第345話 サイドカー(DAY8-9)
その日の夜、出雲守備隊の義勇兵たちには短時間の休暇が与えられた。
突然の中国軍の襲撃から、既に36時間が経過している。市内は未だ戦闘の傷痕が癒えていなかったが、今後いつ再襲撃があるか分からない中で、もともとは一般市民であった彼らには束の間の休息が必要だったのだ。特に、まだ家族や家が辛うじて無事である者ほど、そうした時間を必要としていた。ここで一旦自分のことを整理して、後顧の憂いを断ったところで軍務に復帰して欲しい――それが守備隊隊長である髙木の要望でもあった。
もちろん、一家全滅して自分だけ生き残ってしまった義勇兵たちについては、その間も引き続き兵営に留まって軍務に専念してもらう。逆に彼らには、国防軍兵士たちとの強制的な交流――すなわち酒宴が用意された。昨晩は襲撃当日ということもあって慌ただしい時間が過ぎたが、さすがに二日目ともなると、妙に考える時間が出来てしまう。死にそびれた者に時間ができると、要らないことばかり考えてしまうものだから、そういう連中には考える隙を与えないようにするのだ。
「――
「なに、例の件もありますから、多少はこちらも隙を見せないといけない。一石二鳥なんです」
「なるほど――あ! こらっセイ! そりゃオモチャじゃないんだぞっ!?」
将校用の兵舎には、髙木の家族――妻の春江、娘の秋子、次男坊の清二――が遊びに来ていた。
先ほどから、士郎の装備品をいじって遊んでいるのは、まだ小学校に上がる前の幼いセイちゃんだった。
「はは、大丈夫ですよ。電源入れてませんから、どこ触ってもなんともならないです。どれ、じゃあ見えるようにしてあげよう」
そう言って士郎は、
「――いいかい、まずこの部分を固定しないと……よし、出来た。じゃあスイッチを入れるよ」
ヴゥン――その瞬間、清二の顔の部分をオレンジ色の滑らかな風防が覆った。
「わぁっ! すごい!! なんだか父ちゃんと母ちゃんの顔のところに丸い線が……あ、今度はなんか文字がいっぱい!」
清二が大興奮してはしゃぎだした。
「えー! いいなぁセイちゃん! 私も被ってみたいっ!」
「こらっ! アキまで!?」
「――いいんですよ、こんなの見たことないもんなー? かっこいいだろ!?」
「うんっ!」「私もぉ! 早くぅ!!」
子供たちのお陰で、一気に場が賑やかになる。こんな雰囲気も悪くないな――士郎は、逆に自分がいるせいで家族の団欒を邪魔しているんじゃないかという気分になる。
「――でも、本当にありがとうございました。秋子もすっかり良くなって……」
子供たちを愛おしそうに眺めながら、春江が穏やかな笑みをこぼす。
「本当に……皆さんがいらっしゃらなければ、今頃私の家族は――」
「それどころか、お父さんだって」
結局、髙木一家は全員国防軍に間一髪助けられたクチなのだ。
「えぇ、まぁ……皆さん無事でなによりでした。もっと早く駆け付けることが出来れば、もっと多くの住民を助けられたと思うのですが――」
「それは言いっこナシですよ。そんなこと言ったら、何十年も前から歴史をやり直さなきゃいけなくなる……」
今度は秋子が鉄帽を被ってヨタヨタしていた。だが、すっかり兵士の気分になって、清二に馬乗りになっている。今度は取っ組み合いを始めたようだ。そんな子供たちを眺めながら、大人たちはほっこりとお茶をすすった。
「――しかし、本当に皆さんは2089年の、しかも別の世界線……ですか!? ……からやってきたんですよね……」
髙木が、子供たちのオモチャになっている士郎の装備品を見ながら呟いた。
「――私は信じますよ。だって秋子の怪我をあんな一瞬で目の前で治しちゃったんですから……あんな魔法みたいな治療、見たことがありません」
春江は紅潮した顔で夫の顔を見つめる。母親としては当然の反応だ。目の前で子供が撃たれて絶望しかけていたところに、彼らは颯爽と現れて敵を蹴散らしただけではなく、その子まで救ってみせたのだ。しかも、傷一つ残らないという完璧さで。春江の、国防軍に対する信頼感は青天井である。
「あぁ、そうだな――春江だけじゃない、今や出雲の住民たちの、皆さんに対する信頼は途轍もないものがあります。もしかしたら、本当に日本は中国を追い出せるんじゃないか、とさえ――」
「――追い出せますよ」
士郎は食い気味に答えた。
「――必ず追い出せます。我々は、勝つ。ただし、本当の意味で今の日本が独立を取り戻すには、我々異世界の国防軍が頑張るだけでは駄目なんです」
「――と、言うと……?」
「我々は、軍隊です。目の前の敵は排除する。必ず勝ってみせます。だが、今日本にいる占領軍を追い出したところで、中国本土にはこれに数倍する人民解放軍がいるわけです。連中が本気で日本をどうにかしようとするなら、必ず大軍を仕立ててもう一度この国に攻め込んでくるでしょう。だが、我々国防軍は、ずっとこの世界に留まるわけじゃない……」
大人たちの周りを、沈黙が支配した。髙木がようやく口を開く。
「……結局当事者たちが何とかせんといかん、ということなのでしょうな」
「えぇ、その通りです。我々はあくまできっかけに過ぎない。抑圧され、立ち上がる気力も奪われた今のこの世界の日本には、カンフル剤が必要です。我々国防軍は、言ってみればそのカンフル剤に過ぎません。ですがそれを自覚しているからこそ、こうやって現地の日本人と共同作戦を行っているのです。それで自信をつけてくれさえすれば、皆さんはきっと自力で立ち上がることができるはずだ」
その時、清二と秋子がえらい勢いでやってきた。少しだけ重くなった空気が、あっという間に吹き飛ばされる。
「バンバーン! どうだぁ! わるいヤツはオレがぜんぶやっつけてやるぅー!」
「わたしだってまけないんだからねぇ! こくぼーぐんのおねえちゃんみたいになるから!」
子供たちは、すっかりヤル気のようだった。夫婦は、子供たちに微笑を浮かべる。
「――大人は子供たちを見習わなきゃいけませんなぁ」
「……和也も頑張ってること、忘れないでくださいね」
「和也……?」
「うちの長男です。今、
「――今回の敵襲は、上のお兄ちゃんが頑張って見つけたんですよ」
春江の顔が、母親のそれになった。士郎はふと、自分の亡くなった母親を重ね合わせる。あの人も、こうやって自分のことを心配してくれていたのだろうか――
士郎は、ふとしんみりしそうになる気持ちを奮い立たせる。
「どれ! おにいちゃんの登場だぁー!」
「「きゃはははッ!」」
突然立ち上がった士郎が、子供たちを追いかけ始めた。
***
ブロロロロロ――
すっかり暗くなった道を、一台のサイドカーが走り抜けていた。
『九七式側車付自動二輪車』――
1937年に帝国陸軍のサイドカーとして制式採用された、三共内燃機製の――もはやクラシックバイクである。空冷V型2気筒サイドバルブエンジン、排気量1,272㏄。米国ハーレーダビッドソン製をライセンス生産していた同社の民生用オートバイ『陸王』を軍用に改造したもので、世界で初めて側車の車輪にも駆動軸を延長した、極めてロードクリアランス性能の高い名車である。
太平洋戦争が終結するまで、このサイドカーは伝令や偵察、輸送に幅広く使用され、陛下に同道する際の護衛車輛として近衛師団でも活用されていた。
今、出雲の郊外を走るこのバイクは、舟型のサイドカー部分の前面パネルのところに軽機関銃を据え付けたタイプだ。ちょうど顔の前に機関銃の軸台があるから、乗っている者は少しだけ身体を斜めにして前方を覗き込む形になる。
「――すっ、凄く早く感じるのですっ!!」
「ははっ! そうだろう!? 側車に乗ると、地面に近いからな!」
「なっ――なるほど! でも、風が気持ちいいのですっ!」
「もう少ししたら、その風に潮の香りも混じってくるぞっ!?」
サイドカーを運転していたのは黒岩だった。側車に乗っているのは、当然亜紀乃である。
唐突に出た時限休暇に、黒岩は好機とばかり亜紀乃を誘って基地から連れ出していた。国防軍の集結地点と化した浜山公園を歩いていた時に見つけたこの古めかしい
たまたま近くを通りがかった義勇兵に聞いたところ、市役所との連絡用に置いているものだという。黒岩は、それをちゃっかり拝借して、夜のツーリングと洒落込んだ――ということにしてある……亜紀乃に対しては――
時限休暇だから、深夜0時を回れば家族のいない兵員は基地に戻らなければならない。その時にこの側車がなくなっていることに誰かが気付いたら、少しだけ騒ぎになるような気がしないでもなかったが、そのうちそんなことを気にする者は誰もいなくなるだろう……ということも分かっていた。
なぜなら明日未明、出雲市街地に対する総攻撃が開始されることになっているからだ。
市内は再び、大混乱と化すであろう。
そして恐らく、日本側は敗北する。国防軍のあの恐るべき兵器の数々に、さまざまな細工を仕掛けておいたからだ。あれらさえ無力化してしまえば、どんなに異世界国防軍が強力だとしても、数に勝る人民解放軍が最終的に勝利するはずだ。
戦闘が終結するまで、いったいどれくらい時間がかかるだろうか!? あれだけの精鋭だ……数時間ということは絶対にないだろうが、恐らく一日か二日……三日も持てばいい方か――!?
いずれにせよ、抵抗が長引く分だけ双方損害も増えるだろう。攻め手の方は、次から次へと交替すればいいが、守備側は少しずつ削られていくだけだ。やがて回復不可能なほど疲弊し、痛めつけられて……そして人民軍の流儀として、わざと降伏しやすいように誘導し、捕虜として確保したところで全員処刑する。そんな地獄に、亜紀乃ちゃんを残しておくのは到底忍びなかった。
脱出させるなら今しかない――
黒岩は、妹に瓜二つのこの少女を、なんとしてでも自分の手で守り抜こうと決意していた。
「――潮の香り!? 今、どこに向かっているのですか?」
「日御碕だよ! 島根半島の西の端に突き出た、大きな灯台のあるところだ」
「灯台!? 私、灯台見たことないのですっ!」
「へぇっ! じゃあきっとビックリするよ!!」
「――楽しみなのですぅ!」
黒岩が日御碕灯台に向かっていた理由はたった一つ。
人民軍が攻めてくるのは、南と北、そして東からと聞いているからだ。恐らく師団規模で、数万人が一斉に進軍してくる。典型的な都市攻囲戦だ。唯一西から攻めてこないのは、その先が海だからだ。とにかく亜紀乃を戦場から引き離してしまえば、あとは危ないからと引き留めて、ほとぼりが冷めたところでこの出雲を二人で脱出すればいい。
その先のことは、その時にまた考えよう。
突然――
ぺかーッ――と物凄い閃光が真っ直ぐ横一文字に闇を引き裂いた。亜紀乃が驚いて声を上げる。
「わっ!?」
「――今のが灯台の明かりだよ!? ホラ、海が見えてきた」
「――ホントなのです! すごいです!」
気がつくと、二人を乗せたサイドカーは、岬の先端に向けて小さな道路を登っていくところだった。今まで暗くてよく見えていなかったが、左側は大きな断崖だった。波が岩に打ち寄せる音が、バイクのエンジン音の向こう側にザバァと微かに聞こえてくる。
サイドカーは、軽快に坂道を登っていった。前方に、うっすらと白い尖塔が見えてくる。あれが日御碕灯台――!?
亜紀乃は幸せだった。
今までいつでも独りぼっちだった。もちろん、オメガの仲間たちや士郎中尉のことは大好きだし、みんなと一緒にいる時は淋しさなど感じることはなかったのだが、この人と一緒にいる時は、そういうのとは少し違う――なんだか、理由もなく安心してしまうのだ。
なんというか……家族、のような――
いや、亜紀乃には「家族」というものがどういうものなのか、よく分からない。だから今のこの感覚は、あくまで想像だ。話に聞いていた、家族という概念――それはもしかして、こういう感覚のことを言うのだろうか、と勝手に思い込んでみているだけだ。
だが、もしこれがそうだというのなら、やはり話に聞いていた通り、とても穏やかで……なんというか、無条件で自分の存在が許されているかのような、そんな空気を感じるのだ。
キィィィ――
古いバイクのブレーキが音を立てた。気がつくと、サイドカーが停止していた。
「――さぁ着いたぞ。少し降りて、灯台に昇ってみるか」
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