第248話 天岩戸(DAY2-5)

 日本神話の「天岩戸隠れ」という逸話をご存じだろうか。


 それは、太陽神――実は“シリウス神”なのだが――天照大御神アマテラスオオミカミをきっかけに身を隠してしまい、そのせいで世界が暗闇に包まれた、という話の顛末を描いた物語である。

 最終的に天照大御神は姿を現し、世界は再び光を取り戻すわけだが、そのお隠れになったとされる場所こそが、神話の中で『天岩戸あめのいわと』あるいは「天戸あまと」「天岩屋あめのいわや」「天岩屋戸あめのいわやど」などと呼ばれる、岩窟なのである。


 ここ高千穂町には、なんとその『天岩戸』が実際に存在するのだ。

 街の中心部から少し外れた東南東の方角、高千穂峡谷のとある一角にある岩窟――通称『仰慕窟ぎょうぼがいわや』がそれだ。

 なるほど確かにこの洞窟は、すぐ目の前に少し開けた河原があって、神話に伝えられるロケーションにそっくりだ。

 岩戸隠れをされた天照大御神をなんとか外の世界に引っ張り出そうとした八百万の神々は、岩戸の前の広場に集まって相談を重ね、飲めや歌えや踊れやの歌舞音曲を繰り広げたという。大御神はその賑やかな様子が気になって岩戸から顔を出し、最後は引っ張りだされて大団円を迎えるわけだ。

 実際、地元の人々はその開けた河原を『天安河原あまのやすかわら』と古くから呼びならわし、洞窟そのものをご神体として崇め奉り、神域として鳥居とご神体を示すお社を建てている。

 それらの拝殿として建てられているのが町内にある「天岩戸神社」だ。


 だが、実際のところ「天岩戸」と称する場所は西日本を中心に全国にいくつもある。

 しかも、出典が「神話」ということで、傍証など何もないことから、本当のところどこが本当の天岩戸なのか? という点については永遠に誰も証明することはできない。言わば「言ったもん勝ち」の世界である。

 その点、ここ高千穂は「天孫降臨」伝説などもあって日本神話とはやたら相性が良く、神秘的な峡谷とそこに突然現れるやたら雰囲気のある洞窟は、地元の信心深い人々にとってはめっぽう説得力を持った風景だったのだろう。

 まぁ、厳密にいえばこの論争も、朝廷の巫にして超古代からの皇統を守護する役割を負った咲田広美にでも聞けば、案外簡単にその答えを教えてくれそうな気はするのだが、今はそのこと自体が問題ではないのだ。


 要するに、ここ高千穂町が人々からそれだけの信仰を集めるパワースポット――はりの世界でいうところの『経穴ツボ』――であることが重要なのであり、今回の『異世界線』からの敵兵出現場所として限りなくクロに近い場所であることが確認できることこそが重要なのだ。


 その高千穂町のなかでもとりわけ重要なのは「ゲートの位置」――


 今回士郎たちがこの町の奪還を目指したのも、まさしくこの「ゲート」を発見・掌握し、敵後続を断つために破壊するためなのだ。

 そして、すなわちそのゲートは恐らく、多くの人々の信仰を集めてきた場所――


 未来みくが峡谷の川底で見つけた何かの通り道が、その天岩戸神社方向から続いている、という状況証拠は、大いにその可能性を補強する傍証に違いなかった。


『オメガリーダーから各員に通達――我々はこれより天岩戸神社方向へ転進する。全員シュノーケリングにて移動せよ』


 戦闘服の酸素タンクには限りがあるし、水中を歩くより川面を泳いだ方がいくらか早い。“ケーキの表層”部分で激しい戦闘を行っているはずの狼旅団が敵を引き付けているうちに、可能な限り早く攻撃目標に辿り着きたいではないか。


 士郎の指示に従い、水中に展開していた200名がとぷんと川面から頭を出した。暗闇の中だから、ほとんど視認はできないだろう。

 すると突然――


『……てッ……怯むな……しろッ!……』


 どこかの隊の無線らしき音声が断片的に入ってくるではないか。


「おい――何だこれ!?」


 士郎は思わず問い質す。


『分かりません! すぐ――』

『方位三―三―八……4時ポイントの方角からですッ!』


 田渕が言いかけたところで、すぐに通信兵が補足する。4時ポイントの方角ということは、まさに天岩戸神社方向じゃないか。


「4時ポイント!? これ戦闘状態なんじゃないのか!?」


 無線の音声はかなりノイズが混じっており、非常に聴き取りづらい。だが、その切迫した声色からは、ただならぬ雰囲気を感じる。

 もともと5隊に分かれて峡谷に入ることになっていたが、何か緊急事態が発生したらバースト通信で他隊にエマージェンシーコールをする手筈になっていた。それならたとえ水中でも届くはずだったからだ。

 だが、今のは本当に偶然拾った無線電波だ。なぜ――


『非常に強い電磁波異常が周辺一帯に発生しています! おそらくバースト通信は通らなかったものと……』


 通信兵が士郎の疑問に先行して状況を報告する。


「久遠ッ!」

「分かった! 任せてくれ!!」


 士郎が言うが早いか、久遠が水中から大跳躍してそのまま消えていった。あとには脱ぎ捨てられた防爆スーツだけが川面に漂う。


「全員! 可能な限り急いで4時ポイントに向かう!」

「中尉、秘匿制限は?」

「まだだ! 久遠の斥候報告を聞いてからだ」


 田渕が口にしたのは、秘匿制限を解除しないのか? という問いだ。つまり、もう一度推進装置スラスターに点火すれば、水上を相当な速さで移動できるからだ。その代わり大きなノイズを立てるから、周辺の敵にこちらの存在を気付かれてしまう。

 仮に4時ポイントが交戦状態に陥っていた場合、状況によっては士郎たちの存在を秘匿したまま敵の背後に回り込めたりするかもしれないから、ひとまず状況確認が済むまで自重しよう、という判断だった。

 そのころ――


 久遠は、そのDNA変異特性である色素胞の自在化によって、周囲の背景と完全に同化する、いわゆる「不可視化インビジブル」状態で、4時ポイントに急行しつつあった。オメガ特有の圧倒的身体能力にかかれば、それは大して難しいことではない。だが、今回ばかりは少々骨の折れる行程となった。峡谷の上、つまり崖上には、敵兵がウヨウヨしていたからだ。彼女は極力それらを避けて道なき道を移動するしかない。つまるところ彼女は、本当にその存在を掻き消せるわけではないのだ。大きな意味で皮膚組織そのものが「光学迷彩」みたいなものというだけだ。

 だから、いくら見えないからと言っても、実体はそこにキチンとある。物理的に攻撃を受ければ怪我もするし、命だって落とす危険がある。

 そして今まさに、久遠は相当危険な戦場に入り込みつつあった。


 ダダダダダダダダッ――!!!

 ダァァァァァァァァン! パァァァァァァァァン――!!


 そこは恐らく、今まで久遠が見た中で、一番熾烈な銃撃戦が繰り広げられていた。士郎に指示され、斥候として状況確認に向かっただけなのだが、既に身体のあちこちに木枝や流れ弾による擦り傷をこしらえていた。

 色素胞は皮膚表面にあるものだから、その皮膚が切り裂かれてしまえばその部分の不可視化は成り立たない。だから今、久遠が存在するその一見何もない空間には、少量ずつではあるが流血痕が中空に浮かび上がっているような状態だった。注意深い者が見たら、そこに何かいる、というのは簡単にバレてしまうだろう。


 だが、久遠は士郎のために、何とかこの場の詳細を把握しようとさらに無理をして敵情を探ろうとしていた。

 4時ポイントに降下した部隊が、敵軍と激しい交戦状態に陥っているのは明らかだった。既にあちこちに兵士たちが斃れている。斃れているというか――浮かんでいる。そう、撃たれて絶命した特戦群兵士たちが、川面に浮かんで漂っているのだ。その数はパッと見数十名か。1隊約200名だから、仮に30~40名の兵士たちが戦死したとなると、この隊は既に全体の2割近くを失ったことになる。

 もともと地形的には最悪の場所だった。士郎や久遠たちの隊は、降下にあたって幸い接敵がなかったが、この部隊のように敵がまともに迎撃してきたら、足場が水面しかなくて遮蔽物が一切ないうえに両岸の上から見下ろすようなかたちで敵兵に狙い撃ちにされるだけだ。峡谷の一番谷底を流れる川から崖の上を幾ら狙ったところで当たるわけがない。


 それでも特戦群の兵士たちは、必死に崖上に撃ち返していた。

 銃撃戦というのは、双方がただひたすら撃ち合っているのではない。相手が撃って来ればこちらは隠れ、こちらが反撃すれば相手は隠れる。要はその繰り返しだ。

 その時、ほんの数瞬だけ我慢できる方が、敵が顔を出した瞬間に狙撃して相手を仕留めることが出来るのだ。

 そういう意味では、崖下の川に浸かった状態の特戦群兵士たちは、我慢の限界以上に我慢強く――つまり自分が敵の銃火に晒され続けながらも――反撃の射撃を続け、多くの兵が銃弾に斃れる中で、それでも何人かずつ、不用意に顔を出した敵兵たちを一人ずつ確実に仕留めようとしていた。


 だが、それももはや限界のようだった。

 先ほど30~40人と感じた味方の犠牲者は、あっという間に70~80人に膨れ上がったようだ。もはや部隊の半数近くが斃され、川は既に真っ赤に染まっている。それは、ノルマンディの海岸線もかくや、と思われるような地獄の光景だった。

 だが、これだけ壊滅的な被害を受けていてもなお、彼らは必死で組織的抵抗を続けている。普通の部隊なら、全体の兵力の2割を損耗した時点で既に組織戦闘は不可能だとされるのが軍事常識なのに――


 なんとか――敵の具体像を確認しなきゃ!

 窮地の彼らを、旧知の彼らを、助けなきゃ――!


 久遠は、自らの負傷を意識の片隅に追いやって、さらに敵中深く浸透を図った。峡谷の上の部分、敵が大勢取り付いて、みな一様に下を覗き込んでいるのをいいことに、その背後を音もなくすり抜けていく。

 さらに進んでいくと、峡谷の一部がなだらかに河原を形成している場所が目に入った。

 あそこは――!?


 そこだけは、川から簡単に上陸できそうだった。だがもちろん、そこにも敵兵がうようよしていて、特戦群兵士たちをその河原に誘導することは到底できそうにない。


 ん――!?


 久遠は、もう一度じっくりと、落ち着いて河原を観察する。

 先ほどから真新しい軍服を着た敵兵たちが、どんどん増えていっているように見えるのだ。


 まさか――


 久遠はさらに近付いていく。水の中に入ってもいいのだが、既に秋も深まった今の季節、深夜の淡水は想像以上に冷たい。不可視化を成立させるために素っ裸の状態である久遠には少し――というかかなり――体力を消耗する選択だ。

 というわけで今度は慎重に崖下に降り、申し訳程度のごく狭いゴツゴツした足場を伝って、音を立てないように少しずつ問題の河原に近付いていく。


 ようやくその河原の全景が見渡せる位置に移動して、久遠はあらためてそこをジッと凝視した。そして――


 久遠は唾を呑み込む。

 やはりそうだ――!


 その河原の奥には、大きな洞窟の入口があった。そこには、神域であることを表す注連縄が左右に渡されており、その両端は直接岩に打ち付けられている。

 そしてその奥――洞窟を入ったすぐのところには、古ぼけた鳥居が建てられていた。

 さらにその鳥居の向こう側から、何やら眩い光が後光の如く射しているではないか――!!


 その光は時折チラチラとストロボフラッシュのように点滅し、そしてその都度、光の奥から人影が現れ出ているのだ――!!!

 この場所こそが、敵軍が湧いて出てくるところ。つまり――


 あれが――!?

 あれが、叶少佐の言っていた……士郎が探している……


 異世界線からのゲート――!!!


 鳥居があるということは、あそこはもともと神社か何かだろうか!?

 もしかして士郎が言っていた「天岩戸神社」というところか!?


 久遠は慌てて引き返そうとする。

 一刻も早く士郎に報告しなければならない。4時ポイントの友軍が壊滅しそうなこと、そしてその先に河原と洞窟があって、それがどうやら探していたゲートっぽいこと。

 その裏手から回り込めば、多数の敵兵を出し抜いて背後から襲撃できそうなこと――


 早く――!!


 久遠は、再び崖を這い登り、来た道を引き返して戻ろうとした。

 相変わらず4時ポイントの友軍が必死の抵抗を続けていた。もはや残存兵力は30~40人と言ったところか。

 生き残っている兵士たちは、仲間の死体を遮蔽物にしてなんとか凌いでいるような有様だ。彼らの心中いかばかりか――


 久遠は、その状況をまともに見ることが出来なくて、少しだけ視線を逸らしてその場を通り過ぎようとした。その時だった――


 ドンッ――――


 突然、久遠はその細い腹部に焼け火箸を突き立てられたような灼熱感と、ハンマーで思いっきりそこを殴りつけられたような打突感を覚える。


「――アツっ――!!」


 思わず低い悲鳴が漏れる。

 ふと視線を向けると、右腹部からドクドクと鮮血が溢れ出してきた。

 見る間にその部分の「不可視化」が解除され、薄肌色の腹部が露わになる。と同時に久遠は、急速に自分の視界が狭まっていくのを自覚した。急激に目の前の風景が暗くなり、本当に真っ直ぐ先のごく狭い範囲しか見えなくなる。

 そのほんの数瞬後、久遠は無意識に膝をついた。


「――あ、あれ……」


 続けて何かを言いかけて、自分のろれつが回らないことに気付いた時、久遠は意識を失った。

 と同時に、峡谷を見下ろす森の中に、全裸の久遠がうつぶせに倒れた状態でその姿を現す。


 向こうから、何やら大きな怒声が聞こえてきた。

 その集団は、久遠の白い肌を見つけると、さらに激しく何事か会話を交わしながら、全力で彼女に駆け寄って行った。

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