第264話 ヒトの本質(DAY2-21)

 士郎と未来みくは、叶が次々に挙げる驚愕の事実にもはやなすすべもなく放心するしかない。


 オメガは人類進化をやり直すためのリセットボタン――!?


 人類がその長い歴史の中で、繁栄しても繁栄してもその都度絶滅寸前にまで個体数を減らしてきたのは、自然災害など不可抗力によるものではなく、人為的な殺戮行為だった――


 士郎は、自分の口の中がカラカラになっていることに気付く。喉がいがらっぽくて唾を呑み込もうとするが、ヒリヒリしてそれもままならなかった。


「し、少佐……ひとつ……聞いてもよろしいでしょうか?」


 叶は黙って頷く。

 士郎には、聞きたいことが山ほどあった。まずはこれだ。


「繁栄の方向に失敗した人類が、自らをリセットするために人為的に殺し合いをする――という法則が本当にあったとして……それはいったい誰が審判を下すのです!? オマエたちは間違った方向に進化した、だからリセットだ! って誰が決めるんですか!?」


 確かに士郎の言うとおりだ。人間は、誰しもが良かれと思って自分の人生を生きている。その総体として、人類文明は発展をしてきたし、結果として人類は進化してきたといえるだろう。この場合“進化”とは生物学的なものに限らない。“文明化”してきた、という事実も、ある種のと言ってもいいだろう。

 それはもちろん、道義的に「これはいかがなものか」と思われる野蛮な行為をしてきたのも事実である。分かりやすく言えばそれは「殺し合い」だったり、何かを「排斥」「差別」する行為だったり、あるいは「自然破壊」とか「他の生物を絶滅させる」行為だったり……

 そういう意味では、「人間という存在」は決して褒められたものではない。そこは深く自省すべきであることに議論の余地はない。

 だが、だからといって人間種そのものを絶滅にまで追いやるほど、悪い行為を行ってきただろうか。人間存在が、世界にいい影響を与えたことだってあるではないか!?

 ましてや、同じ人間同士で「自分たちは間違えた、だからみんなで責任取って自決しよう」などと漠然と「自己否定」を考えるだろうか!? そんな馬鹿な――


「誰が考えるって……そんなもの、だろう!?」

「――え? 誰の仕業か、分かっているんですか!?」


 士郎にはさっぱりだ。だが、未来はすべてを悟ったかのように先ほどから押し黙ったままだ。


「……考えている人なんていないよ。これは自動プログラムだ――」


 じ、自動プログラム――――!?


「自動プラグラムって……まさか――」

「そう、そのまさかだよ」


 それが「ジャンクDNA」の役割だというのか――


「――30億塩基対のヒトゲノムの中で、大半を占めるジャンクDNA。その働きや機能はほとんどよく分かっていないし、たとえばその中のどれかを取り去っても、人間が生きていくうえでは何ら支障がない。あってもなくてもどちらでも構わない存在のはずだ……なのになぜ人類はこんな無駄なDNAを何十万年も保持し続けているんだい!?」


 そうなのだ。遺伝子を次世代に引き継ぐ、というのは実は極めて大きなエネルギーを必要とする行為だ。何かのデータをメール添付して送信するのを思い出してもらえば分かりやすいだろう。たかだか15キロから20キロバイト程度のテキストデータを添付する時は、一瞬にしてメール送信できるが、3ギガや5ギガバイトの動画データなどを送る時はそれなりに時間がかかるし、そもそも回線速度や容量が大きくなければフリーズしてしまうのと一緒だ。

 何の役にも立たない遺伝子という膨大な「データ」をヒトはなぜ捨て去ることなく、無視できないレベルの高い負荷を掛けてまで延々と次の世代に引き継いでいるのだ!?

 その答えは簡単だ。


 それが捨ててはいけない必要な「データ」だからだ――


 つまり、ジャンクDNAはやはり「ジャンクがらくた」などではない、人類にとって絶対に必要不可欠なデータなのだ。


「――普通に考えると、人類がジャンクDNAを捨て去ることなくずっと保持し続けているのは、それを保持し続けなければならない必然性があったから、と考えるのが自然だ」

「その部分に……人類がどういう風に進化するべきかが既に記載されていて……それに沿わない進化をしてしまった場合、やり直す――リセットする――ためのプラグラムもあらかじめ組み込まれている……ということですか……」

「人類進化は集合意識の結果の産物だ。数十億人が思考し、議論を交わし、感情をぶつけ合い、知性を高め……その結果として今の人類文明がある。だが、我々のその試行錯誤の結果が根本から否定されるのだとしたら?」

「――もはや理屈や思想では覆せない……」

「そのとおり。いくら君たちは間違っている、と口で言っても、指摘された人々はその間違いを認めないだろうね。だったら話し合いの余地はない。問答無用で今生きている人々を抹殺し、まっさらの状態にリセットして、最初からやり直した方が手っ取り早いはずだ」

「だから……どこかの一線を越えたら自動的にプログラムが発動して……人類が抹殺されるようにできているんだ……」

「――オメガは生まれるべくして生まれた……」


 未来がポツリと呟いた。

 この理屈でいえば、未来たちオメガは「裁く者」、そして士郎たち普通の人間アルファは「裁かれる者」たちだ。両者は決して対等ではないし、本来なら――分かり合えるはずがない。


 人間の「生存本能」とは、凄まじいものだ。たとえば、高いところを恐れるのは――中にはまったくそんな怖れを抱かない人もいるが――「転落したら死ぬ」と本能が囁くからだ。バンジージャンプが出来てしまう人は、その本能的な死への恐怖を克服した人だ。そういう意味では、空挺隊員が兵士としてエリートであるのも頷けるだろう。

 これに限らず「〇〇恐怖症」と呼ばれているものの大半は、それを引き金にして「死ぬかもしれない」ことへの恐れを抱いてしまうのが原因だ。狭いところに押し込まれて恐怖症を発症してしまう人は、その心理の中に「閉じ込められることによって自らの生存が脅かされる」という恐怖があるからだ。人間が「火」を恐れるのも、「水」が怖い人も然り。

 水と言えば、水中に深く潜って息を止めた人間は、脳や心臓など、生存に不可欠な臓器のみに限られた酸素を送って、それ以外の四肢などへの酸素供給を止めてしまう場合がある。それによって四肢が壊死して最終的に切断することになったとしても、その程度では死ぬことはないからだ。そんな時、その人の身体は、自分自身の身体のパーツを自らトリアージして、生き残る部分を取捨選択してしまう。私たちの身体は、本体が生き残れるのならば腕や脚の一本くれてやろう、と判断するのである。


 話を元に戻すと、オメガはそんな人間の「素朴な生存本能」を容赦なく粉砕してしまう存在だ。だから大半の者は彼女たちに対して漠然とした恐怖を抱くし、偏見の対象にもなる。自分たちに理解できない存在を排斥する――というのは、人間の原始的な本能だ。


「じゃ、じゃあ……次の質問です。『一線』とは何です? 人類が、取り返しのつかないところまで間違った進化をした時にリセットが起動するのだとしたら……そのトリガーは一体何なのでしょうか!?」


 これももっともな疑問だ。人類進化は、どの段階で「間違った」と判断されるのか? ヒトゲノムに組み込まれたジャンクDNAが――すべてではないにせよ――その絶滅プログラムであることは分かった。だが、そのプログラムのコマンドが走る条件とは!?

 どこまでなら許されて、どんな一線を越えると審判が下されるのか――

 それは、概念的な、あるいは観念的なものなのか!? あるいは生物学的なものなのか!?

 前者であるとは思えない。なぜなら、ジャンクDNAが人間の思考や志向や嗜好を感じ取れるとは思えないからだ。もっと生物学的な……科学的な閾値があるはずだ。そこを超えた時に、オメガのようなDNA変異特性を持つ個体が一定確率で人類の中に現れる、というシステマティックな仕組み――つまりプログラムが組み込まれている、というのであれば、まだ理解できなくもない。


「――それなんだがね……実は21世紀初頭に、現生人類のAlu配列近似性あるいは均一性について、ボトルネック理論とは異なる角度からその可能性をアプローチした論文が発表されているんだ」


 叶こそ、士郎の質問にストレートに答えるのではなく、別の視点からこの問題に対する答えを示そうとしているらしい。


「――ドイツのマックスプランク研究所が発表したものだ。それによると、実効個体数のボトルネックが生じた原因を何らかの自然条件に依拠するのではなく、ヒト科特有の文化的嗜好性に依存するのではないかと仮定し、実験したのだそうだ」

「――ヒト科特有の……嗜好性……!?」

「つまり……我々人間だけが感じる『好き嫌い』の話だ」


 よりにもよって「好き嫌い」――!?

 こんな深刻な話をしている時に!? 少佐はいったい何を考えているのだ!?


「……石動いするぎ君にも、好き嫌いくらいあるだろう!? 食べ物とか何とか!?」

「そ、そりゃあまぁありますけど」

「他にも、同じ言語を操る人の方が、他言語を使う人よりも親しく感じたりしないかい?」

「うーん……人にもよると思うんですよね……同じ言葉を使っているのに、あぁこの人とは分かり合えないなぁ、俺の言っている言葉の意味が通じていないなぁ、と思うことはごくたまにあります」

「あはは、まぁそういうのは置いといて――」


 叶はあらためて二人の方を見て、リラックスするように両肩を回した。確かに、先ほどから身体中が緊張して、筋肉がガチガチだ。


「――この実験は、人間の文化的背景……すなわち、食べ物や習慣、言語などの近い者同士が、より高い確率で結婚するように条件設定をして、その場合の遺伝子の変化がどうなっていくのかをコンピュータシミュレーションしたものなんだが――」

「……あぁ……読めました」

「うむ。文化背景が似通った者同士が結婚を繰り返せば、当然その集団の遺伝子プールは均一化されていくことが証明されたんだ。逆に、サルのように相手をえり好みせず、どんな相手とも交配を繰り返した場合、その遺伝子プールはドンドン多様化していくことがわかった」


 これについてはよく理解できる。まぁ普通に考えれば、人間は自分の身近な者と親しくなり、異性同士であればそこから恋に落ちたり、結婚したりするだろう。もっとマクロ的に考えても、国際結婚はやはり身近ではない。あったとしても、どちらか一方が相手の国や職場にたまたまいたというのが大半なのだ。そもそも、文化背景の異なる者同士の結婚というのはレアケースなのだ。


「――つまりこの説を支持した場合、ボトルネック理論の根拠となるAlu配列の均一化は、自然災害などの外部要因によるものではなく、ヒト自らが選択した結果である、ということができる」

「……それで、そのことが質問の『一線』というか『トリガー』と、どのように繋がるのでしょうか!?」


 確かに叶の言うとおりだ。同じ文化背景を持つ集団内で結婚を繰り返せば、そのコミュニティを構成する人々の遺伝子は近似してくるに違いない。それ自体に異論を挟むつもりはない。だからどうしたというのだ……!?


「石動君、君は大きな問題を見落としているよ」

「……え?」

「Alu配列の均一性は、ネアンデルタール人にも見られた……つまり、現生人類がネアンデルタール人と分岐する40万年前の、さらにそれより以前からAlu配列の均一性が見られることを、キミはどう受け止める?」

「……えっと、それは……」


 そんな数十万年前には「国家」という概念は当然ないはずだ。「文化」などという要素もあるはずがない。と、いうことは……


「――つまり人類種は、40万年以上の太古の昔から、極めて排他的だった、ということだ」


 ――――!!


 人は、とかく自分とは異なる者、理解できない者を排斥しようとする傾向がある。それが今に続く人種差別だったり、マイノリティへの露骨な差別や排斥だったりという大きな社会問題の原因なのだ。

 士郎自身はこういったマイノリティ排斥にくみしない。

 確かにその昔、低レベルな反日活動に邁進していた愚かな国家もかつて存在していたが、だからといってそうした国の人間を十把一絡げで罵ったり嫌がらせをしたりして留飲を下げるような行為は、そういう連中と同じくらい愚かだと思う。

 自国民の中にだって愚かな奴はいるし、良い奴はどの国の人間だって良い奴なのだ。〇〇人だからどうのこうの、というのは単なる思考停止だ。

 だが――

 現実はそれほど単純ではない。

 特に西欧世界では、アラブ人だと見ると全員テロリスト扱いする傾向があるし、移民排斥運動は今や大虐殺に近い悲劇を生んだりしている。

 もちろん日本国内でも、特定の人種に対する侮蔑や嘲笑を平気で行う者が後を絶たない。


 なぜ多くの人が――しかも大半は普段善良な市民で、穏やかな家族の一員だ――そういう排他主義メンタリティに陥るのか、士郎にはどうしても理解できなかったのだ。


 今それが氷解した。

 人間とは、もともと自分のコミュニティ以外の異質な集団は排除する、という恐るべき本能を持った種族だったのだから――

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