第327話 接敵(DAY7-1)

 その日の朝、それは突然にやってきた。

 今考えても、それはあまりにも歯がゆい接敵エンゲージであったと言わざるを得ないだろう。なぜ、山稜に偵察員を配置しておかなかったのか――!?

 それは些細なことのように見えてその実、大きな判断ミスだったと後になって責められたとしても、まったく言い訳のできない失態だったのだ。


 蒼流神社付近のやや開けた場所に一泊した士郎たち装輪装甲車部隊は、朝になってようやく出雲大社に向けて出発するところであった。幸い天気は秋晴れの快晴。山あいのため、やや遅れた日の出がようやく士郎たちのいる谷の麓を爽やかに照らそうとする矢先であった。


『――上空! ジェット推進音!!』


 部隊進発前の周辺警戒に当たっていた兵のひとりが、部隊宛てオールの無線連絡で警戒情報を唐突に発する。


「なにッ!?」


 まだ少しだけ寝ぼけまなこだった士郎は、その報告を聞いた途端、心臓が跳ね上がった。しまった――この位置だと、上空をまったく目視できない――!


 士郎は、慌てて空を見上げる。そこは周囲に山が迫り、上空はせいぜい仰角60度より上しか視界が開けていない。つまり今、部隊は大きめの井戸の底にいるようなものだったのだ。

 そうこうしているうちに、上空のジェット推進音はどんどん大きくなってきた。明らかにこちらに近付いていると思われるが、いったいどの方向から近付いていて、どの方向に向かおうとする航空機なのか、ここからでは皆目見当がつかない。もちろんその正体もだ――


 士郎は、二つの点で大きな失態を犯していた。

 まず第一に、ここが『幽世かくりよ』であるという点だ。通常であれば日本上空、そして進駐している中国大陸とか、その他軍が展開している地域の上空には、偵察衛星が常に広域警戒網を張り巡らせている。

 だから、仮に地上部隊が防空警戒を怠っていたとしても、未確認飛翔体が上空に接近すれば、その時点で該当する部隊にはダイレクトに警戒情報が届く。当然その瞬間に、地上部隊は防空警戒を最高レベルにまで引き上げるし、状況によってはすぐさま迎撃態勢を整えることができる。つまり、士郎たちの時代の陸上戦力は、敵航空勢力による奇襲に完璧に対応できることになっているのだ。だが――


 低軌道上には、偵察衛星も、宇宙艦も存在していないのだ。そんなことは分かり切っていたはずだったのに――!

 もちろん、現世うつしよ日本でハリネズミのように構築してある地上レーダー網や、24時間常に滞空している空中警戒管制機なども存在しない。部隊の防空能力は、各個の警戒活動に依存するしかなかったのだ。それなのに――


 もう一つは、ここ幽世の人民解放軍も「航空戦力を持っている」という当たり前の事実だった。士郎たち国防軍がこの地域に航空勢力を展開している心当たりがない以上、現在高速接近中の敵味方不明機は、十中八九人民解放軍のものに違いないのだ。

 確かに奴らの装備は1960年代のものかもしれない。士郎たちの時代より100年以上昔の、古色蒼然とした軍隊だ。だが、たとえそんな古めかしい時代の軍隊だったとしても、60年代後半には既にジェット推進の航空戦力を保持していて当たり前なのだ。

 航空火力というものは、それが例えばプロペラ機であったとしても、決して侮ってはいけない。生身の人間にとって、それはいつだって十分すぎるくらい脅威なのだ。


『――高射砲スカイシューター! 対応できるかッ!?』

『わ、わかりませんッ! 射界が制限されているため、照準はかなり難しいと思いますッ』


 士郎の呼びかけに、自走高射機関砲の搭乗員が自信なさげに応答する。この車輛は、機動戦闘車のシャーシを土台に、戦車の砲塔に当たる部分を二連装の35ミリ対空機関砲に挿げ替えたものだ。最大射程5,000メートル。最大射高は13,000フィート――すなわち、上空約4,000メートルだ。1分間に550発、2門合わせて1,100発という発射速度は、残念ながら士郎たちの時代の第6世代相手では少々力不足だ。射程も大したことないから、完全自律型の長射程巡航ミサイルのアウトレンジ攻撃には滅法弱い。

 だが、そんなポンコツでも、こちらの世界の旧式戦闘機レベルであれば、まだまだ十分通用するだろう。砲塔頂部後方で、パルス・ドップラー方式の索敵レーダーが忙しく高速回転している。だとしても――


 クソッ――やはり、から迎撃するのは無理な話だ。

 敵は、我々の存在を認識しているだろうか――!? あるいは、元々我々を狙ってこの空域に侵入してきたのだろうか――!?

 今や上空全体に、ジェット推進音が満ち溢れていた。山の稜線から敵機が見えた瞬間、爆撃されたらひとたまりもない――!


『全員! 対空防御態勢!!』


 もはやこうなっては、敵の第一撃をやり過ごすしかない。幸い歩兵は全員フル装備だ。通常爆弾なら何とか最低限の被害で切り抜けられるかもしれない。


『――ドローンを飛ばしますかッ!?』


 田渕が呼びかける。だが、今さら飛ばしたところで既に敵はすぐそこまで来ているだろう。

 その時だった――


 ガァァァァァ――――!!!!


 それは、一瞬の出来事だった。南東側の稜線から突如として現れた銀色の機体が、あっという間に士郎たちのいる谷間の上空を飛び越え、北西側の稜線に消えていったのである。


『――とッ……飛び越えていきましたッ!!』

『何機だッ!?』

『スカイシューターより報告! ただいま通り過ぎた敵味方不明機ボギーは4機!』

『機種はッ!? 機種は分かるかッ!!?』

『現在解析中――』


 恐らく、スカイシューターの光学カメラが敵機の映像を録画しているはずだ。だが、その解析結果が出る前に、再び轟音が谷を飛び越える。


 バシュッ――バシュバシュッ――――!!!!


『――再度! ボギーの後続と思われる飛翔体! 上空を通過ッ!!』


 誰かは分からないが、すかさず報告が上がる。


『――解析結果出ましたッ! Migミグ-21もしくはJ-7と思われる!』


 それは、ジェット戦闘機黎明期の、第一世代と呼ばれる代物だった。「Mig」はソ連製、「J」であれば中国製だ。やはり人民解放軍か――!


 第二次大戦終結後、しばらくの間蜜月を続けていた中ソ両国は、ソ連製のミグ戦闘機を大量に中国空軍に導入していた。その後中ソが仲違いし、ソ連製兵器の供給が打ち切られると、中国はこれをコピーして独自の派生形を生み出していく。『殲撃7型J-7』は、ありていに言うと『Mig-21フィッシュベッド』の劣化コピー版だ。


『……J-7だろうな』


 士郎は、誰に言うとなく呟いた。


『――続けてボギー大量に上空通過フライバイ! こちらに気付いていないようですッ! 現在機数確認中!』


 先ほどから、視界の限られた上空を、次々に銀色の機体が通過中だった。斜め後ろの山の稜線を越えて、再び前方の山影に消えるまでの時間は、1編隊エレメントあたりせいぜい数秒だろうか。そのたびにバシュッバシュッ――と轟音が通り過ぎていく。スカイシューターの報告を待たずとも、彼らが自分たちに気付いていないのは明白だった。恐らく対地レーダーなど積んでいないのだろう。

 別の言い方をすれば、地上の士郎たちは「眼中にない」ということだ。上空警戒を怠った士郎にしてみれば、まさに不幸中の幸いだ。

 だがそれは同時に、――ということに他ならない。


『――スカイシューターより指揮官CO! 上空通過のボギーは現時点で30機を超える――』


 あまりに同じルートを飛び越えていくから、士郎はすっかりその機速に慣れてしまった。今やハッキリと、その機体の特徴を捉えることができる。

 J-7の胴体そのものは、まるで鉛筆のように真っ直ぐな円筒形だった。ただしその先端には、こいのぼりの口のようなエアインテークが丸く開いている。主翼は典型的な三角翼。垂直尾翼は1枚で、第6世代のステルス戦闘機に慣れた士郎の目には、あまりにもレトロな形状に見えた。まさに黎明期のジェット戦闘機だ。


 だが、警戒すべきはその主翼下パイロンに吊り下げられた、いくつかの物体だ。

 翼の先端に近い一番外側のパイロンに吊り下げられているのは、流線型の増槽――すなわち「追加燃料タンク」だ。これは、この敵編隊がそこそこ遠距離から飛来したことを意味している。

 そして、そのさらに内側のパイロンに吊り下げられているもの。これこそが、最大の脅威だ。

 OD色に塗られた、ずんぐりとした涙滴型の物体――それは、間違いなく爆弾だ。それを吊り下げている機体が半数程度。

 そして残りの半数は、針のように細身の槍状物体を吊り下げていた。こちらはミサイルだろうか? 空対空? あるいは空対地!? さすがにそこまでは判然としないが、この編隊の戦力は明らかに『戦爆連合』と思われた。

 爆撃任務を帯びた機体を、制空担当の戦闘機が直掩する。いったい何を――どこを攻撃するつもりなのだ――!?


『――敵戦爆連合はおよそ44機と推定! ドローンで追撃しますかッ!?』

『あぁ! やってくれ』


 士郎の指示と同時に、スカイシューターの砲塔後部ポッドからポゥッ――という発射音と共に砲弾型のカプセルが射出された。カプセルはそのまま直上までするすると上昇すると、パンッと外殻が吹き飛び、中から小型の無人機がクルクルと飛び出してくる。

 無人機はすぐに姿勢を制御すると、一気に先ほどの大編隊を追いかけ始めた。電磁飛行でほとんど推進音も出さない、ステルス追跡型ドローンだ。


『――ハチドリ、追尾を開始。方位さんふたまる。目標最後尾3マイルを保持――』


 これで敵編隊の行動はリアルタイムでモニターできる。ひとまず部隊の窮地は脱したようだった。だが、嫌な予感が脳裏を掠める。


『全員へ通達――ただちに進発する。目的地変わらず。対空警戒を厳となせ――』


 士郎たちの装輪装甲車部隊は、あらためて出雲大社に向けて出発した。もちろん、追跡ドローンのデータは繋ぎっぱなしだ。


  ***


 ちょうどその頃――

 出雲大社にほど近い、日御碕ひのみさき灯台。


 大社からは車でおよそ20分の距離にあり、島根半島の西端に位置するこの古い灯台は、今も昔も漁師たちにとってなくてはならない存在だ。

 日本海の荒波は、この日御碕全体を険しい天然の要害に変えていた。波に浸食された岩肌はさらに隆起し、溶岩が冷えて固まった「柱状節理」や大小さまざまな海中洞穴が織りなす独特の奇岩奇景は、かつて多くの観光客をこの地に呼び寄せたものだ。


 その岬の主役――断崖の突端にそそり立つ白い灯台は、1903年に建てられた歴史的遺物とも呼べる代物だ。

 全高43メートル余り。石造りとしては日本一の高さを誇り、その海抜高はなんと63メートル。光達距離は21海里(約38キロメートル)に達し、世界的にも有数の灯台とされている。


 この見晴らしのよさを買って、この地域の住民はかねてよりここに監視哨を設置していた。警戒対象はもちろん――人民解放軍だ。


 数年前、奴らがこの地域一帯から手を引いて以来、出雲の住民たちは不思議な自治権を享受していた。日本国自体は未だに中国の占領下――というより、既に国家そのものが解体され、植民地と化しているというのに――

 それなのに、ここ出雲周辺だけには、中国兵が一切立ち入ってこなくなったのだ。

 それが例の、五年前のの結果であることを、住民たちはよく心得ていた。要するに、神罰が下ったのだ。それが、出雲大社に祀られている大国主命オオクニヌシノミコトさまの祟りであると、まことしやかに住民たちが噂するのに、そう時間はかからなかった。


 だからこそ、人々はそれ以来、自らの手で大社を死守することを決意したのだ。もう二度と、外国軍をこの地に踏み入らせないように――

 太平洋戦争の敗戦とともに、帝国陸海軍は解体されていたから、もちろん軍隊など存在しなかったが、住民たちは『神罰』以降、なんとか自警組織ヴィジランテめいたものを構築した。復員した元軍人たちを中心にした、準軍事組織である。

 それは大きな意味では「自由日本軍」の亜流と言ってもいいだろう。他地域の抵抗組織パルチザンと特に連携しているわけではなかったが、それらがあくまで地下組織であったのに対し、出雲の自警団は中国兵が進入してこないのをいいことに、完全に表の組織としてこの地域の防衛を担っていた。そういう意味では、日本最大規模の「抵抗軍」と言って差し支えないだろう。

 そんな彼らは、自分たちのことを誇りを込めてこう呼んでいた。

 『出雲守備隊』――


 その出雲守備隊の二等兵を務める16歳の髙木和也が、日御碕灯台の頂上見張り所で大編隊を視認したのは、士郎たちがこれの追跡を始めて僅か7分後のことであった――


「――北西方向! 日本海上空より国籍不明機多数――市街地方向へ侵入してくるッ!」

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