第292話 支配のロジック(DAY5-10)
結局、中国軍の手先であることが発覚したのは、田中を含めて合計25名。驚くべきことに、車長は全員、中国軍の息のかかった共産党員だった。
ソイツらをずらりと一列に立たせると、結構な割合で顔面に打撲痕や擦り傷を負った者がいた。中には、頭から血を流している者すらいる。
その理由を問い質したら、何のことはない、戦車に乗っていた他の一般兵と、車中で取っ組み合いをしていたということらしいのだ。
「――俺たちは、今回もう我慢ならなかったんです。絶対に命令なんかきくもんかって……それで、俺もそうですけど……戦車の中で戦う戦わないでコイツらと殴り合っていたっちゅうことですわ」
その男、鈴木一夫は憤懣やるかたないといった様子で士郎に説明した。
共産党の政治将校であることがバレた田中拓馬を含む車長たちは、全員うなだれてそこに立ち尽くしている。
「――なるほど……鈴木さん、あなたの愛国心は見上げたものだ。それでね、ちょっとまだ分からないことがあるんだが、あなたを含めて、日本人が中国兵になっているケースっていうのは、いったいどういうことなのか、教えてもらえないだろうか?」
士郎は、そもそも的なところがまだ分かっていないのだ。
「……あ、はい……実は――」
そう言って鈴木が説明を始めた内容は、士郎の想像を上回る胸糞悪さだった。
この世界で、日本という国家が解体されているということは、既に何度も説明した通りだ。
だが、「国家が消滅する」とは具体的にどういうことなのか。
別に、物理的な国土が消えてなくなるわけではない。国破れて山河在り――野も山も、森も川も、すべてそのまま大地は存在し続けるのだ。
ただ、ある種の概念は見事に消え去る。「国民」という概念だ。
すべての地球上の人間は、今や「国家」に所属している。もちろんごく一部の原始的な先住民族や、
そして、大抵人々は、国家に属することで極めて大きなメリットを享受している。
そのひとつが、自らの安全だ。
その国に住むことを認められ、その国で暮らす際に、さまざまな公的利益を享受する。法的に守られ、急迫不正の侵害を受けた場合は、警察力による保護を受けたりも出来る。経済的に困窮したら、最低限の生活保障をしてくれる国すらある。
「国家」とは、人々が安全に生きていくために必要な、比較的大きな単位のコミュニティなのだ。ある種の大きな「傘」と言ってもいい。
まぁこれは「一般的には」というエクスキューズ付きだ。
中には、国家そのものによって迫害を受けてしまう人々も存在する。大抵は、その国家が公式に掲げたルールや理念と、その人の言動が相容れない場合だ。
ごくたまに国家そのものが犯罪まがいのゴロツキ集団で、重大な人権侵害や道義上看過できない不正や理不尽を働いていた場合、それを告発しようとしたり、信念に基づいてそういう連中を追い落とそうとしたりする、勇気ある人も存在する。
だが、こうした人々は最終的にはその国家にいられなくなって「政治亡命」をしたりするケースが多い。亡命出来た人はまだ運がいい方で、中には国家権力によって不正に弾圧され、投獄され、場合によっては命を落としてしまう人もいる。
こういう場合は、「国家」はその人を守ってくれない。むしろ、国家によって迫害され、国家そのものがその人の安全を脅かす存在となってしまうのだ。国家の「傘」から追い出された人々と言っていい。
だが、誤解を恐れずに言えば、これはあくまでレアケースだ。大半の人々は「国家」によって保護され、日々を穏やかに暮らしている。ここでいう「人々」こそが、その国家にとっての「国民」なのだ。
ところが、その国家という「傘」そのものが無くなったらどうなるだろうか。
どんな信念を持っていようが、どんな立場で暮らしてきた人であろうが、「傘」がなければどんな些細な恩恵すら受けられない。それどころか、国家という後ろ盾を失った人々は、他国の人間に好きなように蹂躙される。
どんなに理不尽なことをされても、それを指摘し、糾弾し、正当なジャッジをしてくれる存在がなくなるのだ。
この状態に放り出された人々は、もちろん国家そのものが存在しないから既に「国民」ではないし、ましてや他国がわざわざ自分のところの「国民」として「傘」に入れてくれるわけでもない。嵐が来れば、豪雨に打たれっぱなしだし、濡れて疲れ切った身体を温めてくれるところはどこにもない。
士郎は、そんな「国家滅亡」の実例を一件だけ知っている。
朝鮮半島だ。
かつてこの地にあった二つの国家は、愚かな指導者が感情に任せて反日政策に邁進した結果、当時日米欧が推し進めていた世界戦略の大転換に気付かず、経済的に切り捨てられたばかりか、その影響で国力を大幅に減退、合理的な判断ができない民衆の集団ヒステリーによって赤化統一。その直後に日本の軍事的反撃に遭って国家解体の憂き目にあった。
その後日本は半島の復興を一切拒否。草刈り場となった半島は、公私含めたすべての資産を世界中から簒奪され、人々は中世の生活に逆戻りしたのだ。その後は周知の通り、半島は無政府状態になって今に至る。そこに住む人々は、どの国家の傘にも入ることなく、今やただ朽ち果てるのを待つだけだ。
かつては先進国の仲間入りをする寸前まで行った国家が、ここまで惨めに滅亡するとは――これは、人類の近現代史においても極めて稀な実例だ。
それと同じことが、並行世界のこちらの日本でも起こりかけていたというのだ。
ただ、幸か不幸かこちらの日本は、国家という傘を取り上げられた後、中国の植民地という「破れ傘」をかけられることとなった。当然あちこち雨漏りするから、少しでも雨に打たれまいと、狡猾に、ずる賢く立ち回ろうとする者が山ほど現れたのは言うまでもない。
中でも純粋な日本人たちが憤ったのが、もともと反日思想に凝り固まった連中だった。彼らは平気で日本を貶め、日本人の尊厳を踏みにじり、自分たちが如何に愚かな人種なのかということを声高に叫ぶことで、新しい支配者である中国に取り入ろうとした。
支配する側の中国も、同じ日本人の中で中国の偉大さを説く者を重宝した。彼らは自分たちが言わなくても、人々を煽動し、洗脳し、調教していった。当然、奴らの頭上には「破れ傘」でも少しだけ布の面積の大きな部分が割り当てられ、他の日本人よりも少しだけ快適な暮らしを約束された。
すると中国は、さらに奴らの忠誠心を高めるために、目の前にニンジンをぶら下げたのだという。
共産党員として忠実に励めば、いつの日か一級市民に取り立ててやる。そうなれば、衣食住には二度と困らないし、その地位を一生涯保証してやろう。お前の一族郎党、穏やかな暮らしをしたいだろう!?
ただし、そのためには軍に入れ。軍に入って、兵士として徴発した他の日本人たちをきちんと管理しろ。軍と党に忠誠を誓い、その汚らわしい日本族の血を清めるのだ――
そうやって、何人もの売国日本人たちが中国の犬に成り下がった。もっとも、そんな裏切り行為を行ったのは、もともと戦前から中国に媚を売っていた左翼主義者くらいのものだったそうだ。
だから、今党員証を持って政治将校をやっている日本人は、ほぼ例外なくそういう連中だ。
いっぽう鈴木一夫のような一般兵は、大半が「労役刑」として軍務につかされている。
彼らの大半は、名もなき普通の日本人たちで、ただ中国の支配と中国人の理不尽に、ほんの少しだけ異を唱えた者たちだ。
彼らはたいてい、ある日突然武装警察に家に押し入られ、何の理由も告げられずに逮捕・連行された連中だ。そのあと形ばかりの人民裁判に掛けられ、あることないこと罪状を読み上げられて有罪の判決を下された後、労働嬌化所か強制収容所に送られる。
そこで素行の良かった者だけ、3年間の軍務に就けば釈放されるという仕組みだ。当然、大半の者はいやいやながら軍務につき、忌々しい人民解放軍の不細工な軍服を着て、一兵卒としてこき使われるのだ。ちなみに、それさえも拒否した者は、
つまりは、お偉い政治将校サマとはそもそもの入口が違う。一般兵と政治将校が、仲良く肩を並べて戦友になれる可能性など、そもそもないのだ――
士郎はこの話を聞いて思ったものだ。
あぁ、どの世界でもやっぱり中国という国は一緒だな――
他国を理不尽に征服し、その土地の民をお互い仲たがいさせ、絶対に団結させないようにしている。
この世界の日本人たちは、まんまとその罠に引っかかり、民族として緩慢な死を迎えようとしているのだ――
「――だから皆さんを見た時、自分らは決心したんです。これ以上、売国奴たちの好きにさせてたまるかって……」
「だから戦うことを拒否したと……」
「そうです。コイツらえばりくさってますけど、戦車なんて動かせない。自分らがストライキ起こしたら、大砲ひとつ撃てない情けない連中なんです!」
それを聞いていた車長たちは、ものすごい形相で鈴木を睨みつけている。だが、今や形勢逆転なのだ。彼の言っていることがすべて真実だから、何も言い返せないのだろう。
士郎はもうひとつだけ、鈴木に質問をする。
「――ところで、鈴木さんみたいな一般兵は、戦車兵だけなのか? 歩兵はどうなんだ?」
「うちらは歩兵なんかにはなりません――というか、させてもらえません。ホラ、歩兵は一人ひとり小銃を持つでしょう!? 日本人に、武器は持たせられないってことです。そんなことしたら、中国人たちはいつ背中から撃たれるか分からないでしょう? その点戦車兵は、武器は携行しないですから……車長だけ護身用の拳銃持ってれば事足りるって寸法です」
「なるほど……」
では、先ほどからくるみや
士郎は少しだけ安心する。
「――でも、大抵の戦車には日本人が乗り組んでいます。戦車の中はとんでもなく居心地が悪いですから、中国人たちは戦車に乗るのを嫌がるんです」
確かに、この時代の戦車には空調もついていないから、夏場などはサウナ状態だし、逆に冬は冷凍庫に入っているようなもんだ。当然トイレもなくて、排泄はすべて車底部に開いたハッチから垂れ流しだ。当然、戦闘で破壊されればそのまま棺桶と化す。
「じゃ、じゃあ……高千穂町の戦闘で死んだ敵戦車兵は……」
久遠が相変わらず空気を読まずに思ったことを口にしてしまう。
「――皆さんは、戦車をやっつけたんですか……じゃあ間違いなくそれは、日本人です。まぁ……やむを得ません……皆さんに向けて撃ってきたんでしょうから……」
「…………」
とにかく、これで敵兵の中に日本人が含まれている理由が分かった。そして、なぜ敵戦車隊が我々を攻撃してこなかったかということも――
士郎はしばし思案して、それから結論を下す。
「久遠……こいつらを、憲兵隊に引き渡せ」
「了解した……さぁ、こっちに来るんだ」
そう言うと久遠は、一列に並んだ裏切り者たちを引っ立てる。
「――あの……コイツらは、どうなるんです?」
「後方に、我々の大部隊がいる。憲兵隊も僅かながら同行しているから、彼らに引き渡して……その後は我々のルールに則って処分される」
確かに彼らはこっちの世界の人間だが、こちらの世界に日本国という国家が存在しない以上、士郎たちの世界のルールで判断するしかないだろう。鈴木は不満そうだが、それが文明国のやり方だ。
もっとも、事の重大さを勘案すると、相当重い刑が言い渡されるのは間違いないだろう。彼らのやったことは、外患誘致罪であり、国家反逆罪なのだ。「国家」がなくなってしまったことは情状酌量の材料にはなるだろうが、それにしたって罪一等を減じてようやく無期懲役だ。
そのことを鈴木に説明すると、彼もようやく納得したようだった。
「――そんなことより、どうだろう!? 君たちも我々の側に加わってはくれないだろうか? 今、全国で自由日本軍が蜂起しているんだ。我々も、30万の軍勢で大反抗作戦を展開中だ」
士郎は、80人近い元中国兵たちに呼びかけた。彼らが喜び勇んで志願してくれたのは、言うまでもない――
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