き込んでくる。濃密な潮の香りが辺り一面に満ちていた。


「わぁ――っ!」


 続いて顔を出した亜紀乃が、感極まって声を上げる。ここから見えるのは、今はただの漆黒だが、その奥にはどこまでも続く広大な海が広がっている筈だ。

 風の音に混じって、潮がザァァ――と押し寄せる音が、足許はるか下の方から微かに聞こえてくる。

 

 その時、不意に巨大な閃光が頭上をヴン――と突き抜けるのが分かった。その強烈な光は、海に向かってどこまでもまっすぐ伸びていく。黒くうねる海面が、キラキラと反射して白い光の道を作った。


「きれい――」


 亜紀乃は、そのあまりの美しさに息を呑んだ。それはまるで、自分が漆黒の宇宙にぽっかりと浮かんでいるかのような錯覚さえ引き起こす。


「おいカズ、ちょっとお客さんだ。こっちの方は守備隊の新顔、そしてこっちのお嬢さんは、国防軍の方だ」


 狭い踊り場の一角に、毛布一枚を持参して座り込む少年がいた。どうやらこの子が「カズ」らしい。確かに年のころはまだ十代半ば――ゆずちゃんと同い年くらいかな……? 亜紀乃は密かに思う。


「あ、ど、どうも……」


 カズは、突然目の前に現れた人形のように美しい顔立ちの少女に、どぎまぎして口篭もってしまった。


「――おいおいどーもじゃねぇぞこの二等兵! このお嬢さんの階級章見てみろ!? 軍曹殿だぞ!」

「しッ――失礼しましたッ! 軍曹どのッ!!」


 少年は、男たちにどやされて慌てて立ち上がった。


「――だ、大丈夫なのですっ……今はプライベートですから……」


 その小柄な少女の可憐な顔立ちを目にして、和也は思わず息を呑む。白磁のような頬、美しく艷めく栗色の髪、そして――妖しく青白色に光る不思議な瞳。

 それは、和也にとって恐らく初めての感覚だった。目が――離せない。その少女の姿は、彼の身近な女たち――母親や、ましてや妹の秋子など――とは比べ物にならない透明感……そして神々しさ、といったら大袈裟だろうか!?

 釘付けとはまさに今のことを言うのだろうな……と和也は思った。


「――おいおい! なんだぁカズ!? おめぇ、この軍曹さまに一目惚れしやがったな!?」

「え――!? いや、そんなことねぇし」


 男たちにからかわれ、和也は急に我に返ったかと思うと、いたたまれなくなったのかつっけんどんな態度を見せる。


「――そうなのですか?」


 亜紀乃は、男たちが何を言っているのかいまひとつ理解できないのか、和也に直接聞き返すという暴挙に出た。そのあまりの大胆さ――というか、遠慮のなさに、男たち、そして黒岩は思わず目を丸くする。

 焦ったのは和也のほうだ。

 「そうなのですか?」とはどっちの意味だ!? 「自分に一目惚れしたのか?」という意味で聞かれたのか? それとも「一目惚れしたわけじゃなく、自分には興味がないのか?」という意味で聞かれたのか――!?

 もはや目がぐるぐるの渦巻きだ。


「あ……い、いぇっ! その……そうじゃくて……じゃなくてッ、そうなんですけどっ――」

「なんだなんだ!? ハッキリ言ってしまえばいいじゃねぇか。おめぇも隅に置けねぇなぁ!」

「ちちち違いますよッ! 何言ってんですかッ!?」

「――違う?」


 また、亜紀乃が無表情で聞き返す。あぁそうか――この子はいわゆる『不思議ちゃん』なんだ……黒岩はようやく理解する。普通これくらいの年頃の女の子は、愛だの恋だのという話にはむしろ敏感だ。なのになぜ、彼女はこれほど人の感情の機微を理解できないのか――それについては謎だが、一つ確かなのは、この和也君という少年の繊細なハートが、そろそろ限界を迎えようとしていることだ。


「――ち!」

「ち?」

「……ちッ……違いま……せん……」


 最後は、ほとんど聴き取れないような小さな声だった。がはは――と笑う男たちを尻目に、和也は大声で怒鳴る。


「――ととと、とにかくッ! 俺はちょっとかわやに行ってきますッ!」


 そう言うと、和也はフンフンと鼻息を荒くしながら階段を駆け下りていった。


「あーあ、ちょっとからかい過ぎたか!?」

「厠なら、ホレ、そっちの隅にバケツ置いてんじゃねぇか、なぁ?」

「バケツ?」


 亜紀乃が、再び不思議そうな顔で今度は男たちを見つめる。黒岩は、ふふっとわずかに笑みを漏らした。まったく――日本軍は昔も今も変わってないな……


「……あぁ、いえ、便所のたびに下まで降りてたんじゃ見張りになりませんから、小さい方はそこにするんです、はい……」


 見ると、ベコベコに凹んだブリキバケツが端っこの方に置いてあった。

 それでようやく彼女も理解したようだ。頬を赤らめ、恥ずかしそうに俯いてしまった。普通の世間ではこれをセクハラというが、幸か不幸かここは戦場で、この人たちはまだそういう意識の欠片もない昭和40年代のオジサンたちであった。


 その時だった――


 パパパパパッ――!


 塔の下の方から、不意に何かの機械的な連続音が聞こえてきた。一同が今いるのは、地上から40メートル以上の高さにある灯台のほぼ頂上部だ。おまけに結構風が吹いていて、その音はそれほど大きくは聞こえない。もしかすると、聞き間違いか――!?

 だが、でもやはりこれは――


「おいッ! 今のは射撃音じゃないのか!?」

「カズが降りてったタイミングだぞ!」


 一同は慌てて踊り場の手摺に身を乗り出して、下を覗き込んだ。だが、灯台下暗しとはよく言ったもので、ここからでは直下の根元部分は暗闇でまったく確認できない。

 その時、再びカカカカッ――という小さな打撃音が聞こえてくる。それと同時に、下の暗闇の一角でパパパパッという閃光が連続して光った。発砲炎マズルフラッシュ――!!


「――間違いない! ありゃあ機関銃だッ!」

「敵襲かッ!?」


 男たちが、慌てふためく。だが、そこから一歩も動こうとしない。

 黒岩は思わず怒鳴った。


「――何やってるんですッ!? 助けに降りなきゃ!!」

「いや、無理だって!」

「何がですッ?」


 黒岩は、怒鳴りながらも困惑していた。いや、困惑というより、内心は大混乱だった。

 なぜ――!?

 人民軍の襲撃は、明朝ではなかったのか!? 自分がここに来たのも、それを見越してのことだ。なんとか今夜一晩、亜紀乃を連れて市街地から離れ、夜が明けて市内が戦闘に陥ったことを確認したら、二人して脱出するつもりだったのだ。この灯台に来たのも、それを高台から確認する意図もある。

 しかも、その攻撃ですら、南北と東側からのはずだった。日御碕ひのみさき灯台は、出雲市街地から西の方角にある。こっちからは一切攻撃がないはずだったのに――


「――何がって、俺たち小銃持ってきてないけぇ! 丸腰で降りていっても撃たれるだけだらぁ!」

「そんなッ!?」


 かくいう黒岩も、ライフルはサイドカーに積んだままだ。油断していた――

 懐に拳銃は忍ばせてあるが、ただの新入りがそんなところに銃を隠し持っていたらこの男たちに怪しまれるし、第一機関銃相手に拳銃一丁で何ができる――!?

 だが、先ほどのあの少年は――


 その時、亜紀乃がその場にすくっと仁王立ちになった。

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