第280話 解放軍(1)(DAY4-4)

 その日、並行世界の中国軍は思い知ることとなった。

 虐げられ、理不尽に屈辱を受ける人々の怒りを、悲しみを、慟哭を――

 そして、自分たちが到底敵わない、恐るべき軍隊が存在することを――


 その日、伝説は真実となった――


  ***


『機長! 方位〇―二―五! 距離800! 多数の熱源反応を感知――人が並んでいます』


 垂直離着陸VTOL強襲降下艇<飛竜>を対地攻撃用に改造したガンシップに乗る観測員が、およそ2時方向の先に何かを発見した。多数の人が並んでいるという。


了解ロジャー――敵部隊ボギーが集結しているのか!? ステルスモードで低空接近する』


 機長が応じる。彼らは、先ほど咲田広美が施した転移によって、空中にホバリングしたまま並行世界に放り込まれた陸軍所属の対地攻撃航空部隊だ。どこまでも隠密性を重視したその機体は、電磁推進によってほとんど推進ノイズを立てない。乗組員は1機当たり5名。操縦士2名と観測員兼火器管制官FCO1名。そして残る2名はガンナーだ。40ミリ機関砲という、バケモノのような重火器を左右両翼に計2門装備し、地上にいる存在をミンチのように吹き飛ばす。

 そんな空飛ぶ殺戮兵器が計20機。

 並行世界の日本自治区上空を超低空飛行で飛んでいる。


 まだ夜は明けたばかりだが、地上ではぼちぼち人々が動き始めていた。

 低い街並み――

 大半は粗末な木造平屋建てで、上空から見る限り、この街にはいわゆる「ビル」と呼べるようなものは殆ど存在しない。今向かっている熱源の方角とはまったく異なる方向に、3階建て程度の灰色の薄汚れたビルが建っているが、それ以外はなんというか――そう、第3世界のスラム街のような街並みだ。


 これが本当に日本なのか――

 乗組員たちは、その絵に描いたような貧困都市の様相に、困惑を隠せないでいた。雨がずっと降り続けているから、全体的に街のトーンは普段より一段も二段も暗いのだろうが、それにしたってこれはあんまりだ。難民キャンプとどこが違うのだ。


 ヒィィィィィィィン――――


 その低い街並みの屋根スレスレに、ガンシップの編隊が僅かな電磁音を立てながら次々と通り過ぎる。すると、そろそろ動き出した人々が、ようやくその大編隊に気付いたのか、あからさまにパニックを起こしかけているようだった。


『――機長、ようやく街の人たちが我々に気付き始めたようです! 見てください』


 観測員が弾んだ声を上げた。

 その声に、乗組員たちはそれぞれの持ち場から地上を目視確認する。

 人々は最初怯えたように――だが、次の瞬間、分かりやすく驚いてその場に立ち尽くし、そして一瞬の後その両手を高く空に突き立てている。


『良かった! 日の丸に気付いたようです』

『あぁ! 30分で塗り直したにしちゃ、上出来だな!』


 ステルス機体の黒色のガンシップのボディには、デカデカと鮮明な赤い日の丸がマーキングされていた。赤丸を白く縁取りした、日本軍伝統の国籍マーク。

 通常はこの国籍マーク、機体となるべく同系色で限りなく目立たないように塗装されている。所属国を完全に隠すのは「旗国隠避」という戦時国際法違反だが、このカムフラージュ塗装はギリギリ許される範囲だ。だから大抵の兵装や軍服には、同系色の国旗や戦旗が描かれているのだが、今回はオメガ特戦群司令部から“日本軍であることを子供でも分かるように表示しろ”との緊急命令が下されていた。

 その命令の意味を、彼らはようやく理解する。


 今や地上の人々は、自分たちの住宅の屋根スレスレを轟然と飛び抜けるこの厳ついガンシップ編隊を、まるで夢でも見ているかの表情で見上げていた。中には、跪いて両手を合わせている人々もいる。

 先ほどまで、街は灰色に塗りこめられ、どこにも人なんていないように見えたのだが、今や通りや辻々には、多くの人々が立ち止まり、同じように自分たちを見上げていた。


『――前方! どうやら何かの収容所のようです! 敷地周囲には鉄条網!』


 観測員が報告する。


『あぁ、あれがブリーフィングで聞いた労働矯化所か、もしくは強制収容所に違いない。急ぐぞ!』

了解ロジャー――』


 ガンシップ編隊は、急速に目標上空へ近づいていく。

 地上の市街地のあちこちでは、日の丸の大編隊にようやく気付いた敵兵たちが、右往左往を始めていた。


『へっ――今まで散々好き勝手しやがって』


 誰かの悪態が、インカムを通じて漏れてきたが、機長は特に咎めなかった。誰だって、気持ちは同じだったからだ。


『前方目標施設! 詳細確認中ですが、どうやら……あぁ! なんやありゃ! コレ、銃殺刑かなんかするとこでっせ!』


 思わずお国言葉が出てしまった観測員の言葉に、機長はバイザーを望遠モードにして直接目視確認を試みる。

 確かに――あれは間違いなく、処刑シーンだ。鉄条網で囲われた前方目標施設には、広いグラウンドのようなものがあり、そこに多数の人間が整列している。列の前方には、一列になって十数人が並んでおり、そして……それと向かい合うように、ライフルのようなものを持った一団が同じように一列で相対していた。


『――確認した! 一刻も早く突入するぞ! 全機――地上制圧隊形!』

了解ロジャー――!!』


 編隊長の号令一下、ガンシップ編隊は急速に目標施設上空に達すると、まるでシャチが獲物を追い込むようにグルグルと同心円状に回り始める。

 既に眼下では、目標施設を管理していると思われる敵集団が泡を喰ったように走り回っていた。突然現れた大編隊に、完全にパニックに陥っているようだ。

 そのお蔭で、先ほどズラリと並んでいた銃殺隊も、隊列を乱して上を見上げている。


『よし! いいか、日本人は絶対に傷つけるなよッ!!』


 今やガンシップは周回を止め、地上5メートルの高さくらいまでに降下してホバリングしている。それぞれが攻撃目標を定め、いつでも敵を制圧できる用意は出来ていた。

 中国兵の一人が、驚愕の表情でガンシップを見つめている。


―ッ!!』


 ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン――!!

 ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン――――!!!!


 それは、時間にしてほんの十数秒だったのだろう。機体によってほんの少しずつ射撃のタイムラグがあったから「十数秒」であったが、実際各機は十秒も撃っていない。それでも恐らくは、このほんの短い時間に、合計数万発の40ミリ弾が辺り一帯に叩き込まれたはずであった。


 カラカラカラカラカラ――


 機関砲の回転が止まると同時に、豪雨のように地上に降り注いだ空薬莢もようやく打ち止めとなる。雨が降っていたせいで、これだけの一斉射撃にも関わらず辺りにはほとんど煙が立っていない。そのお蔭で、グラウンドの様子が手に取るように一望できた。


 つい数十秒前までは、そこは確かに何らかの収容施設であった。多くの日本人がグラウンドにずぶ濡れのまま整列させられ、その最前列には、恐らくこの後銃殺されるだろう十数人の人々が晒し者になっていた。

 だが――


 今、ここにはそんなものどこにも存在しない。正確無比な射撃は、中国兵のみを悉く蜂の巣にし、今や人間の原型を留めている敵兵は一人も存在しなかった。グラウンドは奴らの血で真っ赤に染まっている。


「う……うぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 一人の日本人が雄叫びを上げた。先ほど銃殺される寸前だった男性だ。

 すると、その叫び声に弾かれたように、その場に茫然と立ち尽くしていた人々が口々に歓呼し始めた。誰もが「何が起こった?」といったような驚きの顔で、そして直ぐに自分たちの頭上を超低空でホバリングしている多数の黒い機体を指さし、満面の笑顔を浮かべる。


『――機長、日本人の犠牲者はゼロ! 全員無事です!』

『よし! よくやった――では次に行くぞ!』

『了解――』


 ガンシップ編隊は、ゆっくりと上昇した。

 そして、いつまでもグラウンドで飛び上がって拳を突き上げている集団の上空を2回ほど旋回すると、今度は別の方角へ向けて飛び去っていく。


 それと入れ替わるように、鈍重な<飛竜>が収容所に向かっている様子がチラリと視界の片隅に入る。おそらく衛生兵チームだ――


  ***


「――おいッ! 何だ! どうなっているッ!?」


 その中国軍将校は、ガラス窓の向こうに見える黒煙を、信じられないといった様子で凝視していた。


『わ、分かりませんッ! 突然あちこちから銃撃音が聞こえて――ガガガガガガッ! ぎゃあッ――』

「……お、おいッ! どうした! おいッ!!」


 受話器の向こうの兵士が、報告の途中で突然絶叫すると、それっきりツーと電話が途切れる。

 ガンッ――と役に立たなくなった受話器を床に叩きつけると、その将校は慌ててズボンを引き上げた。


 先ほどから、急に街のあちこちで激しい銃撃音と爆発音が聞こえてきた。それが、いつもの『自由日本軍』の仕業でないことは、一瞬にして分かった。

 今朝の戦闘音は、全体的に恐ろしいほど“力”を感じるのだ。いつものように散発的で小さな音ではなく、その銃撃は重層的で、腹の底にズシズシと響く。しかも、いつまで経っても鳴りやまないどころか、ますます激しさを増しているのだ。

 方々で轟く爆発音も、心臓を鷲掴みにされるような圧を感じる。これは、パルチザンが使うような工事用のダイナマイトみたいなものではない。もっとこう……キチンとした軍事用の殺傷爆弾の音だ。しかも、超強力な――


「チッ――」


 将校は、ベッドに無言で横たわる女の背中を一瞥すると、サイドテーブルに置いていた拳銃が入ったままのホルスターを慌てて腰に装着する。

 女の背中ははだけていて、あちこちに青紫色の酷い打撲痕があった。その背中に向けて1円札を投げつけると、バンッ――と扉を開けて外に出ていく。

 そのまま将校宿舎の前の通りに出ると、街の様相は一変していた。


 目の前に、死体が何体か転がっていた。しかも、それは信じられないことに中国兵だった。

 一人は滅茶苦茶に撃ち抜かれ、もう一人は下半身がどこかに吹き飛んでいた。腹から内臓が零れ落ちて、辺りに血だまりを作っている。


 タタタタッ――タタタタタッ――!!


 数メートル先で、兵士が軽機関銃を撃つ音が聞こえた。と思ったら――


 ガガガガガガガガガッ――!!!


 まるで暴風雨のような重機関銃の音がそれに覆いかぶさり、僅かに「ギャッ」という悲鳴が聞こえて軽機の音はパッタリと途絶える。その瞬間、路地の角からボロボロに肉片と化した元中国兵と思われる何かがドサッと倒れ込んできた。


 キュルキュルキュルキュル……


 反対側の角から、我が軍の軽戦車が鼻ツラを出してきた。おぉ、同志たちはちゃんと戦っているじゃないか! 戦車が出てきたらじきにこんな戦闘は終わるだろう――


 ヒュゥゥゥゥゥぅ――――ドンッ!

 パァァァァァぁ――ン!!!!


 安心しかけた途端、目の前を白煙が一直線に通り過ぎた。次の瞬間、軽戦車の装甲にポンッと穴が開いたかと思うと、砲塔が垂直に吹き飛び、四方八方に破片が派手に飛び散る。


 おいおいッ――!! いったい誰が攻撃を仕掛けてきているのだ!? さっきの白煙は、あれはいったい何だッ!? 戦車の装甲を簡単に貫通するなんて、見たことがないぞ――!!?


 将校は突然、背筋にゾゾっと恐怖を感じた。日本人か――!? いや、そんなはずはない。あのゴミどもが、こんな武器を持っているわけがない。ならばソ連か!? 中立条約を無視して、いきなり侵攻を始めたか――!?

 だが、我が軍はソ連ごときに後れをとるほど緩んではいないはずだ――


 ドォォォォ――――ン!!!


 再び地面を揺るがす大爆発音が通りの向こうで響き渡った。その時、ワァァァァァ――という喚き声が向こうから聞こえてきた。喚き声というか――まさか……悲鳴!? 命乞いしているのか――!?


「――たッ……助けてくれぇ!! ひぃぃぃぃ」


 少し先の角から、友軍兵士たちが7、8人バラバラと現れたかと思うと、こちらに向きを変え、必死の形相で走ってきた。まさに全力疾走だ。


「――おいお前らッ! 何で逃げるッ!!?」


 目の前を通り過ぎようとする兵士を一人、すんでのところで首根っこを掴んで引き止めた。兵士は、無様に涙と鼻水を垂らし、恐怖に怯えて震えが止まらない。将校を見ると叫んだ。


「――なッ! なんだよてめぇッ!! 邪魔すんなッ!! オレぁ逃げるんだ!!」

「きっさま! 将校に向かってなんだその態度はッ!」

「けッ! えばりくさって偉そうにッ! お前だけ勝手に死んでろッ!!」


 兵士はまくしたてると、将校の腕を猛然と振りほどいて、たちまち走り去る。アイツ……後で軍法会議に送り込んでやる。将校侮辱罪だ!

 苛つきながら、くるりと振り向いたところだった。


 突然目の前に、黒ずくめの小柄な兵士が立っていた。それを見た瞬間、将校は敵の正体を知る。

 まさか――!?

 その兵士の左肩には、白地に赤い旭日マーク……「旭日旗」がくっついていた。しかもよく見ると、兵士の雰囲気はいつもの烏合の衆――「自由日本軍」の半分素人みたいな空気とは明らかに違っていた。


「――おま、にほんぐ……」


 将校が言葉を発しようとした瞬間、しかし彼は結局途中で言葉を発することができなくなった。なぜだか急に身体中がメキメキと軋みはじめ、全身に激痛が走り、そして――


 ベゴッ……バギャッ……ビキィ……


 か……身体が……な……んだコレ……た……すけ……


 パァァァァァ――ン!!!


 将校は絶命する寸前、自分の身体がまるで水風船のように膨らむのを視界の片隅に捉えていた。もはや自分ではどうすることもできなかった。その恐ろしい身体の変化は、きっと本当は1秒も経っていなかったのだろう。

 最後自分が醜く破裂する瞬間、目の前の漆黒の兵士がニヤリと笑ったような気がした。

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