第344話 監視(DAY8-8)

「――諜報員からの報告です」


 偵察総局の連絡将校が、紙切れを一枚持ってくる。朱上将はそれを受け取るとサッと一読し、李軍リージュンに手渡した。


【敵基地の概算兵力――

 将兵:およそ1,200 うち半数程度は異世界日本軍、その他は現地武装民兵。

 航空機:ジェット戦闘機36機 ただし近郊の飛行場に複数の支援航空機が存在する可能性アリ。

 地上戦力:用途不明の大型装甲車輛10輌、装甲車40輌、対空自走砲1輌、その他輸送トラックと思しき支援車輛10輌前後。

 その他:歩兵個々の装備について。異世界日本軍にあってはその性能が推定不可能な小火器多数。武装民兵にあっては38式歩兵銃程度のものを2人に1挺程度。これらの弾薬は互換性ナシと推定される。なお兵站は比較的充実しており弾薬食糧とも豊富と思料される――】


「――なかなか優秀な諜報員のようですな」

「えぇ、どうやら敵基地内にまんまと潜り込んだようです」


 ヂューが満足げな表情で応じる。


「――ということは、諜報員はもともと日本人ですか?」

「はい……元帝国陸軍の兵士で、朝鮮動乱時は南側について戦い、最終的に我が人民軍の犬になりました。自治区のパルチザン拠点を幾つも探り出して潰しています」

「大したものだ……しかし、大丈夫ですかな?」

「――信用できるか? という話ですか!? まぁ、100パーセントという保証はありませんが、一般的に日本人は主人がいなくならない限り裏切らない。それに、奴は中国に大きな恩義があるのです」

「ほぅ……」

「朝鮮動乱の際、統制が崩壊した韓国軍の中で日本人狩りが起きました。その時奴も巻き込まれ、最終的に我が人民軍が救い出したのです」

「――そんなことが……」

「えぇ……ともあれ、その話は大したことじゃありません。それよりも、奴はそもそも日本という国に対して強い憤りを持っている……」

「と、いうと……?」

「奴のように朝鮮に残った元兵士たちが、動乱の結果行き場を失くした時、日本は連中の引き取りを拒否したのです。まぁ、敗戦の後遺症でそれどころじゃなかったということなんでしょうが、元兵士たちは国家に裏切られたと受け止めたのでしょうなぁ」


 なるほど――確かにそれは痛ましい話だ。日本が降伏し、第二次世界大戦が終結したのが1945年。その際日本に復員せず、そのまま半島に留まった多数の残留日本兵たち。そして朝鮮戦争の結果、半島国家が消滅したのが1955年と聞いている。僅か10年だ。

 確かに、終戦後にさっさと復員しなかったのは自己責任だと言えなくもない。だが、たとえ回り道だったとしても、10年後、やっぱり祖国に帰還しようと思ったら、あっさり引き取りを拒否されたのだ。


 多くの兵士たちは、恐らく戦場で心に深い傷を負っていたであろう。普通の人間が、戦場に出て殺し合いをするのだ。特に陸兵は、目の前で敵の顔を見ながら相手を殺す。「今日で戦争は終わりだから帰ってこい」と言われたって、はいそうですかと気持ちを切り替えられるものではないのだ。


 特に敗戦で軍が解体されてしまった終戦直後の日本は、彼らを英雄として迎え入れることができなかった。むしろ国全体が「おめおめとお前だけ生きて還って来やがって」という風潮だったと聞く。

 だから、特に敗戦から10年間くらいは、復員した元軍人による犯罪が多発した。ちょっとしたことで殺傷事件を引き起こしたり、僅かな金品で平気で人を殺す。

 彼らは、人を殺すという行為に、あまりにも鈍感になってしまっていたのだ。


 あるいは、地獄の戦場を生き抜いてようやく帰ってきたのに、敬意を持たれることもなく、むしろ忌み嫌われてしまうという境遇。自らを正当に評価されない社会に対し、次第に憎悪の感情が燃え上がることは、仕方がなかったのかもしれない。

 だから終戦から10年経って、新たに元兵士たちが復員してくることを、当時の日本政府は極度に恐れたのだ。既に社会問題化していた復員軍人たちの犯罪行為。これ以上、その可能性を増やすことに躊躇したのも、無理からぬことだったであろう。


 だが、そんなことは元兵士たちには関係のないことだ。

 先に帰ったどこの誰とも知らない奴が凶悪犯罪に手を染めていたからといって、それはあくまで他人の話なのだ。

 望郷の念に駆られ、こうなったら戦後の復興に一役買おうとようやく帰国の意思を固めた彼らが、そんな奴らのせいで国家から拒否される――

 巡り合わせ、というのか、タイミングが悪かったのか……いずれにしても、彼らにしてみればとばっちりもいいところだったに違いない。だが、それが当時の現実だったのだ。


 そんな時に、彼らの「兵士としての力量」を正当に評価し、喜んで迎え入れると言ってくれた中国。多くの元日本兵が、祖国を捨て――それどころか憎しみを抱きつつ、新しい祖国に忠誠を尽くそうとしたのは、むしろ自然なことだったのかもしれない。


「――まぁ、個々の諜報員の背景はさまざまです。ただ、今回潜入した奴が相当優秀であることは間違いない。潜入して僅か半日で、これだけの情報を上げてきたわけですからな」

「連絡手段は?」

「……まぁ、それはいろいろです……そんなことより――」


 朱が言い淀むのを、李軍は少しだけ醒めた目で見つめる。ほぅ――その諜報員は、あくまで閣下の子飼い、ということなのですな――


「――そんなことより、これで敵の大まかな戦力が判明しました。大隊規模――これなら力押しで一気に捻り潰すことも可能だと思われますが……」

「それはどうでしょうな……!? 奴らは本当に強兵です。異世界日本軍はせいぜい二個中隊規模ですが、こちらの物差しで言うと優に旅団クラスの戦闘力は有していると見ておいたほうがいい」

「そんなに――!?」

「えぇ、個人携行火器もこちらの常識で見ない方がいい。半自動式で照準制御も備えている。ほぼ百発百中に近い――」

「……そ、それほどなのですか……!?」


 李軍は、なんだか悔しかったのだ。

 この朱上将という人物。もちろん人間としては極めて尊敬すべき人物だし、軍人としても極めて聡明、理知的だ。そういう意味では、旧態依然とした人民解放軍の中では、かなり優秀な部類に入る。李軍も、決して嫌いじゃない――というかむしろ、どちらかというと気が合うかもしれない。

 だが、そんな彼でもやはり人民軍の高級将校にありがちな、傲慢な側面も多分に持っているのだ。要するに、人海戦術はすべてに勝る――という恐るべき原始人的思考だ。

 確かに、双方拮抗した火力であれば、数が多いほうが勝つに決まっている。実際、かつては「人海戦術」というのは我が中国軍の正式な戦術のひとつだった。上将だって、そうやって今まで戦いに勝利した経験を、きっと幾つも持っているのだろう。


 だが……違うのだ。

 異世界日本軍――つまり、李軍が今まで戦ってきた相手は、そんな生易しい相手ではないのだ。少なくとも彼らは、自らに数倍する戦力が押し寄せてきたところで、簡単に降伏する相手じゃない。

 その火力が凄まじいのは言うに及ばず、彼らは一人ひとりが極めて優秀な兵士なのだ。決して諦めず、死を厭わない。それは、彼ら日本人が、古くから「戦闘民族」と呼ばれてきた所以でもある。


 裏を返せば、李軍たちはそんな日本軍と20年に亘って死闘を繰り広げてきたのだ。我々は、決して弱かったわけではない。彼らが、強すぎたのだ――


 朱上将は、まだそんな日本軍の、本当の恐ろしさを目の当たりにしていない。こうやって日本自治区全域でどんどん追い詰められているというのに、未だに何とかなると思っている節がある。突然、見たこともないような想定外の高性能兵器を振りかざして、まるで奇襲のように攻撃を受けたから、一時的に劣勢に陥った――程度にしか考えていないのだ。

 100年以上未来からやってきた、洗練された最新装備に身を固めた軍隊が、どれほど恐ろしい存在なのか――それが分かっていないから、今のように「力押しすればなんとかなる」などという発言が飛び出てくるのだ。


 いっそのこと、一度痛い目に遭ってみればいい。それでようやく、自分たちがとんでもない相手と戦っていることに気付けば、そんな連中と対等に渡り合ってきた李軍たちに対する見方も、ガラリと変わるに違いないのだ。

 今までは、戦に敗れて別世界にまで落ち延びた敗軍の将を、食客として養っているというような空気がどことなくあった。だが、断じて違うのだ――!

 日本軍を侮ってはいけない。どんなに大戦力で押し込んでも、簡単には勝たせてくれるはずがない。なのに――


「――では、全部隊を一気に投入しましょう。そうですね……三個師団くらいで攻略しますか。さすがに50倍の戦力差では、奴らも防ぎきれないでしょうから」


 違うというのに――!


「――しかし……」

「なぁに、閣下のご懸念は承知していますぞ!? 敵ジェット戦闘機を破壊しましょう。例の、用途不明の大型装甲車輛も心配なら、そちらも破壊してしまいましょう」

「破壊するって、まさか――」

「うちの諜報員は、潜入破壊活動もお手のものです。攻撃前に重要部品を欠損させるとか、場合によってはトラップを仕掛けて使い物にならなくすることくらい、造作もないことです」


 そんなことができるのなら、自分たちだってとっくにやっている。そうしたゲリラ活動ができなかったから、華龍ファロンは苦戦を強いられたのだ。もう一度言う――日本軍を甘く見てはいけない!

 押し黙った李軍を見て、上将が話をまとめてしまう。


「――では、さっそく作戦を開始しましょう。幕僚たちを集めろ! 今から作戦会議だ」


 上将が、従兵に指示を出す。李軍は、小さくチッ――と舌打ちをしただけだ。


  ***


 黒岩は逡巡していた。

 偵察総局の連絡員から、基地内の破壊工作が指示されたのだ。案の定だった。部隊の主力は、その混乱に乗じて総攻撃を仕掛けるのだという。少し前、自分が報告した情報がきっかけに違いない。

 だが、今回ばかりは躊躇う要素があまりにも多いのだ。


「――黒岩さん! これでどうでしょうか!?」


 亜紀乃が、嬉しそうにその両手を顔の前に突き出す。さっきから教えているのは、ロープのさまざまな結び方だ。

 亜紀乃ちゃんは、兵士だという割に、基本的な手技や体術をあまり承知していなかった。


「え? じゃあ、亜紀乃ちゃんたちは、新兵訓練ブートキャンプを受けていないの?」

「そうなのです。私たちは、軍に入った経緯が少々複雑でして……」

「あーん、わかんないよー! 黒岩さんっ、もう一度おねがいっ」


 そこには、亜紀乃の他にゆずりはと、かざりまでちゃっかりお邪魔していた。要するに、オメガチームの年少グループだ。


「――いいかい、ここにこれを通して……そしたら左右にキュっと引っ張る。ほら、出来ただろう!?」

「あ、ホントだー! でもなんで自分ひとりだと出来ないんだろう……おっかしいなー」


 気が付くと、3人のオメガが結びで連結されていた。


「いいかい、こうすれば、長いロープの途中でも一定の間隔でお互いを結ぶことができる。しかも、締まり過ぎないから体への負担も少ない。視界が妨げられた時の行軍にはもってこいだ」

「――すごい、確かにこれなら一人だけ迷子になって脱落せずに済むね」


 楪が目を丸くする。


「――ていうか、匍匐前進もロクにできないってのは、いったいどういうことなんだい?」


 黒岩は、注意深く質問する。すべての会話は、彼ら国防軍の練度を確かめる一助になる。見たところ、他の男性隊員たちは立ち居振る舞いから身のこなしまで、間違いなく精兵だ。

 分からないのはこの少女たちだ。

 最初女の子だから、前線部隊に帯同している看護婦か、あるいは兵士たちの身の回りの世話をする家政兵かとも思ったのだが、どうやらそうでもなさそうだ。

 かといって、戦闘要員なのかと思えば、基礎的な兵士の動作もなっていない。でも、周囲のリアクションや本人たちの言動を見る限り、やはり戦闘員なのだろうとは推測するのだが――臨時雇いの通信兵か何かだろうか……!?


「うむー、確かにそう言われると、身も蓋もないよね私たち……」

「気にしなくていいのです。私たちには、私たちの戦い方がある――」

「……そりゃまぁそうなんだが……」


 黒岩は苦笑する。

 そんな、ちょっと意地っ張りなところも妹の綾瀬にそっくりだ。今回の命令に逡巡してしまう、最大の理由だ。亜紀乃ちゃん……なんとかこの子だけでも、怪我をしないように守ってやれないものだろうか――


「じゃ、じゃあ――もう少し自主練しておいてくれないか!? おじさんは、ちょっと守備隊の他の人たちにも挨拶をしておかなきゃ……」

「はーい! 大人ってたいへーん」

「了解なのです、黒岩さん」

「じゃあ私もう一回最初からやってみるね!」


 少女たちを残し、黒岩は兵舎の外に出る。向かうのは、駐機場だ。ちょうど夕闇も迫る頃で、小一時間姿を消しても怪しまれることはないだろう。必ず、簡単な破壊工作はできる筈だ。燃料に異物を入れるか!? 重要パーツに細工をするか――!?

 かつて同じように航空機に細工を仕掛けた時は、フラップのヒンジを緩めておいたっけ。それであっけなく敵機は空中分解した。今回は、見たこともないジェット戦闘機だが、開口部がある以上、必ず致命的な工作は可能なはずだ――


 黒岩は、辺りを伺いながら、夕闇迫る基地の中に消えていった。すぐ傍で、彼をじっと監視している存在にも気づかずに――

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