第312話 神さまの秘密(DAY6-9)
「――それはもしや……!? 超弦理論の――M理論の……世界……!?」
突如として、叶が目の色を変えた。
ウズメが何気なく口走った「
「む? なんじゃそれは……」
「え、えっとですね……理論物理学の世界で証明された、11次元の世界です」
「んん? ますますよく分からんことを抜かす……おぬし、日本語は達者かの?」
「いや、えっとたっ……達者です! ですからその――」
「少佐……!?」
士郎が、慌てて叶を
いや、彼の言いたいことは分かる。
M理論――
一般相対性理論と素粒子理論の数式を併せ持ち、この世界の成り立ちを見事に解き明かしたとされる「超弦理論」をさらに進化させ、この世が『11次元』であることを計算上解き明かした、神の数式――
先刻、広美が降ってきた時に「時間の概念」の話になった。『
その際“この世は三次元の世界”と簡単に流したのだが、厳密に言うと我々が知っているこの世界は、物理学においては『四次元世界』と定義される。すなわち――
「一次元」――単一方向に行ったり来たりすることしかできない『線の世界』。
「二次元」――その線に“幅”の概念が追加された『平面の世界』。
「三次元」――さらにそこに“高さ”あるいは“奥行き”という概念が追加された『立体の世界』。
そしてそれに“4つ目の次元の概念”――『時間』を付け加えた世界だ。
ただし、ここでいう最後の次元「時間」だけは、人間が任意に操ることのできないアンタッチャブルな次元概念だ。それはただ一方向に、不可逆的に進んでいる。
ただ、人間はその「時間」という概念を理解することだけはできる。すなわち、我々は“4つの次元”を認識できるのだ。
これこそが、物理学で定義される我々の世界――
その理屈に当て嵌めると、『11次元世界』というのは、最高位の「11番目の次元」だけは、認識だけは出来るが自在に操ることはできない。その代わりそれより下位の、全部で10の次元はすべて存在し、そして操ることができるわけだ。そう――計算上は、だ。
この理論の最も重要な点は、そもそもこの世界――地球上だけでなく全宇宙を含めたすべての存在――のありようを数式で解き明かそうとして導き出された「必然の答え」である、ということだ。
裏を返せばそれは、我々が昔から認識してきたこの世界が、そもそも「四次元世界」などではなく、実は最初から「11次元世界」だった――ということを示しているとも言える。
11次元――?
いったいこの世の中のどこに、そんな次元が存在しているというのだ!?
この世界は、縦・横・奥行き、そして「時間」――その4つの次元しかないではないか!?
多くの人は直感的にそう思うだろう。なぜなら人は、自分の目で見たり触れたりしたことしか信じられないからだ。
M理論の元となった「超弦理論」――これは世界が「10次元」の存在であることを示す――が発表当初、多くの理論物理学者に懐疑的な目で見られた理由がまさにこの点だった。
現実と、あまりに乖離している――
だが、とある研究者の「発想の転換」が、この問題に突破口を開いた。我々人間が認識することの出来ない、五次元以上の世界は、サイズを限りなく小さくすることで見えてくるのではないか――!?
それはつまり、こういうことだ。
綱渡りのロープを思い浮かべてみて欲しい。これは“線”の世界である一次元を、目に見えるようにデフォルメしたものだ。そのロープは確かに、人間サイズであれば「前」か「後ろ」にしか移動できない。これは間違いなく「一次元の世界」だ。
だがそのロープを、今度は人間より遥かに小さなサイズの「羽虫の視点」で見てみよう。そう――そのロープの直径よりも遥かに小さな、テントウムシのような存在だ。
すると、途端にそのロープには“幅”が追加される。テントウムシにとってロープは「十分に幅広い足場」であり、可愛らしいテントウくんはそのロープの上をあちこち移動したり、くるりとロープの外周を一回りしたりすることができるからだ。
つまり、人間サイズからテントウムシサイズにまでダウンサイジングすると、一次元だったはずのロープのうえに、途端に「二次元の世界」が現れるわけだ。
もうひとつ、例を挙げてみよう。今度はテニスコートだ。いや、別にテニスコートじゃなくても構わない。サッカー場でも、陸上競技場でも、プールでもいい。
上空から見ると、とにかくそこはだだっ広い「ただの面」に過ぎない。すなわち『二次元の世界』だ。
だが、そのテニスコートやサッカー場に寝っ転がっている人がいたとする。
彼の視点で見ると、そこは一面の芝生だ。芝生はもちろん“縦に”草が生い茂っており、それは明らかに「高さのある空間」――すなわち『三次元の世界』だ。
上空から巨視的に見下ろしたテニスコートという「二次元の世界」は、そこに寝転がった小さな人間の視点で見ると途端に立体――「三次元の世界」になる。
これらはまさしく“そこに明らかに存在するのに、ただ単に見えていなかった”実例そのものだ。ある種の思考実験と言ってもいい。
この理屈を、先ほどの『11次元の世界』の話に当て嵌めてみる。つまり、四次元世界まで認識できるこの世界を、ミクロの世界にまでダウンサイジングして観察するのだ。するとそこにはきっと、テントウくんが見たように、我々が最初認識できなかった五次元以上の世界が見えてくるはず――
超弦理論が図らずも導き出した「計算上、この世は10次元で出来ている」という仮説は、こうやって視点を変えることによって、俄かに理論物理学の最先端に躍り出た。
研究者たちはみな、五次元以上の世界はどんなものなのか、躍起になって研究し始めたのである。
そうやって人類は、ひとまず計算上の五次元以上の「余剰次元」の姿を思い描いているところだ。
そのひとつの例が「カラビ-ヤウ空間」という謎のもにゃもにゃ空間だ。
その姿を言葉や文字であらわすのはほぼ不可能だ。ただ、それはある種の折り重なったドーナツ形状をしており、そのサイズが“極小の存在”であることは間違いない。
どれくらい極小かというと「10のマイナス33乗」センチメートルだ。水素原子のサイズが「10のマイナス8乗」センチであることを考えると、その極小っぷりが少しは分かるであろうか。
そしてこの極小空間は、空間のありとあらゆる点に存在している。
さらに「特定の操作を加えると、出来た新しい空間が持つ偶数次元の穴の数が、もとの空間の持つ奇数次元の穴の数と等しくなる」性質を持っているのだ。
…………
五次元以上の空間の形状を、言語で説明するのはもはやほぼ不可能だというのがおわかりいただけただろうか。
そう――これはあくまで「計算上の」そして「物理学上の」次元概念なのだ。
だが人類は、その「理論上の到達点」を、果敢にも実際の観測で確かめようとしている。
それはたとえば、宇宙空間に存在するとされる「ブラックホール」の観測だ。
なぜブラックホールを観測することが五次元以上の余剰次元空間の観測に繋がるかというと、M理論の概念が全宇宙を説明する計算式である以上、あらゆる想定外の物理現象が発生している――と思われる――ブラックホールの中心部においても、その計算式によってすべての現象が説明できるはず――とされているからだ。
ご存知の通りブラックホールはありとあらゆるものを呑み込み、その中心点に向かってみっちみちに凝縮していく。それは最後には物理学的な「点」と化す。ここでいう点とは、紙の上に鉛筆でツンと突いた程度の、曖昧な「点」ではない。
それは完全に「無」であり「ゼロ」の世界――すなわち『ゼロ次元』だ。
そのゼロ次元に向かって、ありとあらゆる物理的存在が――「光」も、「時間」さえも――吸い込まれていく。当然、あらゆる「次元」もそこに向かって猛烈な勢いで吸い込まれていく……
ちなみに、そこで観測されるのが「
だからこそ人類は、実際の高次元を観測するために、ブラックホールを必死で観測してきたのだ。だが、未だにそれは明確に我々の前に姿を現してはくれない――
だから叶が、ウズメの話に飛びつくのも分からなくはないのだ。
人類が必死になって観測しようとしているもの――それはすなわち「この全宇宙を成り立たせているすべての次元概念」だ。
とりわけ、この数か月に亘って士郎たちが目の当たりにしてきた――そして実際に転移することの叶った「
ということは、超弦理論の概念を当て嵌めると、ここは物理学的には『6次元の世界』ということになる。
さきほどウズメは「この世界の住人は神々を認識できない」と言った。四次元世界の住人である我々が、五次元世界――並行世界――を認識できなかったように、6次元世界の住人である彼らが認識できない世界というのは、この理屈で行くと『7次元の存在』ということになる。つまり――
神というのは7次元の存在なのだ――
その「神の世界」のことを、ウズメは『
すなわち、『四次元』から『6次元』に転移するには、一旦さらに高位の『7次元』を越える必要がある――ということだ。そしてその7次元を通った者は、同一次元の神々を認識できるようになる。
ウズメノミコトという、ロリのくせにやたら艶っぽい淫乱「神」を、まるで仲間か友人のように士郎たちが認識できているのは、部隊が『7次元』という高位次元を通り抜け、恐らくその影響でその世界の概念を認識できるようになってしまったからなのだ。
だが、だったらこの『
そして、神の世界である「常世」――すなわち『7次元世界』は――!?
まさか、10のマイナス33乗という極小の世界である、「カラビ-ヤウ空間」の中に存在しているのだろうか――
だとすると、その世界の物質の平均崩壊時間とは、いったいどれくらいなのだろうか。もし仮に、その世界を構成している主たる原子の半減期が10のマイナスn乗とか、そこまで行かなくともせいぜい数年単位というごく短時間のものであったなら、相対的に神々の寿命は「永遠」と形容されるかもしれないではないか。ともあれ――
「――常世は常世じゃ。おぬし、あまり世の
ウズメにかかったら、M理論だろうが超弦理論だろうが、こんなものである。
「で、ですが我々人類にとって……異次元を認識するというのは、まさに『神』を認識するのと同義なのです! あぁ……」
叶が、狂気の色を見せ始めた。これは――アカン……!
「神を認識……のぅ……」
ウズメが、少しだけ思案するような顔つきになった。
「――ふむ。では少しだけそちに『神』のありようについて見せてやろう。あ、しかしそのためにはそれを取った方がよいのう」
そういうと、士郎と叶の目隠しを取るようオメガたちに指示する。
「――きっ……気を付けてくださいね士郎くん! あまりウズメさまをジロジロ見ないように!」
「わーかった分かった」
「ふぃー、なんだかホッとするよ」
男どもは、ようやくまともな扱いをされて安堵する。だが、心なしか既にその頬は紅潮している。なにせウズメは相変わらず半裸なのだ。傍にいるだけで、なんだか血の巡りがよくなってくる。
オメガたちが、二人とウズメの間に割り込むような位置取りになっているのは気のせいだろうか?
「さてと、ではおぬし、何か刃物は持っておるか?」
「え、あ……はい」
ウズメの求めに応じ、士郎がコンバットナイフを取り出す。刃渡り30センチはあるだろうか。幾度となく戦場で振るい、たっぷりと血の染み込んだ本物だ。
「――ほぅ……なかなかのものじゃな」
そう言いながら、ウズメはその刃先に自分の細い手首を差し出した。
「しっかりと持っておれよ――」
そういうが早いか、ウズメはザッと自分の腕を振り上げた。もちろん――
「「「「きゃあぁぁぁっ――!!」」」」
「え! ちょっと――!?」
ドピュウッ――――!!!!
突然、ウズメの手首が切り落とされた。士郎の足許に、彼女の小さな手首がドサッと落ちる。
「ちょちょちょちょッ!? 何やってんですかぁッ!!?? 衛生兵ッ!!!」
だが――
「かかかっ――! よいよい、見ておれ……」
ウズメは何事もなかったかのように笑顔を見せると、まるで痛みを感じていないかの如く振る舞った。いや、事実彼女は痛みなど感じていなかったのである。
その手首の切り口からは、最初こそ噴水のように鮮血が迸ったが、すぐにピタっと止まった。それどころか、もにゃもにゃと空間が歪んだかと思うと、そこにまったく同じ手首があっという間に再生したのである――!!
「え!? えぇぇぇぇぇ――!!!???」
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