第265話 絶滅トリガー(DAY2-22)

 人類社会において、偏見や差別は永遠になくならない。


 士郎は、叶の説明を聞いた時に完全に確信した。

 だってそうだろう。少なく見積もっても、40万年前から人間は異質な存在を否定し、それらと混じり合うことを嫌ってきたのだ。


 つまり、「排他主義」とはそもそも人間の本質であって、本能である。40万年前からその傾向が明らかに認められるということは、この性質というか気質はまさに「筋金入り」ということだ。


 今、世界中の人間のAlu配列が極めて近似しているのは、我々がもともと「はじまりの村A」の住人だったからだ。だが、A村はその当時決して地球上に残された唯一のコミュニティではなかった。実際はB村も、C村もあった。

 ではなぜ今の人類はみなA村の子孫なのか? それは「A村が他の村を襲って根絶やしにした」からに他ならない。


 なぜ、A村の住人は他の村々を襲ったのか?

 それは、彼らが本質的に「排外主義者」だったからだ。彼らだけではない。恐らく当時、B村の住民たちも、C村の住民たちも、みな同じように考え、それぞれ自分たち以外のコミュニティを抹殺しようと企んでいたはずだ。

 そして同族同士が血で血を洗う凄惨な戦いを繰り広げた結果、たまたま生き残ったのがA村だったというだけだ。

 人類は基本的に「自分」と「自分以外」という二つの選択肢しか持ち合わせておらず、他者と共存する、という概念を本能的に持っていないのだ。

 共存できない以上、自分以外の他者は徹底的に排除するか、抹殺するしかない。数十万年前は、恐らく他のコミュニティを攻撃するのに理屈はいらなかったはずだ。ただ本能のままに排斥し、本能のままに殺した。


 それから人類が何度『ボトルネック』サイクルを繰り返したのかは分からない。だが、ある時から人間は、他者を攻撃し、抹殺するための「理由」をそこに付け加えるようになった。

 敵を殺すのに「理由が必要になった」のである。

 それはもしかしたら、知的水準が高まり、高度とは言わないまでもそれなりに道徳心の萌芽があったからかもしれない。いずれにせよ、その時になってとにかく「殺す理由」を捻り出したのだ。それがたまたま「肌の色が違う」であるとか、「国籍が違う」とか、あるいは「人種が違う」といった、取るに足らない「違い」だっただけだ。


 だから偏見や差別はなくならない。


 だって、それらは所詮「取って付けた理由」に過ぎないからだ。敵を殺す、本質的な理由ではないからだ。

 実際、「肌の色が違う」だけで、果たして自分の生存が本当に脅かされるだろうか!? 相手の「人種が違う」だけで、本当に危険なのだろうか!? 冷静に考えれば、それらの「相違点」に相手を殺す――存在を認めない――だけの深刻な要素はそもそもないのだ。


 人々の知性が高まり、これらの理由付けに意味がないことについて多くの人々が認識を深めるようになると「人種差別」や「国籍差別」が愚かなことであるという潮流が出来上がった。皮肉なことに、世界中が戦った「第二次世界大戦」がそれに気づくきっかけになったと考える人は多い。

 結果として「帝国主義」は廃れ、欧米諸国による「植民地主義」はほぼ絶滅した。多くの有色人種が独立を勝ち取り、力の論理ではなく、法の支配による世界秩序の構築が始まった。

 だが――


 今度は価値観戦争が始まった。

 ユダヤ問題に端を発するイスラエル建国、そしてアラブ諸国と欧米諸国の諍いは、つまるところキリスト教社会とイスラム教社会の価値観の対立である。特にアメリカは、第二次大戦後唯一の超大国として君臨し、自らの論理と価値観に「正義」というパウダーを振りかけて世界中の道徳と価値観を支配しようと試みた。

 冷戦時代、そのアメリカと真っ向から対立したソビエト連邦(現ロシア)も、なんのことはない「共産主義」という価値観を振りかざしてサル山のボスとなり、もういっぽうのボスザルであるアメリカと覇権争いを演じただけだ。

 結果的に地力に勝るアメリカがこの不毛な消耗戦を勝ち抜いたが、実際のところアメリカが勝利しようがソ連が勝利しようが、それ以外の有色人種にとってはサル山で威張り散らすボスザルがどっちかになるだけで、大勢は変わらなかったはずである。

 まぁ、少なくとも人の命を「畑で取れるジャガイモ」程度としか認識していなかったソ連が覇権を握るより、がさつで乱暴だが面倒見のいいガキ大将のアメリカのほうがなんぼかましだった、という程度のことである。

 だが、最大のライバルが退場して世界は平和になるかと思ったら、むしろ以前より混沌が増すこととなった。

 アメリカは以前にも増してキリスト教的価値観を世界に押し付けるようになったから、イスラム社会と決定的に対立したのである。かつて中東戦争は米ソの代理戦争だと言われていた。だが、ソ連が退場したはずなのに、中東はいつまで経っても世界の火薬庫だった。


 今や日米を中心として多くの先進諸国が「脱石油」を宣言したから、世界における中東の地位は恐るべきスピードで低下している。

 これだって、一部ではアメリカの陰謀ではないかと囁かれている。「目には目を」というハムラビ法典の価値観を有するアラブ人たちは、アメリカから受けた屈辱を決して忘れない。それに手を焼いたアメリカが、この地を「真空地帯」にしてために、脱石油を宣言したのではないかと言われているのだ。

 だから、世界史において、かつて燦然と人類文明の中心に君臨していたこの中東世界は、今や「臭い物に蓋をする」かのように世界から忘れ去られようとしている。


 こうしてアメリカは、次々にライバルたちを封じ込め、追い落としていった。

 ところが、ようやくアメリカの覇権パックス・アメリカーナが確立したかと思ったら、いつの間にか今度は中国が台頭してきていた。

 当時の共産党が支配する中国は、宗教こそ排除していたが、今度は共産党自体が宗教のようになっていた。遅れてきた独裁国家、帝国主義者といっていい。

 21世紀初頭、中国はものすごい勢いで日本経済を抜き去り、いつの間にかアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国になっていた。

 だが、あまり知られていないが、彼の国にはありとあらゆるところに共産党が入り込んでいる。

 当然、すべての中国企業は国家――すなわち共産党の所有物である。

 中国ではこのほか、人民の生活空間にも、小学校以降のすべての学校にも、もちろん科学技術の研究機関にも、すべて共産党が関与している。

 中国で成功するための最低要件は「共産党員であること」。共産党員でなければいい住宅に住めないし、もちろんまともな就職先にも就けないし、労働者だって出世できるのは共産党員だけだ。


 いくら彼の国が「企業活動は自由意志だ」と言い張ったところで、その会社の中に政治委員がいて、その評定がそのまま人事考課になるような国である。

 住民生活だって、日本で言うところの「自治会」にあたるような組織がまんま「共産党クラブ」なのだ。日常生活において「党に忠誠を誓う」のが当たり前で、党の意向に沿わない言動をしている住民はただちに通報される社会。


 そんな独裁国家とアメリカがまたもや対立するのは時間の問題だった。

 事実、21世紀中盤に差し掛かるところで勃発した米中貿易戦争に端を発する米中戦争は、まさに価値観と価値観のぶつかり合い――つまり、ここでもまた、価値観戦争が勃発したのだ。

 かつてS・ハンチントンという学者が『21世紀は文明が衝突する』と予言したが、まったくその通りになった。ここでいう『文明』とはまさしく『価値観』のことである。


 人類の戦争の歴史は、昔は「陣取り合戦」――すなわち領土拡張戦争。ついで「宗教対立」――このころから「価値観」のぶつかり合いが始まった。そして今や、ほぼすべての世界の紛争原因は『価値観対立』によるものだ。すなわち――自分とは違う他者を排斥し、それを滅ぼすこと。


 結論。

 人間は、自分が属するコミュニティ以外の人間、あるいは自分と文化的背景が異なる人間とは、基本的に共存できない。それが本能であり、人間種特有の気質だから。

 そしてこれこそが――これだけ文明が発達している現代においても依然、人間が他者を排斥する本当の理由だ。


 本能的に、人間は自分と異なる存在を認めることができない動物なのだ。

 学校や社会でいじめがなくならないのもそれが理由だ。「気に喰わない」とか「ムカつく」とか、そんなどうでもいい理由、本当は理由ですらない。いじめる奴は、要は自分とは違う人間を認められないだけなのだ。認められないということは、自分にとって「異物」ということであり、したがって人間の本能に従えばそれは「排斥」の対象になる。

 つまり、誰かをいじめる奴は「本能」を「理性」の力で制御できない野蛮人なのだ。


「――つまり、マックスプランク研究所が発表した論文の本質というのは……」

「うむ。人間は、基本的には好戦的な動物だった、ということだ」


 ま、それは過去形というより現在進行形なんだけどね――と叶は付け足した。


「まぁ……人類が存在する限り、戦争はなくならない、と何かの本で読んだ記憶もありますし……」

「……そうだね。地球上で100年間戦争が起きなかったら、それは間違いなく奇跡と呼べるだろうね」


 叶がシニカルな顔つきで二人に肩をすくめてみせた。


「――さて、私がなぜこの話をしたかというと……」

「あ、そうでした。結局、何が引き金になって人類は絶滅トリガーを引くのか? という質問です」


 叶は、少しだけ悩むような素振りをみせた。


「うむ。まぁここまで話を引っ張っておいてなんだが……」

「……え?」

「――結局のところ、それはAlu配列の均一性に関わっていると思うんだ。人類全体のゲノム情報をマクロで……すなわち種族全体として考えた時に、一定比率以上のAlu配列という名のジャンクDNAがどの程度均一性を占めるかによって、そのトリガーは発動するんじゃないかと……」

「……えと……つまり……?」

「人間とはそもそも好戦的な種族で、繁栄に向かっているさなかにあってもいくらでも同族殺し――すなわち戦争――を繰り広げてきた。その結果、もしかしたら同質のDNAを持つ人間が絶滅トリガーが発動するのかもしれないし、またはまったく逆――すなわち、同質DNAが発動するのかもしれない……今はまだそのどちらかは分からない」


 なんだ……肝心なことが分からないのか!?


「じゃ、じゃあ……我々は絶滅を回避するために、今後どうすればいいのか分からないってことじゃ……」


 士郎は呻くように言った。結局原因が分からない以上、我々は今後どうふるまえばいいのだ!?


「……石動いするぎ君、君の勘違いを敢えて指摘するのも心苦しいんだが、既に『絶滅トリガー』は発動しているのだよ」


 ――――!


 そうだった……

 「オメガ」という存在が既に出現し、そして彼女たちがその行動基準に基づいて、容赦なく人間を殺戮し始めている以上、既に人類絶滅へのカウントダウンは始まっているのだ――

 では、人類はこのまま滅びるしかないのか……


「――まぁでも……」


 叶は言葉を継いだ。


「――実際、人類はご覧の通り毎回復活を遂げている」


 ――――!!!


 確かに、それもまた事実だった。

 今までの絶滅も、常に最低ラインの人類は生き残っていたのだ。いや――敢えて「生かされた」可能性もある。


「――先ほどチラッと神話の話をしたのを覚えているかね?」

「えぇ、黙示録とか、あと旧約聖書の話とか……」

「ノアの方舟の話だって、実際のところ選ばれた民だけは生き永らえたというエピソードを、宗教的な彩りで脚色しているだけかもしれない。多くの神話は常に史実に基づいた話だからだ」

「……そういえば……オメガたちも、無条件に殺す相手と、そうでない相手が――」

「たとえば君のようにね」


 すべてを言う前に、叶が前のめりで割り込んできた。

 その通りだ。士郎は、何らかの理由によって初めからオメガの殺戮対象ではなかったのである。しかもそれは、士郎の持つDNAに原因があると考えられている。


 つまり、オメガは無差別に人間を殺しているように見えて、その実しっかりと生かしておく相手を選別しているのだ――


 先ほどから士郎と叶の遣り取りを聞いていた未来の表情が、少しだけ明るくなったような気がした。彼女は他のオメガのように思ったことをすぐ口にするタイプではないから、こういう時、口数そのものは少ないのだが、顔つきを見ていれば分かる。


「えと……私たちオメガの役割は、殺すことだけじゃない……ってことでいいんですね……?」

「あぁ、どうやらそうらしい。だから思い詰めちゃ駄目だ」

「そうだよ? 広美ちゃんも言ってたように、かつて元寇の時にもこの日本に先輩オメガが現れていたみたいだし」

「……ということは……オメガの出現イコール人類絶滅、というわけではないんですね!?」

「そうだとも。オメガはあくまでリセットボタン……進化の方向間違った、じゃあ一回リセットするか、ってことで、人類はもう一度スタート地点に戻る――いや、戻れるんだ」


 それを聞いた未来の顔が、ぱぁーっと明るくなった。どれだけ人を殺しても、情緒的には何も感じないことを気に病んでいた彼女だが、今回の叶の話に、何か思うところがあったのだろう。なんにせよ、彼女の心が折れなかったのは僥倖だ。


 士郎は最後の質問を口にする。


「――では少佐、あとひとつだけ教えてください。ジャンクDNAの中に、人類絶滅のためのプラグラムが仕込まれていることはよく分かりました。じゃあ、そのプログラムそのものは、いったい誰が仕込んだんです!?」

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