第326話 悪魔の囁き(DAY6-23)

 ヂュー上将たちにとってのもうひとつの誤算は、日本軍が真っ直ぐ東進してこないことであった。


 最初の誤算――すなわち、そもそも日本軍が当初の想定を覆してこちらの世界に雪崩れ込んできたのは、この際やむを得ないと割り切るしかない。事ここに至っては「話が違う」といつまでも文句を言っても仕方がないのだ。敵が現れたなら、とにかくそれを叩くしかない。でなければ、敗北するのは自分たちなのであり、再び描いた夢は幻に帰すだけなのだ。責任追及は、すべて終わってからでも遅くはない。

 そんなことよりも、まずは彼らの撃退だ。向こうの世界から逆侵攻してきたということは、当然リー閣下の元いた世界の日本軍ということだ。それは想像を絶するほど強大で、恐るべき敵だ。なにせ100年以上未来から来た軍隊なのだ。我々が李閣下から教わった未来の驚異的なテクノロジーを、既に当たり前のように装備している軍隊なのだ。しかも閣下曰く、向こうの世界の日本軍は中国よりも一歩も二歩も進んでいて本当に強敵だった、まともに戦ったらまず勝ち目はないとまで言われたのだ。


 だが、そんな我々にも勝算があると奮い立たせてくれたのもまた、李閣下だった。


 曰く「自分の国土を攻めるのだから、破滅的な殲滅戦は絶対にやらないだろう」ということと「人道主義の時代の軍隊だから、日本族を盾に取れば絶対に手出しできないはず」という二点だ。


 確かに言われてみればその通りだった。

 こちらの世界ですら、奴ら日本軍は抗日戦争のさなか、非戦闘員には極力被害が及ばないような戦いぶりだったのだ。我々人民軍はそれを逆手に取り、数々の市街戦で堅壁清野作戦を実行してきたのだ。

 街を焼き払い、人民もろとも焼け野原にする。現地で食糧を調達しながら戦う日本軍は、この作戦で相当痛い目に遭ってきたはずだ。ならば、それに輪をかけて人道主義だというあの異世界日本軍は、我々が占領地を焼き払うと言えば、それ以上手出しできないのではないか!?

 何より奴らの戦略目標は、占領された自国を解放することなのだ。そこに住む日本族が軒並み皆殺しにされれば、必然的に奴らの戦う意味がなくなってしまうわけだ。


 そして、解放戦争の難しい点はもうひとつ。街のインフラを徹底的に破壊できない、ということだ。

 何せ我々占領軍を追い出した後、自分たちの国土を再建しなければならないのだ。であればこそ、極力街の主要設備は温存しようとするだろう。つまり――奴らは我々を攻めきれない。


 その攻め手の緩さの隙をついて、反撃に転じる。あるいは秩序だって後退していき、機を見て一気に逆襲する。戦闘とは、防御するよりも攻める方が数倍簡単なものなのだ。今は我々が防御側だが、いったん都市を放棄したあと、十分な戦力で攻め返せば、あっという間に攻守逆転だ。


 その際に重要なのは、民間人を都市から逃がさないことだ。街を何重にも包囲し、脱出しようとする市民は間髪入れず狙撃し、これを許さない。そうすれば、都市の中には非戦闘員が溢れるはずだ。これを守りながら戦うしかない日本軍は、防戦一方になるだろう。


 元々我々占領軍は、この日本自治区に完全に布陣を完了しているのだ。地の利でいっても、補給線に関しても、我々の方が圧倒的に有利なはずだ。つまり、緒戦さえ凌げば、勝機はある――!!


 そして占領軍司令部が急遽想定した日本軍の侵攻想定こそが、最初に彼らが出現した北部九州から真っ直ぐ東に進軍し、最終的に関東に雪崩れ込むであろう、というものだったのだ。


 この想定の意味するところは、彼ら日本軍の補給線がという点だ。


 どんな軍隊でも、補給に関しては最初のスタート地点から最前線部隊を追いかけるしかない。しかも、それが電撃戦であればあるほど、前線部隊の進撃スピードは速いものだ。それに対し補給部隊というものは、どの時代のどんな軍隊であろうとも、例外なく鈍重だ。このスピード感の違いが、いつの世も「補給線の長大化と脆弱化」を生む。

 どれほど未来的な軍隊であろうとも、補給が続かなくなればやがてその足は止まる。燃料弾薬は枯渇し、食糧は底を尽き、医療は崩壊し、そして――兵士たちは疲弊する。


 だから将軍たちは、今回の日本軍の電撃的侵攻スピードをむしろ歓迎したのだ。どんどん攻め上がって来い――! そして、補給線が伸び切ったところで我が軍はそれを各所で撃破し、寸断するのだ。あとは遅滞戦闘を繰り返して敵主力の損耗をじっくりと、少しずつ図っていけば、時間はきっと、我が軍の味方となる。


 ところがどうしたことだ――!?

 日本軍は、九州を出て山口、広島と想定通り東進を始めたと思ったら、主力部隊が途中で北上してしまったというではないか。しかも、よりにもよってあのイズモ不可侵域へ足を踏み入れていくとは――!?


 最初連中が不可侵域へと舵を切ったと聞いた時、一瞬幕僚たちは小躍りしたものだ。

 奴らめ……あの地域の恐ろしさを知らないのだ。足を踏み入れれば、そのまま二度と帰ってこられない――究極の禁忌の地なのだから。


 だが……どうやら彼らには、何事も起こっていないらしい。我々の同志兵士たちが、10万人も飲み込まれた地であるにも関わらず――


 それどころか、これによって日本軍の進撃スピードは一旦落ち着き、後続の補給部隊もすっかり追いついてしまったのだ。つまりは今、日本軍主力は、我々解放軍が立ち入ることのできないイズモ地域に、その本陣を見事移してしまったのである。


  ***


「――いったいどうやって攻めるつもりなのです!?」


 幕僚の一人が、李軍リージュンに詰め寄った。


「閣下もご承知の通り、あそこは禁忌の地だ。兵士たちが立ち入れないのはもちろん、共産党の拠点さえ確保できていない。要するに、中国人は入れないのですぞ!?」

「――では訊こう。いつからです?」

「いつから……とは……?」

「いつからそうなったのです? 最初から入れなかったのですか?」

「……そ、それは――」

「立ち入りが難しくなったのは約5年前からと聞いています」


 オブザーバーとして会議に参加していたどこかの部隊の上校が、遠慮がちに口を挟んだ。


「――ほぅ……続けたまえ」

「はッ――あの地域は、元々はどこにでもある日本の田舎でした。あると言えば、東に隣接する鳥取県に、陸軍航空隊の輸送基地跡が残っていたくらいで、特に戦略的な大都市や工業地帯があるわけでもなく、ある意味統治も緩やかでした」

「統治が……緩やかだった……?」

「はい、本当に戦略的には意味のない地域だったのです。ですから進駐部隊も、一応入るには入りましたが、小さな詰所を置いただけで、あとは元々あった地方政府に行政事務を担わせておりました」

「……それで、占領行政はキチンとなされていたのですか?」

「は、住民も極めて従順でありましたし、特に目立ったトラブルもなく……ところが、ある時状況が少し変わりました……」

「それは……?」

「――党が……住民教育を徹底せよ、と通達してきたのです。それで、この地域では殆ど進んでいなかった共産党支部の設置を図りました」

「例の……神社を衣替えするという奴ですか……」

「――その通りです」


 李軍は、忌々しそうに机を指でコツコツと叩き始めた。

 なんという愚かなことだ――住民の信仰の元となっている神殿を、党の出先機関に作り変えるなど……そんなことをすれば、反発を受けるに決まっているじゃないか!?


「――で、どうなったのだ!?」

「……それが……その……」


 上校が言い淀む。


「なんだ!? ハッキリ言いなさい」

「――災厄が……起きたのです……」


 朱上将が取って代わった。李軍は上将の方へ振り向く。


「――災厄……?」

「えぇ、既にお話したかと思いますが、魔物が出たのはその時のことです。最初の出現地点は確か……ソーリュー神殿……とか言いましたかな……」


 ソーリュー神殿……?

 ソーリュー神社、ということか。聞いたことのない名前だ……


「――その時、神殿に向かった党員と、護衛の一個小隊が全員惨殺されたのを皮切りに、この地域一帯で我が軍に対する謎の攻撃が激化したのです――」

「――で、では、あらためて小官がその先を説明いたします」


 先ほど言い淀んだ上校が、あらためて説明役を買って出る。朱は頷いた。


「――この男は、当時の現場を知る者です。説明役としては適任だ」

「……恐れ入ります……攻撃は、通常の火力ではありませんでした。もっとこう、超自然的なモノです」

「というと!?」

「はッ、例えばそれは雷、あるいはの類といいますか……場合によっては、一夜明けると部隊が全員何らかの獣のようなものに喰い殺されていたこともあります」

「ど、どういうことだ……」

「――要するに、自然現象と人為的なモノとの、ギリギリの境界線上で攻撃を受け続けたのです。雷は、具体的に言うと落雷です。それで簡単に一個中隊が全滅した。かまいたちと言ったのは、要は兵たちが、突如として突風のようなものに巻き込まれるわけです。すると次の瞬間、バラバラに切り刻まれた。数十人が、例外なく、あっという間に首や手脚を落とされるのです。それが意図的に我々に向けられた攻撃であることは分かるのですが、かといって人間の仕業とも思えない……現に、竜のような魔物の目撃情報まであった。それで我々はパニックに陥りました」


 上校の説明に、並み居る将軍たちもあらためてその異常さに恐れを抱いた様子であった。顔色が蒼白になっている。

 李軍も、ゴクリと唾を呑み込んだ。


「――ですが、当時の司令部は前線からの報告を疑問視しました……そんなバカなことがあるか、というわけです。で、ですがっ……! 私も司令部にいたとしたら……同じことを言っていたと思います」

「――よい、気にするな……先を続けよ」


 朱が上校の発言を容認する。司令部批判をするつもりではない、ということは、この場にいる誰もが認めるだろう。


「……は、はい……それで、この後そう間を置かずに、この地域に対し大規模な制圧作戦が行われました。もちろん、謎の抵抗勢力を鎮圧し、この地域に強力な党のネットワークを構築するためです」

「――5個師団だよ! 10万人だ」


 冒頭で李軍に喰ってかかった将軍が、苛立ちながら口を挟んだ。


「――そ、そのとおりです。特に軍事目標もなく、大きな都市もないこの地域に投入する兵力としては、異例の大部隊でした。要するに、しらみつぶしに地域全体を探索して、謎の敵を炙り出し、一気に片をつけようとしたのです。地域住民の間でも、徐々にこの件に関する風聞が広まり始めていたようですから、一刻も早く我が軍の圧倒的な力を見せつける必要がありました」

「そして……どうなったのだ!?」

「分かりません――」

「は!? 分からないとはどういうことだ!?」

「――分からないのです。送り込まれた10万の将兵は、その後連絡を絶ちました。幸か不幸か私はこの征伐部隊に加わっておらず、まだ問題がなかった頃のこの地域を知る者として、後から参陣した方々にこうして説明する責任を負っていると考えております……」


 そう言うと、上校はまるで自分の役割はこれで終わったとばかりに着席した。


 事態は李軍の想像を遥かに超えているようであった。

 確かにこの話を聞いてしまうと、イズモ不可侵域の異常性は只事ではない。しかも、10万の兵力が、ただの一人の例外もなく未帰還とは――

 幕僚たちが尻込みするのも無理はない。手出しさえしなければ、特段の影響はないというのなら、占領行政としてはこの地域は無視するに限る。その判断は、確かに正解だ。しかし――


「……なるほど。経緯はよく分かりました。確かにイズモを攻略するのは一筋縄ではいかないようです」

「おぉ、お分かりいただけたか!?」


 反対派の急先鋒である例の将軍が、相好を崩しかけた。だが――


「――なんという腰抜けだッ!!」


 李軍は突然その場に立ち上がると、唐突に叫び声を上げた。将軍たちが、ギョッとして彼を見上げる。


「今や我が軍には、荷電粒子砲がある! その他こまごました最新装備は既に実用段階だ! ドローンなどの偵察装備もある! 5年前とは違うのですぞッ!? なのになぜッ!? 諸兄は一度の敗北に恐れをなし、敵を殲滅することに躊躇しているのですッ!?」


 ものすごい剣幕だった。そしてそれは、確かに正論だった。


「……いやしかし……」

「――しかしもヘチマもないッ! 現に日本軍は無傷でこの地に入ったというではないかッ!? 当時とは状況が変わっているという可能性も大いにあるッ! 将たるもの、機を見るに敏たるべしッ!!」


 つくづく正論だった。そしてこの瞬間、幕僚会議の空気が明らかに変わったのを、誰もが敏感に感じ取った。そして、次の李軍の言葉に、その場にいた誰もが戦慄したのだ。


「……いざとなったら、核を使いましょう――」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る