第313話 神さまの憂鬱(DAY6-10)

 その場にいた一同は、あまりのことに声を失った。

 無残にも切断されたウズメの左手首が、あっという間に再生したからだ。


「――ど……どうなってる……!?」


 叶が、呻くように声を絞り出した。


 それは、あっという間の出来事だったのだ。訳も分からず士郎が差し出したコンバットナイフの刃先に、ウズメは自分の左手首を押し当てると、そのまま思いっきり腕を振り抜いたのだ。

 その瞬間、当然辺りにはおびただしい量の鮮血がほとばしった――


 そこまでは、分かる。いや、なにゆえ自分の手首を切り落としたのか、その部分はまったく理解できないのだが、少なくとも物理現象としてヒトの――いや、ウズメは『神』なのだが――手首が切断されて、その切断面から大量出血したという現象自体は、少なくとも戦場ではよくあることだ。


 だが、分からないのはその次だ。

 ウズメは、特段『痛覚遮断』などの処置を受けていないであろうにも関わらず、そのような恐ろしい事態になっても特に慌てる様子を見せなかったのだ。まるで少しも痛みを感じていないかのように――

 まぁそれでも、百歩譲ってみれば、彼女は神さまだけに、腕の一本や二本切り落とされたくらいでは動じないのかもしれない。そう理解すれば、ここまではまぁ……分からんでもない。


 だが、本当に問題なのは最後だ。

 なぜ――!? 彼女の切り落とされた左手首は、トカゲの尻尾のように見事に再生したのだ!?

 しかも、その再生はまさに瞬時であった。もにゃもにゃと空間が揺れ動いたかと思うと、ふわっと幻のように半透明の手首っぽい残像が現れ、そして次の瞬間、それは実体化したのだ。


「――かかっ! 驚いたか人間。これこそがまさに“神のありよう”じゃ」


 ウズメが朗らかに笑う。ドヤ顔なのも割とカワイイと思ってしまうのは、不敬だろうか――


「――そ、それは……いったいどんな再生能力なんですかっ!?」


 士郎が蒼ざめた顔で聞き返す。彼は、図らずも神さまの手首を自分が切り落としてしまったことで相当動転していた。


「おー、驚かせてすまんかったの。じゃが、気に病むでないぞ!? そちは何も悪いことはしておらぬ――ほれ、このとおりじゃ」


 ウズメは、士郎の鼻先に自分の再生された左手をかざしてみせた。そのまま掌を士郎の頬に優しく重ねると、慈しむように撫でてみせる。


「あ……」


 途端、彼の頬が再び真っ赤になった。先ほどまでの病人のような顔つきが、あっという間に元に戻る。一連の動きを見つめていたオメガたちは一瞬鼻白みかけるが、ウズメが士郎の心配を取り去ってくれたのだと分かり、複雑な心境ながらもそれを黙認する。


「――ご、ゴホン……ともあれ」


 未来みくが言葉を継いだ。


「――ともあれ、せ……説明していただかないと……」

「うむ、よかろう。これはな――」


 ウズメが、あらためて皆の方に向き直る。


「わらわのような神は、おぬしらのような肉体を本来持っておらん。これはある種の理念的存在じゃ」

「理念的存在……?」

「そうじゃ。希臘ギリシア語ではイデア――とも言うたかのう!? 我思う、故に我在りコギト・エルゴ・スム、じゃな」


 それは、近代哲学の父、デカルトの有名な命題のひとつだ。ここで哲学を論じるつもりはないが、なんとなく言いたいことは分かる。


「……昔から『神』とは、人間が思うからこそ存在してきたと言える。じゃが、大半の者はそれを宗教的な意味合いに捉まえておるのがもどかしい……」

「と、いうと……?」

「別にわらわたちは、人間が存在を強く願ったからここにおるわけではないのじゃ。それではまるで、わらわたちが人間の妄想から生まれた虚構存在のようではないか!?」

「――お、おっしゃる通りです……事実、ウズメさまはこうして実在している……」

「じゃろ? しかしの、人間とは、自らの見たいモノしか見えぬという愚かな存在じゃ」

「…………」

「そこでわらわたちは、そちたち人間がと願う姿形になって顕現することにしておるのじゃ」

「え……!?」

「――要するに、本来わらわたちの外見、というか存在は、おぬしたちのような見た目ではない、ということじゃ」

「……そ、そうだったのですか……!? でも、神は自分に似せて人を作ったと――」

「ほれ、すぐそういうことを言う。それこそが人間の愚かしさよ。そりゃあ、似ておらんこともないが、そもそもわらわたちは生物学的な存在ではない。もっとこう、思考そのもののような存在じゃ」

「――こ、高次意識体……」


 叶が、かすかに言葉を発する。


「む? 別に、どのような呼び方をしても構わんがの……とにかく、わらわたちにとって人間のような肉体は、単なる仮初かりそめの姿でしかない。何せおぬしらの言う『物理法則』とやらが、相当異なっておるからの。じゃからほれ、念ずればすぐに元の形状を再構築できるじゃろ?」


 そこまで一気に話すと、ウズメはまたもやかかかっ――と朗らかに笑った。


「……物理法則に……縛られない……」

「そうじゃ。うぬら人間が、そうあってほしいと願った姿に、わらわたちはひとまず身をやつしておるだけなのじゃ」

「……だから、理念的存在と……」

「お、そうそう娘っこどもよ、じゃからの……わらわの身体がえっちいとか何とか言うておるが、これはそもそも人間どもがわらわに求めた姿なのじゃ。じゃから、もしかしたら人によって少しずつ見た目も違っておるかもしれんの! かかっ」


 そうだったのか――!

 だからウズメの身体は、誰が見ても魅力的なのだ。人の感性は少しずつ異なっているものだ。華奢な身体が好きな者もいれば、ふくよかな身体を好む者もいる。巨乳好きも、貧乳好きも、世の中には平等に存在するのだ。

 だとすると、今自分が見ているウズメさまの姿は、まさしく自分自身が求めている姿なのだ――!

 それを聞いた皆は、あらためてウズメの身体を凝視する。これが……私が/俺が、女性に求める理想像……

 オメガたちは、士郎の目にはどのようにウズメが映っているのか、気になって仕方がない。


「ところで――」


 ウズメがあらためて一同を見回す。


「――おぬしらの中には、どうやらわらわの世界の仕組みを顕現させておる者もいるようじゃな!?」

「ど、どういうことです!?」

「……ほれ、まずはそち――」


 そう言って、ウズメは未来の顎をクイと引き上げる。


「――あ……はい……」

「そちは、どうやらその肉の身体を随時再構築することができるようじゃ……そちも――」


 今度はゆずりはの二の腕にその手を添える。


「――そちも、肉の身体を自由自在に操れるようじゃな」


 未来は不老不死、そして楪は細胞分裂を猛烈な速度で昂進したり完全停止したりすることができる。


「――オメガの、DNAの変異特性が、神の仕組み……!?」


 叶が、驚愕の表情を見せる。


「そうじゃそうじゃ、そのでぃーえぬえーなる仕組み……神々が人間に施した細工じゃ」

「――人間に……施した……!?」

「うむ、取り敢えず神の技の一部を、その……人間の素材の中に組み込んだのじゃ。ある一定の条件を満たさないと開放されぬようにかんぬきを差しておったのじゃが、どうやらうぬらは発動しておるようじゃのう――辛かったかえ……?」

「そ、それってもしかして……ジャンクDNAのこと……ですか!?」


 士郎が、そして叶が食い入るようにウズメを見つめる。


「――じゃ、じゃんく?」

「あ、いえ……ジャンクというのは日本語でいうとという意味で――」

「は? がらくたではないぞ!? そりゃあ、大半の人間にとっては使おうにも使えぬ仕掛けであることは認めるが――まぁよい。それでも、おぬしらはそれらの仕掛けに気付いておったか……ようやくじゃな」

「……ようやく……?」

「うむ、ようやくじゃ。ここまで来るのに何千年かかったかのぉ……!? 神の仕組みを知るには、それなりに人間どもも知性を高めてくれんといかんかったからの」

「じゃあやっぱり――」


 叶が、ようやく本調子を取り戻しつつあった。ウズメの話があまりに驚きの連続で、彼は先ほどまで失神しかけていたのだ。


「――やっぱり、神は人間のDNAになんらかのデータ……メッセージを残していたんだ! それが理解できる知性を獲得できて初めて、人類はその秘密の一端に触れることを許されたんだ――!」

「……なんだかそちの申す言葉は分かりかねるが……いずれにせよ、その者たちのように神の御業を示す者が現れ始めたということは――な」


 そう言ってウズメは、あらためて未来と楪をじっと見つめた。


「――時が……来た……!?」

「――人の世の再構築じゃ……現世うつしよも、相当危機的状況になっておると見える」


 ――――!!


「――そ、そうなんです! 今、我々の日本は中国軍の侵略に遭い、国家存亡の危機にあります。こうやって幽世かくりよに攻め込んできたのも、敵軍勢の供給源を直接叩くためです!」


 士郎が、息せき切ってウズメに奏上する。こちらの世界に来て驚くことばかりだが、本来の目的を見失ってはならない。士郎たちは一刻も早く幽世の日本を解放し、こちらの中国軍を叩き潰して、現世の日本を救わなければならないのだ。


「ほぅ……じゃが、この者たちが既に顕れておるということは、現世うつしよの人間もそろそろガラガラポンする段階に来ておるということではないのかの……!?」

「ガラガラポンって……」

「ん? もっと直截に申してよいのか? ならば遠慮はすまい――そちたちの世界の人間は、そろそろのじゃ」

「……そ……んな……」


 一同は絶句する。もちろん、薄々感づいていたことではある。オメガは殺戮者だ。敵であれ味方であれ、彼女たちは人間と見れば容赦なく攻撃し、そしてその結果は言わずもがなだ。

 この件に関して言い直すことがあるとすればそれは「オメガたちの攻撃対象が現世の人間だけに限定されている」ということだけだ。そのことからも、彼女たちがではなく、を滅ぼそうとする存在であることが裏付けられている。


「――神の御業を示す者の行いは、そのまんま神の審判ということじゃ。神はおぬしらに、滅びよと命じたということじゃ」

「し、しかし――」

「わらわに口答えされても詮無いことじゃ。これは、大御神の御心じゃ。じゃが、こうなってしまうとやはり、に託した方が良かったかもしれんの……今更じゃが」

「……も、もうひとつの人類って……まさか……」

「うむ、今から数十万年前、おぬしらの遥か昔の祖先の時代に、もうひとつの人類の種がおったのじゃ……えーと、名前は確か――」

「ネアンデルタール人……ですか……?」

「――おー、そうそう、昔の学者はそのように言っておったかの。その昔、大御神はそちたちとネアンデルたちと、どちらにこの地を任せるか、相当悩んでおられたがの……結局、言葉を操る方に軍配を上げたというわけじゃ」

「言葉を……操る方……」

「そうじゃ、ネアンデルは言葉ではなく、心で意思疎通を図っておった種族じゃ。それに対しそちたちの祖先は、言葉を操ることで知性を普遍化するというやり方を選択しておった。前者はあらゆる情報を一瞬にして別の個体と共有できるが、受け取る相手の方も成熟しておらんと完全には共有できぬ。しかしうぬらの祖先は言葉さえ通じれば、その真意がどこにあるかはともかく、最低限の情報は共有できた。大御神は結局、そちたちを選んだということじゃ。偏った特権能力を持った者が支配する社会よりも、より普遍的に、あるいは一律に――皆が一定の知性を持ちうる社会のほうがええ、という判断を下されたのじゃ」


 なんということだ――


 それは、決して化石や遺跡からは窺い知ることのできない真実だった。

 いや――もしかしたら、そんなこともあり得る、という前提でネアンデルタール人の化石を調査していたら、少しはそういう可能性も考慮できたかもしれない。

 なにせ彼らは、現生人類よりも脳容量が大きかったのだ。だが、その生物学的特徴は、結果的にホモ・サピエンスがネアンデルタール人との生存競争に打ち克ったという歴史的事実の前に霞んでしまった。

 確かにその遺跡を見る限り、社会性はホモ・サピエンスの方が高度なものを築いていたのだろう。同じ時代に両者が使っていた道具も、ほんの少しだけホモ・サピエンスの方のそれが優秀だった。

 だが、そんな些細なことだけを必要以上に大きく捉まえて、我々は「ホモ・サピエンスのほうが生物学的に優れていた」と勘違いしていたのだ。

 なんという愚かで、傲慢な思い込みだったのだろう――


 確かに「思念」は化石として残らない。だが、その頭蓋骨の大きさ――すなわち、脳容量が大きかった理由を、なぜもっと真剣に検討しなかったのであろう。

 やはり我々人類は、、愚かな存在なのだ。


 自分たちにそうした思念通話の能力がないからといって、他種族にそれが存在しないと、なぜ思い込んでしまったのだ――!?

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