第291話 日本人中国兵(DAY5-9)

「――恥ずかしながら、中国兵をやっております」


 一向に攻撃してこない敵戦車の態度を不審に思った士郎たちは、これを挑発して出方を伺うことにした。そこでほんの冗談のつもりでくるみが敵戦車のハッチをノックしたところ、思いもよらずすんなりと出てきた敵兵が口走ったのがこのセリフだ。


「え!? ちょっと待って! あなた……日本人なの!?」


 くるみとゆずりはは、呆気に取られてその男を見る。


「……は、はい……、ここの戦車に乗っているのは、みんな日本人です」


 すると、周囲に展開していた他の戦車からも、パカッパカッとハッチが開いて、ぞろぞろと敵兵が降りてきた。これが皆、日本人だというのか――!?


「――ど、どういうことなのか、説明して欲しいのですけれど……」


 くるみと楪は、なおも警戒を解かない。

 当たり前だ。今の今まで敵味方として対峙していたのだ。突然ぬるっと現れて、日本人ですと言われたところで、はいそうですかと銃を下ろすわけにいかないではないか。


「くるみちゃん……まずはこの人たち、武装解除して捕虜にした方がいいんじゃない?」


 楪が意外にマトモなことを言う。


「――そ、そうね……皆さん、全員手を頭の後ろに! それから、一組ずつゆっくり歩いてきて、そのまま地面に腹這いになりなさい! 両手足は大の字に! いいですかっ!」


 くるみと楪の適切なハンドリングにより、彼らは地面に這いつくばった。戦車一輌につき4名。既に100名近い日本人を名乗る敵兵が、辺り一帯に横になる。


 連絡を聞いて士郎と久遠も駆け付けた。


「――いったいどうなってる!?」

「見ての通りだよ……この人たち、みんな自分のこと日本人だって言ってる」


 楪が困惑しながら説明する。だが、彼らが着ているのは例の野暮ったい人民服をベースにした中国兵の軍服だ。戦車兵なのでさすがに例の帽子は被っていないが、縦折襟部分には赤い階級章の布が縫い付けられている。どう見ても、外見は中国兵そのものだ。


「――この人が、最初に投降してきて日本人を名乗った人です」


 くるみが、傍に跪いていた男を指し示した。

 士郎は、注意深く男を観察する。その視線に耐え兼ね、男はゴクリと唾を呑み込んだ。


「――立ちなさい」


 士郎が命じると、男は「ひっ」と小さな悲鳴を上げながら、急いで立ち上がった。


「――日本人……と名乗ったそうだね」

「は、はいっ!」

「名前は?」

「た、田中です」


 どこにでもいる、ありきたりの苗字だ。


「……下の名前は?」

「は、はいっ……拓馬! 田中拓馬ですっ」


 む……結局、名前を聞いたところでこの男が日本人かどうかなんて分からないことに士郎は気付いた。だが確かに、喋っている言葉は日本語ネイティブっぽい。


「――なぜ、中国軍の兵士なんかやっているんだ!?」

「……そ、それは……」


 男は、急に気まずい雰囲気で俯いてしまう。


「現在この世界では、日本は国家ではなく、自治区として中国に支配されていると聞いた。それなのに、なぜ貴様たちは中国軍なんかに加わっているんだ!?」

「…………」


 男は黙り込んでしまった。ほら――説明できない。コイツらは、やはり元々中国人なのだ。おそらく我々の圧倒的攻撃に恐れをなして、戦意を喪失したのだろう。それで、あわよくば助かろうと咄嗟に日本人を詐称したといったところか。


「くるみ、ゆず――コイツらはやはり中国人だ。日本語ができるのは、別に不自然じゃない。植民地に派遣される兵なのだから、現地語ができる奴が混じっていただけだろう。ただちに――」

「ちょッ! ちょっと待ってくださいッ! ホントに! ホントに私たちは日本人なんですッ!」


 突然、男が慌てたように口を挟んできた。チラッと周囲を見ると、士郎の発言を耳にした近くの兵士たちが、うつぶせのままでダラダラと脂汗をかいている。

 なるほど……確かに日本語は堪能なようだ。少しだけ、ホントに日本人かも――という疑念が湧く。


「――貴様は、先ほどの質問に答えられなかったではないか。なぜ日本人なのに、中国軍の兵士なのだ!? 答えられないのは、貴様が本当は日本人じゃないからだろう!?」


 士郎は、少しだけカマをかけてみる。すると、男は観念したようにあらためて向き直った。


「……それは……恥……自分の行動を……恥じたからです……私たちは……自分たちの保身のために……中国軍に入りました……」

「どういうことだ!?」

「……け……軽蔑してください。私は……私たちは、強制収容所に入れられ……思想改造を……強いられたのです。それで……」

「――それで、中国に忠誠を誓って兵士になったというわけか!?」

「あきれた……」


 くるみが吐き捨てるように言った。楪も、軽蔑の眼差しを男たちに向ける。


 まぁ、よくあることと言えばよくあることだ。植民地にされた国の人間が、新しい支配者に服従し、挙句の果てに、同胞であったはずの自国民にまで銃を向ける。植民地で、宗主国の軍の兵士になるというのは、そういうことだ。


「――仕方がなかったんです! 兵士にならなければ、まともな生活ができない……」

「まともな生活、ねぇ……」


 植民地にされた経験がない士郎には、リアリティを持って彼らの言い分を受け止めることが出来ない。ただ言えるのは、璃子りこちゃんの家族のように、泥水をすすっても日本人の尊厳を捨てなかった人たちが、この世界の日本にも大勢いるということだ。

 とすると彼らは――!?


「……それで、貴様たちは中国の手先になって、同じ日本人を虐げていたのだろう? この一両日、突然“伝説”が現実になって、形勢逆転に驚いている、ってところか!?」

「――違うんです! 本当に、信じてくださいっ! 我々は、強要されていただけなんだっ! 彼らに協力しなければ、家族の安全だって保障されないんだっ!」

「――士郎さん……」


 くるみが、心配顔で士郎を覗き見る。確かに、彼の言い分にも一理ある。植民地での暮らし――支配される側の生活がどれほど悲惨なものなのか、それは究極的には当事者にしか分からない。

 だが――


「……では聞こう。この戦車隊の隊長は誰だ!? 各戦車の、車長は?」


 士郎には確信があった。戦車というのはただの兵器ではない。特にこの荷電粒子ビーム砲を装備する敵戦車は、それ単体で、十分大きな火力――戦場の帰趨を決する、いわば戦略兵器なのだ……


 士郎は思い出していた。かつて旧ソ連がまだ米国と冷戦を戦っていた時代、ソ連軍の各部隊に必ず「政治将校」という立場の者がいたことを。

 彼らの役割は明確だった。要するに、兵士たちが叛乱を起こさないよう、最前線で目を光らせていた「お目付け役」なのだ。

 特に顕著だったのが、潜水艦だ。

 潜水艦は戦略兵器だ。核兵器を搭載し、海中を誰にも見つからずに単独で行動し、祖国を遠く離れて敵を攻撃する。だがその兵器としての優位性は、一旦自分に向けられるとたちどころに恐るべき凶器と化す。だから潜水艦にも当然、バリバリの現役共産党員――すなわち政治将校が乗艦していて、兵士たちの思想や行動を常に監視し、飼い犬に手を噛まれないよう厳しい統制を行っていた。下手をすると艦長よりもその権限は上だったらしい。

 そうやって末端まで厳しく管理しないと成立しないのが、「共産主義」という宿痾しゅくあだ。所詮この政体は、一部の特権階級が強権で人々を支配する独裁制だ。多くの共産主義者は「夢」を語るが、その夢が嘘であったことを、既に士郎たちの世界では歴史が評決を下している。


 だが、この並行世界では、まだ共産主義が幅を利かせている。それどころか、自由主義陣営である欧米諸国は軒並み国力を削られ、今や世界は中国とソ連という、二大共産主義国家が血みどろの同族嫌悪抗争を繰り広げているというのだ。


 そんな世界における軍隊に、政治将校がいないわけないのだ。

 そしてこの戦車隊。搭載する火力は、荷電粒子砲という恐るべき戦略兵器だ。それは、士郎たち2089年の軍隊ですら苦戦を強いられるほどの、恐るべき実力を持つ。

 そんな兵器を取り扱う戦車隊には、当然国家の意思――この場合は中国共産党の意思だ――を正確に伝え、厳しく部隊を統制する存在がいなければ、植民地軍司令部は命がいくつあっても足りないはずだ。


 あの男は「ここにいるのは全員日本人だ」と言った。ならば、日本人であるにも関わらず、中国に心からの忠誠を誓い、共産党の意思を率先して体現する存在が――必ずいる。


「もう一度訊く! この戦車隊の隊長は――誰だ!?」


 地面に這いつくばっていた全員が、顔を伏せる。だが、何人かが田中の方を睨みつけているのが目に入った。


「――貴様なのか?」


 士郎が問うと、彼は脂汗をダラダラ流しながら、それでもようやく頷いた。


「た……確かに、この戦車隊の隊長は私です。ですからその……私が率先して降伏したんです。部下を……部下を助けていただきたくて……」

「――なぜ最初に名乗り出なかった!? 自分が責任者だと! その方が話が早いだろう」

「いえ、は……はい……」


 士郎は、他の兵士たちを注意深く観察した。先ほどの彼に対するいくつかの視線が、気になったのだ。

 すると案の定、またもや何人かの兵士が、田中を鋭い視線で見つめている。


「――要するに、コイツは自分が責任を取らされることを恐れていたのではないのか!?」


 久遠が指摘する。まぁ、どんな組織でも変わらないが、責任者が何らかの詰め腹を切らされるのはよくあることだ。一般の企業であれば、たとえ事業に失敗しても解任か降格くらいで済むが、戦場で責任を取るというのは、死に直結する。この男が、それを恐れて名乗り出なかったということであれば、まぁ分からなくはない。


「――そんなっ!? 私はそんな姑息な男じゃない。現に、皆さん方を攻撃しなかったのは、私の判断です! 同胞の兵士の皆さんを攻撃するなんて、とてもじゃないができなかった!」


 言い張る田中の胸ポケットが、少しだけ膨らんでいた。士郎は、すかさずそれを抜き取る。


「あっ――」

「これは、何だ!?」

「……そ、それはっ――」


 それは小さな手帳だった。一見何の変哲もないが、表紙をめくった途端、士郎の形相は険しくなる。

 そこには、星をかたどったエンブレムのようなものが印刷され、顔写真が貼ってあった。そして――


「……共産党の……党員証じゃないか!?」


 なにが強制されてだ――

 なにが思想改造だ――

 共産党は、いくら思想を改めて共産主義に転向したとしても、生まれながらの生粋の共産党員でなければ絶対にこんなものを与えない。夢や理想を語る割に、奴らは人一倍猜疑心が強いのだ。元々共産主義者じゃない者は、必ず裏切るという恐怖心に駆られているのだ。


「――貴様……元々共産党員なのか!?」

「あ……いえ、その……共産党じゃ……ありませんよ……」

「では何だ!? なぜ中国共産党が貴様に党員証を発行しているのだ!?」

「…………」


 まただんまりか……これでは埒が明かないな、と思ったその瞬間――


「このッ! 裏切り者ッ! 売国奴めぇッ!!」


 突然叫び声が聞こえたかと思うと、比較的傍に俯せになっていた兵士が一人、ものすごい形相でいきなり立ち上がった。田中を睨みつけている。

 突然のことに、オメガたちはその瞬間、誰も動くことが出来なかった。もし彼がそのまま襲い掛かっていたら、誰かやられていたかもしれない。だが、その男はそれ以上暴れようとはしなかった。

 遅ればせながら、複数の銃身が彼に突き付けられる。それを制してオメガたちを一歩下がらせると、士郎は口を開いた。


「詳しく――話せるか!?」

「は、はいっ! ……コイツの言ってることは、ほとんどデタラメですッ!」

「――お前、何をッ!!」


 今度は田中が色をなした。こちらの質問には答えないクセに、自分が糾弾されるとすぐに口を開くのだな、と思う。


「何をじゃねぇよ! オマエ、中共の手先じゃねぇか! ずっと俺たちをコケにしやがって! 何が日本だ! 俺たちは日本だッ!!」

「――きっさま!?」

「何だよ!? オマエ、ただの反日野郎じゃねぇか! 中国が入ってきた時からお先棒を担いで、大喜びで犬になってたじゃねぇか!! 兵士になるのを強要されてたのは、俺たち一般兵だ! さっきから俺たちが戦うのを拒否してたら、無線で怒鳴りまくってたじゃねぇか! 早く奴らを撃て――ってな!!」

「なッ! なんだとッ!! デタラメを言うなッ!!」


 まったく――勝負ありだ。どう考えても、この兵士の言うことの方が辻褄があっている。

 思うに、この田中という男は人民解放軍の政治将校なのだ。そしてこの戦車隊を監視・統制する目的で、隊長をやっている。

 ところが、兵士たちが戦うことを拒否したのだ。本物の兵士としての訓練を受けておらず、戦車を動かしたり発砲したりする技量を持たないから、田中は兵士たちのサボタージュに対し、怒鳴ることしかできなかったのだ。

 そこに、くるみが自分の乗っている戦車をノックしたから、ビビッて飛び出てきたのだ。彼女たちの圧倒的強さを目の当たりにしていた奴は、抵抗しても勝ち目はないとあっさり観念したのだろう。

 何処まで行っても卑怯な男だ。


「君――」


 士郎は、田中を告発したこの男に話しかけた。


「は、はい」

「他に、この戦車隊で自分のことを日本だと思っている者を全部教えてくれ。手伝ってくれるか?」

「――は、はいッ! もちろんです!!」

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