第328話 高射砲陣地(DAY7-2)

 ウゥゥ――――――――

 ウゥゥゥゥゥゥゥ――――――――


 空襲警報は、唐突に出雲市街地に鳴り渡った。


『――空襲警報――! 日御碕監視哨より入電……〇七一五マルナナヒトゴ、国籍不明の戦爆連合大編隊、北西方向より出雲方面へ向かう――繰り返す……国籍不明の戦爆連合大編隊、北西方向より出雲方面へ向かう――』


 短波ラジオも必死で警戒情報を流し始めた。放送はすぐさま、防災無線のようなものでそのまま街じゅうに響き渡る。

 多くの家は、恐らく朝食の時間帯だった。街路にも既に、登校や出勤中の者がチラホラ見える。だが、警報を聞くや彼らは必死の形相であちこちへ向かって走り始めた。行き先の大半は、通りの辻々や民家の軒先に作られた防空壕だ。

 防空壕といっても、地面から1メートル、せいぜい1.5メートルほど掘り返して、その上に丸太や板を渡し、さらにその上に土を盛っただけの簡素なものだ。至近弾の爆風なら辛うじてやり過ごせるだろうが、直撃弾が当たればひとたまりもない。

 それでも剥き出しで地上にいるよりは幾分マシだった。親は子の手を引き、子は年寄りをおぶって転がるように穴倉に飛び込んでいく。


 いっぽう、それらの流れに逆らって、市街地を走り抜ける者たちもあちこちに認められた。みな国防服に身を固め、脛にゲートルを巻いている男たちだ。

 彼らが向かっているのは各所の高台。その先にあるのは――

 周囲をぐるりと土嚢に固められた、高射砲陣地だった。黒光りするその鋭い槍状の砲身は皆、上空に向けて屹立している。男たちは次々に陣地に飛び込むと、間髪入れず高射砲に取り付き、把手やハンドルを器用に操作してその砲口を北西方向に向けていった。よく訓練されている――


 彼らこそ「出雲守備隊」の義勇兵たちだった。


 街全体を俯瞰すると、こうした高射砲陣地はどうやら出雲大社を中心にぐるりと同心円状に配置されているようだった。西側はすぐ海岸沿いに、北側は山の中に、そして東側と南側は市街地の各所にそれが設けられている。中には、3階建てほどの鉄筋コンクリ製ビルの屋上に作られている陣地もあった。その数、全部で10門ほどはあるだろうか――

 そのほかにも、通りの要所要所にはやはり土嚢がうずたかく積まれていて、重機関銃らしきものが据え付けられていた。さらに、道路そのものを通行止めにするための、戦車止めのような障害物まで引っ張り出されようとしている。

 出雲の街は、それなりの要塞化が図られていた――


「――大編隊って、いったい何機なんだ!? 爆撃機はいるのかッ!?」


 隊長らしき男が、出雲大社にほど近い浜山公園に設置された高射砲台に陣取っていた。


「わ、わかりませ――」


 副官と思われる隣の男が、隊長に返事をしようとした瞬間だった。


 ゴォォォォ――――――――!!!!


 轟音が上空に響き渡り、声が掻き消される。


「――今のはなんだッ!?」

「……え、えっと……今のが敵編隊なのでは!?」


 空を見上げると、朝焼けの広がる空には薄い雲がかかっていたが、そのさらに上にクッキリと多数の飛行機雲が認められる。あれが、敵編隊――!?


「……なんで通り過ぎたんだ……!?」

「わ、わかりません」


 クソっ……

 空襲警報が発令されて、まだ3分ほどしか経っていない。日御碕ひのみさき灯台の監視哨が敵編隊を目視した位置は、双眼鏡を使っていたとして恐らく日本海洋上10キロほど先だ。その位置からこの市街地上空までたった3分で飛来したということは――


「――あれは……ジェット機編隊だな……ならやはり、中国軍機か」


 男が呟いた。今のご時世、あれだけのジェット機大編隊を組める組織なんて、日本を占領する中国軍しか考えられない。

 なんにせよ、市内はまだ迎撃態勢が整っていなかった。いずれ反転して戻ってくるにせよ、敵編隊の謎の動きは貴重な時間稼ぎとなる。


「奴ら、絶対反転して戻ってくるぞッ! 今のうちに準備を整えるんだ!」

「――了解しましたッ! 髙木隊長ッ」


  ***


『――追跡ドローンが出雲市直上を通過! 高度25,000フィート!』


 自走高射砲スカイシューターの索敵要員から報告が入る。敵編隊の後部にピッタリ貼り付いて、奴らの動きを細大漏らさずモニターしているのだ。士郎が訊ねる。


『了解、このあとの予想針路は?』

『恐らく一旦出雲市街地を通過して、宍道しんじ湖付近で反転するものと思われます』

『――セオリー通りだな』


 要するに、朝日を背に襲撃しようとしているのだろう。

 奥出雲上空を通過した敵編隊は、その後北西に針路を取り、日本海洋上に進出したのち島根半島に向けて今度は東南東に転針した。典型的な欺瞞行動だ。そして今また出雲市街地上空をフライバイしたということは、一旦様子を見たのか――!? いったい何を恐れている?

 いずれにせよ、敵の攻撃目標が出雲市であることは間違いなかった。島根半島で奴らが示威行動を取る理由はひとつしかない。そこに、出雲大社があるからだ。

 それはすなわち、士郎たちの目的地と同じということだ――


『スカイシューターより続報――鳥取県沖日本海上空に、敵輸送機らしき複数の機影を確認……現在西進中』

『なんだと!?』

『――おそらく敵編隊と合流ランデブーするものと思われる』


 そうか――!

 奴らは、この輸送機部隊と合流するために一旦出雲市を抜けたんだ。だとすると、この輸送機は何を積んでいる――!?


 まさか――――


『指揮官より各班――敵の動きが妙だ……最大戦速で目標地点へ向かう!』

『了解!!』


 出雲市街地まであと5キロほど――

 部隊はアクセルを踏み抜いた。間に合ってくれ……!!


  ***


「――来るぞッ!!」


 高射砲陣地に陣取る義勇兵たちは、緊張の極限に達していた。

 敵大編隊が市街地上空を西から東に通過しておよそ5分。一旦小さくなりかけたその轟音は、再び空全体を覆いつくそうとしていた。それはすなわち――反転してまたこちらに戻って来つつある、ということだ。


「クソっ! 朝日が邪魔で良く見えんぞッ!?」

「――慌てるな! それが敵の狙いだ。当てることを考えるな! 弾幕を張って、敵の侵入経路を邪魔するだけでいい!」


 砲台長と思われる男が、部下を叱咤していた。砲身は既に、東の空に向け直してある。


「敵機――散開しますッ!」


 若い兵士が悲鳴のような声を上げる。まだ年端もゆかぬ、少年のような顔立ちだ。


「目標高度、およそ22,000フィートッ!」

「チッ! それじゃタマが届かねぇじゃねーか!」

「――大丈夫だ……爆撃するつもりなら、このあと一気に高度を下げてくるはずだ」

「目標距離、およそ2,000メートル! ……1,800……1,600……」

「よしッ今だ! ――ッ!!」


 ドンドンドンッ――!!

 ドンドンドンドンッ――!!!!


 高射砲陣地が、一斉に火を噴き始めた。一呼吸おいて、前方の空一面に黒煙がパッパッと広がっていく。高度調定済の高射砲弾が、規定高度で爆発しているのだ。


「――敵機、降下してくるッ! 高度20,000……16,000……あれは……大型機、多数ッ! 爆撃機と思われるッ!!」

「うぉりゃッ! ガチンコ勝負だ!! 撃ち落とせぇーーッ!」


 ドンドンドンドンッ――!!!

 ドンドンドンドンッ――!!!!


「駄目ですッ!! 敵機が早すぎて――」

「ならもっと手前に未来針路を取れッ!! 何やってるッ!!??」


 今や敵大型機の針路と高射砲陣地は真っ直ぐ一直線だ。ということは、理屈で言えば敵機は空にピン留めされたようなものだ。滑走路の端っこで、旅客機が自分に向かって着陸してくるシーンを想像してみればいい。空に止まって見えるだろう? つまり、両者のこの位置関係というのは、ドンピシャリ敵機に当てれば、簡単に撃ち落とせるはずなのだ。

 だが、出雲守備隊の持つ高射砲は、残念ながら極めて旧式のものだった。横軸回転、砲身の仰角調整、いずれも複数の人間が人力でハンドルを回すという年代モノだ。おまけに高度調定は高射砲弾のケツについているダイヤルをひとつずつ回して設定しておかなければいけない。通常は高度10,000から8,000で固定してある。つまりは、それ以上でも、それ以下でも対象物の高度が上下すれば、すぐ傍を砲弾が掠めても爆発しないのだ。日本の対空砲火は、大戦末期に米軍が開発した近接爆発VT信管を、結局実用化せずに終戦を迎えていた。


「――敵機、なおも降下してくるッ!」

「は!? なんでだッ!?」


 爆撃進入コースなら、さすがにこの高度で十分だろう。これ以上降下してくれば、今度こそ高射砲の餌食だ。いくら義勇兵たちの練度が低くても、5,000フィート――すなわち約1,500メートルまで高度が下がれば、敵機は空に浮かんだ大きな的のようなものだからだ。それとも、安く見られたか!? 俺たちでは、撃ち落とせないと――!?

 クソッ……舐めやがって……!


「あッ! あれはッ!! 爆撃じゃありませんッ!! 空挺ですッ――!!」


 突如として、悲鳴のような報告が上がった。先ほどの少年兵だ。

 見ると、空にはいくつもの傘がパッパッと開いていく。爆撃機と思われたその大型機は、次々と低高度に進入してきては、パラパラパラと落下傘を空中に撒き始めた。見る間に、無数の落下傘が空いっぱいを埋め尽くしていく。

 街を制圧する気だ――!!!!


「――敵戦闘機! 直上ォ――ッ!!」


 誰かが悲鳴のように報告した。刹那――


 グワァァァ――――ンッ!!!!

 一瞬、周囲一帯は真っ白な火球に包まれた。次いで、大音響とともにそれは大爆発を起こし、無数の破片が火花と共に飛び散っていく。

 貴重な高射砲台が一基、完全に沈黙した。


  ***


 浜山公園高射砲陣地――


「市街地の高射砲台、二基沈黙ッ!!」


 観測兵が、双眼鏡を顔に押し当てたまま絶叫する。出雲守備隊長、高木健一は、先ほどからギリッと唇を噛み締めるしかない。


「敵直掩機、なおも地上を攻撃中ッ!! ……あぁッ、また一基、やられましたッ」


 前方市街地の一角で、派手な火花を四方八方に飛び散らせ、また高射砲台が大爆発を起こしていた。弾薬に誘爆したのだろう。黒煙に交じって時折ぴゅーん、ぴゅーんとオレンジ色の火花があちこちに飛び撥ねていく。


 先ほどから敵は、大型機から無数の落下傘兵を降下させつつあった。それと並行して小型機が縦横無尽に上空を飛び回り、爆弾と思しきものをバラバラと投下しては、我が方の対空火器を一個ずつ潰して回っている。

 もはや市街はあちこちから黒煙を噴き上げ、一部の住宅地では大火災も起こっていた。出雲大社を背にしたこの位置だと、それらが手に取るように分かるのだ。

 するとまた別の小型機が、今度は地上スレスレを飛び回り始めた。小さな機体だが、銀色の機体色は朝日に照らされて時折キラキラと光る。鉛筆のような胴体に三角形のスマートな翼は、まるで小魚のようだ。すると、その鉛筆の先端から、今度はオレンジ色の火炎が噴き出し始めたではないか――!


「――あれは……」

「きッ……機銃掃射ですッ! 敵機、一般家屋に向けて機銃掃射を始めた模様!」


 あぁ……なんてことだ……

 大戦末期、ソロモン諸島方面の島嶼守備隊に従軍経験のある髙木には、それがどれほど非人道的で恐るべき攻撃か、痛いほどよくわかるのだ。

 航空機からの機銃掃射は、恐るべき破壊力だ。人体に当たれば恐らく1発で大穴が開く。なにせその機関砲弾は、牛乳瓶みたいな直径なのだ。腕や脚は簡単に砕け散り、掠めただけで肉は切り裂かれる。

 住宅地への機銃掃射は、したがって非戦闘員をただ殺すための鬼の所業だ。防空壕だって、直撃を受ければ盛り土なんて簡単に突き抜けて、中の人間は一瞬で爆散するだろう。女性も、子供も、関係なくだ。

 …………ッ!


「――地上の迎撃班はどうなっているッ!?」

「はッ! 敵落下傘部隊の対処に向かっておりますが、広範囲のため各個対応となりつつあり……」


 副官も、唇を噛んだ。

 もはやこうなっては、市街地の陥落は時間の問題だった。そうしているうちにも、遠くからズゥゥゥンという爆発音が響き渡る。また一つ、高射砲台が潰されたに違いない。


「――とにかくッ! 諦めるなッ! 最期の一兵まで戦うッ!!」


 そう言うと、高木は高射砲台からダンッ――と飛び降りた。


「隊長!? どちらへっ?」

「市内に向かう! ここにいたって役に立たん」


 そういうと、彼は近くに止めてあった古いオート三輪に乗り込んだ。荷台には、架台に据え付けられた軽機関銃が乗っている。


「3人、ついて来いッ!」

「はいッ」


 間髪入れず、副官を含む3人が車に駆け寄り、助手席と荷台に分かれて飛び乗った。だが次の瞬間――


 バァァァァァァ――――ン!!!!


 突然の大音響とともに、つい数瞬前までそこにいたはずの高射砲台が大爆発を起こした。次の瞬間、4人を乗せたオート三輪は爆風をまともに受けて横倒しになり、そのまま十数メートル吹き飛ばされる。

 辺りには濛々と黒煙が渦巻き、猛烈な熱気と焼け爛れた硝煙の臭い、無数の礫が彼らを呑み込んでいった。


 ガァァァァァ――――


 一瞬のち、超低空で銀色の機体が上空を通り抜けた。くそッ……ミサイルか――


 髙木は、横倒しになったオート三輪の車内で、辛うじて息をしていた。すぐ隣の助手席では、副官が火だるまになったままピクリともしない。荷台に乗っていた連中も、恐らく――


 すると、彼の視界の片隅に、銀翼の機体が上空に駆け上がり、そのまま反転急降下してこちらに真っ直ぐ突っ込んでくる様子が映る。あぁ……最後は機銃掃射で止めを刺すつもりだな……

 薄れゆく意識の中で、少しだけ息子の顔が頭に浮かんだ。お母さんは、無事だろうか――

 俺は、命に代えてお前たちを守るつもりだったんだがな……

 すまんな……


 その時、その銀色の小さな機体が、突如としてオレンジ色の大火球に包まれた――

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