第281話 解放軍(2)(DAY4-5)

 謎の日本軍が各地で蜂起し、占領軍である中国軍に強力な打撃を加えているという噂は、瞬く間に日本自治区全土に広まった。


 最初それは、圧政に苦しむ人々の集団妄想かとも思われたが、明け方から数時間もしないうちに、多くの人々が実際に「日の丸をつけた大軍」があちこちで猛然と作戦行動を取っている姿を目撃し、それが現実に起きている事実であることを理解したのである。


 長年に亘って理不尽に虐げられていた日本人たちは、この事態を驚くべき早さで受け止めた。なぜなら、彼らは密かに語り継がれる「伝説」を共有していたからである。


 いつの日か別の世界から強い日本軍が現れ、人々を解放する――


 多くの人々は、見たこともない未来的な戦闘服に身を包み、空想科学小説でしか想像することのできなかった様々な未来的な兵器を操って、想像を絶する大火力を駆使するこの漆黒の軍団を、まさに「異世界から助けに来た伝説の日本軍」であると認識したのだ。


 人々の決起は、それからあっという間だった。

 それまで羊のように従順だった日本人たちは、この伝説の軍隊の進軍に呼応するように、まさに全国で一斉蜂起したのである。

 その中心となったのは、主に旧軍関係者だった。1945年に無条件降伏して以来、「公職追放令」によって市井しせいに身をやつすしかなかった元帝国軍人たち。そのうちの何割かはここ数年地下に潜って「自由日本軍」を組織し、細々ながらパルチザン活動を行っていたが、彼らが僅かばかりに繋いでいた地下ネットワークはついに、この時をもって花開くこととなった。


「――かき集めた武器はこれで全部なのか!?」


 自由日本軍九州支部のリーダー、小野田幹夫だ。

 第二次大戦中は帝国陸軍の少尉だったが、無条件降伏から23年。今は既に40代の半ばである。だが、その闘志は再びメラメラと燃え盛っていた。

 この数十年、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできた。日本人と名乗ることも許されず、もちろん日の丸を掲げることも許されない。婦女子はいいように弄ばれ、男はまるで牛馬の如く肉体労働のみに従事させられてきた。知識層は軒並み労働矯化所送りにされ、思想改造を施されて今や中国人の顔色ばかり窺っている。密告が横行し、隣人や親しい友人さえ疑わなければならない、地獄のような国。

 社会保障など存在しないから、困窮にあえぐ人々は道端の雑草を食べ、ロクに医者にもかかれない。風邪をこじらせただけで子供や老人は簡単に命を落とす。いや、こんな国ならいっそのこと死んだ方が苦しみから解放されるのだろうか。

 何より許せなかったのは、町のインフラをほとんど打ち壊した中国人たちが、わざわざ神社だけは残してそこに自分たちの国旗と国家主席の写真を貼って回ったことである。なんという罰当たり! まるで自分たちこそ「神」であるかのような傲慢。

 小野田は、だから「赤色」が大嫌いだった。あの五星紅旗の赤色は、本当に虫唾が走る。特に赤地に黄色の星マークは最悪だった。あの組み合わせは、恐ろしい共産党独裁の象徴であり、罪もない人々を無数に虐殺する圧政のシンボルだった。


 そんな感情に支配されていた小野田だから、今朝突然赤色のマークを付けた大軍が街に押し寄せてきた時は、発狂する寸前だったのである。いっそのことここで腹を掻っ捌いでしまおうかとも思ったほどだ。

 だが、傍にいた仲間が突然叫び声をあげた。どうしたのだと慌てて外を覗いたら、押し寄せてきた軍隊の兵士たちが、何やら大きな旗を掲げているという。


 それを目にした瞬間、小野田は驚愕して卒倒しそうになった。あれは――!!

 その旗は、この23年間、一切掲げることも、手に持つことも許されなかった「日の丸」だった。

 それだけではない。彼らは日の丸のほかにもう一つ「旭日旗」まで掲げていた。白地に赤色の太陽光線を模式化した、まごうことなき日本軍の「戦旗」。

 赤色とは、これほどまでに神々しく、これほどまでに鮮烈な色であったか――

 小野田はその光景を見て、号泣した。男泣きに、泣いた。


 そしてその直後、彼の帝国軍人としての魂も、完全に蘇ったのである。


「なんとかしてあの部隊と合流できないだろうか!?」


 小野田が同僚に問いかける。同僚といっても、旧軍時代は自分の部下だった者であるから、彼の言葉遣いはあくまで「帝国陸軍少尉・小野田幹夫」に対するそれだ。


「はッ! 今から彼らの目の前に出ていって、助力を頼んでみましょうか!?」

「本当に大丈夫か? こっちは軍服なんて着ていないぞ……」

「なぁに、もし撃たれても、犠牲は最低限私だけで済みます。そうなったら、次の手を何か考えてください」


 そう言うとその男は、部屋の中に置いてあった箒の柄に、自分の着ていたランニングシャツをおもむろに脱いで結び始めた。白旗は万国共通、戦意がないことの証だ。あれが異世界の日本軍でも、なんとか分かってくれるだろう。


「軍曹……よろしく頼む……」

「はッ!」


 軽く敬礼すると、彼は即席の白旗を持って小屋を飛び出ていった。


  ***


 彼は、予想外というか予想通りというべきか、謎の日本軍によってあっさりと迎え入れられた。もとより士郎たち国防軍の面々は、現地の日本人たちと一刻も早く共同戦線を張るべく、網を広げていたのである。

 小野田はすぐに彼らの前に呼び出された。


「国防軍中尉、石動いするぎ士郎であります」


 その青年将校は、小野田の前でキッチリと陸軍式敬礼をしてみせた。そのあまりの流麗さに、小野田は思わず答礼を返す。


「しッ、失礼しました。元帝国陸軍少尉、小野田幹夫であります」


 小野田の方が階級が下だった。本来であれば彼の方から敬礼すべきなのだ。だが、目の前の中尉はむしろ恐縮していた。


「――いえ、大先輩である小野田少尉の敢闘精神、尊敬してやみません。このたびは少尉の部隊と共同作戦をご提案いたしたく、このとおりお願い申しあげる次第です」


 士郎たち国防軍は、既に現地の情報を入手していた。こちらの世界には、旧軍関係者を中心とするパルチザン「自由日本軍」という組織が小さいながらも存在し、彼らこそが絶望的な抵抗運動を行っていたことを。

 この世界の日本を解放するには、彼らの力が絶対に必要なのだ。士郎たちのように、突然飛び込んできて圧倒的な戦力で敵を駆逐しても、それからどうやって国を守るだけの力を整え、持続的に外敵に立ち向かっていくのか――

 こちら側の日本国が、並行世界の日本を最後まで面倒見切れないことは、最初から織り込み済みなのだ。だからこそ、現地の日本人たちが勝利しなければならない。


 いっぽう小野田は感涙していた。

 この青年将校は、我々が必死で占領軍と戦ってきたことを、キチンと理解しているのだ。そして、今の言葉遣いだけで、彼らが我々自由日本軍に十分な敬意を払ってくれていることが窺われた。

 彼らなら、信頼できる――


「あの、中尉殿……ひとつお伺いしたいのですが、質問してもよろしいでしょうか」

「――どうぞ」

「皆さん方は、本当に別世界から来られたのですか!? いえ、あの……絵空事と笑われるかもしれませんが、私たちはその……信じていたのです――」

「えぇ、その伝説なら承知していますよ。先ほど、地元の少女が教えてくれました。もしそんな伝説が本当にあったのだとしたら、我々の出現はきっと予言されていたのでしょう……確かに我々は、別の世界からやってきましたが、間違いなく少尉たちと同じ日本人――ですよ」

「そうですか……」


 それ以上は、言葉を継げなかった。何か言うと、泣いてしまいそうだった。我ながら、涙もろくなったものだ。

 石動中尉と名乗ったその将校は、ニッコリ笑って口を開いた。


「――では小野田少尉、自由日本軍と我が軍の共同作戦、よろしいですね」

「……は、はい! 私は九州支部のみのリーダーですが――」

「全国各地で今、同様に現地の武装組織との協力体制を大至急構築中です。一両日もしないうちに、日本人は全国で大反抗作戦を開始することでしょう」


  ***


 あの青年将校の言葉に、どうやら間違いはなさそうだった。

 自由日本軍の細々としたネットワークに、全国各地から「異世界日本軍」と共同戦線を張るという報告が続々入ってきたからである。


 そこにやってきたのが石動清麻呂という報道班員だった。奇しくも、あの青年将校と同じ苗字だった。

 彼は、各地の蜂起の模様を「瓦版」みたいにして住民に撒こうと言い始めた。確かにそれはいいアイデアだった。日本人たちは、情報に飢えていた。今、いったい世界で何が起きているのか!? 突然現れたあの頼もしい日本軍は、いったい何者なのか!? 我々の国は、これからどうなるのか――!?

 そして、この報道班員の小さな提案は、やがて日本自治区全体を火の玉のように燃え上がらせたのである。


<日本軍、占領軍に堂々宣戦布告――日本を取り戻す!>

<ついに“伝説”現実に! 世界最強の日本軍来援す!>

<我が陸軍部隊、各地の収容施設次々解放!>

<決死隊、敵戦車部隊と刺し違え!>

<各地で住民蜂起! 時は来たり!>

<日の丸飛行隊帝都空爆――敵司令部壊滅す>


 この日の夕方までに矢継ぎ早に発行された瓦版の見出しである。

 しかも、石動報道班員が手書きしたこの記事は、異世界日本軍の最新通信装置によって瞬時に各地の自由日本軍に届けられ、地域住民にビラのかたちで大量配布された。

 住民たちは、これを奪い合うように手に取り、貪り読んだ。自治区全土に、うねりのような闘志が燃え盛った。その結果、それまで地下に潜っていた自由日本軍は、異世界日本軍と呼応して正式に表に出てきたのである。

 彼らの旗印は「誠」。日の丸を禁じられた自治区で、苦肉の策として作られたものであったが、この一文字は、幕末の新選組が掲げたものと同じである。異世界日本軍もいたく気に入り、あっという間に彼らの装備にも「誠」の一文字が描かれるようになった。


  ***


 黒々とした艶消しの車体に白文字で「誠」と大書された“装甲車”なる厳つい車輛の列が、先ほどから猛然と通りを走り抜けていた。スラム街のような貧しい街並みは、既にあちこちで黒煙を噴き上げている。

 出火元は、市街地の要所要所に配置されていた中国武装警察の車輛だった。あるものはパンクし、割れたガラスから炎が噴き上げていた。またあるものは横倒しになり、その車体はベコベコに打ち壊されている。その傍には例外なく、血塗れになった遺体が二つ三つ……緑の軍服、すなわち中国兵たちだ。もちろん、住民たちの仕業であった。

 通りには、そんな人々が殺気立って徒党を組み、歩いていた。みな手に手に武器になりそうな棒状の木片を握っている。

 だが、日本軍の装甲車が猛然と走ってくると、みな一様にその顔を輝かせ、千切れんばかりに手を振って道を開けた。群衆は、頼もしいこの日本軍を、いつまでも見送っている。だが――


 突然彼らの顔色が変わった。前方上空から、割れんばかりのプロペラ音が轟いてきたからである。中国軍の、航空部隊だった。

 上空には、見る間に黒点が増えていった。その数は、100……いや、200機はいるだろうか!? まさに空を覆いつくす大編隊だ。この事態を「暴動」と見做して、占領軍が鎮圧部隊を繰り出してきたに違いなかった。

 先ほどの日本軍装甲車部隊は、これを迎撃に向かっていたのか!

 住民たちはようやく理解する。だが、同時に今までの浮かれ気分は、あっという間に吹き飛ばされた。


 いくら何でもあれは無理だ。


 地上部隊が航空攻撃に圧倒的に弱いのは、この世界の常識だった。今まで何度、機銃掃射で暴動が鎮圧されてきたことか――

 地上の人々は、奴らの攻撃になすすべもなく嬲り殺しにされてきた。アイツらは容赦なく、一帯にいるありとあらゆる存在を挽肉のように引き裂いていく。女でも、子供でも、例外はない。


「――だ、駄目だ……あれは、防ぎようがない……」


 誰かが泣き言を口走る。そして、踵を返してその場から逃げ出そうとした。だが――

 ドンっ!


 年配の婦人が、口を真一文字に結び、両手を広げて彼の前に立ちはだかった。


「ひっ――」

「――慌てるんじゃありません。よしんば敵に倒されることになっても、日本人の矜持だけは、決して失ってはなりません!」

「――そ、そうだ! 兵隊さんたちが、身体を張って迎撃に向かったんだ! その後ろで逃げ出すなど、恥を知れッ!」


 他の住人たちも口を揃える。そうだ――ここで鎮圧されることになっても、絶対に背中を向いては撃たれない! 果てるなら堂々と、前を向いて、敵を睨みつけながら討たれよう――


 だが一瞬のち、彼らの心配は杞憂であったことがあっさりと判明した。


 先ほど駆け抜けていった装甲車の中に、対空迎撃用多連装ミサイルシステムを備えた車輛がわんさかとあったのである。まぁ、国防軍としては見敵必殺のつもりで突っ込んでいったので、地元住民に心配されていたことなど、これっぽっちも知らなかったのであるが……


 バシュシュシュシュシュシュシュシュッ――!!!!


 突如として前方から、恐るべき量の火箭が上空に向けて放たれた。まだ中国軍の大編隊がこちらに近付く前である。

 そのオレンジ色の火箭は、空を覆いつくす無数の黒い点目掛けてもの凄いスピードで飛んでいき、そして上空一帯は、あっという間に大小さまざまな大火球と黒煙に覆われた。それはあたかも神の怒りに触れて、悪魔の使いであるカラスの群れがことごとく焼き払われたかのような情景だった。

 カラスは次々に、派手な炎をたなびかせながら墜落していく。


 ド―――――ン!!

 ドド―――――ン!!!


 耳を弄する爆発音が、遅れてようやくこちらにも届く。


「――すごい……全弾命中じゃないか……」

「……え……殲滅……したのか……」


 住民たちは、驚くやら喜ぶやらで、何を言っていいのか分からない。先ほど気丈に皆を叱咤した婦人が、呆けたように腰を抜かした。


「……えと……これ、本当に私ら勝てるんじゃないのかねぇ……!?」

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