第310話 神さまの事情(DAY6-7)

「おいっ……おぬしどもよ……これは一体いかなる仕儀じゃ!?」


 そこにいたのはウズメさまである。

 ただし、その身体はすっぽりと大きな背嚢袋に入れられ、首だけが袋の口から出されている。要するに、ミノムシのような恰好だ。


「……だって、ウズメさまは目に毒だから……」


 未来みくが申し訳なさそうに、だが決然と言い放つ。


「なっ!? 何が目に毒じゃ!? わらわは別にタタリ神でも何でもないぞよ」

「――ぜったい駄目です! じゃないと士郎くんが干からびちゃう」


 その士郎は、先ほどのからまだ回復しておらず、心ここにあらずといった風情だ。目の下には軽くくまができ、頬は心なしかこけている。だが、どうしたわけかその頬は紅潮していて、ふわふわと幸せそうな、と言えば聞こえはいいが、ハッキリ言ってだらしない顔つきで座り込んだままだ。


「干からびるとは失礼な!? こやつは今、至福の時を味わっておるのじゃ……うぬらも分かるじゃろ!?」


 オメガたちは、顔を真っ赤にしてウズメを見つめ返す。彼が今、いったいどんな感覚を味わっているのか、分からないわけではないのだ。

 突然士郎の唇を奪ったこの女神さまは、首から上だけしか見えていないにも関わらず、その妖艶さは女性でもドキドキしてしまいそうだ。背嚢袋に隠されたその肢体は、今頃汗がぬらぬらと滴って、むしゃぶりつきたくなるような色気を放っていることだろう。まったく、この淫神め――


「あ、あの――ウズメさまは、士郎くんにいったい何をしたのです!?」

「そ、そうだぞっ……あの士郎が……すっかり骨抜きになっておるではないか!?」


 未来と久遠が必死で言い返す。なんとなくその理由も分かっているのだが、聞かずにはいられない。


「なんだ、娘っこよ、そんなことも分からないのか!? こやつは今、わらわと触れ合ったことで人生最高の快楽を貪っておるのじゃ。本当なら唇だけでなく、その全身を我が身が可愛がってやったものを……なぜに引き剥がすのじゃ可哀想に――」

「なっ!? 何を言っているのですっ!! そんなこと、させられるわけないじゃないですかっ!!」

「お? 何だ!? ではおぬしらはこやつにちゃんとシてやっておるのか?」

「そっ!? そんなこと――」

「シてもやらずに、ほったらかしにしておきながら、わらわが面倒見ようとすると怒るとは……何たる我儘じゃ!? おぬしらは何のためにこやつの傍におるのじゃ!?」

「ま、まぁまぁウズメさま――」


 広美が割って入る。


「おぉ、コノハナの娘っこよ……まったく呆れたものじゃなこの娘どもは! おぬしもそう思うじゃろ?」

「い、いえ……人間はウズメさまのように奔放ではないので……」

「は? 何を言っておる!? 奔放じゃと!? 昔はみな、篝火の下であれこれまぐわっておったではないか――」

「まっ、まぐわ――」


 くるみが、そのあまりにも直截な言い方に失神しかける。


「――と、とにかくウズメさま、す……少しお話を……」


 広美では御しきれないと察したのか、叶が助け舟を出す。目のところをハンカチ様の布切れで覆い隠し、ウズメを直接見ないようにしている。


「む……むぅ……おぬしはおのこであるが、やけに落ち着いておるの……」

「は、はい……私はその……別のところに興味がありますので……」

「――かかかっ! そうかそうか……それではわらわも太刀打ちできんのう」


 それを聞いたゆずりはは直感した。絶対この人、勘違いしてる。多分少佐は「性欲よりも未知の現象の方に興味がある」と言っているのだ。だがこの人は恐らく、少佐が「男色好み」と受け取ったに違いない。


「――だがの、世の中には両刀使いというのもおってだな……」


 ほらやっぱり――!


 だが、さすが叶は会話の主導権を奪われない。


「そ、そんなことよりですね神さま……あ、いや……ウズメさま。何故にこちらの世界においでなのか……そこからお教えいただけると幸いなのですが……」

「ん? なんだ……おぬしら、こちらの世の者ではないのか!?」


 そこからだった――!


「は、はい……私どもは、現世うつしよから参った者でございます」

「ほぅ、現世とな!? そう言えば、コノハナの娘っこも現世にいたはずじゃの……」


 そう言ってウズメは、広美の方を見上げる。


「は、はいっ……この度は、今上きんじょう陛下の名代として、こちらに初めてお邪魔いたしますっ!」


 広美がすかさず割って入った。


「――あの……さっきから広美ちゃんのこと、コノハナの娘、って……」


 くるみが訊ねる。みんな少し気になっていたのだ。コノハナとは……?


「おぅ、なんだ? おぬし、その辺は口を慎んでおったのか!?」


 ウズメが広美を見やると、彼女はこくこくと頷いた。


「――それはスマンかったの……じゃが、隠すようなことでもあるまいに」

「え、いえ……その、この人たちに説明するには時期尚早かと……」

「そうなのか?」

「――まだ御神おかみのことはそれほど……」

「……ふむ、ならばわらわが筋道立てて話した方がよかろうか……」

「――は、ははっ! 御意にございます」


 二人の遣り取りを、一同はポカーンと見つめるだけだ。すると、ウズメがミノムシのような首から下を、ぴょんぴょんと動かして、あらためて皆の方に身体を向ける。


「さて、どこから話せばよいのじゃろ……まず、わらわじゃが……うぬらの言う通り、わらわは天津神アマツカミであるから、元々は現世にいた身じゃ」

「――で、ですよね? ウズメノミコトさまと言えば、アマテラスさまが直系――」

「うむ。ニニギが中つ国に降り立つ際、随伴した五柱のうちのひとつじゃ。最終的には朝廷の祭祀を司る眷属どもの始祖になったのじゃ」

「ウズメさまはやはり、巫女の始祖――」

「まぁの。じゃが、オオクニヌシが幽世かくりよに遇されることになって、わらわの眷属どもも一部同道することになったわけじゃ」

「――え? 現世うつしよの者が、幽世に!?」

「そりゃあそうじゃ……ヌシだけでは、幽世の祭祀をやりきらんからの。それで少し加勢することになったのじゃ……お、そうそう、その替わりに、幽世の者どもも幾人か現世に引っこ抜いて、まぁ今でいう研修みたいな機会を設けたぞ。未来永劫、幽世の面倒を見るわけにもいかんからの」

「――なるほど……要するに、人材交流ですね!?」


 叶が口を挟む。要するに、先進国が発展途上国に技術支援をする際、現地に技術者を派遣するのと同時に、人材育成のために自国に現地の幹部候補生を留学させるようなものだろう。


「ほぅ、最近はそういう言い方をするのかの!? とにかくそういうわけで、朝廷の祭祀については以降何度となく人を交換してきたものじゃ」

「あっ! それが広美ちゃんの言っていた話ね!?」


 広美は、「かつて現世と幽世で人材交換が頻繁に行われていた」と語っていた。それがつまりは、こういうことなのか――


「――それで、コノハナの娘っこの話じゃが……」

「あ、はい……」

「おぬし、母上の話をするがよい」


 ウズメは、広美に向かって顎をしゃくった。


「……そ、それは――」

「なに、問題なかろう。こやつらは、わらわを見ても動じておらぬではないか。それに、既にこうやって幽世に来ておるのだ。今さら何を聞いても驚くまいて。かっかっかっ」


 いや、さっきから十分驚きっ放しだ。ただ、神さまというのを以前よりも随分身近に感じられるようにはなったか。


「……で、では……ゲフン……わ、私の母上は、コノハナサクヤビメでして――」

「はぁっ!?」


 ひとり驚きの声を上げたのは叶である。その他のオメガたちは、きょとんとしたままだ。「知らない」というのは、ある意味最強だ。


「……こ、コノハナ……サクヤビメ!?」

「そうです。正しくは神阿多都比売カムアタツヒメと申しますが、世間一般では木花之佐久夜毘売コノハナサクヤビメと称した方が馴染み深いでしょう」

「そ、それって――」

「はい。中つ国に降りた瓊瓊杵尊ニニギノミコトさまが求婚された、あのコノハナサクヤビメです」


 なんということだ。恐らく歴史好きの石動いするぎ中尉が聞いたら、舞い上がって喜びそうな話だ。


 コノハナ姫と言えば、絶世の美女として知られる。ニニギはその美しさに一目惚れし、出会った早々プロポーズするのだ。だが、姫の父親である大山津見オオヤマツミ神は、コノハナの実の妹、石長比売イワナガヒメも一緒にしてニニギに差し出す。ところがそのイワナガヒメが、名だたる醜女しこめであった。

 絶世の美女と醜女――ニニギは美しいコノハナサクヤビメとだけ結婚し、醜いイワナガヒメは送り返す。それに怒った父親のオオヤマツミは呪いの言葉をこう言い残したという。

 「二人同時に娶れば石長比売の名の通り、ニニギの命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘売の名の通り、木の花が咲き誇るように繁栄しただろうが、コノハナのみ娶ったために、天津神の御子――すなわちニニギは、木の花のように儚く散るだろう」――と。


 まったく、大きなお世話である。どんな男だって、美女とそうでない女を両方差し出されたら、美女のほうを取るに決まっている。ところがその不美人をチョイスしなかったことが地雷になっていたなんて――

 結果的に、これ以来、アマテラスの子孫である天皇は永遠の命を得ることができず、代を重ねるごとにその寿命は短くなっていったという。まったく、恐ろしい話である。


「……えと、じゃあ広美ちゃんは神さまの娘さん……なの? ニニギの!?」


 叶は、もはや今後何に驚けばいいのか分からなくなってしまう。目の前にいるこのちんちくり――いや、可愛らしいお嬢さんが、かの有名な日本神話の主要キャスト、ニニギとコノハナサクヤの娘だなんて――!?

 そう言えば「咲田広美――サキタヒロミ――」って、サクヤヒメのアナグラムみたいな名前じゃないか――! なるほど、そういうことか……


「い、いえ……それは……」

「おー、そこはホレ、ちょっぴり複雑での……厳密に言えばこの子はオオクニヌシの娘じゃ」


 広美が言いかけたところで、ウズメが割って入った。


「えぇっ!? そうなんですか!?」

「まぁの……ホレ、オオクニヌシもなかなかイイ男でな、稗田阿礼ひえだのあれいは何とか誤魔化したが、播磨の風土記にはすっぱ抜かれてしもうてな! かかかっ!」


 稗田阿礼と言えば、古事記を編纂した人物だ。なるほど、古事記ではニニギノミコトとコノハナサクヤビメが結ばれたところで終わっていたが……


「お、おやめくださいませウズメさま……」


 何ともはや、古書の類はさしずめ現代の週刊誌みたいなものだったのか。なんだか神さまの世界も、なかなかドロドロしているらしい。


「――まぁそれでだ、この娘は言ってみれば幽世に産み落としたオオクニヌシの隠し子みたいんものでの……まんまと交換留学生のていを取って現世に送り込んだというわけじゃ」

「え、えっと……ということは、広美ちゃんって今いくつ……!?」


 未来が、目をグルグルさせながら問い質す。確かに、神の時代に生まれた娘が、当たり前の年齢であるはずがない。


「い、1千……125歳……です」

「「「「いっせんさいぃぃぃ!?」」」」


 そりゃあ、陛下の名代も務まろうというものだ。それどころか、隠し子とはいえ、あのオオクニヌシの実の娘ともなれば、もしかすると陛下よりもその神階は高いかもしれない――!?


「まぁそういうことじゃ。わらわもこうして会うのは久しぶりじゃ。息災であったかの?」

「は、はい……もったいないお言葉です」


 広美が恐縮している姿を見て、一同はどこを基準に対人関係を整理すればよいのか分からなくなる。広美ちゃん、などと呼んでいたが、彼女は既に1,125歳の神の子で、その神の子が畏れ入るのが目の前のミノムシ――じゃなくて、淫神ウズメというわけだ。


「えと……それでウズメさま、話を元に戻したいのですが、その天津神のウズメさまが、こちらの幽世においでになっているというのは――」


 叶が何とか軌道修正する。広美ちゃんの件は、あらためて本人にしっかり聞いてみよう。不老不死の異能を持つ未来も、その辺の長寿の話はぜひとも聞いてみたいはずだ。


「おぉ、そうじゃった。いやなに、この十数年、我が神国に異国の者が土足で踏み入っておるようじゃったから、少しヌシに加勢しにいっておったのじゃ。何せ神社みやしろにどこぞのハゲジジイの写し絵を貼り出したりして、シワいことこの上なかったからの」

「――それって、中国軍のことですか?」

「おぉ、それじゃ。まったく、あの者らは大唐あたりまではまともじゃったのじゃが……」

「そ、それで……この辺りが焼け野原になっているのは――」

「おぉ、これか。これはオロチの仕業じゃの」

「オロチって……まさか八岐大蛇ヤマタノオロチ――」

「うむ。おぬしはなかなか博学じゃのぉ。良きことじゃ。元々この辺はオロチの棲み家じゃから、からの兵隊が煩かったのじゃろう。つい数日前に、ごわぁーっと火を噴いて、ホレこのとおりじゃ」

「――そんなことが……」

「あ、あぁ……当たり前じゃ。この辺りは既に幽世の神域であるぞ。ロクに挨拶もせんとウロウロしとったら、そりゃあオロチも雷のひとつくらい落とすわい」


 これって、ファンタジーの世界じゃないんだよな……!?

 叶は、一生懸命平静を保つ。その点、オメガたちは素直なものだ。さっきから「へぇー」とか「ほえー」とか相槌を打っては、妙に納得している。


 その時、ようやく士郎が「うぅーん」と唸りながら、目を覚ました。

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